第269話 今から始めなきゃ
「炎槍は?」
「ダメです」
「じゃあ炎雷」
「絶対ダメです」
「土壁」
「出来る限り避けてください」
「雷槍」
「ギリギリのギリ大丈夫です」
「アラタ、文句が多いぞ」
「お前魔術へたくそだし、俺のこのハイレベルな悩みが分からないんだな」
「失礼! アラタ失礼!」
「おい、これから入るのに喧嘩するな」
ノエルは不承不承と言った様子でクリスの言葉に従う。
一方かなりの制限を言い渡されたアラタは、どうやって戦ったものか思案していた。
彼の使える魔術の大部分をリーゼが禁止したのには理由がある。
決して縛りを設けて舐めプしようとかではない。
ただ単純に、ダンジョンは脆いのだ。
下へ降りて行けばいくほど強くなる魔物、階層構造の床はすべてが分厚く隔たれている訳ではない。
場所によっては東京メトロのトンネルくらいギリギリの構造で成り立っている場所も多く存在していて、そんな中でアラタが土の壁を生成しようとしたら、地面がそっくり抜け落ちるなんてことになりかねない。
同様の理由で、火属性の魔術もかなり敬遠される。
一箇所しか入り口が無いダンジョンは通気性がすこぶる悪く、燃焼反応なんて起こした時には空気が薄くなって窒息の危険性が生まれてしまう。
だからアラタには、良く言い聞かせておくのだ。
ここで使用に適さない魔術を使うことは、冗談抜きに死に直結すると。
クエストの依頼書を提出し、ダンジョン管理部署の奥に通される。
そこにはいつぞやの魔窟が待っている。
「アラタと行くのは久しぶりだな」
「死んだとき以来だ」
「もう死なないでくださいね」
「分かってる」
以前は両開きの鉄の扉だったが、今は少し趣が異なる。
まるで地獄の窯の蓋のように、厳重な扉が地面に横たわっている。
その先端には穴があって、そこにアラタの腕より太いロープが巻き付けられていた。
その先は滑車構造で上に吊り下げられていて、先端はさらに地面に戻ってきている。
ウインチで巻き上げるように扉を開くのだろう。
魔物が溢れる可能性を考えれば、この方が封鎖は容易になる。
しかし逆に緊急脱出に手間取ることも考えれば、良し悪しということだろう。
先頭はクリス、次いでアラタとノエル、最後尾をリーゼが務める布陣だ。
「行こう」
ノエルの号令でクリスがダンジョンに足を踏み入れた。
ただいまより、ダンジョン制覇を見据えた彼女たち4人の挑戦が始まるのだ。
4人がダンジョンに入ったことを確認して、重厚な音を響かせながら入り口は閉まっていった。
「明るいな」
仮面を外してクリスはそう言った。
スキル【暗視】を持つ彼女とアラタは初めからその能力を使用していたが、予想外の明かりに面食らってスキルを解除した。
少なくとも以前アラタが潜った時はこんな照明は存在しなかった。
「初心者が増えたんです。だから第1層と第2層では照明を配置しています」
「初めからやればいいのに」
「最近になってギルドが金を持ち始めた影響だろう。まあそれも終わる」
父親から何か聞いているのか、ノエルは意味深にそう言う。
東部動乱の前にギルド内部が帝国に侵されていた件で、彼女はそれとなく大公から顛末を耳にしていた。
本部のあるウル帝国では、帝国よりもさらに東の国との戦争に勝って景気がいいらしい。
どちらかというと戦勝による利益というよりも、戦争負担が軽くなったが故のものに思える気がするが、それは何でもいい。
重要なのは、その時期にカナン公国の冒険者ギルドでも羽振りが良くなったことだ。
明らかに外的要因が含まれているのだが、それが何かまでは掴み切れていない。
本当なら掴めるまで泳がせておくつもりだったニーアルこと帝国工作員も、ノエルがらみで収穫せざるを得なくなったから。
「何か知ってんの?」
不思議そうな顔をしてアラタは聞く。
ノエルがそんなマル秘情報を持っているなんて、リスク以外の何物でもないというのが彼の抱いた考えだ。
アラタですら知らないことを自分が知っている優越感に浸りながら、ノエルはニヤニヤする。
「教えてほしい? ねえねえ」
「鬱陶しい。別に教えてもらわなくていい」
「あっ……あ、あとで教えてあげる!」
彼が不機嫌になったと思ったのか、ノエルは少し口数を減らした。
実際にはそうではなく、単に集中モードに移行しつつあっただけなのだが。
一行は初心者が戦利品を漁っている第1層、同じく初心者が低レベルな敵と戦っている第2層を通り抜け、第3層に到達する。
ここまで4人は交戦どころか武器を抜いてすらいない。
ようやくここからが本番、アトラダンジョンとはそういうところだ。
「今日は第3層だけで終わります。大事なのは連携、くれぐれも突っ走らないように。いいですねノエル」
「何で名指しなんだ」
不服そうに頬を膨らませている彼女だが、リーゼの考えは正しい。
緊急事態以外でそんなことをするのは彼女以外ありえないから。
自分は治癒魔術師として当然ながら、アラタもクリスもそこまで愚かではない。
「会敵即戦闘になります。武器を取って」
アラタ、クリス、ノエルは鯉口を切り、リーゼはメイスを背中からおろした。
以前使っていたものとは違い、殴打部分が人の頭よりもはるかに大きい。
真正面から見たら綺麗に3等分されているように金属板が取り付けられていて、先端は鋭く尖っている。
突き出せば人を貫けるかもしれないほどの鋭利さを見せる武器だが、単純に殴打されただけで人の顔はぺしゃんこになるだろう。
刃物よりも殺意の高い武器を手にしているリーゼに3人の視線が集まった。
「何ですか?」
「いや、かっこいいなって……」
苦し紛れにアラタは言った。
間違ってもゴリラが使う武器とか言ってはいけない。
「さすが聖騎士だな」
クリスも適当にはぐらかす。
「新しい武器なんだな」
今日がデビュー戦らしく、ノエルも驚いている。
ずっと背中に背負っていたが、ノエルは常にリーゼより前を歩いていたから気づかなかったのかもしれない。
リーゼは上品に笑いながら、それを軽く振り上げて肩に乗せた。
「オホホ、今度アラタがしでかしたら、これでゴツンですからね」
「……気を付ける」
我が身可愛さにアラタは委縮する。
あんなもので殴られたら流石に【身体強化】があっても耐えきれない。
「行こう。敵は近いんだろ」
刀を握った男は、そう言って歩き始めた。
※※※※※※※※※※※※※※※
「これは……」
グレイウルフを一頭処理したノエルはその先で刀を振るう男に目を奪われた。
「正直ここまでとは思っていませんでした」
リーゼも同じようで、壮烈な戦いぶりに目を奪われている。
それでも近寄ってくる魔物への警戒心は解いていないところはしっかりしているが、これはそこまで脅威ではない。
第3層と言えば、第4層と第5層、つまり下層に挑戦する前の本格的な戦闘エリアだ。
だから彼女たちクラスの冒険者が躓くような場所ではないし、何ならノエル一人でもなんとかなる。
ただそのためには敵を誘引し誘い込んで倒す、そしてまた逃げてチャンスをうかがうという面倒で安全な立ち回りを求められる。
しかし、アラタはそうではない。
迫りくる魔物たちを一切引くことなくその場で斬り捨て、少しづつ前進していく。
既に返り血で真っ赤に染まった彼の後ろ姿を、ノエルは支援魔術で確保された視界で確認していた。
半年前までは後ろで待機していたはずなのに、今はこうして先頭で敵と戦っている。
その姿が嬉しくもあり、誇らしくもあり、頼もしくもあり、そして悔しくもあった。
なんで逆じゃないのかと、なんで自分は守られているのかと、自分の存在意義が彼女を責め立てる。
気力を消費して剣聖の力を引き出し、全身にくまなく行きわたらせた。
「リーゼ、私も突っ込む」
「支援します」
リーゼは左手でメイスを保持すると、腰からタクトのようなデザインの杖を取り出した。
魔術師としての彼女のポテンシャルを十全に引き出すための魔道具だ。
「行くぞ!」
第3層に蔓延る敵性の魔物は残るところあとわずか。
アラタ、クリスが捌き続ける中に、支援を受けたノエルが突っ込んでいった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「ノエル、もう風呂入って寝ろ」
「ヤダ」
もう夜遅いというのに、庭で素振りを続けるノエルにアラタは溜息をつく。
そういう彼も入浴前で腰に刀を差しているところから、これから練習に勤しむことが見て取れる。
彼が言っても説得力に欠ける。
「急にやっても変わんねえよ」
アラタは抜刀し、素振りを始めながら自説を説く。
大会前に焦って居残り練習をする類の人間が、彼は嫌いだった。
「今から始めなきゃ、近い将来また同じ想いをする」
「それはそうだけどさ」
時刻は夜11時。
彼の予定では今から少し汗を流して、それから風呂に入って就寝したい。
ノエルが風呂に入らないままだと予定が狂うのだ。
だから彼は早くノエルの練習を終わらせたかった。
しかし彼女からすれば、アラタが練習している時に自分があがるなんて考えられない。
鍛えなければ差はどんどん開くというのに、どうして先にやめることができようか。
無言で素振りは続けられている。
夏の背中が見えてきた春の終わり、夜も少し暖かい。
湿度が上がってきて蒸し暑くなってきたこの頃、汗は留まるところを知らずに流れ落ちる。
降参したのはアラタの方だった。
「俺今日は終わるから。風呂待たされてもゴネるなよ」
「うん、お疲れ」
刀を仕舞った男は屋敷の中へと戻っていった。
その背中を見送り、少女はまた剣を振る。
今日のクエスト、彼女はアラタに負けた。
味方なのだから勝ち負けではないという意見もあるが、仲間は最も身近なライバルである。
日常的なやり取りの中にも確かに勝敗は息づいていて、2人ともそれをよく分かっていた。
特にアラタの方は、その戦いを潜り抜けて高校野球のエースになっている。
味方に負けたくないと思うのは至極当然の思考回路だった。
それ故に、今日は眠れそうにない。
【剣聖】という才能の上に胡坐をかいていた彼女を、クラスも持たない男はあっという間に抜き去ってしまった。
今日それを嫌というほど突き付けられて、ノエルは気が立っている。
守りたい、役に立ちたい、負けたくない、そういった感情は両立しうる。
「…………ぁあっ!」
一際鋭い一太刀が、闇夜を斬り裂いていった。
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