第354話 騒ぐ、滾る、沸き立つ、踊る

 アラタの戦い方を間近で見たものは、口を揃えて言う。

 『僕の考えた最強の兵士』だと。

 誰も彼が世界で一番強いとは思っていない。

 現に強敵相手だとアラタの勝率はすこぶる悪くなる。

 一部界隈では雑魚専と揶揄されることもあるくらいだ。

 ではなぜそのような評価を受けるのか。

 それはきっと、凡人に実現可能なことを一通りできるという、彼の隙の無さに起因する。

 刀という特殊な剣が使えて、組手も相応に出来て、魔術が得意で、指揮もまあまあ出来る。

 名門と呼ばれる学術機関に入るには少々おつむの出来が悪くとも、日常生活や冒険者、軍属として生きていくには十分な知能。

 とりあえず、何があっても死なないような地力を一通り搭載したような人間が、アラタ・チバという種類の人間だった。


 ウル帝国の剣聖オーウェン・ブラックや、こちらは知名度が皆無に等しいもののユウと名乗る剣士と比較して、『自分でも彼のようになれそう』という感じがする。

 そのお手軽さというか、想像可能な強さの尺度の上を走っている感じが、彼のステータスの振れ幅だった。

 それ故に、彼には普遍的な限界点という物が厳然として存在している。

 普通の人間が1ラウンドボクシングをすればへとへとになるように、彼もまた、常人よりは体力が多いものの無尽蔵のエネルギーを保持している訳ではない。

 だから、部下の限界の少し後に、彼にもそれはやってきた。


「おい、大丈夫か」


 3人班の班員、カーライルの肩がぶつかり、アラタは訊く。

 あまりに力なくぶつかられたものだから、反射的に斬り捨てそうになった。


「ゼェ、ゼェ……だっ、だ、大丈……夫、っす」


 いや限界やろ。


 彼の方を向いて突っ込みたいのを抑えて、アラタは目の前の敵に刀を振り下ろした。

 背後に意識をやりながら振るった刃は、キレがなく敵に防がれてしまう。

 極限の中で命のやり取りをしている以上、よほど実力差があっても少し気を抜けば容易に力関係は逆転し得る。

 敵だって人間、敵だって生きたい、敵だって必死だ。


「あぁぁぁあああ!」


「ッムン!」


 コンパクトな一撃が敵兵の装備の隙間を通して肉に到達した。

 戦場で敵の命を奪うには、それ相応のコストがかかる。

 精神的なものも、肉体的なものも両方。

 だから精神が未熟な人間の攻撃は、どうしても大振りになってしまう。

 生きて帰りたいから、パワーが足りず反撃を受けるのが怖いから。

 しかし、それでは当たるものも当たらない。

 生き残るのは、恐れを克服した人間。

 怖気を飼い慣らした人間こそが、戦場にはふさわしい。


 一人敵兵を倒せば、そこに空間が出来る。

 そしてそこに入り込むのは早い者勝ち。

 敵だろうが味方だろうが早い者勝ちで、場所を確保した分有利になる。

 本来ならさらに敵深くに斬り込むはずのアラタは、今回それを見送った。

 背後から聞こえる命の掠れ声がいよいよヤバそうだった。

 傷も浅いし、何かの病気でもない。

 毒に侵されているわけでもなければ、心が壊れたわけでもない。

 それでも、体力が限界を迎えていた。

 3人1組なのだから、1人落ちれば残り2人。

 2人で4,5人を相手にするのは少し骨が折れる。

 他の班は脱落者が出る前に後ろに下がるか、動けぬ仲間を見捨てて後ろに下がりつつある。

 作戦や演技、欺瞞行動を超えた所で押され始めていた。


「まだっ、下が……いや、厳しいか」


 ほんの数分前までは押せる空気が流れていて、実際敵を水辺まで押し返していた。

 だが後続が到着したことで、あっけなくボーナスタイムは終了する。

 川を渡る過程で多少前後に間延びした敵軍は、足の速い者から順に戦闘に参加し始める。

 始めはたった1人で取るに足らない存在でも、積み重なればやがて大きな力になる。

 それが1万6千の軍団ともなれば、生み出す力は計測不能である。

 ここが引き際だ。


「下がるぞ。中隊をかき集めて集団で戦う」


「隊長、もう周りの皆は……」


 カーライルではないもう片方の新入り、ムーが呟く。

 彼も限界点が追いかけてきている。


「マジ?」


「生きてはいるはずですが……」


「しゃあない。ムーはカーライルを守れ。俺が戦う」


 そんな会話を交わしている間にも、敵は次々と迫りくる。

 初動こそ派手に蹴散らした中隊長だが、それ以降は中々敵を減らせずにいた。

 こちらの被弾はゼロだし、ダメージをきちんと与えている。

 ただ、致命傷に中々ならない。

 本気で打ち込もうとしても、横槍を入れてくる敵兵が邪魔をする。

 鬱陶しくて叩き斬ろうにも、思い通りにさせてくれない。

 体力的な限界が近いことを理解したところで、アラタは周囲の兵士をコントロールしようとする。

 戦力の支柱である彼が下がれば、浮いた駒となる周囲の友軍が次の標的になってしまうから。

 動くのなら全員一緒に、集団戦の鉄則である。


「土手まで退却! ただし背を向けるな!」


 難しい命令、今の公国兵にどれほど遂行能力があるか。

 不安なアラタは出来る限り粘って時を稼ごうとする。

 いくら強くても集団戦で組織的に向かってくる槍を相手にするには、刀は間合いが短い。

 魔術を使おうにもこの人口密度では制御が難しく、最悪魔力が逆流して怪我を負いかねない。

 最後に頼れるのはやっぱり筋肉だと思った彼だが、乳酸漬けになっている彼の親友は動きが鈍くなっている。

 特別製の装備品である黒鎧で攻撃を凌ぎ続ける。

 しかしそれも永遠に続くことはない。

 これは作戦を見届けることは無理かもな。

 普段メンタルの鬼強い彼が、ふとネガティブになったその時だった。


「へばってます?」


「あ゛!?」


「あ、嘘です」


「デリンジャーか!」


「みんなもいます。まあ全員ではありませんが」


 このくそ暑いのに、揃いも揃って真っ黒な鎧。

 古くはレイフォード家直参の実働部隊、物流事業部特殊配達課、そこからアラタ、クリスのみの時代を経て、八咫烏へと継承され、第1192小隊まで受け継がれて今に至る。

 認識阻害系の特殊な魔術回路を組み込んだ、黒鎧こくがい

 元は単なる衣類系魔道具の一種だったが、稀代の魔道具師メイソン・マリルボーンの手によって軍用カスタムされた代物。

 アトラダンジョン最奥に鎮座する火竜の鱗、竜鱗をふんだんに使用し、それに加えて新素材アルミニウムを試験導入している。

 合金ではないアルミニウムの強度は押して知るべしだが、竜鱗と合わさり魔力回路としての性能が跳ね上がるとそれも気にならなくなる。

 何より金属を使用しているにも拘らず非常に軽量という点が長期間の戦闘に向いている。

 それが15名ほど、4個分隊を組める計算だ。


「いないのは……」


「リャンが限界です。スキルの使い過ぎで活力限界っす」


「体力無いなあ」


「まあ、よく頑張ったと言ってやってくださいよ」


「そうしよう」


「で、指示は?」


「下がりつつ戦う。無理に削らなくていいから、横のラインを意識して戦ってほしい」


「了解!」


 デリンジャーは太く短い槍を携えて、彼の元から姿を消した。

 きっとオーダーを伝えに移動したのだろう。

 先ほど彼が言ったように、リャンがダウンしていて不参加、残りはまあまあの人数が参加している。

 これだけの戦力が集まれば、面白いことが出来そうな予感。


「4人1組! 分隊行動だ! 遅れずについてこい!」


 まだ戦える。

 腹心の部下たちがやって来たことで、アラタのメンタルは完全に持ち直した。

 撤退戦は突撃するより遥かに難しい。

 だからこそ司令部は自分たちをこの位置に配置したのではないか。

 そんな想像と共に、アラタは再び戦い始めた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「…………むぅ」


 鉛のように重く、スライムのように粘っこく張り付いた緊張感と重苦しい空気が、司令部を支配していた。

 作戦開始当初から、ずっと予断を許さない状況が続いている。

 それは裏を返せば順調に戦況が推移していると言い換えることも可能なのだが、とにかく全責任を負って戦争を進めている司令部の緊張は想像を絶する。

 先ほどから天幕の中は煙草の匂いでいっぱいになっていて、ついさっきも追加の煙草を持ってきてもらったばかりだ。

 嗜好品だから他人がとやかく言うことではないかもしれない。

 しかし、タッド・ロペス大佐は分煙して欲しかった。

 吸っている本人はいざ知らず、彼からすれば副流煙の匂いは吐瀉物のそれと同種のものだった。

 スラムの路地裏のゴミ溜めに似た匂いが、彼は大嫌いだ。

 しかし自分以外のほぼすべての人間が喫煙者で、最高責任者、司令官であるアイザック・アボット大将も例に洩れず愛煙家なのだから、非喫煙者の肩身はひたすらに狭い。

 いつか出世したら天幕を全面禁煙にするんだ、そう家族に溢していた男は、今も煙草に手を付けていない。

 彼を救ってくれるのはただ一つ、作戦の成功のみ。

 だから、キリキリと胃の痛い状況が続いている中で届いた報告にはどんな胃薬よりも効果があった。


「報告!」


「来たか」


「河川敷の部隊がじりじりと撤退を開始しました!」


「敵の様子は!?」


「徐々に押していますが、我が軍の必死の抵抗により進撃するには至っておりません!」


「相分かった。下がりたまえ」


「はっ」


 報告係が天幕を後にすると、アイザックは葉巻を大きく吸った。

 普通の煙草とはまた違う煙のテイストが、彼の好みだ。

 あからさまに嫌な顔をすることも出来ず、そのすぐそばではロペス大佐が感情を殺していた。


「すうううぅぅぅ、ぶはぁぁぁあああ」


 軍服を捨ててしまいたいと、大佐は初めて思った。

 その原因を作った副流煙製造機司令官は、溜めていた感情を発露する。


「順調である!」


 そう言って、葉巻の火を机に広げた地図の上で揉み消した。

 火元を押し当てた箇所は河川敷より後方1km地点、周囲を小高い丘に囲まれた平地である。

 そして、敵を撃滅するための巨大な墓穴でもあった。


「作戦はいよいよ第3段階に移行しつつある。各々方、覚悟はよろしいな?」


 ギョロリと見渡す目は既に血走っていて、彼がいかに興奮しているかが良く分かる。

 冷静さを保とうと頭で考えていても、体がついていかないのだ。

 戦場という非日常、異常空間が、彼らを正常の向こう側へと誘う。


「次にここに集まるときは、勝利の美酒を飲もう」


 そう言うと、アボット司令官は将校たちに最終命令書を手渡しで配布していく。

 もしかすると、これが今生の別れになるかもしれない。

 そう考えると、ニコチンの禁断症状も出ていないのにロペス大佐の手が震えた。

 長らく忘れていた、命の危険が近づいている感覚。

 平静を保つのは無理だった。


「大丈夫だ」


 それを命令書ごと司令官が掴む。


「同胞たちの奮戦のおかげで、作戦はこれ以上ないほどにうまく運んでいる。信ずれば花開く。心の底から勝利を信じよ、疑うな、恐れるな、逃げるな、貴官なら必ず出来る」


「は…………」


「他の者も同じである! 公国兵の血を以て切り拓いた勝利への道、必ず走り抜けるのだ! 出陣するぞ!」


 後方で策をめぐらせていると言っても、元は前線で戦ってきた猛者ばかり。

 でなければここまで昇進することはまずない。

 彼らの中の武人の血が騒ぐ、滾る、沸き立つ、踊る。

 恐れることなど何もない。

 勝利の方程式を現実のものにするだけだ。

 公国軍司令部、作戦最終段階に向け配備開始。

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