「人間失格」についての考察
高見 灰夢
1.なぜ「人間失格」は読まれ続けるのか
このページにたどり着いたということは、君はきっと「人間失格」を既に読み終えていて、尚且つこの作品をさらに深く知り、考え、僅かに抱く違和感を解消せんとネットの海を漂ってきたのだろう。まずは私の文章を開いてくれたことに感謝したい。そして、是非君自身の考えを見つけて欲しい。私の意見に賛成でも反対でも大歓迎である。暇があればコメントしてもらえると嬉しい。
さて、本題に移ろう。太宰治の「人間失格」は発表から半世紀以上も経ったにも関わらず現代の若人に根強い人気を誇っている。無論、最近の青春小説や異世界転生モノに比べれば手に取られることは少ないだろう。わざわざ暗くて古いイメージのある太宰治の作品を選ぶ人はそういない。しかし、今年も本屋の前には洒落たカバーに身を包んだ「人間失格」がひっそりと置かれ、またそれをレジに持って行く客も少しながらいるのである。
そもそも何故「人間失格」を読もうと思うのか。漫画やアニメ、ドラマで名前を見かけたから。学校の国語で習ったから。暗い小説を検索したら出てきた。様々な理由があるだろう。ただ、読者には共通点があると思う。それは意識、無意識問わず人間に対する嫌気みたいなものをほんのりとでも抱えているということだ。そしてこのタイトルに不思議な魅力を感じて思わず表紙を開いてしまうのである。
だが、これだけでは人気が長続きする理由として不十分である。題名だけはやけに面白そうなのに肝心の中身はありふれたストーリーだったり読み終えても意味不明な内容だったりする作品も少なくない。読まれ続けるためには口コミ、読者の感想が重要なのである。
皆の感想はどのようなものだろうか。ありふれたもで言えば「悲しい」「暗い」「重苦しい」等である。ただ、幾らかの読者は「救われたような気がした」「自分は一人ではない、という気がした」と感動した様子で語るのである。成程、確かに私も初めて読み終えたときに「世界には私と同類の者がいる。少なくとも、そのような人間を理解し表現している作家がここに存在していたのだ。」と震えたものだ。
様々な意見があると思うが、私はこの「一人ではない」と実感させられるという点が多くの人を惹きつける理由であると考えている。
私たちは孤独である。目の前の人が表情の裏で何を考えているか知ることはできない。友人や家族でさえも心の内を理解することはできない。勿論、知られたくない秘密は誰でも一つや二つあるもので、お互いに頭の中が覗けないことは日常生活においては好都合だ。しかし、私たちが苦悩を抱えている時、その苦しみを他者に正確に伝えることは不可能である。また、それを口に出すこと自体が怖くてためらわれるかもしれない。そして自分は誰からも理解されず独りぼっちなのかもしれないと心細くなるのである。
ここで取り上げる「苦悩」とは、何かしらの行動で解決するような単なる悩み事ではない。これは私たちが多かれ少なかれ必ず持っている後ろ暗い感情に起因する。ありきたりな例を挙げるならば恐怖や軽蔑、欲や見栄などだろう。なんとなく抱く悪い感情、ついしてしまう不道徳とされる行動、望まずに犯してしまった過ち、周囲とは異なる存在であるという漠然とした不安。これらに出くわした時、君は自責の念に駆られ取り除くことのできない重荷を背負うことになるだろう。私はこれを苦悩と呼んでいる。
「人間失格」に話を戻そう。太宰は作品中で主人公の大庭葉蔵だけでなく堀木やヒラメなど登場人物のほぼ全員にこの苦悩の原因となる行動や心の機微を丁寧に描いている。幸福を信じず自ら不幸へ進む者、友人を遊び仲間ではあるが内心軽蔑している者、心にもない癖にあたかも自分の恩であるかのように振る舞う者。君にも薄っすらと心当たりがあるのではないだろうか。この人間が持つ嫌な部分をリアルに書き出すことで物語への違和感を綺麗に消し去っている。そして綺麗に整えられた舞台の主役は異様な程人間を恐怖する男である。その周囲のリアリティと主人公の落差が不気味さと悲しさを引き立たせ、私たちは少しだけ彼に共感や同情をするのである。
私はこの少しだけという点が重要であると考えている。というのも、この作品は最近の小説や映画、アニメと比較すると大きな違いがあるのだ。それは主人公に感情移入、自らなり切ることができるかどうかである。普段よく聞く感動のヒット作はほとんど次のような流れが採用されている。まず私たちが主人公の状況や性格に納得、共感する。そして物語の過程で共に試練を乗り越えシンクロ率を高めていく。最後には完全に主人公と同一化して結末を迎え感動するのである。
別に私はこの構成を否定するつもりはない。むしろこの一時の没入感とクライマックスでの昂りを存分に楽しませてもらっている。ただ、「人間失格」は違うのだ。葉蔵は私たちが安易に感情移入することを許さない。異常な対人恐怖と上手すぎるお道化、女に溺れ酒と薬の沼に沈み挙句の果てには廃人である。彼にどっぷりと入り込めるのならば、もうそれは自分の手で小説を書いた方が良いと思われる。それほどまでに感情移入がし難い、不思議な主人公なのだ。
しかし、私たちは堕ちていく最中の彼に時折シンパシーを感じるのである。確かにこいつ程ではないがそんな気持ちになることもあるな、と。中には全く同じ心境でページをめくっていた読者もいるかもしれない。この時折、少しだけ共感するということによって、私たちは葉蔵を一人の自分とは異なる人間だと認識するようになる。感情移入や同一化はしないが、確かに彼の息遣いを感じるのである。
この私たちと同等の存在となった彼によって「一人ではない、私は完全な孤独ではない」と読者は救われるのである。
さて、そろそろまとめに入ろう。太宰治の「人間失格」は超ロングセラーの小説であるが、その人気の理由は次のようなものである。この小説独特な感情移入し難い主人公と丁寧に描かれた人間の後ろ暗い感情たちによって、リアリティのある不気味な人間が私たちの前に出現する。その彼に自身の苦悩を重ね合わせ、同じ様な苦しみを味わっている仲間がいると読者は仄かな安らぎを得るのである。そして太宰が描いたこの後ろ暗い感情は人間の
太宰は極限まで人間の真実を求め続けた作家であると考えられる。これは彼の他の作品からも良く表れている。それらを一つ一つ話すことは私には難しいため、説明はご容赦されたい。是非、彼の作品を沢山読んで実感してもらえると嬉しい。
次回は「人間失格」の構造とそこから太宰治自身の心を推測し近づいていきたいと思っている。
駄文で失礼。読了してくださった方、ありがとうございました。
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