第344話 緻密で精密で繊細な作戦

 朝一番に中隊の結成式を行った301部隊の一同は、それから息つく暇もなく作戦準備に入った。

 悠長に訓練に時間をかけることは不可能なので、第1192小隊の頃から共通化されているハンドサインを一通り学習する。

 分かる人間は一度教われば二度と忘れないが、ほとんどの兵士は覚えられないので、本来は時間をかけてゆっくりと定着させていくしかない。

 そんな時間があればの話だが。

 恐らく、新規入隊した兵士たちはほとんどこのハンドサインを使うことが出来ないだろう。

 ただまあ、仕方がないで済ますしかない。


 それと並行して今度は班分けを行う。

 第2、第5分隊をそのままの運用として残りは解体、スカウトした兵士たちを下に付けて新しく分隊を組み直した。

 基本的に分隊長は1192小隊の人間が務め、足りない部分は能力的に秀でていると判断された人間に任せる。

 小隊長はこれも1192小隊の人間に割り振った。

 その舵取りをアーキムと補佐にリャンを付けて任せたアラタは、一度司令部に向かう。

 作戦の最終確認と正式な命令を再度受諾するためだ。


「第301中隊長アラタ! 入ります!」


「入りたまえ」


「失礼いたします!」


 何度も来てすっかり慣れた司令部の天幕をくぐると、そこにはアイザック司令官以下中将や少将クラスが大勢集まっていた。

 それだけ今行われている作戦確認は重要性が高いという事になる。


「こんにちは。招集に従ってただいま到着いたしました」


 うやうやしく挨拶をしたアラタに、司令官はそんなのいいからと手招きする。

 時間が惜しいのはどこも同じらしい。


「いいか、貴官の中隊や他にもいつくか、合計450の奇襲部隊が川の向こうに渡って攻撃を開始する」


 アイザックは模型の上にある小さな駒をいくつか川の向こう岸にやった。

 そして大駒を手に取りつつ説明を続ける。


「敵も馬鹿ではないから、すぐに立て直してくる。損害が増える前に即時撤退、ここまでは奇襲としてきちんと成功させるんだ、いいな?」


「はい」


「奇襲に成功したら噛みつかれないうちに撤退するわけだが、ここで川のこちら側から追加の部隊を広く薄く向こうに渡らせる」


 大きな戦場ジオラマはとてもアイザック一人では制御しきれず、橋の方はルイス少将やネルソン大佐などが手伝っている。

 そして彼らの手によって、帰還しようとしている奇襲部隊の前に味方の膜が出来上がってしまう。

 これこそが会議で提案された、味方をも欺く混乱を生み出すのだ。


「敵が追ってくるこないに関わらず、貴官の部隊は川で足止めを食らう。まず間違いなく統率が乱れるであろう。それに一時的に河川敷の防衛網も無力化されてしまうはずだ。そこに敵が噛みつけば……」


 そう言いながら敵軍2万の軍勢の駒を一斉に動かした。

 シミュレーションをするだけで大ごとである。


「あとは逃げるように撤退、陣を敷いた我々本隊が敵を迎え撃ち、川の中へ追い落として沈める」


 ガッと机の上に腕を寝そべらせてから、アイザックは敵の駒を一気に横薙ぎにしてみせた。

 ここまで上手くいけば、戦力の差は決定的になるだろう。

 この緻密で精密で繊細な作戦が的中すれば、確かに面白いことになりそうな予感はする。

 問題はどこまで敵に気づかれることなく自然な演技をするか、そして敵がこの行動に乗って来るかというところにある。

 作戦の成功期待値にもかかわる部分、当然十分に議論を重ねてきた。

 重ねた結果、いけるという判断になったのだ。


 まず、味方に対してまで情報統制を敷くことで、本物の混乱を作り出す。

 次に、アラタや1192小隊のような手練れに先鋒を任せる。

 これにより前線が完全に崩壊することを防ぐことが期待できる。

 そして最後に、これは未確認で確証の無い情報だが、敵軍の指揮系統に乱れがあるという話がいくつかの捕虜から散聞されている。

 ウル帝国軍西部方面隊司令官、イリノイ・テレピン元帥。

 それから司令部付き参謀、元はウル帝国参謀本部エヴァラトルコヴィッチ・ウルメル中将。

 階級的にはイリノイの方が上だが、エヴァラトルコヴィッチ中将の出身であるウルメル家とは帝国皇帝の遠縁の親戚に該当する。

 いわゆる中央貴族というやつで、地方貴族の出身であるイリノイ元帥とは少し家の格に違いがある。

 そして先日西部方面隊の指揮権の一部が中将の手に渡ったことで、軋轢は決定的なものになった。


 まあその後すぐに中将肝入りの作戦も失敗に終わったのだが、とにかく増援が来るという話もあるし元帥が勝負を急ごうとする公算は極めて高い。

 それこそ目の前に人参をぶら下げてやれば、周囲の声になど耳を貸さず暴走するロバになる可能性も大いにある。

 公国軍司令部はそれを見込んでこの作戦を立てた。


「アラタ中隊長、全ては敵の猛攻を受けることになるだろう君たちの働きに懸かっている。これは命令だ、身命を賭して任務を成功させるのだ」


「承りました!」


 元気よく返事をした彼を見る司令官の眼は満足げだ。

 彼を起用して良かったと、作戦が始まる前からそう思っている。


「では作戦実行に移る! 開始時刻は10:00丁度! 以上!」


「はっ!」


 敬礼をしてから、アラタは司令部を後にした。

 馬で元来た道を引き返している間も、アラタはずっと作戦本番のことを想像している。

 敵の動き、味方の動き、敵司令部の考え、本当に混乱している味方の状況、それらを見て敵軍は何を思うか、どう行動したら敵は攻めようと思ってくれるのか。

 自分たちがどのように見られているかを、アラタは絶えず考えている。

 そしてそんな時間はあっという間に過ぎ、彼は再び中隊に合流した。


「小隊長を集めてくれ」


 そうアラタが伝えれば、あっという間に5名の小隊長が集合した。

 この短時間に、命令の伝達速度はある程度の水準まで引き上げることが出来たみたいだ。


「10:00丁度から、301中隊を含む450人の攻撃部隊が敵陣地に攻め込む。作戦区分としては奇襲攻撃に分類されるため、敵もすぐ立て直してくるだろう。従って俺たちは敵に張り付かれる前に撤退、そこからは敵の出方を窺う。何か質問のあるやつは?」


「奇襲だけして終わりって、リスクリターンが取れていないのでは?」


「リャンのいう通り、それだけだと不足しているのは分かっている。だが、司令部も混乱していてこちらが納得できるオーダーを組めていないのが現状だ。しかしだからといって命令を実行しないわけにも行かない。考え方としては、武力偵察を想定して動くくらいの心づもりでいてほしい。他には?」


 次に手を挙げたのは元第4分隊のアレサンドロだ。


「信頼できない命令なら、やはり本気で攻める必要はないのではと考えたのですが、そのあたりはどうなっています?」


「正直、援護が望めない状況で思い切り攻撃をするのはまずいと思う。だからといって攻撃の手を緩めれば他の仲間の負担が増えるし、結局のところちゃんと戦うしか方法は無い。それに、敵の警戒態勢はザルだから今回は上手く刺さるはずだ。そのチャンスを無駄にするのは少し惜しい」


「なるほど、そのように伝えます」


「うん、頼む」


 何とかアレサンドロが納得したところで、もう何もないみたいだ。


「中隊として初めての任務がこんな重要なものになるとは思わなかったが、それが戦場だ。100人もいれば絶対誰かは死ぬし、怪我もする。だが、これは戦争だ、割り切れ。俺たちに課せられた使命は、カナン公国を守る事、ウル帝国に勝つ事。それを忘れるな、手を抜こうだなんて考えるな、敵だって同じ人間で必死に戦ってくる、全力を出さなければ狩られるのは俺たちの方になる。いいか、必ず勝つぞ……いいな!」


「「「おぉぉぉおおお!!!」」」


 準備は整った。

 あとは時を待ち、任務を実行に移すだけ。

 大きな翼を持つまでに成長した八咫烏は、飛翔の時を迎えようとしていた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「結局貧乏くじなんだよなぁ」


「エルモ黙れ」


「はいはい」


 旧1192小隊第2分隊のメンバーにとって、敵方に気づかれずに川の中に侵入することは造作もなかった。

 河川敷から少し引いて陣を張っている帝国軍は、川岸に配置している目の数が明らかに少ない。

 これから実行するように、それなりのまとまった兵士が大挙して押し寄せてきた時のための配置だ。

 だから黒鎧やスキル【気配遮断】を使用もしくは併用すれば、たちまち意識下における透明人間の完成だ。

 少しくらい水面から頭を出していても、能力は効果を失ったりしない。

 エルモのぼやきも川の流れる音に掻き消されて敵まで届いていない。


 ここは川の中でも比較的浅く、敵も重点的に渡河を試みている地点である。

 その真ん中らへん、この道の中では一番水深があるところだ。

 アラタの指示では、この辺りで待機。

 これ以上進むと味方の援護が到着する前に敵に捕捉されるとのことで、この位置に決まった。

 一応魔術や身体強化ありの弓矢で敵を射程に収めている。

 まずはそれらで急襲し、アラタたちが速攻で川を渡る算段だ。

 開戦の合図は、第288中隊が務めることになっている。

 隊長が打ち上げた魔術に一瞬気を取られたその時に先行する分隊が攻撃を開始するという打ち合わせ。

 アラタはそれを見て情報伝達のためにリレーの魔術を打ち上げる予定になっていた。


 敵に気取られる事の無いように、中隊はワイドに散っている。

 号令の後にこれらが纏まって川を渡ろうとするのだから、何も知らないであろう敵軍の警備達からすれば悪夢にも等しい。

 この戦いにおいて、この類の襲撃はまだ一度も発生していない。

 しっかりと陣形を整えて、組織が安定してから攻撃を開始する。

 最大火力を出すためにはこれも必要な処理なことは確かだ。

 ただ、時として兵は拙速を尊ぶこともあるということだ。


「いよいよですね」


「あぁ」


 緊張しているのか、心なしかリャンの口数が多い。

 開始の合図を待っているだけで、開戦までは暇になったアラタは先ほどから彼の相手を務めている。


「作戦通りいきますよね」


「…………さぁ、やってみないと分からない」


 ——予定通りいかないことは決まっているけどな。


 南、右、下流の方で花火のような音が聞こえた。

 遠いためポン、という程度の音しか聞こえないが、距離が近ければそれなりの大きさになっていることだろう。

 時は満ちた。

 アラタは右手を空高く掲げ、その先から練り上げた魔力を放出した。

 真っ赤なヒガンバナのような花火が、日中の空に散った。


「行くぞてめえらぁぁぁあああ!」


「「「おおおぉぉぉおお!!!」」」


 アラタの前方では水中から飛び出してきた元第2分隊が敵と交戦を開始したのが見えた。

 そしてアラタは誰よりも早く水の中に入っていく。

 まだ腰まで浸かる程度の水嵩、どんどん進まなければどうにもならない。

 アラタはこれでは間に合わないと思い、自分だけでもと魔術を行使した。

 海中の土に働きかけ、土台を生成していく。

 脆く、不安定で、持続性に欠ける足場では満足に兵士を運搬することは出来そうにない。

 ただし、アラタだけなら何とかなる。

 後続の中で一番乗りは、やはり中隊長アラタだ。


「どんどん来い! 先に始めちまうぞ!」


 偽の攻撃を含む、大規模な殲滅作戦が幕を開けた。

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