第340話 軍内政治

 やっぱりこの決断は間違っている。

 夜通し考えてアラタが出した結論だった。

 彼にミラ丘陵地帯へ帰還するように勧めたカナン公国軍司令官アイザック・アボット大将は、公国の兵士は祖国に命を捧げる覚悟が足りないと言った。

 そんなことは無いだろう、そう思ったアラタだったが、いざそういった目で戦場を見渡すとぐうの音も出ない正論だったことを今更感じる。

 脱走兵が出ているという話もあるし、軍という組織の体が崩壊するのも時間の問題かもしれなかった。


 そこまで大将に同意しておきながら、アラタは納得できない箇所がある。

 アイザック司令官は、このコートランド川に陣取っている第2、第3師団を使い切ることで帝国軍に出来る限り多くの損失を与え、公国の盾になろうとしている。

 指揮が低く積極的な攻勢に出られないのは理解できるが、どちらにせよ大きな被害が出る戦いになる。

 そして半ば全滅が約束された戦いに、一体どれだけの兵士が付き従うのかと思う。

 国のために指揮官以下将兵がすり潰されてしまうことにはある種の仕方なさを覚える彼だが、それは指揮する側の考え方だ。

 結局のところ、司令官は一兵卒たちにこう言っているのだ。

 公国のために共に死のうと。


 そのメンタリティでは一般の兵士がついてこないと言ったのは彼なのに、公国軍は間違った方向へ進んでいる。

 だからアラタはアイザック司令官が間違っていると思った。

 だからと言ってどうすればいいのかさしたる案も持ち合わせていないが。


「あぁー、くそ」


 一睡もできずに夜が明け、天幕から出る。

 敵のいる方角から昇る太陽は、なんだか敵に味方しているように見えた。

 アイザックから帰還までの猶予は貰っているが、ダラダラと目的もなく居座るわけにはいかない。

 早急に行動を起こす必要がある。

 そしてアラタは馬を引いて司令部への道を駆けた。


「アラタ殿、呼ばれてもいないのに来られては困ります。いま軍議の最中でして……」


「そこを何とか、ね?」


「ね? ではありません。とにかくお引き取りを」


「…………また来ます」


「困ります」


 アラタを門前払いした門番は眉を八の字にして本当に困っている表情をしていた。

 一介の小隊長に過ぎないアラタを勝手にうろうろさせることも出来ないのだ。

 まあ彼は特別任務に従事する小隊長なので、今までなら顔パスで司令部の中心に入り込むことも出来ただろう。

 貴官の意見は聞かない。

 そういう司令官のメッセージだ。

 アラタは第1192小隊の兵営に戻る道の中で、自分の人間関係を一から洗い直していく。


 ノエルのクレスト家、ハルツさんやリーゼのクラーク家、それからリーゼの許嫁のベルサリオ家、アーキムは確かラトレイア家だったな。

 バートンもフリードマン家の分家で、あとはギャビンがメトロドスキー子爵んとこの私兵だろ?

 軍に伝手がありそうなのはデリンジャー、ウォーレン、テッド、カイ、サイロスあたりか。

 ……ちょっと弱いかなぁ。


 そんなことを考えながらアラタは兵営に到着すると、自分が馬を繋いでいる間に隊員を集合させておくようにキィに伝えた。

 装備は着けなくてもいいからと。


「あーご苦労様。ここじゃなんだから、全員出るぞ。馬はいらない」


 そして一行は朝の散歩に繰り出した。


「まあ間違っては無いですね」


 アラタの言葉に同意したのはリャンだ。

 基本的に彼はアラタの考えに対して反対意見を述べることは少ない。


「俺は司令官殿が言うことも分かる」


「アレサンドロに同じく。ここの兵士の質はかなり低い」


 対して第4分隊のアレサンドロとバッカスは懐疑的だった。

 対テロ特殊部隊出身なこともあるし、根が疑って物事を観察する性格なのだろう。


「お前らは?」


 アラタは他の隊員に話を振った。

 彼を入れて20人もいるから、意識的に会話を振り分けないとグループが分裂してしまう。


「俺としては正直どちらでもいい。俺たちはミラに帰るんだろ?」


「いや、まだ決めてない」


「はぁ!? 命令を受けたのなら実行するだろ」


「アーキムのいう事が正しいのは分かるんだけど、2万弱の人間が全滅しかねないところを黙って見過ごすのはちょっとなあ」


「お前は甘すぎる。いつかしわ寄せがやってくるぞ」


「いつかよりも今何とかすることがあんだよ。エルモはどう?」


「俺ぁ司令部の立てた作戦が上手くいくとは思えない。前線が崩壊したタイミングで後ろも逃げ出して潰走エンドに銀貨1枚」


「あ、私も」


 第3分隊長のデリンジャーが乗って来た。

 今年士官学校を卒業したばかりの若者だが、ギャンブル大好き健全青少年であることは既に部隊の誰もが知っていた。

 エルモの意見どうこうより、ギャンブル要素に釣られている。


「司令部の作戦に賛成の奴は?」


 アラタの言葉に半分程度の人間が挙手をした。


「じゃあ作戦が上手くいくと考える奴は?」


 10人前後いた賛同者の中で、第5分隊のサイロスだけが挙手を続ける。

 彼は天邪鬼というか、逆張り大好きバカなので、つまりはそういう事だろう。

 残る全員が作戦は上手くいかないと思っている。

 第1192小隊の中でそうなのだから、司令部に反対派がいないはずはない。

 今そう言った軍議が繰り広げられている可能性は大いにあり、それなら尚更なぜ司令官がその作戦を推したのか理解に苦しむ。


「隊長に伝えただけで、決定稿ではないのでは?」


 リャンがそんなことを言い始めた。

 あり得ない話ではない。

 ただ、そう決めつけることも出来ない。


「どっちにしろ正式発表までは憶測でしかない。重要なのはどうやって司令部に俺たちの考えを届けさせるかだ」


「隊長には無理そう」


「人望なさそう」


「最終的にキレて殴り込む未来が見える」


「あのさぁ……俺ってそんなイメージなの?」


 先ほど司令部の判断を支持した人数以上の手が上がった。

 隊員が共有しているアラタという男に対する認識はそんなものらしい。

 がっくりと肩を落とすアラタを慰めるキィ。

 ちなみに彼もひっそりと手を挙げていた。


「貴族や軍部に伝手がある人は何とかして司令部までパイプを繋いでほしい。出来れば大佐以上」


「無理だな」


 そう言ったのは一番希望が持てそうなラトレイア家のアーキムだ。

 彼はその辺の難しさをアラタよりも理解している。


「そこを何とか」


「ここにいるのはクレスト家に縁のある者が多い。逆に言えば純粋な軍閥トップの司令官にはルートが少ない」


「まったくない訳じゃないんだろ?」


「それはそうだが、望みは薄いといっている」


「頼みの綱のクラーク家もミラに集中しているしなあ」


 そうエルモが付け加えたように、ハルツや第1師団長アダム・クラーク中将などは軒並み丘陵地帯に行ってしまっている。

 中々辛い状況だ。


「政治は難しいなぁ」


 アラタの言葉に、キィもしゅんとする。


「剣を振り回してるだけの僕たちだとちょっとね……」


 純朴な少年の何気ない一言がアラタを傷つけてしまう。

 隊長がダメージで立ち上がれなくなっている間に、別の者たちの中でも議論は続く。


「そもそも、代替案がなければ自動的に決定するだろ」


「いやあ、司令部内に反対派がいるなら少しくらいあってもいいべ」


「俺たち戦争はからきしだしなあ。こんな時のウォーレンさんだろ!」


「いや、俺の専門は兵站だから。ごめんね」


「はーつっかえな」


「じゃあカイが案出せよ」


「そういうてめーはあんのかよ」


「ねーよ」


「じゃあ偉そうに言うなや」


「んだコラ」


「やんのかコラ」


「「上等だ——」」


「ストップ」


 鶴の一声で場が静まり返った。

 喧嘩腰だったテッドとカイも気を付けで直立している。

 アラタが冷えた目でこちらを見たから。

 彼は溜息の後に、歩くのを止めて全員の方に振り返った。


「開戦当初から色々上手くいかなくてイライラすんのは分かる。でもそれは敵にぶつけるべきものであって、味方の中で発散させるものじゃない。他人を尊重できないのなら、お前らはここにいるべきじゃない、少なくとも俺の部隊には要らない。分かるな」


「……すみませんでした」


「すいませんした」


「よし。じゃあ話を戻そう。特別小隊として俺たちのするべきことは、司令官に作戦の見直しをさせること。そのためにまずはコネクション作りから始めようと思うが、異論はないな?」


 今度は誰も手を挙げない。


「じゃあ各々が持てる力を全て使って司令部への到達を目指せ! 以上解散!」


 それから真っ先に飛び出したのはやはり貴族に縁のある者たち。

 アーキム、バートン、エリック、ギャビン辺り。

 それに加えて軍部に伝手がある人間も動き出した。

 幸い敵は行動を起こしていないから、アラタ達も任務関係なく自由に行動することが出来る。

 そんな中言い出しっぺのアラタはというと、


「なにを書いてるんですか?」


「手紙だね。俺の持っているカードの中で最強のものを使う」


「あぁ、なるほど」


「リャンもマッシュ子爵に送るのか?」


「いえ、ここからだと流石に遠すぎて間に合いませんから」


「それもそうだ。リャンは俺より顔が広そうだし、頼りにしてる」


「私は元々帝国の人間ですから、あまり期待しないでください」


「しっかし」


 アラタはふと手紙を書く手をとめて空を見上げた。

 冴えわたるような雲一つない青空だ。

 朝ということもあって、湿度も気温もさほど高くない。


「こういうの苦手なんだよなあ」


「組織には政治が不可欠ですから」


「だからデッカイ組織は敬遠されるんだよ」


「小さい方が政治は大事ですよ?」


「そうなの?」


 リャンは首を縦に振った。

 心当たりがあるような言い方だ。


「まあ、頑張りましょう」


「そだな」


 敵がウル帝国であることには変わりない、そこだけは不変の事実のはずだ。

 ただ、公国軍全体が味方かと聞かれると、それは少し疑問が残る。

 もし自分たちの考えにそぐわない存在が敵だというのなら、アラタもアイザックもお互いに敵同士という事になる。

 ただし同じ軍の中で争うことも馬鹿馬鹿しいので、調整や命令で妥協点を見出すのだ。

 そういう意味では、妥協するのはまだ随分と先になりそうな気がする。

 アラタにリーバイ・トランプ中佐が求めているのは、指揮官的視点だけではないという事だろう。

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