珈琲でも飲みながら怖い話でもしませんか?【喫茶店ヴェルエンテ】

コオリノ

第1話 夜行 鷹臣「幸」

都会のオフィス街から外れた路地裏に、ポツンと佇む喫茶店〖ヴェルエンテ〗

そこは、一癖も二癖もある常連客が集い、日や怪談話に花を咲かせるという一風変わった店だった。


さて……今日は一体どんな話が聞けるのか……。


「いらっしゃいませ……」


店の扉をくぐると、カウンターに居た白髪混じりの紳士が出迎えてくれる。

白地に黒のストライプシャツ。蝶ネクタイの似合うとても素敵な男性。

歳は五十代程だろうか、英国の高級ホテルマンのような雰囲気を醸し出すこの男性こそが、この喫茶店ヴェルエンテのマスターだ。


「マスター、カフェラテを」


「かしこまりました」


「おや、柚木君」


「あ、鷹臣さん、おはようございます!」


声の方に振り向くと、窓辺の席にこの店の常連客である鷹臣さんが、新聞を片手にモーニングセットのサンドイッチを口にしていた。


夜行 鷹臣さん。

喫茶店ヴェルエンテの向かい側にある骨董品屋、百鬼夜行の店主だ。

いつも着物姿で、綺麗に纏められた長髪は涼やかでオシャレにさえ感じる。

四十二歳と落ち着いた年齢にも関わらず、そのフットワークの軽さにはいつも目を見張るものがある。


「うるさいぞ柚木……」


「あっ伊織さん……おはよう……ございます」


窓側の反対、壁側のテーブル席に座る女性が一人、不機嫌そうな顔をもたげ僕を睨んでいる。


目には見事なクマ……せっかくの美人が台無しだと言いたいところだが口には決して出さない。

常連客の間でも口よりも先に手が出ると有名だからだ。

出版社に務めているらしく、ここ最近の忙しさからして昨夜は徹夜か何かだったのだろう。


鷹臣さんと真逆の短めの髪に、赤い瞳と銀髪が特徴的。

前に本人が言っていたが先天性のアルビノらしく、色素が元から薄いのだとか。


「おや、柚木君は今日も?」


サンドイッチを食べていた鷹臣さんが、僕を見てニヤリと笑う。


「え、ええ……まあ」


「何だ今日も仕事ないのか?この怪談ニートめ」


眉間を抑えつつ伊織さんが悪態を飛ばしてきた。


僕の名前は櫻井 柚木。

姉が勝手に申し込んだ芸能オーディションに、奇跡的に合格しモデル事務所に所属する事になったが、はるばる田舎から上京してきたものの、若輩者である僕に来る仕事などそうそうなく。


「社長泣かせだねえ、まあ甘えられる内は甘えておくといい」


そう言って、くくく、と鷹臣さんは意地の悪い笑を零す。


皆人事だと思って……。


今は社長のマンションに居候させて貰っているが、このままではいけないのは事実……。


「あっ……そう言えば鷹臣さん、遠方に出張してたんですよね?」


ふと、思い出した。

数日前、今日のように仕事もなく、肩を落として昼間からここを訪れた際、鷹臣さんからそう聞いていた。

考えてみればここ二三日鷹臣さんの顔を見ていなかったのだ。


「ああ、昨日帰ってきたんだよ。やっぱり朝食はここのを食べないと調子でないね」


「こっちはこの二三日お前の顔見なくて調子良かったんだがな……」


「おや伊織君、そんなに僕という話し相手が居なくて寂しかったのかい?」


──ガタッ


「おお、落ち着いてください伊織さん!」


フォークを片手に席を立ち上がった伊織さんを、僕は慌てて押し止めた。


「そ、そうだ、鷹臣さん!何かみ、土産話とかないんですか?」


「ああ……うん、あるよ。聞くかい……?」


「も、勿論!」


押さえ付けていた伊織さんの手から力が抜けていくのが分かった。

何だかんだで聞きたいのだ、鷹臣さんの話を。


この店に集まる常連客には変わり者が多い。

そんな常連客達の共通の話題が、怪談だ。

わざわざ遠方からここの怪談話を求めて来店する客もいると聞くぐらいだ。


普段なら決して交わることの無い、喫茶店と怪談というキーワード。

このミスマッチな組み合わせが、この店に僕が虜にされている理由だ。


陽だまりのような優雅な日常、そこから突然忍び寄る不思議な怪異。

それほまるで、珈琲の中にミルクを落とした時に似ていると、僕は思っている。


「で……?」


テーブルに座り直した伊織さんが鷹臣さんに声を掛けると、鷹臣さんは、ふっと軽く笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


これは、僕が長野に出張に行った時の話だ。

とある古い屋敷のご婦人から、倉庫の中身を処分したいと言う依頼を受けたんだ。


古い蔵らしく、掘り出し物があるかもしれない。

そう思ってね。

勿論何時もの占いも忘れずにね。


柚木君達も知っての通り、僕の得意な占いは潜在文字術だ。


半紙と筆を用意し、頭の中に無意識に浮かんだ一文字を書く。

その一文字こそが、その日の僕の行く末を占ってくれる。

これが結構評判で近所でも話題なんだよ?

とまあそれは置いといて、その日僕が半紙に書いた潜在文字は【幸】って文字だ。

ね?幸先言いだろう?

これは絶対にお宝が待ってるなって直ぐに理解したよ。

で、目的地の場所までレンタカーを走らせたってわけさ。


気持のいいドライブ日和だったよ。


雲一つない青空に、木漏れ日が地面に揺れ緑が茂る山道を進んで行くんだ。

風も気持ち良くてね、ついつい寄り道して観光でもしていこうかなんて……なんだい伊織君、そんな眉間に皺なんか寄せちゃって……分かった分かったよ。

全く君はいつも無粋だね。

怪談ってのは旅情も楽しむべきなのに……って君フォークを人に向けるんじゃない!

分かった、わかったから落ち着きたまえ!


ふぅ……全く、さて何処まで話したっけ?

ああそうだ、まぁ色々あって僕は依頼者の住まいへと辿り着いた。

昔は立派な屋敷だったんだろうね。

雅な装飾がされた日本家屋だったよ。

聞くところによると、息子さん達とは離れて暮らしているせいか、そこにはAさんという年老いたご婦人だけが住んでいてね。

旦那さんにも先立たれたせいか、家の管理もままならないせいで、その家はあちこち傷んでいたんだ。


今回の依頼も、老朽化した古い蔵を取り壊すことにした依頼者のAさんが、どうせならついでにと、知人を頼りに僕に話をくれたというわけなんだ。


一通りAさんに挨拶と説明もしていざお宝の山へ、とまあここまでは良かったんだけどねえ……。

蔵の中から出てくるのは亡くなった旦那さんの収集物ばかりで、しかも明らかに贋作者ばかり。

こりゃ生前相当カモにされたんだろうなと旦那さんに同情しつつ、僕は蔵の中にあるであろう幸を探し続けたんだ。


ある程度選定も済んで庭で一息ついていた時だったよ。


「ご苦労様です……これ、どうぞ」


「あ、どうもすみません」


僕はAさんから麦茶を受け取ると、乾いた喉に一気に流し込んだ。


「どうですか、何かお眼鏡にかなう物はありましたか?」


「ああ……はい、まあ……」


お宅の旦那さん良いカモにされてたようですよ、などとは口が裂けても言えず、僕は終始苦笑いしながら頭を搔いた。


「あら……あれは……?」


「あれ……?」


そう言ってAさんが目を細める方に僕も視線を向け聞き返す。

するとAさんは口元を押さえる手をワナワナと震わせ始めた。

何かに驚き、信じられないものを見たような……。


Aさんは縁側から立ち上がると、裸足のまま庭に積み重ねられた荷物に近付き、古い布切れを手に取りそれをまじまじと見つめ出した。


花柄の元は真っ白であっただろう一枚のハンカチのようだ。


「それは……?」


僕がそう聞くと、Aさんはそのハンカチを抱きしめるようにしながら縁側に戻り僕の前に腰掛けた。

そして目の端に薄らと浮かべた涙を拭うと、ゆっくりと話し始めた。


以下、Aさんの話だ。


あれは終戦間近、最期の空襲があった時でした。

真夜中、母に連れられ防空壕へと逃げている際、近くで爆発があり私は母とはぐれてしまったんです。

途方に暮れ泣き叫ぶ私でしたが、周りもそれどころではなく、我先にと避難していました。


火が街全体を覆い尽くし、子供の頃の私とっては逃げ場などないように思え、一人絶望していた時です。


「こっち!」


声に振り向くと、歳は十六といったぐらいでしょうか、お下げ髪のお姉さんが私に向かって手を差し伸べていました。


「私……?」


「そうよ、早く!」


言われるまま私がおずおずと手を出すと、お姉さんは私の手を力強く掴み、有無も言わさず引っ張りながら走り出しました。


「ど、何処に行くの?」


「こっちよ!火の来ないところに!」


そう言ってお姉さんと私は火の海の中を必死に走り続けました。

真夜中だと言うのに空は真っ赤に燃え、あちこちから怒号と悲鳴が飛び交いあっていました。


どれくらい走ったでしょうか、やがて喧騒とは程遠い静かな場所へとやって来ました。


既に焼け爛れ炭と化した家の跡、一面が焼け野原となってしまった中かろうじて無事だった立派な大木、その木の袂に辿り着くと、私とお姉さんはもたれる様にしてそこに腰掛けました。


「ここまできたら大丈……あら、顔が墨だらけね、ほらこれで顔拭いて」


お姉さんはそう言って一枚のハンカチを手渡してきました。


「ありがとう……あ、綺麗……」


手渡された白い花柄のハンカチ……思わず見とれていると、


「それあげる」


「いいの?」


「うん、ほら、こっち来て」


お姉さんはそう言うと、私を隣に座らせ顔を拭いた後、膝枕をしてくれました。


そして私の頭を優しく撫で始めると、穏やかな声で子守唄を歌ってくれたんです。


緊張の糸が途切れ、思わず泣き出す私の涙をそっと拭いながら、落ち着くまでお姉さんは唄い続けてくれました。


暫くすると、私は不意に聞こえる声に目を覚ましました。

どうやら子守唄で深い眠りについてしまっていたようです。


「ダメ……」


お姉さんの声でした。


だめ?何がダメなんだろう。それよりも誰と話しているのだろうか。


そう思い起き上がろうとした時です。


突然ギュッと、強い力でお姉さんに抱きしめられたんです。

何事かと思っていると、


「この子はダメ!」


お姉さんの怒鳴るような声。

私はだんだんと怖くなってきました。


「お願い!この子はまだダメなの!!」


抱きしめてくるお姉さんの腕に更に力がこもります。


「お姉ちゃん?」


私がそう口に出し僅かに顔を上げた時でした。


お姉さんの背後に浮かぶ、無数のケロイド状に焼き爛れた顔……。

目には光が無く、吸い込まれそうな程の深い闇が広がっていました。


私はそれらを見た瞬間、衝動的に叫び声を上げていました。


「お願い!連れて行かないで!」


お姉さんの怒鳴り声、私を離すまいと必死に抱き寄せ叫んでいました。


耳元に聞こえる無数の声。


不快な重たい風の様な音。

低く、高く、様々な唸り声が空から降ってくるように聞こえました。


私は過呼吸になり喋る事もできません。そして恐怖が限界に達してしまった私は遂に意識すら失ってしまっていたのです。



気が付くと、私は病院のベットに寝かされていました。

目を覚ました私に気が付いた看護婦さんが驚く表情を見せたかと思うと、


「先生!」


と大声を上げ部屋から出ていきました。


やがて駆け付けた先生に、私は事の顛末を聞かされる事になりました。


私が発見された場所は家から遠く離れた場所で、一週間前に空襲でやられた場所でした。

あの大木の周りには押し迫る炎から逃げてきた人達の死体が折り重なるようにして放置されていたらしく、その遺体を回収している際に、一人の焼け爛れた若い女性の遺体に、抱きしめられるようにして眠っている私が発見されたそうです。




以上がAさんの話だ。

話終えたAさんは手に持っていたそのハンカチを大事そうに胸に寄せ、しわくちゃの頬に大粒の涙を流していたよ。



鷹臣さんはそこまで語ると、ふっと軽い笑みを零した。


「なるほど、確かにそのA子さんにとっては幸せな話ですね……」


僕がそう言うと、鷹臣さんは首を横に振って見せた。


「いや、僕にとっても幸せな話しさ。そのA子さんが話していたお姉さんの名前、幸さんって言う名前だったそうだ。ハンカチに名前入りの刺繍がされてたそうだよ」


「あっ……」


珈琲の香ばしい香りが、店内の親密な空気に触れ合い溶け合っていく。

微睡むような店内で、ぼくは思わずはにかんだ。


そう、それは確かに鷹臣さんにとって幸のある話だったのだ。


そしてそれを聞いた僕や、伊織さん達も……。


「ふん……珈琲代くらいにはなったな」


そう言って聞き耳を立てていた伊織さんが席を立ち上がり、カウンターにいるマスターにお金を手渡した。


「今日は私の奢りだ」


「おっ気前がいいじゃないか」


鷹臣さんが満面の笑みで応える。


「勘違いするな、これはA子さんと……幸さんへだ」


照れくさそうに言い残し、店を出ていく伊織さん。


マスターが店の外まで見送ると、鷹臣さんも席を立ち上がった。

また暇な一日店番でもするのだろう。

軽く手を振りながら、鷹臣さんも店を出て行った。


「じゃあ僕も……」


「またのお越しを、お待ちしております柚木さん」


そう言ってニコリと会釈するマスターに僕は頭を下げ、ヴェルエンテを後にした。


「いかがでしたか、今日の話……?」


──。


「幸せのお裾分け……そうですか、そんなお話に思えましたか……ふふ。おや、あなたももうお帰りですか?分かりました……えっ?次回はどんなお話が聞けるのか、ですか?そうですね……」


「それはまた……次回来店された時のお楽しみという事で……またの御来店、お待ちしております……それでは」


──Fin──







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