夏のプール、二人の秘密、私の秘密
楠木佐久
二人だけならいいのにな。
「ねえ、やっぱりやめようよ。」
夏の、蒸し暑い夜。田んぼの匂いが鼻をくすぐった。夏休み控えた高一の夏、私は幼馴染の由希とこっそり学校に来ていた。
『夜こっそり学校に忍び込むとか最高じゃない?』
そのお誘いを聞いた時はすごくワクワクして、キラキラ輝いてみえていたのに、いざ来てみれば、学校の柵に手をかけ、まるで泥棒のように忍び込むのは抵抗があった。バレないだろうか、怒られたらどうしよう、そんな気持ちが私を支配する。
「大丈夫だよ、陽葵」
既に学校の方に入っていた由希はニコニコしていた。そんなに学校に入りたいのか、それともこの泥棒のようなことをしているのが楽しいのか。
由希を待たせるのは悪いし、逆にここで立ち止まっていてもバレそうだし、腹をくくって柵に手をかけた。
田舎の学校だからだろうか、防犯カメラなど一切ないし、警備員さんもいなかった。
私たちはいつもは行かない中庭に足を運んだり、校舎の周りをブラブラしてみた。いつもつまらないと嘆いていた学校が、何故か楽しくて仕方がない。
夜の学校も悪くないな、なんてのんびり歩いていると、急に由希に手を引かれ、走り出していた。
「ゆ、由希っ?!」
「私、やりたいことあるの!」
そう言ってやってきたのは、プールだった。
25mの小さなプール。
「え、由希プール入るの?」
「夜のプール、行ってみたかったんだよね」
「いや、水着は?」
そう、私たちは制服を着て、何も持たずに来たのだ。水着なんてあるはずがない。
彼女はどうするのだろうかと見ていると、あろうことかその制服のまま飛び込んだのだ。
「由希?!」
「あっはは!!きもちい〜!」
「もう、由希ったら…」
相変わらずの豪快さに呆れはしたが、彼女らしくもあった。
「ねえ、陽葵も入りなよ」
「え?…きゃっ!!!」
そう言われ、由希に手をひかれて、プールに飛び込んでしまった。
シャツやスカートが水と肌をくっつけて気持ち悪かったが、それはそれで好きだった。
「由希っ…」
「ね?きもちいでしょ?」
由希は悪びれもなく楽しそうにプカプカ浮いていた。
「なんか、夜のプールって不思議だね」
「うん、綺麗だけど怖くて、全部飲み込まれちゃいそう」
足はついているのに、底が見えない気がする。服を着ているからか、体がやけに重くて、冷たいようなぬるいような水に、全てもっていかれそうだった。
「ねえ陽葵」
いつもよりしんみりとしていた由希は、何やら思い詰めていたようだった。
「私、しちゃいけない恋しちゃったって言ったらさ…どうする?」
「しちゃいけない、恋…?」
そんな恋、あるか…?してはいけない恋なんて、ないと思った。
でも、由希がぽろぽろと涙を流しながら言うものだから、きっとそういう恋があるのだろうと納得してしまった。
「陽葵は、私のこと軽蔑しないでくれる…?」
「しないよ、そんなことで嫌いになるわけないでしょ」
「…わ、私、真由美先生が、好きになっちゃったの…っ、」
まゆみ、せんせい…って、え?
私は耳を疑ってしまった。だって真由美先生は女性だ。新卒で、高校生の私たちと距離は近いが、まさか由希が真由美先生を好きになるとは思っていなかった。
「気づきたくなかった…知りなくなかったよこんなきもちっ…。
同性で、しかも先生で。なんで、なんで私は、生徒なんだろ、女の子なんだろ。
どうしようもない悩みばかりが頭から離れない…誰にも、言えないの…っ、」
水面と涙が一体となっていく。彼女がこんなに綺麗に泣くことを、初めて知った。
私は彼女をそっと抱きしめて、背中をさすってあげた。
「好きになっちゃいけない人は、いないと思うよ。同性だって先生だって。
相手を好きになる気持ちは、悪いことじゃない。
確かに先生が生徒に手を出したら犯罪になると思う。けどね、由希が、真由美先生を好きな気持ちは大切にしていいと思うよ。
その事にこんなに一生懸命な由希は、素敵だよ。」
それを聞いた彼女は、ストッパーが外れたかのように大泣きした。
言えなかった。
私も、人を好きになってしまったと。
私は、貴女が好きだと。
臆病な私は、言えなかった。
彼女の泣き声が水面に響いて、苦しくなった。
月のスポットライトが私たちを照らした。
まるで、世界に2人しかいないようだった。
世界に2人しか、いなければいいのに。
勝手に失恋した私の心が、プールの水面に溶けて消えてくれれば良かったのに。
そう簡単には、いかなかった。
夜風とプールの冷たさは、私に味方してくれてたのかもしれない。
それから夏がくるたび、私は思い出す。
あの時の水の感触も、苦くて淡い初恋も、失恋も。
夏のプール、二人の秘密、私の秘密 楠木佐久 @kusunoki_0
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