第290話 紅葉
「ノリって怖いですね~」
「こ……殺してくれ」
「アラタちょっと可~愛~い~」
「お前は可愛くねーけどな」
「なにおう!? そこに直れ!」
ノリと勢いでクリスに抱き着き、あまつさえ泣く一歩手前まで行ったアラタのことを、一同は生暖かい眼で見つめていた。
そんなに気に病んでいたことをクリスは良く思っていなかったが、心配してくれていたというのと、その気苦労も解けたことは歓迎すべきことに思えた。
元からの黒目、そして金目のオッドアイになったクリスは当分リハビリに励むことになる。
それなりの期間右目だけで生活してきたので、両目の情報は情報過多で気分が悪くなる。
見えないはずのものが見えている状態というのは、人間の身体構造的に良くないのだ。
「先生、他のみなさんも、本当にありがとうございました」
「こやつにはまだ働いてもらわねばならぬからのう」
「先生、それで訊きたいことがあるんですけど」
「なんじゃ?」
「ここでは少し話しにくいと言いますか」
アラタは最悪の場合師匠の面子を潰すわけにはいかないので、最大限の気配りをした。
「構わぬよ。ここで話しなさい」
個室の病室と言っても、ここには医師や看護師、治癒魔術師3人組、ノエルとシルとクリスがいる。
話すことは憚られたが、この手のケースでドレイクが手間を嫌うことも経験的に理解していた。
「それじゃあ……先生、ドラゴン討伐の報酬を返してください」
「返すも何も、残っておらんよ」
「そんなはずないでしょう。竜玉だけで金貨2万枚ですよ」
「じゃから、全部消えたんじゃよ」
「何に」
「今までの活動費に」
「……話が見えませんけど」
特配課がレイフォード家の私費で動いていたように、黒装束や八咫烏も同様になる。
そこに金銭を要求されることは無いはず、そう言った先入観でアラタは決めつけていたのだ。
その奥で、一体どんな契約事項が交わされていたのか、彼は知る由もなかった。
「ま、お主がドラゴン討伐を成し遂げるところまで含めて大公選じゃったということじゃな」
「意味わかんねーんですけど」
「資本力でレイフォード家に完全に負けていたクレスト家は、資金繰りに苦しんでおった。そんな中で、虎の子の特殊部隊を保持する力があったと思うか?」
「つまり?」
「お主等は自費で活動したということになるの」
視力が回復し、【以心伝心】も正常な働きを取り戻したクリスだが、今度はアラタが折れそうになっている。
縦線が顔に入ったような表情に、ふらりふらりとふらつく足。
「ア、 アラタ、私から父上に頼んでみようか? それに少しくらいなら私も出せるし……」
「ノエルだめですよ。それじゃまたヒモに戻ってしまいます」
「でも……」
「ハハハ…………」
完全に嵌められた。
竜玉は俺たちが取ったもので、それをクリスに使っただけの話だったのに、なぜか次回のダンジョン制覇の話になっている。
現状は足し引きゼロの状態でも、将来は行ってくるはずだった利益を考えると確実にマイナスだ。
アラタは、実質的に次回のダンジョン攻略をタダ働きさせられることになったのだ。
多少ノエルが助けてくれたところでどうにかなる話ではない。
「今日はもう帰ります。クリスはお大事に」
「あぁ、私は大丈夫だが……」
ちらりとベッドの横を見た彼女の前には、治癒魔術師3人組が立っている。
リーゼは可哀そうなアラタに同情するような表情、これは特に関係ない。
タリアはまたかという表情、これも関係ない。
もう一人、孤児院のリリーの表情。
そんなこと知ったこっちゃねーんですよと言わんばかりに、アラタの方を見ている彼女の方からは無言の圧が凄い飛んでいる。
思わずクリスが言い淀むくらいにはその圧は強い。
そもそもクリスとリリーは初対面で話したことすらないのだ。
当然アラタもそれに気づき、固まる。
「…………あ、あのー」
リリーは答えない、ただ見つめるだけ。
「お、お久しぶり?」
パァン。
アラタも左頬には綺麗な紅葉の手形がつくことになってしまった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「流石に平手打ちはすみませんでした」
「いえ……俺も無神経でした」
クリスは数日入院、それ以外の関係者は解散となった後、アラタはリリーと孤児院の方に戻っていた。
子供たちが庭で遊んでいて、懐かしくも遠い景色を眺めている。
ボロボロなところは前から変わりなくて、子供の数だけが少し増えている。
孤児院の運営も悩みの種は尽きない。
「アラタさん」
「はい」
「私怒っています」
「知ってます」
「今まで何してたんですか」
「その……秘密組織やったり、冒険者やったり……」
男の声に覇気は微塵もない。
「前死んじゃった時に言いましたよね? 生きていることくらい伝えてくださいって」
「すいません」
「まったく……もうっ」
素直に謝り続けるアラタに、リリーは怒る気も失せてしまった。
詳しくではないが、あらましは彼女も聞いている。
ノエルの元を去るところからレイフォード家に潜入し、秘密組織創設に携わり、大公選で暗躍して、そして冒険者に戻るまで、全てが仕方なかったことも聞き及んでいる。
だから、これ以上責めてはいけないと思いつつも、ムカムカする気持ちを抑えきれない。
彼女は自分がどんな気持ちで短くない日々を過ごして、心配な時間を生きてきて、ここに至ったのか少し思い知ってほしかったのだ。
ただあまりにも一直線に謝罪する彼を見ていると、本当にどうしようもなかったことが伝わってきて、怒るに怒れない。
「心配してたんですから」
「ごめんなさい」
リリーはアラタの頬に手を当てた。
掌を近づけると彼はビクッと体を震わせて、叩くべきではなかったと後悔する。
彼女も見かけによらず直情的なところがあった。
顔は綺麗なものだが、触ると分かる小さな傷がいつくかある。
顔から首へと下がっていくと、さらに傷痕の酷さは深刻になっていく。
この一筋一筋の傷痕が、彼が今まで歩んできた道のりだとすると、リリーは自分が傍に居て癒してあげたかった。
それくらい治癒魔術の幅は広いのだ。
少し名残惜しそうにリリーはその手を離す。
「もう一人話しておかないといけないですよね」
「姐さん……」
姐さんという単語自体、彼は随分と久しぶりに使った。
予測変換にすっかり出てこなくなったそれは、彼にとって懐かしい響きをもたらしている。
「大きくなったね」
シャーロットは開口一番、そう言った。
身長が185cmあるアラタよりも、体格的にはシャーロットの方が大きい。
ただ、そんなことを口にしたのではない。
存在感が、気配が鋭く大きくなったと彼女は言いたいらしい。
「色々経験しましたから。男として、ね」
多くを語ろうとしないその性格は、今も昔も変わらない。
シャーロットから見て彼は自分のことに無頓着で、無関心なタイプに見えた。
彼女の見立ては当たっているのだろう、アラタはそんな人生を歩んできているのだから。
「姐さん、例の」
感傷に浸るシャーロットにリリーが先を促す。
おお、と彼女も思い出したように切り出した。
「アラタお前、うちの林に何か作ったね?」
「それはそうなんですけど、何で自分だと?」
「手術後にクリスちゃん? に教えてもらったのよ」
「あいつ……」
「まあ使ってもいない土地だから、自由に使ってくれていいわよ」
「勝手に使ってすみませんでした」
「いいのさ。埋まっている物? 人? についても詳しくは訊かないさ。ただ、あんた自身のことは訊いておきたい」
アラタは自分のことを指さした。
「俺のことですか?」
シャーロットとリリーは肯定する。
「これからどうするのか。前にも聞いたけど、あんたは何のために命を懸けるのか」
これはシャーロットがアラタに剣の稽古をつけ始めたとき訊いた内容と全く同じものだった。
冒険者という危険な職業に従事するにあたって、他の安全な仕事を選ぶことも出来るのになぜこの生き方を選んだのか。
アラタは結局、シャーロットの満足いく答えを提示することは出来なかった。
【身体強化】を習得したことで、半ば強引に意見を通したに過ぎない。
今こうして再び、彼は自分の存在意義を問われている。
そして、答えは既に決まっている。
「俺は、
「また曖昧な」
「いえ、自分の中でははっきりと決まっています。あいつらが幸せになれるように、笑えるように、俺はあらゆる障害から守ります、戦います。それが俺に残された、生きる意味なんですよ」
「……そう、なら何も言わないわ」
「姐さん?」
何を感じたのか、シャーロットはそれ以上何も言わなかった。
話し終えたアラタを見送る彼女の背中はいつもと同じように大きかったが、とても悲しそうに見えた。
「姐さん?」
「いや、ね。自分に価値がないように思えてしまう時ってのが、男にはあるものなのよ」
孤児院のシャーロット・バーンスタインではなく、元Aランク冒険者、不屈のアレクサンダー・バーンスタインとして、同じ道を辿ろうとしている青年の旅路に幸あらんことを。
思い描くだけで実現されるような簡単な願いではないし、何となくで生きていて思い通りになるような甘い世界でもない。
だから、重戦士は思う。
艱難辛苦が待ち受けていようとも、負けずに何度でも立ち上がり、命続く限り挑み続けろと。
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