第335話 波を刃で掻き分けて
橋は一見すると、どうやってバランスを保っているのか分からなかった。
構造力学的には、まず間違いなく問題のある形状をしていた。
多くの人間が行き来するのだから
しかしウル帝国軍を川の向こう側からこちら側に運んでいるこの構造物は外観が土で出来ている。
まるで公園の砂場で作った砂の橋のように。
湿らせた土で無理矢理形を留めて、下を流れる川の水による浸食を魔術回路を組み込んだ構造で無理矢理抑制し、とにかくかなりの無茶をして橋は橋として成立していた。
だから、物理的には通常の橋よりもだいぶ脆いというのがテッドの見立てである。
だが肝心の彼はこの場にはいない。
この場にいるアラタ、アーキム、エルモ、ヴィンセントの中で物理に明るい人間は誰もいない。
どこをどうやって破壊すれば効率的に橋が崩壊するのかを知らない。
任務に出発する前に一応テッドから、真ん中の柱の両隣の柱を破壊するように進言されている。
アラタもそのようにするつもりだ。
「敵に【感知】持ちはいないみたいだな」
橋の真下に到着して1分、アラタはそう結論付けた。
「まったく変化がないな」
「あるならもう動いているはずだからな」
エルモの言葉に残りの2人も同意した。
彼のいう通り、警戒網に引っかかっているのなら敵が動かない理由は考えづらかった。
彼らに有利に働く局面、何としてもこの優位性を活かして先制攻撃を成功させたい。
「俺はこれから集中するから、お前らの指揮は執れそうにない。そっちの指揮はアーキムに任せるから、まず俺が柱を壊そうとする。それとタイミングを合わせて敵に奇襲、時間を稼げ。いいな?」
「時間はどれくらい必要ですか」
「逆に何分までなら耐えられる?」
「長くても3分くらい」
「じゃあ3分で行こう」
アーキム達に課せられた時間稼ぎは、3分間に決定した。
あとはアラタの準備が完了次第、攻撃を開始するだけ。
3人がアラタを取り囲むように展開し、アラタは徐々に黒鎧と【気配遮断】に注ぎ込む魔力を減らしていく。
技はもうモノにした。
アトラダンジョンをパーティー単独で制覇するための、ドラゴンの喉元にまでノエルを送り届けるための、盾としての技。
しかしその源流はウル帝国の剣聖オーウェン・ブラックの必殺剣、『
自身の身体で一度体験したこの技を、アラタは数か月かけて劣化版になるものの再現することに成功した。
強者として次のステップに足をかけ、そしてまたこの戦場で彼は天地裂断をその身に受けた。
記憶の中の絶技を再現して自分のものにする過程で、決して少なくない情報損失は発生する。
例えば初めの構えは全然違うし、魔力制御も少し甘い段階で技を放っている。
そうではない、本物はこうやるのだと、剣聖は彼に教えてくれた。
骨は折れるし火傷はするし、痛いし、苦しいし、決して安くはない授業料を支払ったうえで、彼の中で技を再構築するための材料を手に入れた。
「結果から組み立てろ…………」
彼の魂に染みついた恩師の言葉が、彼を剣士としての高みに連れて行ってくれる。
——魔力を流せ、刀を体の一部だと認識しろ。
彼は自信に語り掛け、言い聞かせる。
こうしろと、ああしろと、出来ると、必ず出来ると。
彼が初めて魔力という異物を体内に認識した時、彼はこう表現した。
魔力は水溶き片栗粉みたいだと。
その表現は正しいが、魔力の使い方としては少し違う。
体内に構築した魔術回路を通る魔力が、そのコントロールの未熟さから管の側面に当たって抵抗している。
だからドロリとした感触を覚えるのだ。
一流はそうではない。
回路があろうとなかろうと、その流麗な魔力操作によって純粋な水のように滞りなく流れていく。
そのような状態のことを魔力が凪いでいると言い、魔術を扱う者にとって理想的な状態だ。
その難易度は、扱う魔力の量で当然変わる。
少ない方が簡単に扱えるに決まっているし、逆なら難易度は指数関数的に増加する。
彼の体内を流れる魔力は、水道管を流れる水のようにスムーズだった。
【気配遮断】も、黒鎧の隠密効果もすでに切れている。
【身体強化】以外の全ての能力はオフになっていた。
であれば流石に勘づく人間も出てくる。
「下に誰かいるぞ!」
「先に始めるぞ!」
「おう!」
先制攻撃とばかりにアーキムが石を投げた。
子供の喧嘩程度の手段でも、スキルで強化された肉体から放出された礫は人体を容易に破壊しうる。
特に頭に当たればかなりのダメージを与えることが出来る。
橋の上から下を覗き込んだ兵士に直撃し、ぐらついた肉体が空中に放り出された。
あとは重力に引っ張られるまま下まで落下、バシャンと音を立てて落水する。
それを合図に戦闘開始だ。
「死守だ!」
「下に何かいるぞ! 中尉殿に報告するんだ!」
自分たちが拠り所としている足場の真下に敵が張り付いた。
そのヤバさは語るまでもない。
現にアラタは橋そのものを破壊しようとしているわけで、そうなれば大勢の兵士たちが夜の川に放り出される。
自分たちで進んで入るのと、抗いようのない状態で放り出されるのはまるで違う。
後者は重い鎧を身につけていて、尚且つ全員が泳げるとは限らない。
気温も水温もそれなりにあるから低体温症になるまでに多少の時間は見込めるにしても、夜の川は周囲が把握しづらく危険だ。
もし岩などにぶつかってけがをしたり意識を喪失したりしたら、間接的に致命傷の原因になりかねない。
だから彼らは必死に橋の下に向かう手段を探していた。
「船を出せ!」
「じゃあ戻れよ!」
「いいから早くしろぉ!」
まだ何もされていない状態でこの阿鼻叫喚の地獄絵図、本当に橋脚が破壊されたらパニックで同士討ちを始めてもおかしくない。
ウル帝国兵にとっては、それくらい夜の川に放り出されることは恐ろしいことだったのだ。
一方アラタは、まだ魔力を練り、研ぎ澄まし、循環させている。
最低でも2本は橋脚の破壊を必要とされている状態、そしてタイムリミットは自らが設定した3分という時間内、そろそろ1本破壊しないと間に合わない。
しかし、時間的にそろそろ、なんて考えている時点で集中力を欠いていると言えよう。
アラタの頭の中には、時間制限のことなど米粒一粒分もない。
あるのはただ、柱を斬ると言う目的だけ。
その為に必要なのは静謐の心と、燃え上がるような魔力。
ただ斬る、そのためだけにこの身を使う。
燃やし尽くすような人生を歩まんとするこの男には、この先の人生のことなんて何一つ構想に無い。
仮にここで終わったとしても、それと引き換えにしてでも必ずやりきってみせる。
溢れんばかりの才能という種に、努力という水と肥料を与え、運という日光に当てる。
どれか一つでも欠けていては成立しないこの構図、アラタは条件を満たしていた。
芳醇な大地に育まれた身長185cm、体重86kgの大男は、グッと両手を握り締めた。
構えは脇構え、左半身を前にした半身の状態で、腰だめに刀を構える形だ。
ヘッドの下がった右打者の打撃フォームに見えないことも無い。
曇り一つない心象風景が、今だとタイミングを教えてくれる。
——我流、天地裂断。
それはアラタの方を気にしていたエルモの意識の間に滑り込むような、ごく自然な所作だったという。
刀を思い切り振ったというのに、視覚情報に残る余韻が妙に少ない。
すっきりとした後味、そういえばいいのか、とにかくあっけないものだった。
『いま刀振った?』そんな程度のもの。
ただし、その結果はそこまで優しくない。
アラタがこの世界に転生した時に神を自称する存在から受け取った武器。
折れず、曲がらず、刃こぼれせず、劣化せず。
決して壊れる事の無い唯一無二の兵器、不壊の刀。
そこに乗せられたのは竜のブレス攻撃を相殺するほどの魔力斬撃。
しかも広範囲に拡散させていた今までのそれとは異なり、的がでかく外しようがない分射程と切り口を絞っていた。
つまり、アラタが行使できる中で現状最強の一撃。
「フゥゥゥウウウ……」
大きく息を吐き、それと同時に汗が全身から滲み出てきた。
たった1回剣を振っただけでこの消耗具合であること察するに、そう何回も撃てる技ではなかった。
「な、なにが起こっている!」
たまたま橋を通過中の分隊長がうろたえる中、ここの維持と防衛を任された魔術部隊の男は何が起こったのかを察した。
「……人間様がやっていい領域じゃねえぞこれ」
地響きにも似た轟音鳴動が戦場に響く。
その頃下ではてんやわんやだ。
「次に行くぞ!」
体力魔力回復用のポーションを飲み干したアラタがすぐに指示を出した。
その後ろでは樹齢千年の御神木並みに太い橋脚が1本崩れ始めていた。
石や材木を骨組みに、土を使って組み上げた橋。
ただし、それだけでは物理的に立つものが作れなかったため魔術部隊を投入。
魔術部隊は橋の構成要素に魔術回路を組み込むことで強度を底上げする。
この橋全体が、一つの魔道具と化している状態だ。
では、魔道具の回路を破壊すればどうなる?
当然、魔術的効果は失われ、ただの砂遊びに戻る。
「降下! 降下ァ!」
魔術師部隊の人間は、中尉に言われるがままロープを垂らして下に降りようとする。
しかし、そんなありきたりな登場方法では1192小隊の想像の域を脱することなどできはしない。
「ゔっ! ぐぁぉおお!」
「狙われている! 誰か牽制射撃を!」
「【暗視】万歳だな」
「撃ち漏らすなよ。1人でも下りられると面倒だ」
アーキム、エルモ、ヴィンセントは持ち込んでいた弓矢で敵を撃ち落としていく。
矢じりには毒が塗られていて、きちんと当たれば早急に相手の動きを奪う。
川に落ちて動けないなんて状態、命の危機以外の何物でもない。
一つ目の橋脚が崩れ落ち、すでにアラタたちは次の柱に向かって移動している。
完全に虚を突いて先手を打った。
「もう一本」
完全に感覚を掴んだ、自信と確信に満ちた声で、アラタはそう言った。
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