第322話 前とは違う
帝国に潜入した時、アラタは剣聖オーウェン・ブラックに敗れた。
それでも命を失うことは無く、命からがらキングストン商会の敷地内まで逃げ込むことには成功した。
真正面から斬り合うことを避け、暗闇に乗じて逃げながら戦ったのに、あそこまで実力差があるとは考えもしなかった。
それくらい、オーウェンは規格外の強さを誇っていた。
今度も同じく、撤退しながらの戦い。
今度こそ、負けるわけにはいかない。
今度こそ、勝つ。
「キィ、カロン、ダリル! 先頭で道を切り拓け!」
「「「了解!」」」
ここはウル帝国軍が陣を敷いている平地の、その隣のはげ山。
第4分隊のカイ曰く、元々植物が生えていた痕跡自体はあるから、何らかの理由でそれが消え去った場所らしい。
それが人為的なのか自然の為したことなのかは不明だが、とにかく遮蔽物が少なく視界確保が容易なのは第1192小隊にはマイナスに働いた。
彼らが全員装備している黒鎧は、微弱な魔力を流すことで隠密効果を発揮する。
それはもう、隣に立っていることを意識しないレベルの性能だ。
ただ、相手がその気になって探している状態ではそう上手くいかない。
アラタやキィ、クリスが持っているスキル【気配遮断】を魔道具で再現したものと考えれば、その性能の限界も見えてくる。
初見なら高い効果を発揮しても、2回目以降は多少効果は減少する。
要するに、慣れられると怖さが薄まっていく代物。
「アーキム、全体の指揮を取れ。この山を下りて脱出成功ってわけじゃない。手順を誤るなよ」
「了解。隊長は?」
「俺は
そう言いながら、アラタは体の内側から湧き上がる魔力の奔流を制御する。
ポーションの効果が出てきたみたいだ。
そのつもりで意識しなければ、すぐに体の外に魔力が漏れてしまう。
もったいないから体内に留め置く必要があった。
そして——
「お前は見たことがあるな。お前のせいで殿下は失脚なされた」
「知らねーよ。てめーらのせいで公国人が何人も死ぬんだろうが。おめーが死ね」
「今一度聞く。投降するつもりは?」
「ねーよ」
「では死ね」
縮地、という技術、考え方、神話における仙術がある。
大地の地脈を利用して距離と縮めるとか、とにかく爆発的な加速度で動き出すとか、単にトレーニングの名前だとか。
どれが正しいとかそうでないとか言う議論は置いておいて、現代では『とてつもなく速く移動する』という意味で用いられることもあるのは確かだ。
アラタから見て、オーウェンの距離の詰め方はまさにそれだった。
特に何もしていない自然な状態から、あの重そうな大剣を持った状態で一気に距離を詰める。
それこそ瞬間移動かなにかではないのかと錯覚するほどに。
実際にはただ【身体強化】と剣聖の力によって身体能力を底上げしたに過ぎない。
その背景に適切な体の使い方があることは確かだが、ただそれだけ。
それだけで、両者の距離は数メートルまで縮んだ。
とっさに刀を構えたアラタの視界の右端から、鈍色の金属の塊が恐ろしい速さで飛んできた。
その刀身の幅はアラタの腰ほどもあり、刃が当たるどころか体に掠っただけで骨が折れそうな重量感。
まともに食らってはまずいとアラタは膝を折り、頭を下げた。
その上すれすれを大剣が通過していく。
その軌道をはっきりと目で捉えていたアラタは、自分のことを見下ろしている剣聖と目が合った。
目は口程に物を言う、ということわざがあるように、ある程度相手に彼の考えが伝わってしまった。
下段からの突き。
それがアラタの次のアクションだ。
「フッ!」
息を吐きながら繰り出した刺突は、それを予期していたかのような動きで回避されてしまう。
だが、まあいいとアラタは笑みを浮かべた。
オーウェンは剣を振り切った後で、まだ大剣を引き戻すには時間がかかる。
その間にアラタなら2回は斬りつけることが出来るし、彼の引き出しは剣術だけではない。
2人の足元から、3発の石礫が飛び出した。
オーウェンの魔術の腕前は大したことないのか、アラタの攻撃は一切削れることなく射出された。
これは嬉しい誤算だとアラタは考える。
ノエルという剣聖クラス持ちが身近にいた彼にとって、オーウェンの能力は全くの未知というわけではない。
【剣聖の間合い】というクラス特有のスキルがあることも把握しているし、その影響で魔術やスキルの効きが悪くなることも覚悟していた。
ただ、今のところそのような気配は見えないから、嬉しい誤算なのだ。
自己を対象とする剣聖の補助しか使っていないのか、魔術の威力は減衰することなく、オーウェンはそれを躱した。
彼ほどの使い手なら今の攻撃は、発動すらさせないことも出来たはず。
なぜかは分からないが、アラタにとってはチャンスだ。
大剣が引き戻されたところでアラタは再び距離を取り、味方の方へと走る。
彼らの目的は剣聖を討ち取ることではなく、生きて自陣へ戻り情報を伝えることにあるから。
「むぅ…………」
オーウェンは何かに迷っているようだ。
眉間にしわを寄せると、元々迫力のある顔の圧がさらに増す。
小さい子供とかは見ただけで泣きだすのではなかろうか。
気難しそうな表情を浮かべながら、彼もアラタを追いかける。
味方を引き連れてこの場所にやって来た彼だが、正直1192小隊相手では分が悪そうだ。
装備の性能差と個々人の能力、どちらを取ってもカナン公国軍に軍配が上がる。
それは当然の話で、今ここにいるのは選りすぐりの精鋭部隊だから。
剣聖を付けておけば味方は多少無能が入っていても問題ないだろうという上層部の判断で、安売りのゴミを押し付けられた剣聖は苦笑いするしかない。
それでもこうやって任務を達成し続けてきたのだから、彼にも責任の一端はある。
アラタ以外の隊員の相手をしている帝国軍は、崩壊寸前だった。
「密集!」
アーキムの指示で、スプレッドぎみになっていた陣形を締め直す。
そうすることで敵も集まってくるが、味方同士の距離が近くなるメリットの方が大きい。
敵同士がぶつからないように配慮して動きが悪くなるのに対し、こちらはそこまで気にせず戦うことが出来ている。
勿論練度の差だし、元々のポテンシャルが違いすぎる。
キィが4人目の敵を倒したところで、敵の壁に薄いところが出来た。
「錐型で破るぞ! リャン、スキルを使え!」
「はい!」
アーキムの指示で【魔術効果減衰】を発動したリャン。
こうなると魔術の発動はかなり難易度が高くなる。
前もって見積もりを立てて、減衰率を予測したうえで魔術を行使しないと、期待した成果は得られない。
敵兵のうち何人かが不調に気付いた。
「隊長!」
「分かっている! 全員純粋近接に切り替えろ!」
敵の指揮官らしき男がそう発言するのを、アーキムは待っていた。
隣にいたリャンに対して、なぜ彼はハンドサインでもアイコンタクトでもなく、口頭での指示を出したのか。
誤解が少ないから?
簡単だから?
確かにそれもあるかもしれないが、それだけではない、それが本命ではない。
答えは、近くにいる敵に、【魔術効果減衰】を使わせたことを理解させるため。
基本的に魔術・スキル戦闘は、先に出した方が有利だ。
「リャン!」
アーキムの声に対して頷きながら、リャンはスキルをオフにした。
アーキムの掌で、パチパチッと火花が散る。
魔術が使えることの確認だ。
「全員、攻撃魔術を撃て!」
19名の隊員全員が、魔術に精通しているわけではない。
だから彼の指示は厳密には違う意味を持っている。
攻撃魔術を使える人間は全員、敵に向かって魔術を放てという命令だ。
結果として14, 5名の味方が雷撃や火球、石弾、水弾などを打ち、敵の対処は当然遅れる。
相手は魔術なしの戦闘になることを見越して魔力を練ることを後回しにしていたから。
敵の一角が、完全に崩れた。
「一気に駆け抜けろぉ!」
絶叫するアーキムを筆頭に、黒鎧を来た兵士たちは敵の囲みを突破した。
敵の数はおよそ40~50。
誰も欠けることなく出ることが出来たのだ、御の字だろう。
そう、アラタを除いて。
「隊長!」
カロンが後ろを振り返り、アラタを呼んだが返事がない。
まさかもうやられたのか、そんな嫌な想像が頭をよぎる。
相手は剣聖、いくらアラタが相手をしているとはいえ敗北することだって十二分にあり得る。
「アラタ隊長!」
ハリスが再びアラタの名前を呼んだ。
「先に行け!」
「うぉっ!」
「はや……」
一陣の風が吹き抜けたと思った時には、アラタとオーウェン・ブラックの姿は彼方に消えていた。
凄まじい速度で剣を交わしながら、高速移動していく。
アラタはその中に魔術攻撃を織り交ぜて、オーウェンはそれを大剣一本で捌いていく。
異次元の戦いに、両軍の兵士は一瞬固まったが、再度動き出しが速かったのはやはり公国兵だった。
「走れ!」
こうしてアラタ以外の小隊は戦場から離脱した。
※※※※※※※※※※※※※※※
こうも岩ばかりの場所では、アラタの攻撃も石弾や土棘に偏ってくる。
頭の中では分かっていても、実際に体がついていかないのだ。
相手が見せたほんの僅かな隙間に攻撃をねじ込もうとすれば、脳内で攻撃を組み立てている余裕は無い。
ほぼ感覚で反射的に動く彼の攻撃パターンは、少し単調さが目に付くようになってきた。
それに対してオーウェンは魔術を使わない。
使わないのではなく使えないのかもしれないが、以前アラタに見せた魔力の斬撃や【天地裂断】なる技も見せていない。
明らかに手を抜いている。
アラタはそれが腹立たしかったが、それでもあまり余裕は無い。
それなら手加減したことを後悔しながら死ねと、刀を振る。
アラタが走りながら雷撃を放ち、それに応戦したオーウェンの攻撃を刀でいなす。
衝撃で少し後ろに下がったアラタが足場を確認した時、その向こうに黒鎧がいくつか見えた。
あそこまで離脱しているのなら、あとは魔道具の性能と個人の力量で乗り切れる。
アラタはそう判断して任務の成功を喜び、安堵した。
黒鎧が眼下に見えていたのは彼だけではない。
オーウェンは実質的に敵を逃がしてしまったことを悔やみ、少しムッとした。
ただ次の瞬間には表情は戻っていて、いつもの仏頂面が表に出ていた。
「遊び過ぎたか」
「みたいだな。俺らの勝ちだ」
オーウェンは足を止めると、大剣を地面に突いて溜息を漏らす。
「面倒だが、お前は殺すしかないな」
「俺は帰るから面倒なら諦めてどうぞ」
「【剣聖の間合い】、発動」
「おいおいマジか」
アラタは、自身の身体から力が消えていくのを感じた。
そして同時に、剣聖オーウェン・ブラックが剣を構える。
「殺す」
「前とは違う。今日は勝つ」
両者はスキル、魔術を封じられた状態で、再び距離を詰めた。
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