第2話
「じいちゃんもいいこと言うよな。どうせ逃げ隠れするなら、いっそ温泉にでも行けばどうじゃ、なんて……」
「アルドくん、村長さんはこうも言っていたはずだよ。『わしを湯治に連れて行くのは、また次の機会でいいからな』って。遠回しに親孝行をリクエストされていたんだと思うけど」
アルドとデュナリスは、まほろばの湯を目指して、怨丹ヶ原を歩いていた。
ヌアル平原での一件が一応の解決を見た後、デュナリスに温泉での骨休めを勧めたのは村長だった。その老体の腰を癒すヒーラーとして加勢したフィーネによると、イルルゥを交えてかの温泉の女湯に浸かった際、イルルゥは、子供のようにはしゃぎこそすれ、男湯に興味を示したりはしなかったという。
アルドは腕組みして瞑目した。冒険の旅の仲間の中には、艶っぽい笑みを浮かべて男湯に忍んで来た、キツネ耳の女性もかつていたことを思い出したのだ。まあ、そこはそれ、人それぞれであろうが……
デュナリスは、一人で温泉へ向かうつもりだったらしいが、アルドが「放ってはおけない」と言い出したため、冒険とはまた一味違った二人旅と相なったのである。
デュナリスは、アルドと談笑しながらも、時折さりげなく後方を確認していた。
「気付いているかい? アルドくん、ちょっと走ろうか」
「そうだな」
二人はそのまま駆け出した。そして、近くにある廃墟に身を隠したのだ。
程無く、三つの人影が、慌てて追いかけるように駆け込んできたのだった。
お揃いのフード付きの黒衣を纏い、子供のように小柄な三人組だった。彼らは、アルドとデュナリスの後を、付かず離れずちょこまかとつけていたのである。
半壊した塀の陰に隠れていた二人は、おもむろに追っ手たちの前に姿を現した。
「きみたちが、僕のソウルガードなのかい?」
デュナリスは、穏やかに尋ねた。
「遠近感のせいとかじゃなくて、本当にちっちゃかったんだな」
アルドは、どうしたものかと腕組みする。
すると、三人組はおたおたと円陣を組み、暫し何やら打ち合わせた後、横一列に並んで二人組へと向き直ったのである。
「バレちゃあしょうがねえ!」
真ん中の一人が吠えたのを合図に、三人揃ってフード付きの黒衣を勢い良く脱ぎ捨てた。
その下から現れたのは、やはり黒いTシャツと半ズボンを纏った、年齢は一桁ではないかと思われる男児たちだったのである。
「ガンガン蹴るけぇっ!——ケルブラック!」
真ん中の男児が改めて吠えて、空中にハイキックをお見舞いした。
「ベロベロしちゃるけぇっ!——ベロブラック!」
続いて向かって右側が、中腰になって舌を出したのである。
「吸えばたちまち気持ちが良うなるのぉ♡——スェブラ〜ック♪」
向かって左側の三人目は、地面に両膝をついて天を仰いだのだった。
「こら三人目! 何を吸う気だ?」
何しろ相手の外見年齢が一桁であるため、アルドの口調はついついきつくなってしまった。仮に煙草やハッスルセージを吸うというのであれば、まだ早いと諌めなければと思ったのだ。
「え!? そ、それは……ご主人様がおいらたちをモフモフしながら、胸いっぱいに匂いを吸うんだよ〜う♪」
男児三人組は、改めて「せ〜の!」と調子を合わせてから、
「我ら煉獄戦隊——アイケンジャー!!」
と、勇ましく名乗りを上げ、ポーズを決めたのだった。
「うん、だいたいわかった。よろしく頼むね」
デュナリスとアルドは、立ち去ることにした。何しろ、自称アイケンジャーたちには、名乗りを上げた後のプランが特に無かったようで、決めポーズで固まったまま、そわそわと視線を泳がせ始めたからである。
「ねえ、アルドくん、ナントカジャーなんて名乗るヒーローは、もっとカラフルなものじゃないのかい? ただまあ、あの子たちがブラック一択なのは、やむを得ない気はするけれど」
再び歩き出してから、デュナリスはクスクスと笑った。
「そうだな。三位一体の連続攻撃とか、合体して巨大化とかしてくれそうだよな!」
アルドもまた笑ってから、ふと怪訝な表情を浮かべた。
「デュナリス……未来でヒーローショーとか見たことがあるのか?」
「映画を見たんだよ。
実は、ミグランスの国立劇場で、こっそり観劇したことがあるんだけど、その時になんだか、レリアスも喜んでくれているように感じられてね。ついつい欲が出て、未来の映画館にも足を伸ばしたんだ。
もちろん、イルルゥくんに追われる身となるよりは前の話だけど……」
そんな日常を一秒でも早く取り戻したいデュナリスだった。
水面上に、大きな手と小さな手が並んでいた。
頭に角の生えた大人と、前髪を一房だけ編んだ子供が、並んで湯に浸かっているのだ。そして、子供が大人に、素手での水鉄砲を教えているのだった。
「せんせい、りょうてのおやゆびで、おゆのでぐちをつくるの」
「こうだね!」
大人は、自信満々に水鉄砲を発射したが、後に続いた子供のほうが、明らかに飛距離が勝っていたのである。大人の手のほうが大きいというのに。
「せんせい、おゆのでぐちいがいに、すきまをつくっちゃダメ……まえに、ママが、おしえてくれた」
キヲは、いそいそとゼヴィーロの手を直した。
「やれやれ、経験に基づく効率には勝てないということか」
水属性の技を得意とするゼヴィーロだが、考えてみれば、生前に水鉄砲で遊んだ経験なぞ無かった気がする。それは死後も、今に至るまで同様だった。
ゼヴィーロは、存外真面目にキヲの教えを受けたのだった。
まほろばの湯の従業員は、到着したアルドとデュナリスに、男湯には先客がいることを伝えた。念のため確認したものの、それは、まかり間違っても鎌を握り締めた女性ではないということで、二人は、特に意に介さず入浴したのである。
すると、湯煙の向こうには、大人と子供の二人組がいた。
「ゼヴィーロじゃないか!……それにキヲも!」
アルドは、驚きの声を上げつつ、笑顔となった。ゼヴィーロは、彼の冒険の仲間であり、異時層を本拠地とする煉獄の鎌の遣い手だ。そして、キヲはゼヴィーロの協力者なのである。
「こんにちは」
キヲはおずおずと会釈した。
「おや、奇遇だね……と言っておこうか」
ゼヴィーロは、どこか陳ねた挨拶を口にしたが、ふいに、相対した二人の目の中に、驚愕と恐怖が映し出されたのを見て取った。
「ゼヴィーロ! 後ろ、後ろ!」
アルドが言葉にして伝える前に、彼は振り向きざま、実はデュナリスめがけて振り下ろされようとした刃を、自前の鎌で受け止めたのである。
「湯煙で道に迷っちゃった? ここは男湯なんだけど」
相手は、男湯という場所柄になど、そして、眼前の男たちがみな入浴にふさわしい格好をしていることにすら、一切頓着しない様子のイルルゥだった。
道に迷ったというよりも血迷っているのだ。
「ヴィーくん、邪魔しないで!」
「そっちが、僕たちの入浴タイムを邪魔してるんだと思うけど」
ゼヴィーロが時間を稼いでいる間、アルドとデュナリスは、それをただ見物していたわけではない。
まずは、キヲを岩陰に避難させた。
そして、黒衣の——黒の海水パンツとスイミングキャップのちびっ子三人組が、犬かきでイルルゥの背後へと回り込み、彼女を強制送還するための下準備として、特殊な鎌で空間に裂け目を入れるのを手助けしたのである。
鎌は三人の体格に比して大きく、湯煙で視界は悪く、所によって湯は深いわ湯の底はぬめるわである。
青年二人が助けに入らねば、虚しい珍プレーが延々と繰り広げられていたかもしれなかった。
ようやっと下準備が調ったところで、まずはケルブラックが、イルルゥの前に進み出たのである……今度は背泳ぎで。
ケルブラックは、湯に浮かんだまま、ボールを一個取り出して、イルルゥに見せびらかすような素振りをした。そして、そのボールをオーバーヘッドキックしたのである。
ボールは、アイケンジャー及び追加戦士二名によって生み出された、空間の裂け目へと吸い込まれていった……
「おい、あのタマ取って来いやあっ!」
そう命じた瞬間、ケルブラックは勝利を確信していた。この状況でボールを追いかけたくならないわけがない!
だが……
「知らない!」
イルルゥは、頬を膨らませて言い捨てると、ゼヴィーロと鎌を打ち合う攻防戦へと戻ってしまったのである。
だが、煉獄戦隊アイケンジャーの戦いもまだ始まったばかりだった。
今度は、ベロブラックが、イルルゥの眼前に、ピンクの渦巻き模様のロリポップキャンディーを差し出したのである。
「ベロベロしてみい! ぶち美味いけえ!」
「いらない! あたしはパンが好きなの〜〜〜!!」
イルルゥは、幼児がイヤイヤするように頭を振った。
見目麗しいキャンディーは、彼女のフードの角状の装飾に引っ掛けられて、ポチャンとあえなく湯に沈んだのだった。
「ほいたら、おいらの匂いを好きなだけ嗅いでもええけ〜♪」
すかさずスェブラックが、イルルゥの鼻先に腹を近づけた。
実は、高さを調節するために、アルドに肩車されながら……
「獣臭い!」
しかし、白刃よりも容赦無い一言で、なぜかアルドごと湯に撃沈したのだった。
素潜りしたデュナリスに身柄を回収されなければ、そのまま温泉の藻屑と化していたかもしれない。
そして、アイケンジャーたちは沈黙した。
「合体とか巨大化とか、なんか無いのか!?」
アルドが問い掛けても返事は無い。彼らは早くも全てのプランを打ち破られてしまったというのか……
どうする、危うし、煉獄戦隊アイケンジャー!?
しかし、彼らのお陰で、三度に亘ってイルルゥの注意が逸れたこともまた事実だった。
その機に乗じたゼヴィーロの力押しで、彼女の背中は、いつの間にやら空間の裂け目のすぐそばまで追いやられていたのである。
「やだやだやだ〜〜っ!!」
「ぐはっ……」
しまった! イルルゥの膝蹴りが、この期に及んで、ゼヴィーロの顔面にクリーンヒットしたのである。さすがの彼もぐらついた。
「せんせーっ!」
キヲが、手桶に汲んだ湯を、イルルゥの顔目掛けてぶちまける。
彼女もまたぐらついたのだった。
「みんな、力を貸してくれ!」
いつにも増して力強く宣言したのは、アルドだった。
五人バージョンのアイケンジャーは、もはや形振りかまわず突進して、イルルゥと彼女の厄介な鎌を、空間の裂け目の向こう側へと突き飛ばしたのだった……
ゼヴィーロは、程無く復活した。
三人のアイケンジャーたちは、イルルゥを護送して主人に報告するからと、手を振りながら空間の裂け目へと飛び込み、やがて、裂け目自体が修復されたように消失した。
その後、天上から何者かの声が降り注いだのである。ハスキーな女の声だった。
「魔獣の。今回は無事で何よりだった。
そして、異時層の鎌の遣い手よ、そなたにも礼を言わねばなるまい」
アルドとデュナリスにとっては、それは、ヌアル平原で耳にしたのと同じ声だった。今回は映像が出ることは無く、音声のみの通信のようだが……
「いや、今回は臨時に雇用契約を結んでいるわけだから、いちいち礼を言われたいとも思わないけどね」
ゼヴィーロは、しれっと言ってのけた。アイケンジャーだけではなくゼヴィーロ師弟もまた、ヒナギクの命で遣わされていたというわけだ。
「魔獣の。そなたの苦しみをこうも長引かせてしまったこと、わっちも申し訳なく思うちょる。実は、イルルゥの目を覚まさせるための奥の手が、ようやっと形になったけえ、これからナグシャムへと向かってはもらえぬか」
デュナリスは、驚きに目を見開いた。そんなことを言われたところで、拭いきれない不信感もあった。ただ、「なんなら、僕たちは先に行かせてもらうから」と、ゼヴィーロが訳知り顔でさっさと湯から上がったこともあって、デュナリスもついには決意を固めたのだった。
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