第302話 都落ち
「コラリス殿、お時間です」
「……分かった。行こうか」
今日、彼は半生を過ごしたウル帝国を去る。
自らが1代で作り上げたキングストン商会ともお別れだ。
それはすなわち、現会長であるフェルメール・キングストン、息子との別れも意味していた。
八咫烏もそれに伴ってお役御免となり、帰国の途に就く。
ノエルは数日しか滞在していないことにブーブー文句を垂れていたが、出発までの数日間好きなだけ観光したところが落としどころという事になった。
それに散々付き合わされた
これから数日間の旅程が待ち受けているという現実は、少し受け入れがたい。
「まったく、お前は真夏の太陽みたいなやつだな」
「へへへ、ありがと」
「誉めてねー」
この夏の日差しのように、近くにいると直射日光でやられそうなくらい暑苦しいという意味で皮肉ったアラタの言葉は、残念ながらノエルには届いていない。
明るくていいね、そんな程度にしかとらえていないのだろう。
「けどまあ」
準備万端な八咫烏2個小隊、自分たち4人パーティー、コラリスとその従者十数名をぐるりと見渡す。
「俺たちの代わりには誰が来るんだ?」
「誰でしょうね。中々ハードな仕事になりそうですけど」
「少なくとも帝国と交渉できる程度の知能は持ち合わせていないとな」
そういうクリスは、自分たちにその能力がないことを承知している。
面子を見ればわかるだろう。
隠密、潜入、情報分析を専門にする部隊が2個。
残りは戦闘しか能のない脳筋冒険者が4名。
この構成には致命的にインテリジェンスが足りていない。
カナン公国の外務局に随行して帝国と話し合いをするにはあまりに不適格。
この帰国命令にはそういった意図もあった。
「まあ、俺としては早いとこ帰りたいんだけどな」
「ですね。楽しいところですけど、アトラの方が過ごしやすいです」
「俺たち田舎もんだしな」
アラタとリーゼが顔を見合わせて笑っていると、その背後から何者かが近づいてきた。
知らない人間の接近を許すほど、アラタは緩んでいない。
「任務ご苦労。ここからは私たちが引き継ぐ」
金髪、青い眼、大きな体、聖騎士らしい装い。
「叔父様!」
「ハルツさん、外交って顔してませんよ」
「うるさい。兄上を経由してくだった大公からの命令だ、断れんよ」
そんな彼の顔には暗い影が差していた。
いつまで経っても貴族のしがらみが彼を離してくれないのだ。
そういうものと諦めるほかない。
「お初にお目にかかります。クラーク伯爵の弟、ハルツ・クラークです」
「コラリス・キングストンじゃ。以後よろしく」
2人は固く握手を交わすと、それから何やら話し込んでいる様子。
その間アラタは馬車に荷物を積み込んでいく。
コラリスや他の従者もいるため、馬では数が足りない。
何より中には馬に乗れない者だっている。
必然的に馬車5台、乗馬6騎という構成に落ち着いた。
アラタとクリス、それから第4小隊が騎乗して周囲を警戒、他は馬車に乗り込んで待機となっている。
これほどの戦力に対して、おいそれと仕掛けてくる敵もいないだろうから、道中は安心だ。
丁度荷物が詰み終わったところで、ハルツがアラタの所にやって来た。
「ちょっと来い」
「はい」
周りと少し距離を取ったところで、ハルツはさらに用心しているのか小声で話し始めた。
「カナンに到着したら、リーバイ・トランプ中佐を訪ねろ。話は通してある」
「何すればいいんですか?」
「中央軍に稽古をつけてやってほしい。お前にとってもいい訓練になるはずだ」
「それはいいですけど……」
それをこのタイミングで伝える意味を、アラタは察する。
「戦争になるんですか」
「そうさせないために俺が来た」
「でも、訓練させるってことはそういう事ですよね」
「保険だ。杞憂に終わればそれが一番なんだよ」
「まあとにかく、話は分かりました」
「それでいい。ノエル様を頼むぞ」
「リーゼも一緒に面倒見ますよ。オジサマ」
「やめてくれ、気持ち悪い」
からからと笑い合うと、今度こそお別れだ。
ハルツは自分のパーティー他十数名を引き連れて、中心部にある外務局に向かおうとする。
対してアラタたちは西門からカナンに帰る。
「後を頼みます!」
そう大声を上げたアラタに対して、ハルツは後ろ向きに右手を挙げて応えた。
任せておけと、背中が語っていた。
※※※※※※※※※※※※※※※
コラリスはキングストン商会の名誉会長職を追われた時点で、ほぼ同時に帝国議会議員の職も辞職していた。
しがらみがあると、こういう時に自由に動けないことを分かっていたのだろう。
そんな下準備の甲斐もあって、道中は実にスムーズなものだった。
護衛対象が増えた分、アラタ達の負担は増える。
しかし、八咫烏2個小隊を加えた警備体制は、逆に彼ら一人一人が負担する責任を軽くしてくれた。
寝ずの番は3回に1回、食事当番も一度やれば終わりで、行きに比べれば楽なものだ。
そんな彼を唯一困らせていたのは、例によってノエルたちだった。
「……うっせーなーもー」
「仕方ありませんよ隊長、女性は皆そういうものです」
「集まるとこうなるからなあ、隔離しておけば静かなんだけど」
今日は第7小隊と共に周囲の警戒に当たっているアラタ達黒装束は、馬車の中から聞こえる喧騒が耳障りで少し広めに距離を取っていた。
こう煩くては周囲の変化に気づかない危険性がある。
唯一静かなのはクリスだけだと、アラタは相棒への信頼を相対的に増やした。
「でね、アラタはいつもお金貸してってしつこいんだ」
「ヒモは嫌だけど、アラタさんになら……ねー!」
「実際あの男はクズですよ? 皆さんどうかしてます!」
「お二人とも、イケメン無罪って言葉知りませんの?」
「いうほどイケメンか?」
「どうでしょうね。まあ整っているのは認めますけど」
「あ~、リーゼ許嫁いるのにいけないんだー」
「お転婆すぎて貰い手が現れないノエルには言われたくないです」
「このぉ!」
骨組みに風よけ日よけの布が被せられているから、騎乗している人間たちまで声は届いていない。
なにやら騒いでいるのは聞こえるのだが、具体的な会話の内容までは聞き取れないのだ。
よくもまあ、長い移動時間の間ずっと喋り倒せるものだと感心すらしている。
そんなこんなで、カナン公国領に入って2日。
翌日に首都アトラ到着できるという計算の下、今日は野宿する運びとなった。
寝ずの番はアラタ、クリス、第4小隊。
警戒するには十分すぎる布陣だ。
食事もとって日も沈み、皆が寝静まった頃、コラリスと第7小隊が寝ている馬車が不自然に動いた。
一番近くにいたアラタが少し近づくと、中から老人が出てきた。
コラリスだ。
「来なさい」
「はい」
アラタはクリスに後を任せると、コラリスについていく。
野宿しているくらいだから、周囲に街は無いし明かりもない。
コラリスは魔道具で照明を確保し、アラタは【暗視】を付けて歩いていく。
道から少し外れて、眼下に大きめの川が広がる河川敷に来て、老人は腰を下ろした。
アラタもその隣に座る。
刀は邪魔なので外して左側に置いた。
「今からする話は、お前だけの心に留めおきなさい」
「分かりました」
コラリスの口から、悔恨が紡がれる。
「大公選のおり、わしがしたことは間違いじゃった。第2皇子派と手を組むべきではなかった」
アラタは黙って聞く。
「わしは皇子と皇帝を過小評価しておったのじゃ。あれは人の手に負える生き物ではない」
「彼らは人ではないと?」
「人類であることは確かじゃよ。ただ、人でなしとはあのような輩のことをいうのじゃと、今更気づいた」
大公選の時、アラタ達黒装束ひいてはドレイク、クレスト家は、キングストン商会経由で第2皇子派と結託し、敵対する第1皇子の手元からレイフォード家不正の証拠を奪取した。
つまり、彼らの懸命な仕事により第1皇子は失脚し、結果第2皇子と皇帝を止める者はいなくなった。
それまで微妙なバランスを保ってきた宮廷の勢力図はダイナミックに書き換わり、コラリスたちにとっても好ましくない状況になった。
そして今に至る。
「アラタ、お主はBランクになったのじゃろう」
「まあ一応」
「わしは人を見る目には自信がある方じゃ。この前盛大に外したばかりじゃがの」
「俺たちにも視野が足りていませんでした」
「それはよい。アラタ、Aランクを目指せ。特異点を超え、人類最高峰に挑め。そしていつの日か、皇帝ゼスト・ウルを殺してくれ」
「……殺すとか殺されるとか、そういうのは疲れました」
「お主も分かっておるはずじゃ。道理の通じぬもの、他を顧みぬもの、そう言った連中を活かしておく価値などどこにも無いと」
「だとしても、殺すのは間違っています」
「なら何のために剣を振るう」
「俺は、皆を守りたい。ただそれだけです」
「それなら尚更強くなれ。それがお主の望みなら、強くなることも本望じゃろう」
「…………コラリス殿、あなたは結局何が言いたいんだ。何がしたいんだ」
「わしはただ、正しき者が報われる社会を作りたい。弱者救済なんて耳障りの良いことは言えぬ。じゃが、せめてお主のような人間は、幸せになってもらいたい。それがわしの願いじゃ」
コラリスの言うことも随分と耳障りがよさそうで、若者が飛びつきそうだとアラタは思った。
焚きつけようとしているのか、未だそれは分からない。
アラタは刀を手に立ち上がった。
「強くはなりたいです。ただ、殺しは別問題です。俺はもう人を殺したくない」
そう言い捨てて、アラタはその場を後にした。
警備もせず、その場を後にした。
「……若いのう」
そう呟いたコラリスの眼は、哀愁を含んでいた。
そして翌日正午、ついに一行はアトラの街に帰って来た。
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