第323話 持ってない男
スキルには一長一短というタイプのものがある。
【剣聖の間合い】はまさにそれだった。
効果範囲内にいる存在のクラス、スキル、魔術に関する能力を減衰または無効化する。
このスキルの対象は、全ての生物である。
全てという事は、スキルホルダー自身も含まれる。
つまりどういうことかというと、スキルを発動した本人、オーウェン・ブラックもこれらの能力を駆使して戦うことが出来ないという事だった。
アラタは刀を振った。
いつものように、何の特別感もなく、ただ殺すために振った。
それに対してオーウェンは避ける。
既に身の丈ほどもある大剣は捨てていて、もっと普通な両刃の剣を手にしている。
案外戦えるかも。
そうアラタは思った。
スキルと魔術が使えないのは脅威だが、それは相手も同じ。
彼はクラスを持っていないから【剣聖の間合い】発動前と発動後の違いはないのに対して、敵はクラスの能力すら使えなくなっている。
そうなればむしろ損をしているのは向こうの方だと思えてくる。
その精神的優位性が、彼の刀に力を与えてくれるのだ。
数撃撃ち合ったのち、両者は距離を取って呼吸を整える。
帝国兵は他にいないのか、この場には彼らだけだ。
アラタからすれば、いつ増援が来るのか分からないので早めに退散するに限る。
オーウェンはそれをさせじと行く手を阻む。
正直、さっきよりも断然勝ち目が出てきた。
——攻めるか。
そう心に決めた彼は、じりじりと距離を詰める。
足を地面に押し付けてにじり寄りながら、最適な距離感を掴む。
あと少し踏み込めば、こちらの間合いに踏み込める。
その状態を維持し、集中が逸れるのを待つ。
オーウェンの額に汗が滲み、それが水滴となって顔を伝ったのをアラタは見逃さなかった。
「シッ!」
短く息を次ぎ、斬りかかった。
「あまい」
そう聞こえた刹那、アラタは自身の直感に従って攻撃をキャンセルし、防御に極振りした形を取った。
つんざくような音が響き、金属が振動する。
今の一撃でアラタの手は完全に痺れてしまった。
なぜこんな威力の攻撃が、そんな彼の疑問の答えは目の前にあった。
あまりの衝撃に体が持ち上がり、足が地面から離れたアラタの下で、すさまじい剣圧を放つ達人。
明らかにスキルを使用している。
おかしい、【剣聖の間合い】の効果があればここまでの動きは出せないはずなのに。
ギィン。
また攻撃を受けた。
今度は受けきれずに、少し装備が削れた。
アラタは地面に倒れ込むと、ノールックで刀を前に繰り出した。
オーウェンはその攻撃を躱すと、お返しとばかりに彼の顔に蹴りを入れた。
鼻の骨が折れて血が噴き出す。
鼻呼吸が不可能になり、彼の口が開いた。
「ブフッ……おかしいだろ」
鼻を抑えている左手は鮮血に染まり、袖まで垂れている。
「おかしいと思うならスキルを使えばいい」
促されたまま、アラタは【身体強化】を起動しようとした。
しかし起動しない。
「やっぱり使えねえじゃねえか」
「今スキルを使用したからな」
「ゔぅっ!」
斬りかかって来たオーウェンに対して、アラタはカウンター気味に斬り返した。
しかしその反撃が実を結ぶことは無く、代わりに攻撃をキャンセルして懐に潜り込んできたオーウェンの柄が彼の腹部に押し当てられた。
ミシミシと嫌な音を立てながら、アラタは【痛覚軽減】の起動を試みる。
しかしやはり、スキルは立ち上がらない。
死角から攻撃してやろうと魔術を使おうとしても、どうにもならない。
まだ【剣聖の間合い】を使っている最中なのだろうと、アラタはいったん能力のことを忘れることにした。
するとそこに狙い澄ましたかのような攻撃が飛んでくる。
今度は剣聖の能力とスキルをきちんと使用して。
生身のアラタではどうにもならない。
たまらず大振りの攻撃を放ち、オーウェンと距離を取ったところでアラタは膝をついた。
こんなに痛かったのか。
こんなに動けなかったのか。
こんなに読めなかったのか。
こんなに、こんなに——
「立て。立たなければ殺す」
戦場にいれば、冒険者をしていれば、刀を手に戦えば、いつだって死の危険と隣り合わせだった。
ただ、今の彼に訪れているのは、そんな不確実で不確定な未来の話ではない。
立たなければ、間違いなく、確実に、絶対に、100%死ぬという未来。
彼の中で、何かが弾けそうになっている。
今にも噴火しそうなマグマ溜まり、限界ぎりぎりまで詰みあがったコインタワー、天井近くまで引いたガチャ。
窮地こそが、死地こそが彼を強くする。
まだ負けるわけには、死ぬわけにはいかない。
「ゔゔぅ…………」
恐らくアラタは、今までの異世界生活の中で初めて、明示的に【
【剣聖の間合い】は今オフになっている。
そして、アラタのエクストラスキルは起動タイミングがはっきりとしていなかった。
呼びかけても使おうとしても応えず、ただ彼の中にあるエネルギーが空っぽになった時に、器を少し大きくするだけ。
しかし、それでは足りない。
愛する人を守ろうとしたとき力が足りず、スキルは応えなかった。
限界を超えようとしても動かないときもあった。
そんな自分勝手なスキルに、彼は今まで幾度となく振り回されてきた。
もうそんな日々はごめんだと、彼は能力の名を呼ぶ。
【
先に説明したように、【剣聖の間合い】は能力を無効化するわけではない。
リャンらが使う【魔術効果減衰】のように、能力の出力を弱めるだけ。
それが結果的に発動しているか判断できない程弱体化することで、あたかもスキルや魔術が使えなくなったように錯覚する。
では、その打ち消しが十分でなければ、巨大すぎる出力を対象にスキルを行使した際はどのような結果になるのか。
答えは、アラタが示していた。
「我は熟慮する、真実を映し出す円鏡を前に」
彼の中で最も威力の高い高難易度魔術、炎雷の詠唱の一節。
既に【剣聖の間合い】は再起動しているというのに、彼は詠唱をやめようとしない。
既に魔力コントロールを打ち消しているはずだと言うのに、彼の中から魔力が絶え間なく流れ出てくる。
「
オーウェンが動いた。
「お前……何をしている」
「託された篝火を我が物として振舞うこと許さざれど、一視同仁に心扶翼されたのなら願う」
「何をしている!」
スキルを使用した状態で、オーウェンは何の強化も付けずにアラタに攻撃を仕掛けている。
彼はその悉くを捌き、下がりながらも適切な対処で隙を見せない。
先ほどまでの攻防とはまるで別人だ。
「扉は既に開かれた」
最終節一歩手前、炎雷の魔術詠唱は有名なだけに、オーウェンの攻撃にも熱が入る。
既に【剣聖の間合い】は解除されていて、オーウェンの攻撃にも【身体強化】をはじめとしたスキルが加わり始めていた。
それでもアラタは崩れない。
あと一節で大規模魔術が放たれることを理解しているオーウェンは、攻撃を一時中止して距離を取った。
そして転がっている大剣を手に取り、彼もありったけの力を練り上げる。
「幽世から狙いを定め、我が身体を触媒に——」
「好敵手に敬意を表して——」
両者武器を構えた。
「天炎百雷敵を穿て、炎雷!」
「天地裂断!」
究極の一撃か、それとも高威力な範囲攻撃か。
それを確認するためには、少し時間がかかりそうだ。
オーウェンの放った斬撃で山は一部が切り離され、そこから家3軒分ほどの岩が崩れ落ちた。
一方でアラタの放った魔術により、雷は落ちるわ地面は燃え上がるわでもう戦いどころではない。
その日、山の麓にいた帝国兵数名が落石と落雷によって死傷した。
雨も雷も、天候が崩れた様子など微塵もなかったというのにだ。
とにかく、そんなアクシデントが発生すれば現場は大混乱に陥る。
下では事故で大騒ぎ、そして上では、
「剣聖殿! ご無事ですか! いたら返事を——」
「うるさい、叫ばなくても聞こえている」
そう兵士を制した彼の顔は煤だらけで、かなり危険な場所にいたことを兵士は理解した。
「は、3個分隊に消火活動に当たらせています」
「そうか、なら残りは敵兵の捜索に回せ。一人取り残されているはずだ」
「はっ!」
指示を伝えに向かった兵士を見送ると、オーウェンは少し焦げてしまった上着をビリビリと破き、上裸になった。
生身に傷は無いようで、特に治療を必要とするようには見えない。
——見つからないだろうな。
そう心の中で考えながら、彼は自分の両手を見つめた。
魔力を斬撃として飛ばす技術は数あれど、その極致とされる技には特別な名前が付けられている。
天地裂断。
天上天下を別つ一撃と評された、数百年前の剣聖の剣にウル帝国の皇帝が付けたとされる名前。
確かに当たれば威力は絶大で、アラタも一度はその技の前に敗れた。
しかし、オーウェンの手に残る感触は、やや弱くはっきりと殺しきったという確信が得られない。
正直なところ、当たったかどうかも定かではないレベルの感触で、あの敵にどの程度ダメージを与えられたのか、予想がつかない。
であるなら、あの黒ずくめの装備によって敵は逃げおおせてしまうだろうと彼は考える。
それならそれで仕方がないかと諦めようとしている自分に、彼は少し驚いて、それから『そうでもないか』と自己を振り返った。
最近何かを諦めてばかりだったから、別にこれだけが特別というわけではあるまい。
そう自分に言い聞かせながら、彼は消火活動の方に応援に向かったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ゲホッゴホッ、オェッ。はぁー…………」
オーウェンは煤だらけになっただけで済んだが、こちらはというと、
「死ぬかと思った」
鼻は折れるし肋骨は折れるし足首は捻挫するし煙を吸い込んで頭が痛いし鼻と脛から血が出ていて少しふらふらする。
そしてこちらも煤だらけ。
鼻呼吸が出来ないので口を開けて何とか息をしているわけだが、唇はひび割れて口内も乾いて不快で仕方がない。
それでもまだ仕事は終わっていないのだから、彼も大変だ。
「ウッ、ゴホッゴホッ。ペッ」
地面に吐き捨てた唾には血が混じっていた。
あれだけの戦闘なら、口の中を切ってしまったのかもしれない。
「…………帰らなきゃ」
そう呟いて、アラタはハナニラの紋様が刻まれた仮面を装着した。
そしてまだ残っている魔力を装備に流し込み、隠密行動に移る。
今回も勝てなかった。
多少近づいても、それでもまだ遥か先にいる剣聖と自分の現在位置を目の当たりにして、アラタは嬉しさと悔しさが入り混じった複雑な表情のまま帰路に就いたのだった。
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