第359話 それは今ではない

 第十五次帝国戦役における大きな戦いの一つ、コートランド川の戦い。

 勝敗は、数度の小競り合いの後に公国軍が展開した包囲殲滅作戦によって決着した。

 公国軍は開戦時2万人いた兵士を1万4千にまで減らしたものの、帝国軍に与えた損害を考慮すれば必要な犠牲だったと断言できるレベルだった。


 4千人の死者に、5千人の捕虜。

 それが帝国軍の被った被害である。

 午前10時から午後2時半まで、実に4時間半でこれだけの人命を失うことになったのだから、その間の戦闘の激しさは押して知るべし。

 死者のほとんどは包囲網の中で発生した乱戦によるもので、全方位を警戒しなければならなかった帝国軍の損耗の方が激しいのは自明だった。

 最後尾から撤退という名の逃走が始まると、前線が崩壊したと同時に投降する兵士が続出、実質的に作戦は終了した。

 あとは追撃戦に移行して、おまけで敵を少し削った程度。

 やはり、奇襲に見せかけた欺瞞行動から敵を誘引し、予め定めていた決戦場にて包囲撃滅を図ったこの一連の作戦が功を奏したと言える。


 始めこの報告を受けたとき、公国軍司令部は狂喜乱舞の渦中に落ちて、司令官であるアイザック・アボット大将は叫び過ぎたあまり酸欠と過呼吸で医療所に緊急搬送される事態に陥った。

 流石にこれはまずいと思ったのか、将官たちも少し喜びのボルテージを下げつつ勝利を喜び、次の作戦指揮へと頭をシフトさせていく。

 まだ戦闘力を残している部隊はただちに追撃戦に移行、無理な部隊は被害報告と敵兵の収容に回るように命令を下した。

 そこまですれば、まずはひと段落という事で休憩できる。

 作戦の立案時点から連日の徹夜。

 剣こそ振るっていないものの、司令部に詰めている人間は上から下までヘトヘトである。

 追撃完了報告を聞くまではまだ、と気合で乗り切ろうとした将兵の一部は既に強制シャットダウンしかかっていた。

 せめて自分だけは責務を全うしなければ、タッド・ロペス大佐は気付けに普段全く吸わない煙草の火を点けた。


「追いついたみたいですね」


「だな」


 カロンの言葉にアラタも同意した。

 川を渡りきるまでは徒歩で移動していた第1192小隊は、そこから先をジョギングすることで先行部隊との距離を縮めようと試みていた。

 結果的に、停止している先行と合流、こうして集団に吸収されることになった。


「301中隊長のアラタです」


「臨時でここを仕切っているルイスだ。階級は大尉になる、よろしく」


「こちらこそよろしくです」


 微妙な敬語を返して、アラタはルイス大尉と握手を交わした。

 厚みのある大きな手は、非常に暖かくて見た目通りという印象を受けた。

 少し丸っこい体のフォルムに、優しそうなクリっとした目、短く刈りあげられた黒髪は、日に焼けたのか元からなのか、少しこげ茶の要素がある。

 ケーキ屋さんとかにいそうな見た目だな、と軍属一筋のルイスの経歴を推測して見たアラタ、残念だが外れている。


「それで、何でここで止まっているんですか?」


「なに、敵軍もそこそこの規模になってきた。我々だけで追撃を仕掛けることは無理だという判断さ」


「敵の数ってどれくらいいるんです?」


「ざっくりと6千強」


「あー……厳しいですね」


 感想を述べたアラタの周りにいる攻撃部隊の人間たちは、人の手で数えるには少々多く、集団で協力して数え上げればすぐに結果が出るくらいの規模感だった。

 せいぜい3千やそこら。

 ひとまとまりになっているだけで壮観と言えなくもないが、彼らは日常的にそれくらいの規模の団体行動を目にしているし、何なら自分たちが参加している。

 若干のしょぼさを感じてしまうのは仕方のないことなのだろう。


「ではこれからどうす——」


「追撃部隊はここでよろしいか!」


 アラタの質問を遮る形で、彼らよりもさらに後ろからの増援が到着した。

 あとからやって来た騎兵の質問に、ルイス大尉はさらりと答える。


「あぁ、ここで合っている。詳しい話はそこにいる眼鏡の彼に聞いてくれ」


「はっ」


 眼鏡の彼と指名を受けた中年男性は、恐らくルイス大尉の部下なのだろう。

 部下に見えるが、明らかにルイス大尉よりは年上、軍の階級社会は少し触れ辛いところもあるのだなと、アラタは他人事のように考えていた。


「アラタ君、君の質問には全体に対して答えたい」


「了解です」


「みんな! よく聞いてほしい! 敵軍が結集しかけている今、これ以上の正面衝突は難しくなっている! だが、まだ出来ることは残っている! これから敵本軍に合流するであろう、目指しているはずの小規模部隊に対処するのだ! その為に部隊を中隊規模に分割する! 中尉相当以上の人間は直ちに集合してくれ!」


 ルイス大尉の声に応じて、集団の中からポツポツと対象者が抽出されていく。

 中尉は、中隊長を率いる場合の最低階級であるため、今回のスクリーニング条件に合致している。

 そして外部の人間で兵士を統率する、アラタのような冒険者出身の人間は、担当する部隊の規模によって階級とリンクした権限に変化がある。

 アラタは第301中隊を率いているため、その中で最低の中尉相当が正しい。

 彼は元からルイス大尉の近くにいたので、そのまま傍に立っている。

結果、20名ほどの士官がルイス大尉の元に集合した。

 3千と少しの兵士に対して、少し少ないと言える。

 中尉相当の士官が受け持つ部隊は、小隊もしくは中隊なので、もう少し人数が欲しいところだが仕方がない。

 出来ることが限られているのはここも同じだ。


「よし、それでは人員の振り分けを行う」


 追撃部隊は行動方針を変更、残党狩りへとシフトしていった。


※※※※※※※※※※※※※※※


「………………どうしてこうなった」


 ひたすらに、どこまでも果てしなく重い空気が辺りに流れ込む。

 発生源は、集団の中心にいる彼だろう。

 イリノイ元帥を中心にして、司令部はそのまま東に30km以上後退していた。

 アラタたち囮部隊を追跡した味方が包囲された時、まだ勝機は残されていた。

 寡兵でも包囲の外側から攻撃を加えれば、内部の乱戦の状況次第では十分にひっくり返せる。

 ウル帝国軍にはそれだけの地力が残されていて、カナン公国軍はそれを最も警戒していた。

 しかし、主戦場での勝敗が決した今、全ては『たら』、『れば』でしかない。

 そうならなくて、公国軍が勝利した、それが全てなのだ。


 当初、イリノイ元帥は確かに持てる余力全てを以て攻撃を仕掛けようとした。

 しかし、どうやら一部の兵がコートランド川を渡るのに手間取っていて、前が詰まってしまっていた。

 それも1箇所や2箇所ではない。

 川の主要な渡河可能地点のほとんどを使い潰していて、その悉くにおいてもたついていたのだ。

 先ほど、イリノイ司令官が疑問を吐き出していた。

 どうしてこうなったのか、と。

 答えははっきりしている。

 負けたにも関わらず目の前でヘラヘラしているこの男の責任だった。


「どうしてこうなってしまったんですかねぇ」


 ゴム紐がブツンと切れるような効果音が聞こえた気がした。

 戦場に在る者らしく目を血走らせた元帥が吼える。


「そこに直れ! 叩っ斬る!」


「理由がありませんね」


「貴様があろうことか渡河にもたついていたせいで作戦は失敗した! その責を取れと言っている!」


「ですから、一度は後ろに下げていた私の部下たちを指揮官殿の指示に従って前に出したわけですから、指揮権は一時的に元帥閣下に戻っていたはず。そこを指摘されるのは少し困ります」


 たはは、とわざとらしく頭を掻くエヴァラトルコヴィッチ中将、非常にむかつく顔をしている。

 彼の態度は火に油を注いでいるだけで、特に生産性は無い。


「責任転嫁も甚だしい!」


「それは閣下の方ですよ。順当に兵士の削り合いをしていれば勝っていたのは我々の方だった」


「貴様も作戦に同調したではないか!」


「忘れました」


「貴様が忘却しても議事録が残っておる!」


「もうありませんよそんな物」


「なにぃ?」


 まるで無いことを既に知っているかのような口ぶりに、イリノイは何か嫌な予感を覚えた。

 本来、この発言はおかしいはずなのだ。

 後退の最中に失われてしまうこと自体はまあ過去の例にもあるように、ありえない話ではない。

 しかし、それらは探してみて本当に見つからなくて、これはまずいどうしようという騒ぎの後に認定される事実のはずで、エヴァラトルコヴィッチの物言いとは合致していない。


「貴様…………まさか記録を」


「さあ? 私は何もしておりませんが、管理係が紛失しているかもしれないと申し上げただけです」


「若造! 謀りおったな!」


「いえいえ、そんなことはありませんよ」


 軍全体として歴史的大敗を喫した直後、何ならまだその収拾もついていないというのに、中将はやけに余裕だった。

 コートランド川の戦いで兵士の半数以上が死亡もしくは捕虜になったというのに、いくら何でも気持ちの残量が多すぎる。

 これで特に具体的な対応策を持ち合わせていないなら、彼は指揮官たる資格は無い。

 いや、現時点でもうすでに無いことが確定しているかもしれないが。


「…………この者を捕らえよ。戦犯である」


 西部方面隊司令官兼カナン公国攻略軍総指揮官イリノイ・テレピン元帥の言葉。

 書面でなくとも、口頭でも十分に効力は発揮される。

 軍内部の準犯罪行為に対する捕縛命令、それが彼がたったいま下した命令の意味である。

 中将が捕まり、軍事裁判にかけられれば、この戦いで彼が引き起こした愚行の数々は全て白日の下に晒され、まず間違いなく死罪になることだろう。

 それは彼がたとえ中央のエリートで皇帝の遠縁の親戚だったとしても。

 まあ、歴史を遡ればわかるように、こういった時正しい沙汰が必ずしも下るわけではないというのはある種のお約束事である。

 周囲の将官も、一兵卒も、誰も動かない。

 先ほどよりも遥かに不穏な空気が辺りに流れていた。


「早く逮捕しろ! これは司令官の命令である!」


 イリノイ元帥が命令しても、この場において誰よりも階級が上の人間が指示をしても、誰も何も動かない。

 ただひたすらに、エヴァラトルコヴィッチが気味の悪い笑みを浮かべている。


「察しが悪いな。閣下、後はあなただけなんですよ」


「なに?」


「ですから、私が声を掛けていないのはあなただけなんです。残りは皆、ほら」


「うっ!」


 エヴァラトルコヴィッチが右手を上げると、一斉に剣を抜き、元帥に突き付ける。

 周囲にいる誰もが、元帥腹心の部下までもが、彼に刃を向けていた。


「本来ならね、こんなに大勢を巻き込んだ失脚劇なんてうまくいかないんですよ。人数が増えれば口が増える、口が増えれば情報は漏れやすくなる。でもね、みんなあなたのことが嫌いだったから、そこだけは利害が一致していましたから、喜んで協力してくれましたよ」


「若造、いつか痛い目を見るぞ」


「確かに。肝に銘じておくとしましょう。それはそれとして、私がそうなるのは今ではない。今回痛い目を見るのはあなたです」


 ふっと、エヴァラトルコヴィッチは手を下ろした。

 周囲の兵士もそれに従って警戒を少し緩める。

 無論、地中を伝っての魔術攻撃やスキル、クラスによる攻撃、逃走の可能性は完全に排除している。

 元帥からしてみれば、詰んでいた。


「あとは私がうまくやりますので、今までお疲れさまでした」


 そう言われた元帥は天を仰いだ。

 雲一つない、綺麗な青空だ。

 この雄大な空の下で、人々が殺し合い、騙し合い、権力を奪い合うのは、なんてちっぽけな営みなのだろうと、自分も含めて憐れんだ。

 彼の処遇は追って定まるとして、帝国軍の指揮権はイリノイ・テレピン元帥からエヴァラトルコヴィッチ・ウルメル中将に委譲された。

 未来永劫白日の下に晒される事の無い、帝国の暗部がまた一つ増殖した。

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