第401話 冒険者だろうが!

 ハルツの胸元から、冷たい銀色の棒が突き出ていた。

 それは先端が尖っていて、身の部分には刃が付いている。

 まごうことなき、両刃の剣。


 アラタは心臓の鼓動が速まるのを感じていた。

 耳元で心音がこれでもかと騒ぎ立てている。

 それでいて思考はクリア、体は芯から冷えたように冷たい。

 力が抜けるような、逆に力んでいるような、そんな相反する2つの感覚が彼の中で同居していた。


「アラ…………タ」


 肺は避けていたのか、ハルツが名前を呼ぶ。


「ハルツさん!」


 アラタから見て、ハルツを串刺しにしたクソガキは陰に隠れて狙うことが出来ない。

 魔術の遠隔攻撃ならあるいは、普段のアラタなら間髪入れずにそうしたはずだ。

 ただ、状況が状況だけに、魔力操作が覚束ない。

 魔術は体力、気力、魔力を消費して行使するもので、気力の中には魔力操作に必要な集中力も含まれている。

 如何に卓越した技術を持っていたとしても、心が弱ければ魔術は魔術として現実に持ってくることは出来ない。

 アラタは自分が冷静ではないことを理解している。

 だから、味方を呼びつつ走り出した。


「戦闘態勢! 四方に警戒! ガキを捕まえろ!」


 走り寄るアラタの目の前で、今度は剣が引き抜かれた。

 鎧の下に着込んだ服には、赤黒い液体が染みついている。

 飽和したそれはやがて溢れ出し、ポタ、ポタと地面に吸収される。


「ぶっ殺す」


 渾身の攻撃を放とうと振りかぶるアラタ、それよりも早く下手人の少年は距離を取った。

 ハルツは膝から崩れ落ち、倒れる前には間に合ったアラタがそれを支える。


「タリアさん! タリアさん!」


 元はアラタの体調が優れないがために先頭の方に向かいつつあった彼女は、呼びつけてからすぐに到着した。

 現在アーキムが下手人を追跡していて、周囲は厳戒態勢となっている。

 ハルツは地べたに横になり、鎧を剥がして上半身の服を斬り裂かれた。


「これは…………」


 事態を聞きつけて集まって来たルークが声を漏らす。

 胸の中心付近を一突き。

 一眼で分かる、致命傷だ。

 背中と胸の傷口からは絶え間なく血が流れ出ていて、彼の眼ははるか遠くの空を見上げている。

 タリアが到着したは良いが、このレベルの怪我を治療できる人間はこの部隊にいないことを、アラタはこれまでの経験上理解してしまった。

 凄腕の治癒魔術師であるタリアをもってしても、この傷を癒すことは叶わない。

 たとえリーゼでも、リリーだったとしても結果は変わらなかっただろう。

 即死していないのが不思議、ただそれだけだ。


「ハルツさん!」


 アラタの呼びかけにもまるで答えない。

 辛うじて呼吸は続いているが、それもいつ消えてしまうか分からない。

 傷口を圧迫しつつ、治癒魔術で心臓の修復を試みる。

 求められる技術はおよそ人間の為せる技ではないことは百も承知。

 それでも挑むほかない。

 ハルツは自分の身体から漏れてはいけないものが出ていく様子を、リアルタイムに克明に感じ取っていた。


 ——痛くはない。

 それだけがマシと言えることか。

 抜かったな、ただ、俺の眼にはやはりモルガンに、我が息子に見えた。

 それはいまも変わらない。

 なぜ、そう思うが、それ以上のことは俺には分かりそうにない。

 人生いつ終わるか分からないものだな。

 だが、幸せな人生だった。

 もう思い残すことは——


「ハルツさん!」


「アラタ、少し下がれ」


 ルークの止める手を払いのけ、アラタはハルツの傍に座り続ける。

 それを見たハルツが何を感じて、何を思ったのかは知らない。

 ただ、消えかけていた眼の光が、心なしか回帰したように見えたと現場の兵士は言う。


「…………——ぁ、——……」


 気管が傷ついて血が入り込んだのか、ハルツは声にならない声で何かを伝えようとしている。

 ゴボゴボと血が溢れる口を精一杯動かして、動くなというタリアの声も聞かずにアラタの手を握った。


「…………っ。…………!」


「何が……ハルツさん、話してくれよ。何が言いたいのか分かんねえよ! くそっ、クリスがいれば!」


 クリスのスキル【以心伝心】を使用すれば、視覚、聴覚情報にとらわれないコミュニケーションが可能になる。

 ハルツが何を考えているのか、何が言いたいのか、そんなことすぐに伝えられるはずだった。

 だが、彼女は戦場にいない。

 アラタがここから遠ざけたから。


「ルーク、アラタ。ハルツはもう……」


「諦めんなよ! まだやれよ! あんたが諦めたら誰が治すんだ!」


 治癒魔術師として、もう無理だという限界は確かに存在する。

 医師が患者全てを救うことが出来ないように、治癒魔術でもどうにもならないことはあるし、どのケースがそれに該当するのか、もっともよく理解しているのは彼らだ。


「まだいける、まだ治せる、まだ——」


 アラタの手を握っていたハルツの手から、力が抜けた。

 あっ、と思ったアラタはハルツの方を向く。

 その次の瞬間、ハルツはどこから絞り出した力なのか、出所の分からない最後のエネルギーを以てアラタの胸ぐらを掴み上げた。


「ハルツさん」


 とてもこれから死にゆく人の力ではなかった。

 それと同時に、その目には強い光と意志が籠められていた。


「ハルツさん、俺、どうしたら……」


「……——、——…………。……————!」


 相変わらず止めどなく血は流れ続けている。

 人体の出血許容量はとっくにオーバーだ。

 ハルツが大柄な男性だとしても、誤差の範囲を軽く飛び越えてしまうダメージは、覆しようもなく現実を知らせにやってくる。

 気持ちの整理が追いつかない中、アラタは何が正解なのか、どう振舞うべきなのかを必死に模索する。

 その結果、この短時間で彼が出した答えは、今後の彼の人生を、生き方を左右するほど重要なものだった。

 アラタは自身の胸元を掴んでいる手をそっと握り、不器用で不自然な笑顔を見せた。


「後は任せてください。……俺に任せてください!」


 ハルツの瞳から光が消えた。

 痛いくらい力強くアラタを掴んでいた手はスルリと零れ落ち、アラタの掌に着地した。

 その顔には僅かながら笑みが浮かんでいるように見えた。


「中隊長に報告! 敵襲です! その数およそ300!」


「敵の位置は」


「南西、隊列の右後方から来ます! 距離400m!」


「荷は捨てられない。ここで迎え撃つ。ルークさんもそれでいいですね」


「お、おぉ」


「総員、横陣で敵を迎え撃つ。中隊に合図を」


 ラッパ手が合図を吹く。

 敵に位置がバレているのなら、この方が効率的だ。

 現刻を以て第206中隊の指揮権は次席指揮官の第1192小隊長アラタに委譲されたと記録には残されている。

 陣形変更の合図を受けた隊員のほとんどはハルツの死を知らない。

 長く盾に伸びた隊列の中で、先頭の出来事を知るのは容易ではないから。

 アラタは丁度いいからこのまま敵を迎え撃とうと考えていた。

 指揮が最底辺に転げ落ちる情報をわざわざ開示してやる意味はない。

 偵察兵が敵を捕捉し、襲撃が来ると予測される地点に到着したのは、それから2分後のことだった。

 現場には指示に従って中隊の隊員たちが次々に陣形を組みながら集結し、敵を待ち構えている。

 アーキムたちに任せた下手人が気がかりだが、先にこちらを片さなくてはと気持ちを切り替える。


 アラタはほんの少しだけ自分のことに集中している間、部隊にある変化があった。

 一言で表すなら、『人の口に戸は立てられぬ』これに尽きる。

 様子を目にした兵士の口からなにも死なずに戦闘準備を進める兵士たちに、次から次へと知られたくない真実が広まってしまう。

 仕方のないことでもあるが、やってくれたなとアラタは恨む。

 瞬く間に伝染したハルツの死は、中隊の士気をどん底に叩き落すには十分すぎる効力を持っていた。


「そんな……これからどうすれば」


「終わり。もう終わりだよ」


 ヒソヒソと、しかし確実に声は聞こえる。

 耳障りなことこの上ないが、それ以上に嫌なのは否定のしようがないこと。

 そして敵がそろそろ近づいてきたという事。


「アラタさん! 敵が来ます!」


 後方の偵察を担当していたカロンが戻ってきて、分隊長でもあるアラタに報告した。

 彼はまだ中隊長の死を知らない。


「おう」


「……どうしたんすか? 何かあったみたいですけど」


「今はいい。戦うぞ」


「了解です」


 みんながこれくらい気が遣えればとアラタは溜息をついた。

 ただ、それは求め過ぎだと、彼は自らを戒めた。


「全員、斬り抜けるぞ!」


 馬上から叫んでみたものの、まるで効果が無い。

 小隊だけなら1人1人顔をひっぱたいて目を覚まさせるところだが、生憎100人分の頬を叩いて回る時間は無い。

 敵はもう目の前だ。


 ——俺に任せてください。

 そう言い切った。

 なら、成し遂げなければ。


「下を向くな! 前を向けぇぇぇえええ!」


 超大音量で叫んだアラタの声に、思わず敵味方意識を奪われる。


「自分で戦場に来ることを選んだのなら! 祖国を護りたいのなら! 誇りと矜持が少しでもあるのなら、前を向け! 武器を取れ!」


 そう叫ぶと、アラタは馬から降りて刀を抜いた。

 整備された道の両脇から鬱蒼とした森になっているこのフィールドでは、騎馬しても無駄だと判断したらしい。


「……俺は、護るぞ」


 今度は突然小さな声、アラタのことを視認している兵士たちは何を言ったのか注意を向ける。


「俺は護るぞ!」


 今度は再び大音量。


「俺はカナンを護る! お前らも同じなら! 戦う意志を持っているのなら! 立て! 斬れ! 戦え! 冒険者だろうが!」


 その声には、その檄にはハルツの持つクラス【聖騎士】のような戦意高揚の効果は付与されていない。

 それでも1人、また1人と顔つきが変わっていく。

 アラタが戦うと言っているから。

 カナン公国の、それも大多数を占める首都アトラ支部所属の冒険者で、彼のことを知らない者はいない。


 クラスを持たず、去年まで初心者丸出しだった青年。

 あれほど死にトラウマを持っている彼が立って前を向いている。

 俺だってまだ戦える。

 あいつのことを放っておけない。

 俺の方が強い。

 冒険者たちは、第206中隊員は武器を構え陣形を整える。

 奇襲によって手痛い損害を被ったが、それでも本当の勝負はここからだ。


「いくぞてめえら! 突撃!」


「「「おおおぉぉぉおお!!!」」」

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