第391話 この世界にはもう、失うには惜しいものが増え過ぎた(レイクタウン攻囲戦16)

「最終確認だ」


 カナン公国軍第2師団長マイケル・ガルシア中将は力強く宣言した。

 今日の夕方、ついに敵であるウル帝国軍は東門へと至るまでの最短経路たる道周辺の住宅をすべて破壊し、実質的に奇襲が不可能となった。

 残るのは城壁からの射程圏内にある僅かな家のみで、これは弾除けに使われるのだろう。

 昨日の会議では住宅地に潜伏して伏兵による奇襲攻撃を行う案もあったのだが、別の作戦を採用するにあたって却下された。

 タッド・ロペス大佐はレイクタウンの模型の周囲に、帝国軍の物と思われる駒を配置していく。

 東門に集中させた戦力は、4千近く。

 想定の1つに過ぎないが、この攻め方をされると非常に厄介である。

 ロペス大佐が駒を配置している間にも、ガルシア中将の口から作戦の詳細が語られる。


「東門の防衛にはラトレイア少将の第3師団に当たってもらう。出来る限りの準備をして任務に当たって欲しい。そして——」


「例え命尽きようとも、絶対に抜かせません」


「頼む」


 第3師団、本来ならその構成規模は2個旅団、約1万名からなる大部隊。

 しかし、先のコートランド川の戦いにおける大敗北により、その数は僅か1/10の1千名と少しにまで減少していた。

 生き残りも大いに傷つき、決して万全とは言えない状況、それでも身命を賭して戦うと宣言した。


「次に、残る3カ所の門を含む全方位を第2師団が引き受ける。あくまでも敵主力は第3師団にぶつかるだろうが、ここも通さぬ。そして……」


 ガルシアがちらりと左を見た。

 そこに立っているのはこの戦争における公国軍最精鋭部隊の指揮官。

 眼光鋭い三白眼に、ショートセンターに分けた左右非対称の短髪。

 濁った眼はこの戦争で光を失ったのか、それとも彼は初めから何かが欠落していたのか。

 無表情で会議を静観していたアラタは、自分へのオーダーが入ることを察知すると、少し姿勢を正した。


「第301中隊には敵の特殊部隊に対応してもらう。もう一度特徴を教えてくれ」


「板金の鎧に青と白ベースの騎士、青髪か金髪でだぼだぼの服を着ている魔術師の女。それから……赤髪のディラン・ウォーカーと名乗る剣士です」


「全員覚えたな? やつらとはまともに戦うな。034、112、152、206、301中隊の5個分隊で抑え込む。死力を尽くして戦ってくれ」


「はい」


 それから先も、レイクタウンの地形を確認しながら綿密な打ち合わせが行われた。

 ここ数日で市街地戦を行う準備は完全に整った。

 味方が想定外の押され方をする場面が多々見受けられたのは仕方がないとしても、攻城戦に移るまでにここまで時間を稼ぐことが出来たのは合格点だ。

 既に城壁内部は、守る為というよりも敵を殲滅するための設備に造り替えられていた。

 平気で落とし穴が掘られているし、民家の中には秘密の通路や爆発術式などがてんこ盛り。

 勿論城壁の外部にも出来る限りの仕掛けは施してある。

 これならそう易々と勝ちを譲ることも無いだろう。

 1時間半に渡る行動確認の後、ガルシア中将は今一度語気を強めた。


「ここを抜かれれば、ミラ丘陵地帯は完全に孤立し敗北を喫することになるだろう」


 アラタやハルツが元々参加していたミラ丘陵地帯には、1万からの公国兵が詰めている。

 彼らが全滅するようなことがあれば、公国軍の損失は計り知れず、彼らが相対していた帝国軍2万6千が公国領内になだれ込んでくる。


「何としてでも、ここで帝国軍を撤退に追い込む必要があるのだ。たとえどれだけ多くの血が流れようと、たとえここにいる指揮官がどれだけ死のうと、たとえ私が命を落としたとしても……勝たねばならぬのだ」


 死亡した152中隊長ベロンの代理として会議に参加している、次席指揮官のフォックス少尉はその両の拳を強く握りしめた。

 本来彼は、小隊や分隊を率いる立場であり、もっと言えば今年公国軍士官学校を卒業したばかりの新卒だ。

 1192小隊のデリンジャーとも親交があり、正真正銘新米兵士。

 経験が浅く、身に余る重責。

 ただ、若さと部下を守るという決意だけが彼の取り柄。

 彼だけではない。

 今までの戦闘で、指揮官も少なくない数が戦死、離脱した。

 そのせいで下士官が現場の指揮を執る場面も多く、会議の参加者の平均年齢もすこぶる低い。

 彼らの年季の入った老練な指揮などできない。

 巧みな戦術も、迅速で的確な状況判断も、苦渋を伴う決断も、出来ないことだらけだ。

 それでも、何とかしなければと思う。

 公国の国民を守り抜くために、命を燃やして戦い抜くべしと、彼らはそう教わって来た。


「亡き戦友を、戦い半ばで散ったアイザック・アボット大将を弔うには、勝つしかない。何があっても足を止めるな、何があっても武器を捨てるな、何があっても、負けるな。勝つまで戦い続けろ、それだけが私からの要求だ。いいな!」


「はい! …………あれ?」


 数十名が詰めている冒険者ギルドの会議室で、たった1人だけが大きな声で返事をした。

 残る全員が静かにうなずき、眼で返事をしているのに対して、たった1人だけの大音響は非常に目立つ。

 アラタは陰でクスクスと笑い、他の面々も心の中で笑っていた。

 そんな最終打ち合わせはこれにて終了、準備、就寝、そして決戦である。


 会議をあとにしたアラタは、ふと唐突に高いところに登りたくなった。

 バカと煙は高いところが好きということわざに照らし合わせると、実際彼は少しおバカなところがあるのだろう。

 学校の勉強はちっとも身につかないし、出来るのは野球に関することだけ。

 大学の勉強もまともにしておらず、異世界に来て通っていた学校は短い期間で退学した。

 彼は根本的に、学問を収めるという営みが向いていないらしい。

 そんな彼が眼下に睥睨しているのは、往来で火を焚きながら食事を取っている一般兵の姿。

 勿論民家の台所を拝借して夕食を用意しているから、そこまで大々的に薪を燃やしているわけではない。

 ただ、攻囲戦が始まる前にアラタやハルツが主張していた、住人への説明と理解は結局行わないままここまで来てしまった以上、もう建物は人が住める構造になっていない。

 階段は1段ごとに斬り落とされていたり、爆発物が仕掛けられていたり、他にも驚きの仕掛けが盛りだくさんだ。

 そうなれば必然的に、今日の夕食は外で食べよう、ベッドや布団を外に持ち出してそこで寝ようとなるのだ。

 少し冷えてきた秋の夜、火が無いと寒く、火があると暑い。

 それでも炎の揺らぎを見ると人はリラックスするもので、兵士たちの顔色は悪くなかった。


 そんな様子を屋根の上から見下ろしながら、アラタはいつもの干し肉を齧っている。

 元々彼は、異世界に長居するつもりなんてさらさらなかった。

 転生自体ドッキリか何かで、日本の山奥のどこかだろうと考えていたくらい、彼は楽観的に物事を考えていた。

 やがてそんな甘い考えは異世界の現実によって粉々に打ち砕かれ、この世界で生きて行かねばならないと考えるに至る。

 それでも彼は、異世界の人間のことなんてどうでもよかった。

 仲が悪かろうと、喧嘩しようと、嫌われようと、どうでもよかった。

 結局、どこまでいっても自分は彼らとは違うのだから、いつか見つけてみせると意気込んでいた帰還方法を手に入れるその時まで暮らせればそれでよかった。


 しかし、そんな風に人間を語ろうとするなんて、アラタは少々理解が浅い。

 仕事や任務とはいえ、人助けをした。

 頼んでなくても、助けてもらった。

 苦しい時に、傍に居てくれた。

 楽しさや嬉しさを、分かち合った。

 そんな日々を過ごした間柄の人たちを、全くの赤の他人だと言い切るのは無理があって、彼の中に、大切なものが増えていく。


「…………………」


 ふとアラタは自身の右側を見て、それから後ろを振り向いた。

 そこには当然誰も、なにもおらず、ただ空虚な空間だけが存在している。

 隣には、あの子遥香がいるはずだった。

 後ろには、悪友たちがいるはずだった。

 家に帰れば、父と母と弟がいるはずだった。

 この異世界は、それらすべての繋がりから、千葉新という青年を切り離した。

 男は、孤独だ。


 それでも、アラタは空っぽではない。

 一癖も二癖もある部下、同僚。

 自分が生み出した精霊。

 裏仕事を共にしてきた仲間。

 いつも何かを画策している陰湿な貴族様。

 元気と言えば聞こえはいいが、ほとんどの場合ただ口やかましいだけの同居人。

 確かに、同胞がいないという点では彼は1人ぼっちの寂しい人間だ。

 しかし一度視点を変えて見てみれば、男の両手には大切なものがこれでもかとぶら下がっていた。


 ——この世界にはもう、失うには惜しいものが増え過ぎた。


 だから彼は、これ以上何かを失わないために、生きる為に戦うのだ。


※※※※※※※※※※※※※※※


 10月10日、天気、晴れ。

 夜の気温もすっかり下がり、寝苦しい夜を超えなくても朝を迎えることが出来るという多幸感と優越感。

 この寝起きの素晴らしさを、1か月ほど前の自分に教えてあげたいほどだ。

 気温が落ち着いてくるにつれて、ディラン・ウォーカーの朝は少しずつ早くなる。

 それでも彼が起きたのは午前10時だったことから考えるに、彼がまともな社会人生活を送れるようになるとは到底思えない。

 まあ彼はそれでもいいのだろう。

 たとえ起きるのが遅くても、誰もが彼を特別扱いし、重宝してくれるのだから。

 グゥーッと伸びをしながら天幕から出て、朝食を取りに食堂へと向かう。

 すでに兵士たちは食堂にはおらず、彼を待っているのはいつもアリソン・フェンリルだけだ。


「おはよ。あれ、モルトク君たちもいるのかい?」


「今日はお嬢に同行するので」


「なるほど。今日から攻城戦だしね」


 ディランは目玉焼きに添えられたベーコンをフライングしつつ席に着く。


「あんた、悠長に構えている場合じゃないんじゃない?」


「と言うと?」


「レイクタウン、今日にも陥落するかもよ」


「ははっ、まさかぁ」


 起き抜けに爽やかな笑顔を振りまく彼は、女性人気が非常に高い。

 それこそ現在公認で15股をしているくらいには甲斐性がある。


「いくら弱っていると言っても、攻城戦である以上有利なのは向こうだよ。それに僕やアリが参加している訳でもあるまいし、少し過小評価し過ぎじゃないの?」


「そう思うのならレイクタウンの方を見てみれば?」


 何やら意味深な言い方と、ニヤニヤと含みのある笑みをしていたアリソンから、ディランは何か異変を感じた。

 それに、フェンリル騎士団が彼女についているという点もいつもと異なる。

 ディランは朝食の皿を持ったまま食堂を出て、少し歩いて西のレイクタウンの方を見た。

 時間的に攻城戦が始まっているとは思っていたが、その光景に彼の中から余裕が消えうせた。


「……アリ、何で起こしてくれなかったんだ」


「マルコムが起こしたわよ。でも起きなかったの」


「それは起こしたうちに入らないでしょ」


「知らない。まあ、私たちは出撃準備できているけど。貴方はどうするの?」


「……今すぐ出るに決まっているでしょ」


 バクバクと皿の上を一気に平らげたディランは、皿を持ったまま自分の天幕へと急いだ。

 彼の後ろには、黒煙立ち上るレイクタウンが映えていて、陥落も時間の問題であることをこれでもかとアピールしていたのだった。

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