やっぱりこの宇宙には観察者が居るんじゃないか

ruckynumber

自分の価値観の話でもあるかも

みんな、死んで生まれ変わるとしたなら宇宙外には観察者がいることになる。


五億年ボタンの話では、ボタンを押すと五億年異空間で生活し、その期間が終わったら百万円を手にすることができる。


(「五億年ボタン」と調べたらすぐに話を見られる。有料漫画とかじゃない。ある種の怖い話のようにされている、基本的には五分程度で読める実に面白い作品。知らない人はぜひその話を知ってからここに来てほしい。)


記憶は終わった瞬間消されるから、五億年過ごした本人は一瞬で百万円を手にできたと感じる。


つまり、異空間の外から覗いてる観察者がいないと五億年を本当に過ごしたのか分からない。


そして、五億年ボタンを押した人は、五億年過ごしたのは事実だが、その事実を無いものとした考えてしまう。記憶が無いから。


じゃあ、その異空間をこの世界に置き換えるとどうなるか。


大体人の寿命は、日本人だと八十二、三歳程度。


その八十年が終わった途端生まれ変わって記憶はリセットされると考えたとき、宇宙の外から時の流れを観察している誰かが居ないとその生まれ変わった人は八十年を過ごしたとはとても思えない。記憶がないから。


話を変える。


あなたは今から八十歳まで生きて死んで生まれ変わり、来世は二十歳まで生きる。来世は別に死は考えなくていい。


さて、それでは五十六歳の自分を想像してほしい。想像できましたか?あなたは今腹が出て腰が曲がりかかった顔のシワが目立つ一人の人間です。


しかし、来世には記憶が消されるので、来世の自分はこの八十歳まで生きた人生を無いものとして考えてしまう。


記憶がないから。


五億年ボタンと同じだ。記憶がないから、五億年過ごした気は全くせず、一瞬で百万円を手にいれる。そう思う。


それと同じように、五十六歳だったとしても、人生そのものがないものとされてしまうから、無いものとされて来世の人生で何事もなかったのように目覚める。意識は今世には無く、来世に存在する。


五億年過ごした次の瞬間と同じだ。


さて、次に、来世の生まれてきた瞬間の自分を考えてほしい。


その時、別に死について考えていないから生まれてきたの自分はその記憶を保ったまま今を生きる。意識は来世にある。


つまり、今世の五十六歳でも来世の赤ん坊でも来世いう同じ人生のなかにいる。と言うことだ。


難しい話になってきた。


簡単に言うと、自分が時の流れのどの箇所にいようが自分の意識は結果的に同じところに行き着いてしまうと言うことだ。


なぜなら、来世の自分は今過ごしている今世の記憶がないから。


しかし、私たちは今ちゃんと意識を保って生きている。あなたは間違いなくこの文章を読んでいる。


それは紛れもない事実だ。


ではなぜだろうか。


来世で死を考えないように、今世でも私たちは永久に死なないのだろうか。


そうだったら明日から人生をもっと楽しめそうだ。


じゃあなぜ?


五億年ボタンの話を思い出してほしい。


主人公は実際に五億年を確かに異空間で過ごした描写があった。


主人公はなぜ異空間で意識があったのだろう。


それは、異空間に読者という観察者が居たからだ。


異空間で時間を飛ばしながらもきちんと主人公を見ていたからだ。


読者が彼を見ていたから、彼は五億年を過ごしたことを証明したのだ。


すぐに意識が現実に引き戻されなくて済んだということだ。


それは、この世界も同じことじゃないのか。


今私たちがこの瞬間を生きているのは、世界、宇宙の外に誰かが見ているからなのではないか。


俺はそう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やっぱりこの宇宙には観察者が居るんじゃないか ruckynumber @0326sg9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ