第286話 本当に嬉しいよ

「わぁー! アラタどうしたんだ? ねえねえ!」


「…………早いけど、誕生日おめでとう」


 もっと凄いもの貰ったことくらいあるだろうに、と少しオーバーなくらい喜ぶノエルを見てアラタは笑った。

 成り行きで買ってしまった花束とはいえ、喜んでもらえればプレゼント冥利に尽きる。


「なに抜け駆けしているんですか」


「わるい。ちょっと色々あって」


「まったくしょうがないですね。当日はクレスト家に泊まるかもしれませんから、今日やってしまいましょう」


「助かる」


「もう、私まだプレゼント用意できてないんですからね?」


「本当にすまん」


「ふふ、いいですよ。それより準備準備!」


 小さめとリクエストしたのに、片手では持てないくらい大きな花束を購入させられたアラタがそれを隠し通せるはずもなく、こうして少し早いノエルの誕生日祝いが行われる運びとなった。

 祝い事の席でケーキを食べるのは異世界でも共通らしく、シルが急いで準備する。

 買いに行くのではなくて、一から手作りする所にシルキーとしての矜持が垣間見えた。

 7月20日、もう十分に夏である。

 苺なんて果物はどこを見ても生えている訳が無かったが、それでもあるところにはある。

 自然栽培ではやや時期を過ぎてしまっている植物でも、環境を揃えてやれば安定した供給が望める。

 こんなことをやっている組織はそう多くない。

 そう、キングストン商会経由である。

 ウル帝国の帝国議会議員、コラリス・キングストンとアラタは懇意にしていて、その流通網から少しばかりのわがままを通してもらうことが可能だ。

 それもこれも、アラタとコラリスの間で交わされた八咫烏2個分隊のレンタル契約のおかげなのだが、それはいいだろう。

 とにかくシルはその権限を行使して、緊急的にケーキ及び食事の材料をかき集めることに成功した。


「シルちゃん、人使いが荒いよ」


「埋め合わせは今度する~」


 高級食材を専門に取り扱う問屋は困り果てた顔で幼女にへりくだっていた。

 アラタもウル帝国も仲良くすべき相手だというのもある。

 ただそれ以上に、シルという妖精がこの町に張った根は深い。

 いつでもどこでも顔を出して、店の人間と懇意になることもあれば、マダムたちの井戸端会議に参加する姿も散見されている。

 時には雑貨屋でアルバイトをしているところを目撃され、近々自分の店を持つという噂まである。

 トンビが鷹を生むとあるが、あの父親からこんな娘が生まれてくるとは誰も想像しなかっただろう。

 それくらいシルは、よくできた娘であり、メイドであった。


「シルは凄いなあ」


 バイトの話まではギリギリついていけたアラタも、新規店舗をオープンするところ辺りから理解が追いつかなくなってきた。

 キャッシュフローだか出納帳だかなんだかかんだか、とにかく理解の範疇を超えてしまったことだけは確かだ。

 だからうっすい感想しか出てこない。


「シルが社長になったらアラタは店長にしてあげる」


「それは助かる。働かなくて済むや」


「何言っているの? 店長は24時間働くんだよ?」


「店長は他の3人に頼もうか」


「生クリーム作って」


「はいはい」


 少し前、この屋敷で最も料理が得意なのはアラタだった。

 それから月日は流れ、すでにシルの料理の腕前は親を超えていた。

 アラタが料理をする機会がめっきり減った生活を送っていたところにも彼の敗因があるのだが、それ以上にシルの伸び率が凄まじい。

 アラタの記憶をベースに、この世界の食材や調理方法をどんどん吸収した妖精は昼夜を問わず家事に関することを考え続けた。

 シルもベッドに入るのだが、寝なくても問題はない。

 だから台所に立って練習や料理研究をしていると、気づいたら朝になっていたということは頻繁にある。

 生身の人間には決して真似できないスケジュールこそが、シルキーの真骨頂なのだ。

 クリスとリーゼは、料理が全くできない。

 呪いの効果で家事全般が壊滅的なノエルのことを笑えない程度には重症だ。

 そんな二人はせっせと飾りつけなどを頑張っている。

 ノエルはというと、そわそわして落ち着かない上に一緒にやりたくて危なっかしかったので、外に出かけている。

 そんな主役は外で何をしていたかというと、


「でね! アラタが花束をね! ……ハルツ殿聞いてるか?」


「エェ、キイテオリマストモ」


 途中から機械音声のように抑揚が消えうせたハルツは、路上でノエルに捕まって幸せのおすそ分けを強制的に受けている。

 彼のパーティーも遭遇した時は一緒だったのだが、ルークを先頭にさっさと退散してしまったのだ。

 リーダーであるハルツを生贄に捧げて。

 仲間たちにあとで話し合いを設けることを固く心に決めたハルツは、心を無にしてノエルの話を聞いている。


「それでね、今日これから誕生日会なのだ! ハルツ殿も来るか?」


「いえ、私が行ってはリーゼもやりづらいでしょう。皆様だけでお楽しみください」


「そうか、分かった。ではまた今度!」


「今からどこかに行くのですか?」


 元来た方向とは反対方向へ行こうとするノエルを不審に思ったハルツは、彼女を引き留める。

 なぜかそうしなければならない気がしたから。


「なにって、知り合いの人にこの嬉しさを分けてあげるんだ。さっきレイヒム殿も見つけたし、急がなきゃ!」


「ちょ、ちょぉぉっとお待ちください」


「ん?」


 ハルツは強い使命感に駆られてノエルの肩を掴んだ。

 これ以上の暴走は良くない、それは誰も幸せにならないとすぐに理解したから。


「えと、あの、ほら、アラタとシルが準備しているのならそろそろ終わるでしょうし、もうお戻りになられた方が良いのでは? 主役が来なければみんなが探しに来ますよ」


「それもそうだな。ありがとうハルツ殿! 私は帰る!」


「そうしましょうそうしましょう。それでは楽しんで」


「今度この後のこと教えてあげるから!」


 ノエルはそう残してハルツの元から去っていった。

 毎度のことながら台風のような少女だと彼は思う。

 一気に押し寄せてきて、向きさえ変わればすぐに去っていく。

 今回は多少強引に向きを変えさせてもらったとハルツは額の汗を拭った。

 これ以上自分のような被害者を増やさぬために、有意義な活動をしたと思っている。


「アラタも苦労するなぁ」


 地獄耳の剣聖だが、彼の声はノエルに届かず空に消えて行った。


※※※※※※※※※※※※※※※


「それでは、少し早いノエルのお誕生日に——」


「乾杯!」


「「「「乾~杯!」」」」


 この国の風俗的に、シル以外は全員が成人していて、飲酒も可能である。

 最年少のノエルが今度で18歳、次いでアラタとリーゼが今年で20、クリスが21になる。

 もっとも、クリスの年齢は推定で、正確な誕生日も分かっていない。

 エリザベスと同年齢の方が都合がいいからそうして、誕生日も奴隷のクリスからレイフォード家のクリスになった日をそのまま取っている。

 ウル帝国の奴隷階級社会では良くあることだった。


 というわけで当然のようにワインなどで乾杯し、浴びるように酒を飲む。

 アルコール分解能に異常はなく、身体強度がそのままアルコールに対する耐性として紐づいている彼らは怖いくらい酒に強い。

 オレンジジュースを飲んでいるシルは別として、誕生日間近のノエルを先頭にレースは進む。


「アラタァ! もっと酒持ってこいやぁ!」


「ちょっと悪酔いしてないですかね」


 変な敬語で恐る恐る聞いてみる。


「んー? わらしは酔ってないっ!」


「はぁ。シル」


「アラタ、助けて…………」


「シルゥ!?」


 早めにお開きになるかなと思っていた矢先、仲間のシルがリーゼに捕まった。

 末っ子のリーゼは年下の妹的な存在に飢えていた。

 その役割は常にノエルが担当していたが、ノエルも大人になってきてだんだんそれも厳しくなってきている。

 甘やかす対象に、聖騎士リーゼは飢えていた。


「シルちゃん! ギューッ!」


「アラ、タ……助け…………て」


「……ごめんな、シル」


 何度目かの育児放棄にシルはいい加減キレそうになった。

 しかし、今回ばかりは仕方がないと諦める。

 生まれて1年足らずの間にここまで大きくなったシルキーは、存在しないはずの赤ちゃんだった頃の記憶を呼び起こされる。


「よしよし、赤ちゃんはねんねしましょうね~」


 シル、脱落。

 残る味方はクリスだけ。


「おいクリス起きろ」


 テーブルに突っ伏しているクリスが戦闘不能状態であることを瞬時に悟ったアラタは、思わず天井を見上げた。

 万事休す、そういう局面である。

 それでもクリスを強制的にたたき起こさないのが、彼の善人たる僅かな要素だ。


「クリス、ベッドまで行けるか?」


「破廉恥な。エリという人がありながら、恥を知れ」


「はいはい、明日記憶が残ってないといいな」


「…………寝るっ」


 おもむろに立ち上がったクリスは、据わった眼で自室までの廊下を歩いていく。

 2階に上がる必要があるのだが、これがなかなかうまくいかない。

 見かねたアラタが抱え上げてそのままベッドに放り投げる。

 明日布団がゲロまみれにならないことを神羅万象ありとあらゆる存在に祈りつつ、アラタはその場を後にした。

 クリスが寝て、シルがリーゼに赤ちゃんにされ、2人はリビングで戯れている。

 すると残された主役が放置されてしまうわけで……


「アラタ!」


「はい」


「座れ」


「はい」


 アラタはダイニングキッチンで空いた酒瓶にジュースを詰めて、ノエルの元に運んだ。

 酒が足りないと文句を言われても困るが、これ以上飲むのも困る。


「これ何の酒なんだ?」


 当然不思議に感じたノエルは訊く。


「トロピカル的なリキュール。飲みやすいでしょ?」


「うん、ジュースみたいだ!」


「あまり飲み過ぎるなよ」


 酔っぱらいの相手は適当にするくらいが丁度いいというのがアラタの認識。

 そんなアラタ自身は大層な量のアルコールを摂取したはずだが、顔色は変わらず、気分も見える景色も変わらない。

 この雰囲気に当てられて少し気分が高揚しているほかは、通常運転だ。


「アラタ、何で今日花束を買って来たんだ?」


「何となく」


「…………嘘つき」


 酔っぱらいの眼をしている彼女を相手に、どこまで話を合わせるか迷うアラタ。

 嘘を見抜かれても、それを突き通せば真実になる。

 酔っている時ではなく、別の時にプレゼントを渡そうと考えていたアラタははぐらかすことを選択してこうなっているわけだが、ややこしくなるので諦めた。


「バレたか。本当はプレゼントを探してて、その途中で買った、というか買わされた」


「ふぅうん」


 ノンアルコール飲料をガブガブ飲みながら、ノエルはとろんとした赤い眼で見ている。

 相手がどんな行動をとるのか、具体的にはどんなプレゼントを用意してくれたのか、待っている。


「……まあいっか。誕生日おめでとう」


「ふふっ、ありがと」


 スマートフォンくらいの平面の箱が一つ、それとガラスの音がする巾着袋が一つ。


「開けるね」


「うん」


 先ほどから赤ん坊の泣き声が聞こえる気がするが、アラタは不安の霧を振り払うように忘れることにした。

 まずは開けやすい巾着袋の方から。

 中には3つの瓶が入っていて、それぞれ中には何かの液体が入っている。

 外側に少しついたそれが、中身を物語っていた。


「香水?」


 アラタは頷く。

 ただ、香水にしては少し量が少ない気がする。


「どういう感じ?」


 ノエルも疑問に思っているようで、首をかしげる。


「袋の中に紙入ってない?」


「入ってる」


「読んでみて」


 小さなカードにはこう書いてあった。


 ノエル・クレスト様

 平素よりメルセデス調香店を御贔屓にしてくださり誠にありがとうございます。

 今回アラタ様の依頼でご用意させていただいたのは、新規に調香したサンプルとなっております。

 それらを御参考に、後日当店でノエル様用に香水を作らせていただくサービスを提供させていただきました。

 私共といたしましても、この度新しい取り組みを始めさせていただくにあたり先んじてノエル様にご相談をと考えております。

 サンプルの感想も含めて、ぜひ一度当店へご来店いただければ幸いです。


 店主


「どういうこと?」


「香水はサンプルで、気に入ったら買えばいいしそもそも自分用に調香してくれる」


「でも私、いつもこのお店の使ってて……」


「だから新しい取り組みなんだよ。まあ実験だと思ってさ」


「なんか守りに入っているのがアラタっぽい」


「そんな評価ってある? 一応俺も——」


「でも嬉しい。ありがと」


「どういたしまして」


 酔っていて、フワフワしているノエルにまともに付き合うだけ無駄なのだろうと、アラタは思う。

 それでもちゃんとプレゼントは喜んでくれたのだから、自分の眼に狂いはなかったと安堵した。


「こっちも開けてもいい?」


「もち。いいよ」


「髪留め?」


「まあ、そんな感じ。リボンは取れるから、好きなのを付ければいい」


「これじゃダメなの?」


「いいけど、別のでもいいよっていう拡張性の高さがだな……」


「アラタの優柔不断さが全面に出ているな」


「うっせ」


「ありがと」


「どういたしまして」


「本当に嬉しいよ」


「それは良かった」


 そう言いながらアラタは席を立つ。

 そろそろお開きの時間で、片付けが待っている。


「私もアラタの誕生日にプレゼントする」


「楽しみにしてる」


「いつ?」


「11月22日」


「分かった。覚えとく」


 リーゼとシルは抱き合ったままソファで寝ていて、ノエルは今日の主役かつ家事を任せられないので必然的にアラタだけが片づけを担当する。

 剣聖の呪いは強く、手伝うという選択肢は存在しない。


「もう寝ろ。誕生日パーティーはまた今度あるからな」


「うん」


「おやすみ」


 食器を重ねて台所までもっていく。

 カチャカチャと食器が鳴り、流しに置くことを繰り返す。


「寝ないのか」


 ずっとアラタの後ろについて行ったり来たりしているノエルが不思議で、訊いてみた。


「アラタ」


「ん?」


「本当に嬉しいよ」


 なんだ、それが言いたかったのか。


 さっきも言ったが酔っているし、何回も言いたくなったのだろうとアラタは笑いながら答える。


「なら良かった」


 毎日クエスト、毎日訓練、そんな日々も悪くないが、たまにはこんな日も悪くない。


 そう思いながら、アラタは食器を洗ってからベッドに入り、眼を閉じた。

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