第382話 この世界のジジイは(レイクタウン攻囲戦7)

 人口ピラミッドというものがある。

 解像度はさておくとして、年代別人口を男女で左右に分け、上に向かうほど年齢が高くなるグラフのことだ。

 表現する母集団によって、さまざまな形を取るのだが、日本はかなり問題のある騙りをしていることで有名だ。

 まあこれは他の先進国も同様、医療技術と経済が発展した故に起きるある種贅沢な悩みでることは否定しようがない。

 このようにして集団の性質を表現するのに一役買っている人口ピラミッドだが、戦争などが起こるとこの形が乱れることがある。

 本来死ぬはずがなく、子供を作るはずの年齢層の人間が戦争で大量に死傷することで、形に歪みが生まれるのだ。

 つまり、カナン公国とウル帝国双方の人口ピラミッドは、程度の差はあれど今後数十年の歪みを抱えることになる。

 ここまでグダグダと御託を並べてみたものの、人口ピラミッドから見たバランスがどうかなんて、現場の兵士たちには関係のない話だった。


「おいおい、んだよあのジジイ」


「分隊長、俺の腕がプランプラン——」


「自分で支えとけ!」


 細かい路地を抑え、そこに入り込んだ帝国軍を叩くために広く展開した第301中隊。

 その中でも精鋭の第1192小隊所属、第4分隊隊長のシリウス。

 彼らは現在、攻撃するどころか逃げ回っている。

 まず第一に、敵の数が多い。

 全部まとめて相手にするには少し不利な状況だった。

 そして次に、手に余る敵がいた。

 それがギャビン隊員の左腕をへし折り、なおも接近してきている。

 元々第5分隊を率いていて、シリウスのパーティーメンバーだったサイロスなら、恐らく正面からぶつかろうとしていただろう。

 サイロスよりもある意味適当で見切りをつけるのが早いシリウスだったからこそ、この分隊は今も生き残っている。

 小隊の再編成がこんなところで活きてくるとは夢にも思わなかっただろうが、この話を聞いたらアラタやアーキムは自分の手柄だと自慢するだろう。


「つーか足はえーなおい」


「隊長、俺の腕」


「だから自分で——」


 痛いとうるさいギャビンに、シリウスが気を取られた瞬間だった。

 路地の曲がり角をダッシュで曲がると、真正面に見えたのは帝国軍の紋章。

 しまったと急ブレーキをかけ始めたとき、敵も彼らに気づく。

 後方からはそれなりの数の敵、正面にも10名はくだらない敵兵。

 挟み込まれ、4人中1人は戦闘続行不能。

 詰んだかも、シリウスが奥の手を出すか判断を迫られる、そのギリギリのところだった。


「キィとリャンはシリウスたちにつけ。カロンは俺と来い」


「「「了解」」」


 屋根から飛び降りざまに弓矢と魔術による攻撃を仕掛ける4人の男たち。

 特に雷撃を大量に放った青年は抜き打ちでシリウスたちを追いかける敵兵を斬りつけた。


「……助かったぁ」


「シリウスおめー、これくらい捌けよ」


「ギャビンが負傷して少しきついです」


「あっそ、ここ斬り抜けてギャビンを後ろに下げてやれ。残りは俺と合流な」


「げ」


 シリウス指揮下のカイが露骨に嫌そうな声で鳴いた。


「文句ある?」


 ニッコリと笑顔で聞いてくるアラタの顔が怖い。


「ありません! サー!」


「よろしい」


 登場ついでに斬られた敵兵はついていなかったというほかない。

 敵もこの短時間で屋根から増援が到着するなんて考えてもいなかっただろう。

 追跡してきた敵の前に立ちはだかるのはアラタとカロン。

 シリウスたち第4分隊を援護しつつ反対側の敵兵に向かい合うのはリャン、キィ。

 乱入者の介入で一時停止した戦場が、指揮官の一声で再生される。


「殺せ」


 アラタの命じるままに、動き出した301中隊。

 それに呼応して敵軍も動き出す。

 そして、アラタとカロンが対峙するのは——


「隊長! そいつは近づいては駄目です!」


「おっけー」


 カロンが弓を持っているので、アラタは左手で毒の塗られた杭を持つ。

 ポーチの中にはあと3本入っている消耗品。

 右手に握った刀、それとこの場では限定的だが魔術も使える。

 余程の相手でもない限り、アラタにとって非常に戦いやすい環境だ。


「アラタさん、指示を」


「屋根の上から援護。任意で下に降りて共闘してもらう」


「了解です」


 カロンは【身体強化】を常時発動させておく技量が無いので、上り下りなど負担が大きい時にのみスキルを使用する。

 第1192小隊の人間や、元八咫烏の人間にとって、【身体強化】などのスキルはほぼ必修科目に等しい技量だが、彼のようなケースもある。

 何より、人口比率的に戦闘系スキルを持つ割合は数%に留まっている。

 使えるだけ優秀なのだから、それ以上高望みすることはよろしくない。


「たった1人でいいのか?」


 壮年、と呼ぶには少し厳しい外見をした男がアラタに問うてきた。


「上にいるだろ?」


「いやいや、この人数相手にまとまって戦わないのは下策だろうに」


「じいさんも、後ろの奴らと協力しているようには見えなかったけど?」


「見ておったのか、薄情なお方だな」


「生憎忙しい身でね。悪いけどここだけを見ているわけにはいかんのよ」


 アラタが世間話に付き合う時、大抵何かを企んでいるのは気のせいだろうか。

 まあ街角で井戸端会議に華を咲かせるような人種でもないので、やはり意図あっての時間稼ぎ。

 人口密度が高く、無意識に放出される魔力が干渉しあって魔術は使いにくい。

 従って集団戦の中で魔術を使うにはそれなりの準備や条件が必要になる。

 準備とは、触媒や回路として使用する素材に魔力を流し込む行為。

 条件とは、魔力干渉の程度が一定水準を下回っていることと地面、建物、魔道具など、魔術回路に活用可能な物体が豊富であること。

 ここは細い路地裏、条件は最低限満たしている。

 使う魔術は雷撃と風刃、どちらもアラタの魔術適正に見合った属性の魔術だ。

 敵の視角の中にこれ見よがしに放つ20個の閃光。

 そしてその陰に隠した10個の不可視の刃。

 混じりけの無い殺意が帝国軍に襲い掛かる。


「回避!」


「防御!」


 2通りの指示が交錯した。

 あとで本当はこちらに従うべきだったという議論はあれど、指示を受けた兵士は咄嗟に正しいと思った方を選択した。

 ほぼ半々、僅かに防御が多いか。

 雷撃も風刃も、単発では致命傷としては弱い。

 集中して打ち込むなり、敵がかなり無防備な状態なり、それなりに殺害可能な条件は絞られる。

 その点、この敵を一撃で倒すことを考えるなら、鎧の隙間から首元に風刃を撃ち込むくらいしかなかった。

 そして多くの場合、兵士の首元は防具でがっちりと防御されているものだ。

 時間をかけた先制攻撃は、多少敵にダメージを与えただけで防がれた。

 そこに屋根の上からカロンが矢を放つ。

 足が止まった敵兵を1人撃ち抜くと、二の矢をつがえる。

 そしてそれに合わせてアラタが距離を詰めた。


「だからダメだって!」


 アラタの後方から声が聞こえる。

 シリウスが叫んでいるのだろうが、彼には届かない。

 実はアラタ、【狂化】を少し起動している。

 まだまだ使いこなすには遠い代物で、従来の効果は全くと言っていいほど得られていない。

 恩恵が薄く、その上副作用として理性の低下がもう顕現している。

 練習を怠らないのは結構だが、この相手にそれは悪手だった。


「若いな」


 ぼそっと呟いた後、老人は静かに構えた。

 恐らく何千何万と繰り返したと思われる、帝国軍式格闘術の構え。

 彼の腰元には刃渡り30cm程度の短剣が一振り、刃物の類はそれで終わり。

 対してアラタが振りかぶるのは打ち刀、つまり日本刀。

 間合いの上で大きすぎるアドバンテージ。

 この状態なら、アラタは一方的に相手をなます斬りにすることが可能だ。

 老人がこの状況を覆すには、何とかして意表を突いた接近を行わなければならない。

 ただし、通常の手ならアラタは簡単に対応してしまう。

 少々変わり種を用意してやると、老人は体の内の魔力、体力、気力を練り上げた。

 池の水面のように、凪いだ敵の反応。

 アラタが既定路線の攻撃をしたのは、決して油断ではない。

 むしろ、シンプルな攻撃の方が相手は対応しにくい。

 だから、相手の術中にはまったのだ。


「お゛っ?」


「へっへ」


 不気味な笑い声と共に、能楽に用いられる翁の能面そっくりな顔でほぼゼロ距離まで近づいてきた敵兵。

 アラタも怖さと驚きで思わず変な声が出た。

 2人の距離は、近すぎる。


「ぐっ!」


 右手1本で振り下ろした刀は、手首を掴まれることで容易く止まってしまった。

 それにアラタを握る手は【身体強化】を使っているのか非常に力強く、このままでは骨が折れかねない負荷がかかり続けている。

 まずいと咄嗟に投げつけた杭はこれも簡単に躱される。

 アラタから見て、相手の死角を突いた攻撃のはずだったにも関わらずだ。

 とにかく左手が空いたので掌に風刃を起動しながら相手の手首を逆に掴みにかかる。

 掴めば1秒もしないうちに相手の肉をズタズタに斬り裂くことが出来る恐ろしい攻撃だ。

 ここまで、アラタのアクションばかりが目に移っているが、相手はどうなのだろう。

 相手、老兵はさらに多くのことを行っていた。

 アラタの杭を躱すまでは彼に先手を譲り、そこから怒涛のラッシュで攻め立てた。

 相手の左手を外側に弾きながら、流れるように左肩に掌底を撃ち込んだ。

 アラタもただ撃たせてスイートスポットに入れさせるようなことはまずないので、少し外れて衝撃だけが残る。

 老兵が右手を引く反動で今度は右ひざ蹴り、これも入った。


「ぐむっ」


 体内に響く良い蹴りだ。

 続けて左足……というフェイントからまた右手、今度はフックパンチ。

 【感知】がアラタの予測を補助したおかげでこれは躱しきる。

 しかし顎への攻撃を避けるためにのけ反った状態では、無防備が過ぎるというもの。

 振り上げた左足はアラタの股の間を狙っていて、当たれば決着がつきかねない。

 彼はこれをすんでのところで右足で防ぎ、続く裏拳を左手で受け止めた。

 両者互いに互いの片手を握っている状況で、体勢が膠着する。

 そこに詰める帝国兵と、そうはさせまいと矢を撃ち込んで牽制するカロン。

 今年20歳、それも恐らく同世代でもトップクラスの身体能力を持つはずのアラタに対してこの戦いっぷり。

 超高齢化社会から、戦乱の異世界にやって来たアラタにはギャップが大きかった。

 日本の人口ピラミッドが歪なバランスをしている理由は数あれど、老人たちは誰でも彼でも長生きが出来る社会になった。

 それは喜ばしいことなのだろう。

 ただ、そうではない異世界において、長生きしている、とりわけ戦場にいる老兵は大きな意味を持つ。


「まったく、この世界のジジイは本当に厄介だな」


 少し興奮しているのか、場合によっては異世界人だとばれかねない発言を受けて、帝国の老兵はニヤリと笑った。

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