第345話 間合いを制すれば受ける必要なし

「敵襲! 敵襲! すぐに対応をあぎっ」


「先鋒ご苦労様」


「これからの動きは?」


「後ろはリャンとアレサンドロに任せてある。ついてこい」


 最低限河川敷に配置されていたウル帝国兵は、突然の襲撃に完全に虚を突かれた。

 そもそも帝国軍は河川敷に陣を敷いていないので、見張り程度の役割しか与えられていない。

 後方に情報を伝達した後、一応命令上は敵を防ぐように言われているものの、それは無理筋というものである。

 コートランド川流域で4カ所同時奇襲攻撃。

 その一角は、アラタ中隊長率いる第301中隊。

 副官のアーキム率いる分隊が潜伏しながら先に進み、後続のアラタ達が合流するまで敵の相手をする。


 そして一番乗りのアラタが敵兵を一人斬って捨てたところで、指揮権は中隊長のアラタに返上された。

 命令はシンプル、俺についてこい。

 戦術眼的な指示は一切なく、ただ敵と戦うからついてこいというお達し。

 分かりやすくて良き。

 後続が川を渡っている間にも、続々と敵兵は彼らの方に距離を詰めてくる。

 その敵を抑え、斬り、潰して時間を稼ぐのが彼らの仕事である。

 ただし、仕事といってもこれは最低限の業務内容だ。

 では彼らに求められている本当に欲しいアクションとは何か。

 アラタがギアを一段階引き上げた。


「下がってろ」


 部下の身を気遣っての発言に対して、4名の行動は素直なものだった。

 ただちにアラタから距離を取り、その代わりと言ってはなんだが味方が渡河してきた後に上陸する箇所を守備する隊形を整える。

 そうしている間にも、敵兵は彼らからして最も近いアラタに襲い掛かる。


「シッ!」


 上半身を左側に大きく倒して、敵の攻撃を躱しながらカウンターを撃ち込む。

 敵から見て右斜め上から振り下ろされた攻撃は、アラタの身体を捉えることなく空振った。

 そしてほぼ同タイミングでアラタの刀が敵兵の腹部を捉える。

 竹や動物の皮を繋ぎ合わせて制作された鎧では、少々特殊な出自を持つ彼の刀を防ぐことは出来ない。

 まるで魚に飾り包丁を入れるようにスウッと刀の先端が肉体に入り込む。

 魔力で強化され、しっかりと刃筋を立てて肉体表面に当てられた刀は何の抵抗感もなく肉を割いていく。

 まるで肉体が自ら道を譲るように、腹部に大きな切れ目が入った。


「グブッ!」


 刀は小腸までしっかりと到達していて、敵に致命傷を与えた。

 流石に背面に近い下大動脈には到達していないようだったが、それでも吐血、内臓損傷、失血、血圧低下、兵士は死に近づき過ぎていた。

 アラタは一撃入れて反撃がないことを悟ると、すぐに興味を次の敵兵に移す。

 彼からすれば、目の前の敵はもう死んでいるも同然。

 だからもう別の方向を向いていた。


 ——受けるな、最小の手順で殺せ。


 アラタの刀は壊れない。

 現状、という観測範囲と神を自称するこの刀の贈り主の言葉を信じるのならという条件が常について回るが、とにかく壊れない、傷つかない。

 そんな彼の刀なら別に敵の攻撃を受けてもいいのではないかと思うだろう。

 事実、受けてもいいのだ。

 ただし、刀で攻撃を受けるという事は、敵の間合いの中にいるという事だし、防がなければ肉体がダメージを負うという証左でもある。

 本来ならば、刀の損傷や劣化も含めて敵の攻撃を受けるべきではないのだ。

 それに、多数を相手取るようなケースにおいて、攻撃を受けるという余計な1手は次の1手への遅れを意味する。

 それが積み重なることによって、戦場では命を落とすこともある。

 とにかく、敵の攻撃は極力受けずにこちらの攻撃だけ当てる。

 それが戦闘の極意だった。


 誰でもそれが出来れば苦労は無いし、そもそも戦争すら起こらないかもしれない。

 ただ、アラタは苦労した上で、それを体得した。

 第一、彼は手足が長い。

 150km/hを超えるような剛速球を投げるには、単純な筋力だけでは足りないから。

 体の柔らかさ、股関節の可動域、十分な筋肉、バランス感覚、体幹、正しいフォーム、そして恵まれた身体。

 アラタの身長は185cmで、それに応じて、それ以上に長い手足は長い間合いを実現する。

 つまり、敵が届かないのにアラタの攻撃が届く距離感というのが厳然として存在している。

 アラタはこの間の取り方が異常に上手い。

 センチ…………ミリ単位での足場の調整を、不安定な河川敷というフィールドで簡単にやってのける。

 剣を持つ敵も槍を持つ敵も、盾を持つ敵も、アラタの前では等しく不利だ。


「多いな」


 そう言いながら槍を躱す。

 背後に迫る敵を【感知】でしっかりと認識して後ろ向きに刀を繰り出した。

 首元に刃を突き立てると、右側面から迫りくる敵に対して引き抜いた刀をそのまま振り切る。

 顔面を斬りつけられた敵はもんどりうって後ろ向きに倒れ、後続の邪魔をしてくれる。

 今度は左側から大上段、正面から短い槍を持って突進してきた。

 左側に少しズレたアラタの身体を、槍はあと少しの所で外してしまう。

 その1フレーム前の動きでアラタは右方向に動こうとするフェイントを入れていた。

 大体にして、味方の数が多い時の動きは単調になってしまうものだ。

 距離を詰められた左側の剣士は十分な溜めもないまま剣を振り下ろそうとして、右手首をアラタに捕られた。


「ぐぁあ!」


 素の身体能力で75kgの握力、そこに【身体強化】が加われば人体なんて容易に破壊できてしまう。

 剣士の手首の骨にひびが入ると、空いた右手に携えられた刀による一閃。


「あれっ」


 ザラザラとした手応えが、筋繊維を断ち切る感触の代わりにフィードバックされる。

 この感触は、命まで届いていない。

 しかしそこにのんびりと時間を割く余裕は無い。

 返す刀の間合いの内側に入り込まれたアラタは左手を離し、刀の柄で槍使いに攻撃を仕掛けた。


 ガツンと硬い素材同士がぶつかった感触と、息遣いが聞こえるくらいの距離まで接近した敵。

 命の距離は非常に近い。


「風刃」


 そうアラタは口にした。

 すかさず魔力を練り上げて対抗する兵士。

 こうして体外に魔力を展開すれば、ほとんどの場合魔術は正常に機能せずに破壊される。

 対魔術戦闘の基本中の基本だ。

 それに加えてこの狭いエリアには敵味方を含めてそれなりに多くの人間が存在している。

 彼らの存在によって、魔術の遠隔起動は中々に難易度が高まっていた。

 アラタの攻撃は防いだ、そう確信した敵兵は攻撃に目を向ける。

 大柄な相手だが、この間合いは自分の物だと声高に主張することだって怖くない。

 視界の右側から、黒い影が迫った。


「おぉっ!」


 今度は手と手がぶつかった音。

 パシンという軽い音と共に、アラタの左手に握られたナイフは防がれている。

 敵は既に両手を空けていて、槍もとっくに放棄している。

 だが、数の上では帝国軍の方が多く、アラタの援護に間に合う兵士は誰もいない。


「なあ、行くか?」


「愚問だな」


「おぐぅっ」


 先に繰り出した蹴りを右足で防がれたのち、今度は太い木のような左足が男の胸部に命中した。

 正確には、足というよりも膝だろうか。

 体重差、魔力差がモロに出ていた。


「カハッ」


 肺に蓄えられていたはずの空気が全部出ていく。

 それと同時に、体中の力が地球の重力に引っ張られてこぼれ落ちていく。

 死に体だ。


「ゔっ、ぐぁ……」


 もう一度膝蹴りが飛んできて、ついに両手から力が抜けたところを、アラタは見逃さない。

 左手を軽く且つ丁寧に、撫でるように振ると、その軌跡の上にあった敵の首元に赤い線が入った。

 敵兵は膝から崩れ落ちながら右首を抑える。

 抑えたところで、頸動脈は勢いよく血を吐き出してしまう。

 彼はもう長くない。


 ところで、こんなに一人に時間をかけていて、アラタは大丈夫なのだろうか。

 答えは、大丈夫だった。

 なぜなら彼はひとりではないから。

 旧第2分隊には後続のお守りを命令として与えていたが、では彼らの手引きで上陸した兵士たちは何をするのか。

 自然、敵の殲滅に入るだろう。

 まだ付近の敵全てを排除するには至らずとも、形勢は完全に逆転した。

 アラタ以下100名、敵陣地に上陸完了である。


「正面に突き進む。以降は小隊長の指示に従え」


 大地を震わすような怒号で応えた隊員たち。

 彼らを率いて、アラタは攻撃を本格的に開始した。


※※※※※※※※※※※※※※※


「状況は!」


 西部方面隊司令官であり、コートランド川沿いの戦いを指揮しているイリノイ・テレピン元帥は、至急武装に身を包みながら現状報告を次々に受けていた。


「敵400~500が渡河、攻撃を受けています!」


「その程度すぐに殲滅せんか!」


「それが……」


 伝令係の歯切れが悪い。


「どうした!」


「お、押されています」


「何だとぉ!?」


 イリノイ司令官が驚くのも無理からぬことではある。

 ただ、伝令係からすれば、まあそんなものだろうという感想でしかなかった。

 河川敷に配置されると風が強くて嫌だという、ゆとり世代もびっくりな意見を現場の兵士から受け取った指揮官の一人が、文句が出るのも対応に疲れるからという理由で削減した。

 だから河川敷の兵士の数は必要最小限を遥かに下回っている。

 でなければアラタ達の上陸にもう5分はかかったことだろうし、別の襲撃箇所では完全防衛すら可能だったかもしれない。


 そして、本来迎撃を担当する兵士たちはすぐには出撃できない状態になっている。

 防具を脱いでくつろいでいるし、何より全く戦闘モードの意識になっていない。

 この戦争は侵略戦争、敵は及び腰で守る事しかしない、敵側に有利な川という環境を捨ててこちらには来ないだろうという慢心。

 上がこれなら下もまたこんな程度だ。

 イリノイは顔を茹でたタコのように真っ赤にしながら怒鳴りつける。


「早く敵を川まで押し戻せ! 背水のリスクを思い知らせてやるのだ!」


「ははっ」


 まーたズレたことを言っていると傍に控えていたエヴァラトルコヴィッチ中将は溜息をつく。

 背水の陣は確かに危険だ、敗走すれば水に沈められる危険性があるから。

 ただ、今のところの報告を聞く限り、敵の数は多くても500やそこら。

 この南北に長く伸びた戦場でたったそれだけなら、敵は上手く逃げ切ってしまうだろう。

 重要なのは押し戻すことではなく、包囲して逃げ道を失くすこと。

 こんな奇襲作戦に投入されるような敵が一握りいくらの凡夫であるはずがないのだ。

 なら早々に刈り取るだけ刈り取って、後は後続に警戒して河川敷に集結しておけばいい。

 間違っても敵を追いかけて渡河を試みたりしてはいけない。


 と、ここまで常識に則って思考を展開した中将だったが、これ以上彼に何か言っては適当な理由を付けられて更迭されかねない。

 まあそれでも最終的には家の力でねじ伏せることが可能な彼だが、それではこの戦場で指揮を執る人間がいなくなってしまう。

 とりあえずここは彼に任せようと決めたエヴァラトルコヴィッチは、自分の管轄する部隊に連絡をするように傍に居た兵士に耳打ちした。


「川を渡る準備は不要。命令されたら私の名前で無視してヨシ」


「数で河川敷まで押し戻せ! いいな!」


 非常に興奮した面持ちで指揮をお執りになっている元帥から少し距離を取っておこうと、エヴァラトルコヴィッチは天幕を後にしたのだった。

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