第360話 長生きと優秀さ

「体は大丈夫かね?」


「はい、自分は特に問題ありません」


「そうか、それは良かった。まあ掛けたまえ」


 アイザック・アボットという男は、よく言えば無駄がなく、悪く言えばつまらない男だった。

 話の入りは大抵同じだし、会話のバリエーションもそこまで多くない。

 大将、公国軍司令官なのだから面白いネタの10個や20個持っているはずなのに、それを見せることは限りなくゼロに近い。

 なんて言ったら怒られるだけでは済まなそうだと、彼はこの言葉を忘れることにした。

 大体、アラタもそんなに話は面白くない。


 アラタは司令部の中に併設された食堂の一角でアイザックと向かい合っていた。

 ここでは基本的に決まったメニューしか出ないのだが、まあ流石に上級将校もそれではあんまりだということで、オーダーを取って調理してくれる仕組みも存在する。

 しかしアイザックや他の中将連中はそう言った特別扱いが組織に不和をもたらす原因になることをよく理解しているので、ほとんどこの仕組みを使わない。

 あんたのためを思って、部下の気持ちを考えて、と双方の気の遣い合いがエンドレスに続く中で、今回のように彼も好きなものを頼むときがある。

 そう、部下を労う時だ。

 アラタはメニューの中からミノタウロスのランプステーキを注文する。

 食べ物なんかで釣られるなんて浅はかだと見下しつつ、しっかりと食事モードに入っているアラタ。

 やはり最も重要なのが金銭的報酬であることに疑いの余地はないが、このような特別扱いの福利厚生も人心を掴むには必須である。

 せっかくアラタがステーキを注文したのだから、私も肉を食べようとアイザックは牛のサーロインステーキを頼んだ。

 料理が運ばれてくるまでの少しの間、少量の食前酒を一息に飲み終えた司令官はそれとなく話題を振る。


「暴走しかけたそうだな。【狂化】か?」


「そっすね。味方を傷つけるようなことは無いはずですけど、押さえが利かなくなる分搦め手には弱いなって思いました」


「……そうだな、まああれだ、追々な」


「ですね」


 前菜のサラダが運ばれてきて、それを口に運び始めた。

 戦場なのだから、決して鮮度が良いものではないはずなのに、瑞々しくて美味い。

 普段口にしている軍の食事に文句は無くても、この食事とは天と地ほどの開きがあった。

 前菜から期待値を引き上げてくれるこの状況に、2人は相好を崩した。

 自分はともかく、上級将校のために整備された仕組みなのだから、大将はもう少し活用すればいいのに、と目の前で喜びを表に出す壮年男性を見て思った。

 そしてそれからも会話は続く。


「損失はどれほどだった? いやまあ報告は受けているのだがね」


「1192小隊は死者3、負傷離脱はゼロでした。小隊を除いた第301中隊の死者は20名、負傷者は43名。多分離脱するのは12人で、戦線復帰する人間を合計すると65人ですね」


「厳しい状況に放り込んですまなかったな」


「勝てばいいんですよ、勝ったんですから、謝るのはナシです」


「そうか」


「そうですよ」


 アラタの言葉に、心なしかアイザックの表情が緩んだ。

 いや、元々前菜で少し心が躍っているのは分かっていたが。

 最高司令官も大変である。


「全体としての状況はどうなんです?」


 サラダが終わって今度はスープ、中々肉まで到達しない中で、仕方が無いかとアラタは諦めた。

 これもすべて、最高の状態でステーキを食うのに必要な試練だと気持ちを切り替える。

 アイザックはアラタの質問に対する答えとして、1枚の紙を彼に渡した。

 そこには彼の知りたいことが記されていた。


「1万4千ですか。結構減りましたね」


「これで来年以降の軍の採用は困難を極めるだろう。まったく頭の痛い話だ」


「戦争に勝っても減るんですか?」


「当たり前だ。誰が3割の確率で死傷する仕事を子供にさせたがる」


「でも、誰かがやらなきゃ仕方がないじゃないですか」


「普通、自分ではない誰かがやればいいと考えるものなんだよ。お前のような変わり者を除いてな」


 褒められているのか馬鹿にされているのか分からなく、アラタは口をへの字にして対応に困る。


「お待たせいたしました」


「おぉっ」


 立派な霜降りサーロイン、sirサーという爵位の称号を与えられるに相応しい身質をしている。

 ナイフを当てて、少し力を加えただけでまるで肉が自分から裂けたかのように刃が入る。

 口に入れる前からこの充足感、これは素晴らしいと満面の笑みでそれを頬張るアイザック大将。

 口の中に広がる上質な油は、くどくない甘味がソースの酸味と調和して非常に香しいフレーバーが鼻腔を吹き抜けていく。

 美味い、そう思った時にはすでに口の中に肉は残っていない、非常に名残惜しく、かつフォークの進むステーキだ。

 彼がファーストバイトを終えてワインを口にした時、アラタは一心不乱に肉に噛みついていた。

 サーロインよりもサシが少なく旨みが強い赤身の部位、ランプ。

 アイザックのサーロインステーキが牛のそれであるのに対して、アラタが食しているのはミノタウロスのランプ。

 2足歩行をすることもあるミノタウロスのランプは、牛のそれよりもさらに脂肪分が少なく、旨みが強い。

 それでいて筋繊維がやや強いので、適当な調理法だと少し食べにくいこともある。

 それでも本来は柔らかく上質な味を秘めている部位で、非常に人気が高い。


 なんてことをアラタは考えていない。

 そもそも彼はランプが尻やモモの辺りの肉であることを知らないし、知らなくていいと思っている。


「旨っ、いや、これ旨いっすね」


「気に入ったようで何よりだ」


 ガツガツ食べるアラタがすぐにステーキを食べ終えたのはまあ分かるとして、アイザックの前の皿も早々に姿を消した。

 決して急いでいるようには見えなかったのに、いつの間にか食べ終えている。

 所作に無駄がなく、洗練されている証だろう。

 そして、彼は言葉の切り口にもあまり無駄のない男だ。


「アラタ、正式に軍に入りたまえ」


 デザートまで付いてくる昼食、最後の皿を待つ間に話が飛び出た。

 アラタからすれば、非常に断りづらいタイミング。

 今さっき御馳走を頂いたばかりだというのに、ご飯ありがとうございました、また呼んでくださいねとはさすがに言いにくい。

 彼は年上にかわいがってもらうことが多い分、逆らうことを良しとしない性格をしている。

 誘われたら『はい』か『Yes』か『分かりました』のどれを使うか迷うのが彼の限界だった。

 ——今までは。


 彼の荷物の中に、二通の手紙がある。

 片方の中身はなんて事の無い、他愛のない話。

 もう片方は、この世の何にも代えることのできない、世界にただ一つだけの思い出。

 男は片方を胸にこれから生きていくことを誓い、もう片方は……何かの役に立ったのだろうか。

 ただ、もしここでアラタが軍属になることを断ることが吉だというのなら、そのもう片方の手紙が初めて役に立ったのかもしれない。


「少し、時間をください」


「構わないよ。大いに悩んで——」


「そうじゃないんです。俺が軍に入れば、沢山の仲間の命を助けることが出来る。それなら答えは初めから決まっている。ただ、少しの猶予が欲しいんです」


「どれくらい?」


「正確にはちょっと。ただ、あと3,4年もすればほぼ確実に」


 さっきよりも心なしか距離が出来た両者に、デザートが運ばれてきた。

 アイザックが甘すぎる料理は少し避けたいというので、清涼感のある味付きの氷が出てきた。

 かき氷のような上等なものではない。

 むしろ、果汁や甘味料を混ぜた水を凍らせたという方が近い。

 技術的にはかき氷機を作ることも可能なこの世界、カナン公国にかき氷を食す文化はまだない。

 家の冷蔵庫で作る立方体に近い氷よりも、ひとまわり小さいそれ。

 オレンジ、赤、黄色、果物由来と思われる素材を活かしたデザートは酷暑が続く9月の助けになる。

 アイザックはそれを一口運び、口内で溶けるのを待った。

 氷が張り付かないように転がしつつ、徐々に溶け出してきた水を飲む。

 それは少しすると甘味を含むようになり、最後にはほぼキンキンに冷えた冷たい果物を舐めているのと同じ感覚。

 スプーンを置くと、口からひんやりとした冷気を吐き出した。


「では私はその時を楽しみに待つとしよう」


「ありがとうございます」


「所属先の希望はあるかね?」


「特にありませんが、クレスト家やクラーク家の繋がりで第1師団に引っ張られそうな気はします」


「またあいつらか」


「嫌いなんですか」


 何の気なしに聞いてみたにしては、言葉に棘がある。

 アイザックはハハハと笑うだけで、否定も肯定もしない。

 つまりはそういう事だろう。


「お前は私のクラスを知っているか?」


「いえ、存じ上げません」


「覚えておくと良い。石工いしくだ」


「はぁ」


「いま平凡だと思ったな?」


 今度はアラタが応えず氷を食べる。

 同情されたと理解しているにしては、アイザックの表情に曇りは無い。


「クラスは遺伝する。信じるか?」


「さあ、どうでしょう」


 クラスそれを持ってすらいない自分に訊かないでほしいと青年は思った。

 しかし無視して司令官の話は続く。


「心当たりがあるはずだ。ハルツ・クラークは聖騎士、その姪も聖騎士。ノエル・クレスト様に至っては母方の曽祖父が剣聖だ」


「初耳ですね」


「あながち間違えではなかろう?」


「まあ、それだけ聞けば確かに」


「若いころは、奴らが羨ましくて憎たらしくてたまらなかった。家柄が良く、裕福で、才能に溢れ、そして何より、面が良かった」


 年寄りの昔話は総じて長くなる。

 アラタは真剣に聞き入ることをやめ、適当に相槌を打つマシーンになっていた。


「だがその多くも、疾うに死んだ。生きていれば私と同世代、せいぜい50代中盤だというのにだ。長生きと優秀さは必ずしも一致しない」


「そうですね」


「アラタ、お前は幸か不幸か優秀な人間だ。私が見てきた中でも飛びきり才能に溢れている。だから、後悔の無いように生きよ。軍が嫌だというのなら数年と言わず、ずっと保留しておけばいい。何か約束があるのなら、そちらを優先しなさい。それらすべてが終わって、暇で暇でどうしようもなくなって、それでもまだこのことを覚えていたのなら、公国軍の門を叩きなさい。私からの些細なアドバイスだ」


 もう2人の器に氷は残っていなかった。

 秋口のまだまだ暑いこの時期に清涼の元になる物質が残るはずもない。

 アラタは空になった器を見つめた後、立ち上がって礼をした。

 貴族も、軍もどちらの挨拶も全く分からない彼はただ頭を下げた。

 作法として減点でも、誠意は必ず伝わる。


「この戦いでの獅子奮迅の働き、見事であった」


「は。お世話になりました」


 元の所属が第1師団である彼とその部下は、もうすぐミラ丘陵地帯に帰還する。

 そちらではまだ散発的な衝突と継続的なにらみ合いが続いていると聞かされているから。

 コートランド川の戦い、これにて決着。

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