第250話 降格処分
布団を敷いてもらって就寝したアラタが、床を汚すことは無かった。
朝目が覚めて、布団を畳んで警邏機構を後にする。
留置場も兼ねているこの場所は、彼にとってなじみ深い。
「お世話になりました」
「もう来んなよ」
まるで服役していたかのようなやり取りに、彼と守衛は笑った。
そういったネタは世界が変わっても通じるらしい。
彼の装いは、裾が少し短い緩めのズボンに、七分袖のこれまたゆったりとしたシャツ。
色は上が白で下が灰色。
返り血で汚れきった私服は貰った袋の中にしまっている。
刀を仕舞っていた袋をアラタは諦めていた。
というのも、襲撃を受けた際にその場に放置したままだったから。
そこまで高いものでもないし、また新しいものを買えばいいと思っていた彼の元に、警邏の人間はそれをわざわざ届けてくれた。
彼らも夜に出動させられて、しかも死体の片づけをさせられたというのに、アラタが袋を忘れたとこぼしたことを覚えてくれていたのだ。
ということで、服以外は特に買い替える必要は無い。
黒装束のような高価なものでもないので、汚れた服はもう捨ててしまうつもりだ。
午前10時、アラタは家に帰ってきた。
「……ただいま」
小さな声だったが、反応して誰かが出てくる。
「八咫烏の隊長が朝帰りとは、平和ボケしたものだな」
出会い頭に皮肉ってくるようなやつは、この屋敷にはひとりしかいない。
「他の皆は?」
「シルは買い物で外に出ている。2人はギルドに殴り込みだ」
「本当に?」
ギルドに向かったことまでは信じているアラタは、言葉の正確さを求める。
物理で殴りに行ったのか、抗議しに行っただけなのか、という違い。
「抗議だ。また指名クエストが入ったからな」
「クリスは?」
「馬鹿馬鹿しくて付き合いきれない。冒険者に固執する理由が分からない」
「それは俺もそう思う」
アラタもクリスも、冒険者がそこまで魅力的な仕事に思えなかった。
金払いがいいくらいで、危険な仕事であることは変わらないから。
それならどこかの店の店員として雇われている方がいい。
明らかに堅気には見えない彼らにそれが務まるのか疑問ではあるが。
「行ってやったらどうだ」
「どこに?」
「ギルドだ。2人はお前のことを考えてくれている。いつまでのヒモというわけにはいかないだろう?」
「なんだ、知ってたのか」
「あまり感心しないな」
クリスは腕を組んで指をトントンさせている。
少しイラついている時の癖だ。
なんでこいつが憤るのか、アラタには理解できない。
関係ないだろうに、そもそも2人は特配課の仇だろ、そう言いたくなったところを飲み込んだ。
出来る限りこの話はしない方がいい、お互いの為に。
アラタは刀と袋を下ろして、靴を脱いだ。
靴の向きを揃えると、再び荷物を持って階段を上がろうとする。
「誠実さには誠実さで返すべきだと思う」
「俺が? 誰に?」
「言わなくても分かるだろう。ノエルだ」
今日のクリスは説教臭いと、アラタは嫌な顔をする。
話をすり替える為に、昨日のことを口にした。
「昨日の夜襲撃を受けた」
「だから服が汚れたのか?」
「そ。向こうはユウがしたことまで俺らのせいだと思ってる。お前も気ぃ付けろよ」
「承知した。だがさっきの話とは——」
「くれるっていうから貰っただけ。その話はもうすんな」
そう言うと、アラタは階段を登って行った。
背中に彼女の冷ややかな視線を感じながら。
部屋に入り、床に荷物を放り捨てる。
ガシャンと刀が鳴り、やがて静まった。
ベッドに寝転がっても、今は眠くない。
「何もしたくない」
そう呟くと、アラタは布団を被った。
※※※※※※※※※※※※※※※
昨日ダスターが言ったように、貴族院からの命令でも冒険者ギルドは承服しない可能性が高い。
それは元来のギルドの性質にある。
冒険者ギルドとはウル帝国に本部を置く国際組織であり、厳密には国家の持ち物ではない。
したがってどの国でもギルドには広い裁量権と、高い独立性がある。
これを取り込むために、レイフォード家は薬物を蔓延させて、支部長だったイーデン・トレスを懐柔した。
つまり、元々ギルドと国の仲はそこまでよくないのだ。
こうしろと頭ごなしに命令されて、はいそうですかと素直な反応を見せる組織ではないのだ。
アラタ、クリスが支部長殺しに関わっていたことは割れていて、それを恨んでいるギルド職員からの嫌がらせが発生した。
この件に関して、貴族院や各貴族家はさしたる解決手段を持ち合わせていない。
しいて言うとすれば、自分の影響力の高い冒険者、ハルツやレイヒム、ノエルを介して抗議するくらい。
そして、ノエルは頼まずともこうしてギルドにカチコミをかけていた。
ぎゃあぎゃあと騒がしい声がする。
カウンターでノエルが騒いでいるのだ。
「だから! 支部長を出せ!」
「支部長は留守にしています」
「嘘だ! さっき2階に上がっただろう! 見ていたぞ!」
「留守にしています」
「ぐぬぬ……」
今にも爆発しそうなノエルを、リーゼは後ろから見つめていた。
そこには叔父であるハルツもいて、事の成り行きを見守っている。
本当はハルツもギルドに厳重抗議をしに訪ねてきたのだが、ノエルのあまりの剣幕に出る幕を失っている。
本当に怒っていて、今にも剣を抜いて斬りかかりそうなのだ。
そうなったとき止める役が必要だと、彼らは後ろで控えている。
「恥ずかしいとは思わないのか!」
怒号が響き渡る。
「分かりかねます」
職員の態度はいたって冷静である。
上からそう対応するように言われていて、ただ職務に忠実なだけなのか、それとも職員も同調してこのような態度を貫いているのか。
いずれにせよ、不当なことを不当だと認識していながら、それに殉じるのは間違いなく間違っている。
鬼のような形相で顔を真っ赤にしているノエルの血管は今にもはちきれそうになっていた。
ギルドにいた冒険者たちも少し引いている。
剣聖の暴走の件は誰もが知っていて、大なり小なり彼女のことを恐れている。
それはコントロールに成功した今も同じで、ノエルは少し浮いている。
そんな彼女がまた得体のしれない奴を連れてきて、こいつは自分の仲間だから仲良く同業者として接するようにと言った。
真っ黒で不気味な2人組は、聞くところによると貴族院の切り札だったらしい。
しかも実は前支部長イーデン・トレスを殺害したのは彼らだという話まで出てきた。
どこからそんな話が漏れたのか、今となっては分からないし真偽のほども定かではない。
しかし、気味が悪い新参者から彼らが距離を取ったことを責めることは間違っているし、そんな彼らからすれば、触らぬ神に祟りなしというやつだ。
ギルドとの仲が険悪なルーキーに肩入れする要素は何もなかった。
「クエストを受けないようであれば、依頼のキャンセル手続きをしてお引き取りください。後ろかつかえていますので」
ノエルの怒りはとうに限界点を超えていた。
すました顔でアラタを仲間外れにするこの女を、彼女が許せるはずもない。
やっとの思いで元に戻れたのに、貴様らのせいでアラタはまた傷ついてしまった。
そんな負の感情は、彼女の中に巣食うもう一人の彼女の力を呼び覚ます。
人格は抑え込んでいても、溢れる剣聖の力は別問題。
いけ、やれ、そう叫んでいる。
仲間を守るという口実につけこんで、剣聖の人格が力を流し込んでくる。
「報いを受ければいいんですよ」
ぽつりと零れた言葉に、堪忍袋の緒が切れた。
「ノエル!」
頭を掴み、思い切りカウンターに叩きつける。
台は木材で構成されているから、ぶつければ痛い。
当たり前の結果として、受付職員の鼻から血が出た。
掴まれた髪は勢いで数十本抜けてしまう。
それでも掴み続けるノエルの左手が、今度は彼女の頬をはたいた。
「最後の言葉はそれでいいんだな」
カウンターの上に飛び乗ると、左手で首を掴み、右手を離した。
引きちぎれた頭髪が舞い落ち、職員は苦しそうにもがき苦しむ。
ノエルの右手は、左腰に提げている剣に伸びる。
「ノエル様を止めろ!」
ハルツはパーティーとリーゼに号令をかけた。
タイミング的には少し遅いまである。
彼も、少しくらい痛い目に遭えばいいと思ったのかもしれない。
「駄目です! 止まってください!」
リーゼが剣の柄を抑える。
刃物さえ出なければ早々死ぬことも無いだろうから。
「気を静めてください!」
ハルツは乗るの腰に抱きつき、台から引きずりおろそうとする。
次いで彼の仲間も職員を救出しようと彼女の手にとびかかった。
リーゼが抑えているから剣は抜かないとして、このままでは窒息してしまう。
「ゴホッ、ゴホッ、オェエ! フゥー、フゥー。ゲホッ」
レイン、タリア、ジーンの3人がかりで、ようやく引き離すことに成功する。
そうなれば、ひとまず命の安全は確保された。
「ルーク! 早く来い!」
ハルツのパーティーで斥候役をこなしているルークは、遠目に見守っているだけで動こうとしない。
やる気が無さそうに、手を頭の後ろで組んで壁にもたれかかっている。
「断る」
「いいから!」
「俺ァここの奴らが気に食わねえ。やることが
「何の話だ!」
「今は言わね。言ったらノエルちゃんが暴走しちまう」
「どういうことだ! 教えろ!」
ハルツが怒鳴っても、ルークは応じようとしない。
あいつは放っておくことにして、男は目の前の少女を何とかする方向に全力を傾ける。
「ノエル様! 気持ちはわかりますが抑えて!」
「嫌いだ! お前らなんて嫌いだ!」
「謝罪してください! 今ならまだ間に合いますから!」
職員は命に別状はなさそうで、リーゼは安堵する。
もし今よりも危ない状況だったとしても、自分を含めた治癒魔術師2名で当たれば大概何とかなるとは思っていたが。
鼻血を垂らしながら、対応に当たっていた職員が立ち上がる。
首元にはうっすらとだが痕がついていて、ノエルが本気だったことが推察できる。
「許さない」
殺した方が楽だったかもしれんと、ハルツは思った。
ギルドが国際組織で国の下に付く組織ではないにしても、カナン公国の法律には従わなければならない。
その観点で見れば、貴族、それも大公の娘であるノエルに対して無礼な行動の数々、手討ちにしても多分無罪だ。
これは完全に貴族の特権だが、それほどこの国における貴族という存在は重い。
中途半端に生かすくらいなら、自分が手討ちに処してしまえば良かったと、のちにハルツは後悔する。
職員は立ち上がり、ノエルを指さして宣言した。
「冒険者ノエル・クレスト。貴方の行為をギルド規定違反として認定し、Dランクに降格処分とします」
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