第400話 無い筈の物を見せ、在る筈の未来を閉ざす者
ミラ丘陵地帯に陣取る公国軍1万2千に対して、現状さしたる戦果を挙げることが出来ずにいた帝国軍は、意外にも明るかった。
能天気というか自信家というか、とにかくそこまで陰鬱で悲観的な空気になっていないのは、果たして良いのか悪いのか。
もう少し自分たちの無能さを反省するべきだという意見がありつつも、当の本人たちはどこか他人事だった。
そしてそれは、コートランド川を渡って進撃したある男が転任してきたことによって決定的になる。
「ようこそお越しくださいました。ささ、こちらへ」
「なんかすみませんねぇ」
男は謙遜しつつも、態度は非常にでっかく乱暴に席に着いた。
流石にテーブルの上に足を置くようなことはしなかったが、茶や菓子はまだかとばかりに辺りを見渡した。
準備はしていたもののこうもハイペースなのかと現地の指揮官は大慌てだ。
「手際が悪くて申し訳ありません。なにぶん中将閣下のような身分のお方が来られるのは初めてのことでして」
エヴァラトルコヴィッチ・ウルメル中将はあからさまなくらいヨイショされて流石に気付きそうなものだが、普通に気持ちよくなっていた。
気を遣ってもらったり、へりくだられたりするのが大好きで堪らないみたいだ。
「えーと、貴方は……」
エヴァラトルコヴィッチはわざとらしく額に手を当て目を閉じる。
いま思い出している最中だというアピールをしているのだが、その実何も考えてないし思い出しそうにない。
そもそも彼は目の前にいる指揮官の名前を聞いたことすらない。
「西部方面隊副司令官のラー・リー中将です」
「同じ階級でしたか。これは失礼」
そう言いつつ、相も変わらず男が態度を変える兆候は見られない。
「お気になさらず。私がやりたくてやっているのですから」
「あ、そう」
エヴァラトルコヴィッチはすぐに引き下がると、出された茶を啜りながら話を切り出した。
「突然のことで申し訳ないが、この戦線の指揮権は私が委譲された。これが任命書だ」
「拝見いたします。…………確かに」
「この戦域にある
「微塵もありませぬ」
「よし。では早速だが攻撃に入る」
「い、今ですか?」
「そう言っている。早く地図を出せ」
「は、はぁ」
横暴なのはこの際置いておくとして、これ以上ないくらい唐突な攻撃命令と作戦会議。
天幕の外に出ていた指揮官たちも急いで中に入ってくる。
エヴァラトルコヴィッチに意見することなどこの場にいる誰にもできやしないが、実際に作戦を遂行するのは彼らなのだ。
どんなに支離滅裂な作戦だとしても、彼らは身命を賭して遂行する義務がある。
あー、参謀本部だか知らんがミラで大敗北したボンクラが偉そうに。
そんな現場指揮官たちの眼は、これから180°ひっくり返ることになる。
「例の部隊を使おう。連絡は入っているな?」
「え、あ……はい」
「すぐに呼べ。今日大勢を決する。それから方面隊所属の腕利き小隊を10個ピックアップしろ。それから——」
矢継ぎ早に作戦を決め、指示を出す姿は切れ者司令官そのもの。
とてもコートランド川で元帥とバチバチにやりあって大敗北を喫した人間には見えない。
もっとも、あれほどの失態をしでかしておいて本国から何のお咎めも無い方が遥かにおかしい話なのだが、その話はタブーだ。
小隊規模から師団まで、次々に兵を動かす中将の指示の中には、一貫したポリシーがあった。
その意図に気づいたものがどれだけいたのかは定かではないが、中将の思考をトレースすることのできる優秀な軍人たちは、一度はその説を否定した。
いや、だとすると……そこまで考えておきながら、それ以上は口にしない。
もし自分の思い違いなら、数分後に自分の首が落ちても不思議ではない。
もうあれこれ疑うのは疲れたので、現場の士官たちは純粋に任務に従事することにした。
中将は勝つためにこの戦場にやって来て、勝つための指示をしているはず。
そう信じることにした。
「さぁ、これで勝とう」
エヴァラトルコヴィッチ中将のその言葉は、まるで霞のように軽く感じられたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ちょっとトイレ」
戦場のど真ん中だというのに、サイロスは今日も能天気だ。
用を足しに列を外れた彼を置いて、第206中隊は道を進んでいく。
彼らは現在、ミラ丘陵地帯の最奥にある一番砦よりもさらに西、ようやくミラの鬱蒼とした森林地帯に踏み込んだ辺りにいた。
中隊が護衛をするのは向こう1か月は持つであろう軍事物資の山。
交通の要衝であるレイクタウンが陥落したものの、まだ補給路は数多く残されている。
彼らはその内の一つを使って第1師団に物資を供給する任務に就いていた。
徐々に寒くなりつつある晩秋、それにしてはやや暖かい午後の陽気。
ポカポカと体を温めてくれる陽の光は馬体の揺れと相まって騎乗する兵士の意識を遠くする。
「起きろコラ」
「痛っ」
「歩兵もいるんだ、気を遣え。それにそもそも馬に乗った状態で寝るな」
「はいはい、すいませんでした」
「ルーク!」
昼食の後で腹も膨れていて、血糖値がひとしきり上昇を終え、また下がる時間帯。
意識どうこうという話ではなく、人間の身体的に生理的に眠くなる時間帯。
ルークはハルツから逃げるように後方に下がった。
「まったく。最近たるんでいるとは思わないか?」
「……ハハ、そっすね」
彼の隣にいるアラタは力なく笑う。
アラタも最近あまり眠れないせいもあって、日中、特にこの時間帯は睡魔と刀を交えることも少なくない。
「眠いか」
「そうですね、少し」
「無理はするな」
「ルークさんが聞いたら発狂しそうですね」
「あいつはあれでいいんだ」
アラタはルークのことを、部下のエルモとどこか同カテゴリとして認識しつつあった。
お調子者で、サボり癖があって、飄々としていて、それでいて戦える。
まあ人には好かれやすい性格をしているとアラタは羨んだ。
彼の中で、自分はそういうことに疎い性格をしているという自覚はあるようだから。
「中隊長殿、よろしいですか」
見知らぬ兵士がハルツの元に徒歩でやって来て、下から声を掛ける。
冒険者ばかりの中隊とはいっても、アラタだって全員の顔と名前を把握している訳ではない。
会話の内容を聞いていて、彼がゲバルという名前の物資運搬担当者であることは分かった。
中隊所属の兵士ではないのか、そう彼はゲバルという名前をインプットする。
2人は数言会話を行うと、ハルツが不意に立ち止まった。
「休憩にしよう。周囲を警戒しておけ」
「1192小隊、散開しろ」
「ちょっとサイロスの様子見てきます」
「覗かないようにな。需要ねーから」
「分かってますよ」
男の、というかこれは女もそれ以外もそうだが、人間の脱糞シーンなんてカメラに収めようものならカメラが壊れそうなまである。
シリウスが厠離脱したサイロスの方に向かったあと、アラタは荷馬車の隊列中央付近に愛馬を移動させて【感知】のスキルを起動した。
まず初めに飛び込んでくる情報は、味方や物資、その運搬に使われる牛や馬の気配。
こんなものは要らないと思いつつ、フィルタリングをするほどの練度は無い。
しかたなく脳内で補完するしか道はない。
常に近い距離に多くの情報が入ってくるせいで、どうにも遠くの環境が分かりにくい。
普段なら100m弱先までは見通せるのだが、今日はせいぜい50m。
このような精度の上下動があるのも、スキルの欠点だ。
そういう意味で魔道具の発明というのは、やはり時代を変えるだけのエネルギーを内包していたと言えよう。
諦めて【感知】を切り、アラタは隊列の先頭の方に戻った。
「どうだ?」
声のトーンからして、何か発見することを期待してはいないハルツがアラタに確認した。
彼はある意味ハルツの期待に応える。
「何もいませんでした。……多分」
「【感知】はルークの領分だ。そのうち教えてもらうといい」
「今度頼んでみます」
「それがいい」
なんて他愛のない話をしていた時、ふと突然アラタのこめかみに鈍痛が奔った。
「つっ…………」
馬上で俯き、愛馬ドバイのたてがみが間近に迫る。
フワフワの体毛は、普段ならさぞかし触り心地が良く、癒しを与えてくれるだろう。
それが今は、獣臭く、生暖かくて生き物のグロテスクな部分が凝縮されていて、空中に舞う抜け毛の1本1本が神経を逆なでしてくる。
一言で言えば、気分が悪かった。
「おい、大丈夫か」
「いや、最近少し調子が悪くて」
「気を付けろよ。とりあえずこの仕事が終わったらしっかり寝ろ」
「あはは、そっすね……」
空元気も元気の内だとアラタは笑った。
しかし、明らかに顔色が悪い。
しかも頭痛はどんどん酷くなって、ついにアラタは馬の首筋にもたれかかってしまった。
「おい……タリア! タリアを呼んで来い!」
ただ事ではないとハルツは治癒魔術師を呼びつける。
幸いタリアは隊列の中央付近の担当なので、先頭に到着するのにさほど時間は必要ない。
「意識をしっかり保て。大丈夫だ、落ち着け」
そう声を掛けてくれるハルツに対して、アラタはただ頷くだけ。
脳の血管に金属製のワイヤーでもねじ込まれたかのような激痛。
【痛覚軽減】をフル起動してもどうにも相殺しきれない。
意識が朦朧とするほどの刺激の中で、アラタの脳内にふいに文字列がインプットされる。
7573696e6720556e69717565536b696c6c0d0a70726976617465204c6f6761626f72654c6f707472206c6f674c6f703d6e6577204c6f6761626f72654c6f70747228293b0d0a6c6f674c6f702e47656e65726174652822736f6e222c31293b
次の瞬間、あんなに痛かったはずの頭はこれ以上ないくらいにクリアになった。
まるで清涼剤を直接注入されたような、過剰な爽快感はきっと、脳の快楽物質の過剰分泌によるものだ。
アラタはふと前を向くと、隊列の正面に立つ1人の子供。
「…………どうしてここに」
ハルツには、アラタのような頭痛は訪れなかった。
ただ、目の前の子供を自分の息子だと認識した、ただそれだけ。
目立たないように緑色の迷彩服を着て、腰に短めの剣を装備して、それでも尚、彼の眼に映る年端も行かぬ存在は血縁者に見えた。
ハルツは馬から飛び降りると少年に近づく。
それに続いて急いで馬から落ちるように下りたアラタ。
【身体強化】をかけても元の距離が近すぎる、ハルツの方が先に少年の元に到着してしまいそうだ。
「ハルツさん止まれ!」
「息子がいるんだ!」
「なにを……いいから止まれ!」
言葉による制止はもはや間に合わないと、アラタは魔力を練り上げながら腰の刀を抜いた。
足が間に合わなければ刀を投げる覚悟であった。
「おい、なに剣なんか抜いてるんだ。それにお前体調は——」
「ごめんね、オトウサン」
「…………は? かはっ」
刀を投げようと振りかぶったアラタだったが、間に合わなかった。
彼の眼から見て、ハルツの腹部からは血に濡れた銀色の金属棒が顔をのぞかせていた。
それは無防備な防具の隙間をやすやすと貫き、ハルツの背中から胸を、心臓を通すように貫いていた。
「みんな、お仕事の時間だよ」
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