第385話 親子で仲良くな(レイクタウン攻囲戦10)

「退却!? マジで言ってる!?」


 中隊の拠点を後方に移動してから1時間後、アラタは更なる後退命令に絶句した。

 大隊本部まで指示を仰ぎに行っていたエルモは、ただ頷くことしか出来ない。


「どういうこと?」


「いや、普通に押し込まれて大損害が出たらしい。それで一部だが陣形が崩壊し、まあとにかく下がれって命令だ」


「いや、全然理解できないんだが」


「俺だって意味わかんねえよ。ただ、コートランド川の時と言い今回と言い、結構ヤバい奴が出てきてるんじゃないのか」


「……かもな」


 エルモの言葉を受け、アラタの脳裏には剣聖オーウェン・ブラックの影がちらつく。

 ただ、彼一人でそんなに大きな損害が発生するのか、その点に関しては疑問符がつく。


「アラタ、動くしかねえよ」


「……そうだな、撤退しよう。城壁まで行くのか?」


「あぁ。それから先はまた会議だってよ。アラタが参加するようにって」


「憂鬱な事この上ないな」


「ドンマイ」


 このところ、公国軍全体で見れば連戦連敗、正直とっくに後がないところを超えてしまっている。

 それでも第301中隊はまだいいほうだろう。

 自身は順当に勝ちを拾うことが出来ているのだから。

 ただ、軍全体に立ち込めるこの重苦しい雰囲気の中で、自分たちだけ大喜びする気にもなれない。

 その空気感が、彼らをあと一歩勢い付かせることが出来ずにいる。


 人生において、明確に落第を突き付けられる機会というのは案外少ない。

 入試に落ちるとか、就職試験に落ちるとか、せいぜいその程度。

 その他ほとんどの場合は、何らかの理由で自らを納得させて、自分から諦めるのだ。

 そんな時、必ずしも絶望は劇的な登場をしてこない。

 日常生活のふとした瞬間、ほんの少し気が滅入った時に、だるまさんが転んだの参加者のように、一歩だけヒタリと近づくのだ。

 それを何回も繰り返して、徐々に、徐々に、足元に絡みつくように、人は絶望に支配されていく。


 確かにコートランド川での大敗はショックだった。

 ただ、あそこで大崩れせずに軍を立て直していれば、司令官を失った怒りを相手にぶつけることが出来ていれば。

 全てはあとの祭りだとしても、悔やまずにはいられない。

 レイクタウンで敵を待ち受けていたのだから、もっと出来ることはあるはずだった。

 味方同士で争っている場合ではなかった。

 数の上ではそこまで大差ないのだから、しっかりと腰を据えて戦えば、敵が撃退するくらいのダメージを与えることは十分可能なはずだった。


「隊長、どうしました?」


 馬の用意をさせている間、ほんの少しだけボーっとしていた彼にウォーレンが声を掛ける。


「勝てると思うか」


 遠い眼をしながら、アラタは力なくそう言った。

 岩のように頑強な拳でも、神の刀を持っていても、斬り拓けぬ道はある、そう言いたげだった。


「正直、勝ち負けで言えば、勝てるチャンスはもう訪れないでしょうね」


「やっぱりそう思う?」


「えぇ。ですから敵を出来る限り損耗させて、侵攻を諦めさせる方向性に持っていくべきだと思います」


「だよなぁ」


「隊長、あなたがそんなでは士気に関わります。空元気でもいいので元気出してください」


「おう、分かった」


 アラタは立ち上がり、刀を差すと作業を手伝いに戻っていった。

 ウォーレンはアラタのことを心底信頼している。

 本人は戦いしか能がないと言っているが、戦術理解が早く、こちらの意図を汲んで話を進めてくれる上官というのは案外少ない。

 自分より年下だというのは何の関係もなく、彼はアラタの部下であることを誇りに思っていた。

 しかし、時折先ほどのように、彼も判断に迷う時がある。

 今行っていることが正しいのか、この先に望むものがあるのか分からずに、霧の中を彷徨うことがある。

 そこでほんの少しでいいから、彼の助けになるような言葉をかけてやる、それがウォーレンが自身に課した仕事。


「ウォーレンさん、家は完全に空きました」


「忘れ物は無い?」


「はい」


「分かった。準備が出来た荷車から先行して移動を始めよう」


 若き指揮官を支えるのは、一風変わった出自を持つ者ばかり。

 ウル帝国が攻め手を務めるレイクタウン攻囲戦、その最大の障壁となる第301中隊は、現在進行形で少しずつ成長していくのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※


 301中隊は、敵に最も近い東門、その近くの民家を数軒間借りしていた。

 間借りと言っても許可を取っているわけではなく、これはアラタやハルツの意見に反する。

 アラタは隊員たちに出来る限りものを壊したりしないように通達したが、多少の汚れは見逃してもらってもいいだろうという状態まで緩まっている。

 何より、あまり壊さないようにと言いつつ屋根に上がる為の穴をぶち抜いているアラタの言葉には少し説得力が不足していた。

 夜10時、中隊の入っている建物で一番大きな民家に中核を占めるメンバーが集合した。

 1192小隊の隊員や、301の大勢を取り仕切る新顔もいる。

 その中で、アラタは非常にイライラしていた。

 原因は誰もが察している、彼は先ほど会議から帰って来たばかりだ。


「脱走兵が多すぎる」


 アラタはそう切り出し、あごでアーキムに指示を出した。

 アーキムは他の家から集めて繋ぎ合わせたテーブルの上に、走り書きのメモとレイクタウン近郊の見取り図を並べていく。

 A4くらいの小さな紙を何枚も使って地図を再現しているので、他の人間も並べるのを手伝う。

 ピースの少ないパズルを解き終えると、本日の結果に関する説明が始まった。


「まず、日中の死傷者の数は101名、まあ想定していたよりはマシだ」


 メモ書き程度ではなかなか読み取りにくいものの、机に置かれた紙には確かにそんな記述がある。


「次に、行方不明者が400。多すぎるし、何より市街地で行方不明はあり得ない」


「包囲しなかったのはそう言うのもあるのかなあ」


 ふと思ったことを呟いたカイに、アーキムは同意した。


「その通りかもしれない。脱走未遂の兵士のほとんどは西門から出ようとしていたからな」


「さいあく。マジで」


 カイと同じ分隊に所属しているテッドも嫌悪感を露にしていた。

 彼ら中隊の隊員たちは、今日もフル稼働で敵と戦い続けたというのに、逃げる余裕のあった人間が後方にてそんな問題を起こしていたとなれば、腹も立つのは当たり前だ。

 逃げようとする兵士とそれを止めようとする兵士の間でもみ合いになり、死者まで出たのがつい先ほどの話。

 今日の301中隊の死者がゼロだったことを踏まえれば、アラタは彼らにどこまで不毛なことをしているのだと怒鳴り込みに行きたくなる。

 頼りにならない味方と共に、勢いに乗っている帝国軍を迎え撃たなければならないのだから、彼らが背負う重責やプレッシャーは計り知れない。


「隊長、明日のオーダーは?」


 ウォーレンが知りたいのは、友軍の醜態ではなく我が身の振り方。

 最短で話しを進めようとするのは時に短所となるが、横道に逸れることなく会議を進行させるうえでは重要な資質である。

 アラタも脳内を脱走兵から明日の予定に切り替えたらしく、少し表情にも柔らかさが戻った。


「待機だ」


「待機ですか」


 アラタはオウム返しをしたリャンに対して首を縦に振る。

 それから立ち上がり、机の上に再現された街の見取り図の一点を指さした。


「今日、こっちの被害のほとんどはこの地点で発生した。合ってるよね?」


「そうだ」


「司令部の伝手で現地の部隊に話を聞いてきた。それでなんだけど——」


 東門の正面からやや北、地図で言うと上に位置する戦場を指さしたまま、アラタは首だけ捻ってキィの方向を見る。


「あれ、あのさ。帝国から脱出するときに助けてくれた人たち覚えてる?」


「……お姉ちゃん?」


「……は居ないみたいなんだけど、取り巻き連中にイメージが似てる気がするんだよね」


「隊長、詳しく」


 意味深な発言にウォーレンが食いついた。

 隣にいるヴィンセントも無言ながら少し興味を示している。

 そのほかの隊員たちも、アラタに言葉に注目する。

 アラタは地図から指を離すと、座って話し始めた。


「大公選期間中、俺は八咫烏っていう組織のリーダーだった。ここにいる中ではリャン、キィ、カロン、アーキム、バートン、ダリル、その辺りだな」


「アラタ、俺は?」


「あぁエルモも。ごめん忘れてた。でな、俺含めた4人が帝国に潜入して帰るとき、剣聖オーウェン・ブラックやその奥にいると思われる第1皇子の追跡を受けた。そこで助けてくれた腕利きの騎士に特徴がかなり似ているんだ」


「アラタあの時僕のこと置き去りにしたよね」


「ごめんって、今は忘れろ。とにかく、連中はかなりつえーし、あいつらがいるならその奥に魔術師の女やディランっているやべー奴がいつ可能性もかなり高い。俺たちはそんなヤバい敵が出てきた時に対応する役割になった」


「それ、俺らで抑えられるんですか」


「シリウスの言いたいことは分かるよ。本気で止めるならそもそも頭数が足りない。だから、今回は大隊規模で動くことになった。では、よろしくお願いします」


 元から部屋に入れておけばいいのに、とアーキムは思ったが、よくよく考えればアラタも同じようなことを考える人間だった。

 じゃあ誰がこんなことを考えたのか、そんな彼の疑問は入室してきた人間を見て解消された。

 彼曰く、この人たちはそういう登場の仕方が好きそう、だそうだ。


「じゃあ自己紹介お願いします」


「ハルツ・クラークだ。第206中隊長をしている、よろしく」


「112中隊のオースティンです、お互い協力していきましょう」


「第152のベロンです、よろしく」


「ノーリス・ラトレイアだ。第034中隊長であり、そこにいるアーキムの父親でもある。気兼ねなく頼ってくれ」


 最後の1人の自己紹介の途中から、301中隊のただ1人に全員の視線が注がれている。

 トリを飾るはずのアラタの自己紹介がまだだというのに。


「俺は、あー……まあいいや。アーキム、親子で仲良くな」


「勘弁してくれ…………」


 大隊長はおらず、5人の中隊長で構成される共同作戦部隊。

 カギを握るのは、1192小隊なのか、それとも親子の絆か。

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