鏡の水、雨の中 漆

 あなたのように、あの子の相手をしたかった。

 傍にいてあの子を見つめたかった。

 この世には特別なものがあるって、肌で感じてみたかった。

 

 一昨日、雛子の家からの帰り道、セーラー服はそう言った。

 相変わらず黒白のセーラー服に、暗い感じのする薄笑いを浮かべ、俯きがちにゆらゆらと歩く。雛子の前ではしゃいでいるときは気づかなかったが、顔色が悪く、足取りも重い。もともと細身の少女だったが、出会った頃より少し瘦せたようだ。

「明日は雨が降りますよ」

「そうですか?」

 見上げた空はからりと晴れ、どこを絞っても水など出てきそうになかった。

「お出かけになるときは傘を忘れずにね」

「それはどうも、ご親切に」

「必ず持っていってくださいね。お菓子が濡れたら雛子ちゃんが悲しむわ」

 僕に対しては終始硬かった態度が、雛子の名前を出した途端に柔らかくほどけた。雛子ちゃん、と発するときには特に優しそうな声を出した。雛子の存在は彼女にとって、きっと大切なものなのだろうと思われた。

面白いものを見せましょうか、とスカートのポケットから何やら取り出す。

小さな賽子が三つあった。

「さん、に、ご」

「よん、に、に」

「ご、よん、よん」

 手のひらでころころと転がして、出る目を端から言い当てる。歌うように何気なくやってみせるので、ただ出た目を読み上げているようにも見えるが、確かに言う方が一拍早い。

「僕にも貸してくれませんか」

 賽子を受け取り、仕掛けがないのを確かめたうえで、両手の中に隠してやたらと振ってみる。どの目が出たかは自分でもわからない。

「――さあ、これでどうですか?」

「ご、ろく、いち」

 手を開いて中を見てみる。その通りの結果が転がっている。

「できるようになると、どうということはないですね。ただ当たるだけのことでした。雛子ちゃんにも見せたかったけど、もう、もう間に合わないみたい。ああ、」

 セーラー服は笑いを深くした。血の気の引いた唇が、にいと三日月の弧を描く。

「見せてもきっと、笑ってくれるだけだろうけど。でも、それってとても幸せなことですよね――」

 少女は急に顔を歪め、こめかみに手をやって動きを止めた。

 頭が痛い、と低い声でうめく。

 額に脂汗をにじませ、三つ編みを留めていた紐を引き抜いて、ぐしゃぐしゃと頭をかきむしる。ほどかれた髪が蛇のようにのたうった。今にも倒れそうに見えたので、支えてやるつもりで手を伸ばすと、触れた背中がぐにゃりとへこんだ。

 虫のさなぎのような、魚の腹のような、異様な柔らかさに手のひらが沈んだ。

 ぎょっとして思わず後ずさる。

 セーラー服の黒い背中は、僕の手形の跡を残して深々とへこんでいる。

「頭が痛い、頭が痛い。ああ、ああ――」

 身体をふらふらと揺らしながら歩いていく。何事かを呟き続け、急に真横を向いて「うるさいっ」と怒鳴る。もちろんそこには誰もいない。

 正気を失ったセーラー服は、僕に背を向けてゆらゆらと歩いていく。


 その足元をふと見ると、明るく光の差す昼下がり、濃く影を落とす木々に囲まれて彼女にだけ一切の影がなかった。

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