第229話

 今のうちに、というサツキさんの声はしっかり聞こえているはずなのになんだか現実味が薄い。

 そうだよね、魔獣になっちゃったら元に戻すことなんて、変化させた当人にしかできないしサグレットがそんな願いを聞いてくれるはずもない。

 だったら動けなくなっている今のうちに、また暴れてこちらに攻撃が来ないうちに倒さなきゃ。

 私がそんな意味のない逡巡をしている間。


 ところどころ焦げたり欠けたりしている床を強く蹴り大剣を振り上げ叩きつけるジェイクさんに、その場で動かず詠唱の代わりに杖を降る夕彦くんに、

 迷いは一つもなかった。


 二人の攻撃は麻痺状態で倒れているグルブに避けようはなく、ジェイクさんの大剣は太い胴を両断して、夕彦くんの風魔法は鋭い刃になって硬い毛の生えた皮膚を難なく裂いた。


 ガッ、ググというくぐもった声というより唸り声がグルブの喉から漏れて、ごぶごぶと泡のような血を吐いている。それでも血走った目玉だけがぎょろぎょろと動いて、胴体が割かれているのにまだ命があることを教えられているよう。


 元は、人間だったなんて気にしているのは私だけ?

 いや、そんなことはなかった。


 夕彦くんは最後に魔法を打った瞬間から目を背け、サツキさんは手で顔を覆っている。

 私たちはまだこの世界の感覚に慣れたわけじゃない。


 ピクピクと動くグルブにアスコットと対峙している圭人くんと、アスコットにつけられた傷を回復するために一時避難している杉原さんと上条さん以外は気を取られ、サグレットがグルブの近くに来ていることに気が付かなかった。


「ふ、はははは。随分あっさりと片付けたものだ。さてと、グルブよ、その命の残り全て、わしの糧となれ」


 サグレットがグルブの眼に手をかざす。

 大きな魔獣の体に小さな老人が寄り添うように手を当てているのだけど、その手が行う魔術は禍々しい秘術なのかも。グルブの身体中の血液が渦になりサグレットの体にまとわりつきシュウシュウと音をたてて一気に吸い込まれていく。


「やだ、サグレットの体が」

「大きくなってるな」


 そこにいたら危険と感じたのだろう、サツキさんとジェイクさんがサグレットとグルブから距離をとって私たちのいる方へ走ってくる。夕彦くんもこちらの方へ来たから結界内に入ってもらう。


 赤い霧の中の小さな老人のシルエットが、ぐにゃぐにゃと変化していく。


 なんだか気持ちが悪い。

 生臭い匂いと埃っぽさ、それに魔素のバランスがおかしいのかもしれない。

 空気が重くて、背中に虫が這い回っているかのようにゾクゾクと寒気がして、鳩尾辺りを抑えられているような感じ。結界の中で安全なはずよね、隣にいる光里ちゃんの顔をそっと覗き込む。

 光里ちゃんの額にうっすらと汗が光る。

 すっごく嫌そうな顔をしているのは光里ちゃんも不快感を感じているからだろう。


 その時、叫び声が聞こえた。


「ギィイイイイイ!!! ユルサン! オレガマケルハズナイ!」


 獣の声帯から発せられる獣の声。圭人くんの白く輝く剣が、アスコットの脇腹に刺さっている。


「圭人くん危ない!」


 剣が刺さった痛みか、自分の敗北を悟ってのことかわからないけどアスコットは腕を振り回して、がむしゃらに暴れている。圭人くんにあの腕が当たったら結構なダメージだと思うの。


「大丈夫だ。それより、こいつまでサグレットに取り込まれるわけにはいかないな」


「俺たちにまかせろ」

「圭人はサグレットを」


 すっかり回復した杉原さんと上条さんがアスコットと圭人くんの間に入る。

 

杉原さんの剣でアスコットの左腕が落とされ、上条さんの魔法がアスコットの足を凍らせた。






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