第334話 見捨ててもらって構いません

 夜の水面に煌々と焚かれた灯が揺らめく。

 それらは一定のスピードで水の上を流れていくようで、幻想的な光景は壮麗だった。

 その上では、すでに夜11時を回っているというのに人々が非日常の中にいた。

 それすなわち、戦争である。


「応援はまだか!」


 ある男は片腕を失い、満足な治療も受けないまま戦っている。

 辛うじて止血が済んでいるというだけで、このままでは負傷箇所から雑菌が繁殖してしまうかもしれない。


「圧し敗けるな! 戦え!」


 ある指揮官は部下の背中を鼓舞しつつ、自らも最前線で剣を振るっていた。

 刃はすでにボロボロ、あと少しまともに打ち合えば根元からポッキリと折れてしまうだろう。

 朝方からの激戦は、今なお継続されていた。

 攻める方も、攻められる方もすでに満身創痍。

 特に防衛側のカナン公国軍の疲労が半端ではない。

 ウル帝国軍はここに戦力をある程度割き、他の戦場で浮いている兵士を次々と投入しているのに対し、カナン公国軍はそこまでダイナミックな用兵を実行できていない。

 どこも自分の担当箇所で精いっぱいで、他所に回す予備兵力などないのだ。


 ……いや、それは少し語弊があるかもしれない。

 予備兵力が完全に存在しないということは無く、まだ戦う順番が回って来ていない兵士たちはそれなりに多い。

 ただ、自分たちの任された地点に突如敵が押し寄せてきた時のために、文字通り予備としての役割を全うさせるために、彼らを動かすという判断を現場の指揮官は下さないのだ。

 全体を俯瞰して見れば、何という怠慢、自分勝手、そう思えるだろう。

 しかし一人称視点で戦場を見ている下士官では、自分たちがリスクを背負って他の場所を助けることに慎重な姿勢を見せるのも致し方ないことだった。


 では、司令部はどうなのか。

 戦場を見渡せるようにわざわざ小高い丘の上に陣を敷き、強力な指揮権を有しているのは何の為か。

 全ては今のような緊急事態に対応するためである。

 コートランド川の中でも最激戦区で戦う兵士たちは思う。

 自分たちのトップは大バカ者なのではないかと。

 しかし、それもまた違う。

 彼らは既に手を打っていた。

 第1192小隊の投入という手を。

 小隊が苦戦していて未だに橋は健在だという報告はあったものの、司令官であるアイザック・アボット大将はそれ以上アクションを起こさない。

 アラタという男を信用しているというのもあるが、それ以上に現場に回せる特殊部隊がもういなかったというのが大きい。

 北西に広がるミラ丘陵地帯での戦闘激化、コートランド川沿いの戦いにおける敵の小規模戦力に対応する任務、何より敵増援が突如として姿を現した件に関する緊急会議でとてもそれどころではなかったのだ。

 彼はただ、『死守』の二文字を伝令としてアラタに送った。

 それを聞いたアラタは苦い顔をすることしかできない。

 自分の判断ミスで目の前に広がった光景を目の前にしては。


「アーキム、エルモ、ヴィンセント、エリック、来てくれ」


 小隊が休息を取っている最中の兵営から少し離れたところで、アラタは4人に向かって苦しい現状を打ち明けた。


「ここにいる人間だけで橋を破壊する任務にあたる必要がある。行ける奴は手を挙げてくれ」


 アーキムは堂々と挙手し、ヴィンセントも涼しげな顔をして挙げる。

 エルモはそれを見て驚きつつしずしずと左手を挙げ、最後にエリックが半ば同調圧力に押されて挙げた。

 4者4様な手の挙げ方は、その時の彼らの精神状態をこれ以上ないくらいよく表していたと言える。

 だからアラタも、そこから部下の状態を判断した。


「エリックは休め。残りは出撃準備だ」


「「「了解」」」


 アーキム、エルモ、ヴィンセントが返事をした。


「あの、隊長殿」


「ん?」


「その、自分もまだ戦えます」


 一人降ろされた劣等感か、それとも休めるという罪悪感からか、エリックはそう言った。

 彼は元々ハルツ・クラークの出身であるクラーク伯爵家本家の私兵であり、その点同家の空気感に染まっていた。

 正義感や責任感が強く、真っ直ぐな気質をしている分よくない利益の享受に抵抗がある。

 つまり、力不足ゆえの休息に後ろめたい気持ちがある。

 対してアラタはどうかというと、そんなことは全くない。

 休めと言われなくても休みたければ勝手に休むし、逆もまた然り。

 それが良いかと聞かれると、今までの彼の人生的に一概に良いとは言えない。

 しかし、今ここでエリックが罪悪感を覚えるのはナシだった。


「今はまだ戦えても、戦闘中に戦えない時がやってくる」


「その時は見捨ててもらって構いません」


「…………クラークさんはこんなのしかいないのか」


 突然の雇い主ディスに固まるエリック。

 アラタは勘違いをしている彼に対して、数点訂正をする。


「まず、頼まれなくても俺は戦えない奴を見捨てる」


 その場にいたエルモは、多分そうならないんじゃないかという言葉を飲み込んだ。

 言ったら後で何をされるか分かったものでは無い。


「次に、俺は違っても俺の仲間たちはお前を助けようとして、自身を危険に晒す」


「そ、それは……」


「そして、疲弊しているお前を失ったとしたら、今後小隊が1人欠けた状態になる。そっちの方がずっとマイナスだ。分かる?」


「分かりますが…………」


「分かったらみんなと合流して休め。それとそっちの指揮はリャンに執らせろ」


 エリックは随伴できない悔しさに拳を握り締めようとして、もうほとんど指が動かないことに今更気が付いた。

 こんな状態で槍を握るなんて、特別任務に従事したいなんて思い上がりも甚だしいと恥じる。

 あまりにギリギリの状態過ぎて、彼は自分のことすら正確に把握できていなかったらしい。

 そんな部下がいたとしても、彼らのことを彼らよりも正しく認識し、正しい判断を下さないといけないと言うのだから、小隊長は大変な仕事だ。

 ただ、今回は部下に彼の想いが届いた。


「どうかご無事で」


「おう。朝までには帰る。行くぞお前ら」


 そして、4人は暗闇に消えて行った。


※※※※※※※※※※※※※※※


「チッ」


 帝国軍正規兵の装備に身を包んだ男は、自らが放った矢の着弾を見て舌打ちをした。

 敵に命中しなかったのだ、それももう何本、何十本も。

 彼らが立っているのはコートランド川に建設した人工の中洲で、そこから角度をつけて橋の入り口で戦っている敵兵を狙っていた。

 始めは虚を突いたこともあって敵兵を倒すことが出来ていたが、数度矢を射かけた後に大型の盾を携えた兵士が割って入り、こちらの攻撃を防御し始めた。

 頼みの魔術師部隊は橋の防衛と維持に力を割いていて攻めることはせず、かと言って彼ら一般兵に魔術師部隊並みの魔術射程は無かった。

 矢を射ってみてもこれ以上当たる気はしなかったが、味方が交戦している以上勝手に休むわけにもいかない。

 人工中洲が完成してから数時間、こうしてずっと嫌がらせのような攻撃を続けさせられていた彼らの集中力はほぼゼロにまで低下している。

 例えば上流から何かが流れてきたとしても、発見にはそれなりに時間がかかる。

 そして反撃されにくいように、彼らは明かりをつけていない。


 【暗視】、【気配遮断】、【感知】、それから黒鎧。

 それだけのスキルを保有している人間は滅多にいない。

 長身黒髪の死んだ目をしている男しか、少なくともアーキムは知らなかった。


「次撃つぞー。準備しろお前ら」


「はぁーダル」


用意よーい、撃——」


 空を斬り裂く数本の矢。

 まだ撃てと言い切るより前に発射したのは、別段おかしなことでもない。

 タイミングと狙いさえ合っていれば関係ない、正直どうせ当たらないのだから狙いすら滅茶苦茶でも構わなない。

 ただ、そんな緩慢な動作と考え方を戦場でしているようでは、彼らは長くは生き残れない。


「伍長殿?」


 何か変だと思った1人の兵士が訊いた。

 しかし返事はない。


「伍長殿、どうさカヒュッ」


「……誰だしくじったのは」


 冷たい声が聞こえた。


「てっ——」


 敵襲と叫びかけた兵士の首を後ろから掻き切ると、アーキムが返事をした。


「エルモです」


1ワンペナだな」


「そんな理不尽なぁ」


 既に敵兵は死亡したのか、彼らは小声で話し始めた。


「反省は後だ。目の前の敵に集中しろ。あと4つ、瞬殺で落とすぞ」


「「「了解」」」


 川から上がって来た気配無き暗殺者たちは敵兵の遺体を放置して、また水の中に戻っていった。

 遺体が見つかるより速く陥落させる、その決意が現れていた。


「今度はオールクリアだな」


「じゃあペナもチャラですかね」


「馬鹿が。まだまだ消えねーよ。エルモは少し雑だからヴィンセントを見習え。迅速に丁寧に、職人のように」


「せいぜい精進しますよ」


 アラタから褒められて、ヴィンセントは少し照れているのかより一層深く闇に溶け込んだ。

 無口な男だが、実力は確かだ。

 スキル【暗視】を持っていて、【身体強化】などの基礎的な能力に加えて【罠師】、【罠感知】まで持っている。

 【敵感知】から進歩したアラタの新しいスキル【感知】でも多少の罠を発見することは出来るが、流石に単品の【罠感知】には数段劣る。

 同じ【感知】でもハルツのパーティーメンバーであるルークのそれは【罠感知】から進化しているためこの限りではないが、とにかくスキルは複雑だということだ。


 最初から数えてすでに4つ目の人工中洲を陥落させ、敵に気づかれた様子もない。

 ここがしっかりとした陣地なら警報装置や警備に気づかれて状況終了と相成っていただろうが、即席で作り上げた攻撃設備はこの辺りが弱い。

 いよいよ最後の1つ、彼らは音もなく近づき、【暗視】や【感知】で敵の正確な位置を把握しつつ、【罠感知】も利用を忘れない。

 最後の息継ぎを終え、水中でヴィンセントが合図をした。

 今ならいけると。


 ——ゴー。


 敵の死角となる後方2か所から同時上陸、ここまで気付かれてはいない。

 アラタは愛刀ではなく太いナイフを手に接近、不安定で音の鳴りやすい石の上を慎重に近づく。

 グダってダベッている彼らは仲間が天に召されたことすら気づいていない。

 さっさと同じところに送るべと、アラタが合図を送った。


「ふっ!」


「く——」


「くふぅ」


「………………!」


 状況は終了だ。


「報告」


「クリア」


「クリア」


「クリア」


「怪我はないな」


「「「ありません」」」


 ついにここまで来た。

 2,30m前方には橋を渡る兵士たちの掲げる松明の光が反射している。

 水面だけ見れば綺麗だ。

 そう、片方だけ見れば。

 もう片方には醜悪で劣悪なむさくるしい帝国男児たちの顔面の影が浮かび上がっている。

 橋脚を破壊して、こいつら全員ぶっ殺してやる。

 アラタはそういう心意気で任務に臨んでいる。


「無駄な時間はかけない。そろそろ行くぞ」


 先頭を歩くアラタに3人が続き、全員夜の川に沈んでいったのだった。

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