そのウソ引き取ります

なゆうき

第一章

西島 寛太 Ⅰ

 人々の雑踏がいつもの殺伐とした様相とは異なり、どこか温かみのある、期待や希望の色が滲みだしてくるような十二月の中旬。病院からの帰り道、僕はファーストフード店の窓から見えるその街並みから取り残されたように一人ため息をついた。


 僕には交際している彼女がいる。藤間希美ふじまのぞみとは大学卒業後に就職した会社で知り合った。大学時代に両親を事故で亡くし一人で暮らしていた。のんびりしており周囲への気遣いが出来る優しい女性で、僕はすぐに希美に恋をした。幸い希美も僕の事に好意を持っていたようで交際に発展するまでそれ程時間を要さなかった。交際後も小さなケンカはあったものの、お互いを想う気持ちが冷める事なく将来についても徐々に意識しだした時だった。


 急に希美は病に倒れた。それは何の前触れもなく、二人で描いていた将来を無かった事にするかのような残酷さがあった。まるで映画でよくある、列車で逃げようとしていると突如線路が途切れており絶対絶命になるような唐突さと絶望感があった。


 入院が何か月か続いたある日、僕は病室にいた所巡回の医師に呼び寄せられ別室に移動した。僕を呼んだその表情からある程度の予測はついた。その先の言葉を聞く事が怖かった。案の定、そこでは聞きたくなかった言葉を告げられた。


西島にしじまさん、藤間さんはもう長くないと考えられます……」


 医師の話によると病状はいつ悪化してもおかしくないとの事だった。

 どこか予感めいたものはあった。日に日にやせ衰えていく希美を見ているうち、僕自身の中に弱い心が顔を出し始めていた。それまでは自分を騙し騙ししていて気付かないふりをしていた。もう助からないんじゃないか……懸命に前を向いている希美を見ていながらそんな気持ちを抱いてしまう。そういった僕を僕自身は嫌っていた。


 僕は冷えたコーヒーをカップの底にわずかに残しファーストフード店を後にした。外へ出ると楽しげな歌声が商店街のスピーカーから流れてきていた。みんなこれから楽しい事が待ち受けているんだな……すると十二月の寒さが本格化した空気が風と共に僕の胸の中を吹き抜けた。


 ファーストフード店を後にしたその数時間前、僕は希美と二人で病室にいた。

 希美が入院して以来平日の仕事帰りや休日と可能な限りお見舞いに来ていた。初めのうちは特に意識せずに通う事が出来ていたが徐々に痩せていく希美を見ているうちに――そういう希美を見るのが辛く足が重い日も正直言うとあった。


 その日希美は細くなった指先で雑誌をめくりながら楽しげにしていた。


「もう十九日かぁ、しばらくするとクリスマスだね! 今年はどんなクリスマスがいいかなぁ。何か美味しいものが食べたいよねー病室にクリスマスツリーとか飾っちゃおうか?」

「そうだね……」


 入院中の身で実際にはそんな事は出来ない事は理解しているであろう希美は、それでもそう言わずにはいられないのだろう。希美から発せられるその言葉は二人の関係を平安にする為に感じられた。その心情がわかるが故に僕は希美の気遣いに胸を締め付けられ、心が潰されそうになりつれない返事をしてしまう。


「プレゼントは何がいいかなぁ。寛太かんたは何か欲しいもの考えた?」

「いや……僕はまだ考えてないよ。希美は?」

「私はねぇ――新しいコートが欲しい! もっと寒くなるからあったかいやつ!」

「コートね……」


 どこか希美の言葉がうまく頭に入ってこない。これからの事を話題にされる事が辛い。実際外に出掛ける事なんて今後出来るのだろうか?そう考えてしまうと、希美の話がひどく虚しく感じてしまう。そんな気持ちを隠しているつもりが隠せていなかったらしく希美は目元に柔らかな優しさを携えながら、しかし目は僕をしっかりと見つめて言った。


「寛太……私って年が明けても寛太と一緒にいられるかな……」

「――えっ。」


 急な会話の変化に僕は戸惑った。僕は希美と一緒にいる事が嬉しく感じているはずなのに……でもどこかで希美の未来を信じ切れていない、それから生まれる居心地の悪さ、それらを消化しきれず頭の中で悶々と繰り返される自己嫌悪や葛藤。その全てを希美に見透かされている気がした。


 僕は逡巡した。実際には一瞬の間だったのだろう。しかし、僕にはとても長く感じる程思考の交錯があった。


 希美には残された時間は少ない。その事実を希美が知れば生きる希望を失う可能性もある。しかし、その時間の少なさを二人で偽りなく共有し、同じだけの感情を持ち、残り少ない期間をお互いが変な気を遣わずに居心地よく過ごした方がよいのではないか――。

 それとも残された猶予が少ない事を隠して、希美にその時々の幸福感を感じてあげさせる事が出来るような対応をした方が希美は幸せに残りの期間を過ごす事が出来るのではないか?僕さえこの悲壮感に耐える事が出来れば希美の抱える不安は少しは解消されるのではないか――。


 僕は後者を選択した。ありのままを伝えて希美を悲しませる必要はない。先の事なんて分からないなら真実を伝えず今を楽しく過ごそう。


「何だよ急に……当たり前じゃないか。これからもずっと一緒だよ。変な事言い出すからびっくりしたじゃないか。」

「ごめんごめん……そうだよね。」


 必死で取り繕ったウソだった。希美の目元は優しさを携えたままだったが視線は僕から外され窓の外へ向けられた。


「あぁ、寒そうな空だね。今年のクリスマスは雪が降るといいな!」


 希美は明るく、楽しみにするようにそう言った。

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