第230話 今更

 見たことない靴が2足。

 両方とも黒のブーツで、ボロボロ。

 一目で確信した。


 そしてノエルは走り出した。

 靴を脱ぎ捨て、荷物を放り出し、廊下を走った。

 この先に、ずっと探していた人がいる。

 そしてそれを目にした時、ノエルの頭はフリーズした。

 色々と言葉を考えてきたはずだったが、今となってはそんなもの頭のどこにもなかった。

 とりあえず、名前を読んでみようと口を開く。


「ア、アラタ……あのね…………」


 口が乾燥して、うまく舌が回らない。

 それでも一言発したら、少し楽になった。

 でもそれは喉の調子だけで、言葉が思い浮かばない。


「ひ……久しぶり」


 それがノエルの第一声だった。


「………………」


 彼は応えない。

 軽く会釈をするだけだ。


「あの——」


「先生、ドレイク殿と話がありますので、失礼します」


「あ……敬、分かった」


 ずっと行方をくらませていて、それが仲間に対する態度かと、リーゼは問い詰めたかった。

 ただ、アラタの背後にいる女性が、こちらを注視している。

 なぜか食器を手にしているが、ただものでは無い雰囲気。

 こちらを敵視しているようにさえ見える。

 それに、アラタの目つきも、リーゼが話しかけるのを躊躇わせた。

 濁った汚泥のような、深い闇を溢している。

 それだけで何があったのか、それとなく想像できる。


「お二人とも、今日の所はこれで」


 間にドレイクが割って入ることで、再開のファーストコンタクトは終了した。

 アラタとノエルがどうこうというより、互いの背後に控えているリーゼとクリスが不穏な空気を醸し出していたから。

 クリスからすれば、2人は特殊配達課の仇だ。

 そしてその空気感に充てられて、リーゼも少し気が立っている。

 これ以上エスカレートしたら、ドレイクが実力行使に出ざるを得なくなるところであった。


 ドレイクはノエルとリーゼを帰し、居間へと進んだ。

 彼の話では、メイソンと猫のダイフクは彼の実家に戻っている最中だという。


「では、報告を聞かせなさい」


 一応リャンから話を聞いていた彼は、アラタの話をすんなりと理解することが出来た。

 彼の話は主観的で、自分の責任について過剰なまでに言及し、聞き手としては少しわかりづらい部分も多々あった。

 やはりクリスの口から聞けばよかったかと、ドレイクはアラタの隣に座る彼女に目をやった。

 しかし彼女はというと、アラタが悔しそうな顔をするたびに同調し、強く拳を握り締める。

 きっとどちらに聞いても同じような説明しか出てこんな、と彼は諦念した。

 そして、絶望的な戦いの後、エリザベスの魔物化、アラタによる斬首、アトラ帰還、レイフォード家にて不可解な爆死に遭遇したことに話が繋がっていく。

 この辺りに関しては新しい情報であり、ドレイクは興味を示した。

 人間が魔物化した報告はリャンの話でもあり、それと似た現象がレイフォード家でも発生した。

 そして、背後にユウなる存在がいることも。


「結局、任務は失敗しました」


 その一言で報告は締めくくられ、アラタは口を閉じた。

 エリザベス捜索から返って来たばかりで、碌に休息も取っていなかったドレイクは、アラタとクリスに暇を言い渡した。


「今までの報酬は用意してある。確認したら自由にしなさい」


 その言葉に、2人は立ち上がった。


「今までお世話になりました」


「いつかまた、食べ物を貰いにやってくる」


 そうして2人は荷物をまとめて出て行った。

 一人残された老人は、水の入ったコップを手に外を見た。

 こんなにも過ごしやすい日だというのに、今日はもう外に出たくない。

 高齢だというのもあるだろうが、少し疲れた。

 彼も任務に失敗した身で、思い通りに事が運ばなかった。

 それなりに計画を立て、準備して、大公選に臨んだのに、うまくいかなかった。


「ままならぬものよ」


 そう言うと、コップの中身を空にして、男は寝た。


※※※※※※※※※※※※※※※


「チッ、こういうことかよ」


 アラタの舌打ちが城門近くに響いた。

 入城時に不正に検問をパスした2人だが、公爵からの報酬も貰ったことだし、大手を振ってこのアトラの街を後にできると考えていた。

 しかし、そうはうまくいかない。

 一度目は、公爵の命で止められていると出城を拒否され、黒装束を使って外に出ようと再トライした時には、全ての城門が閉じられていた。

 他の物流もあるだろうに、そこまでするかというのがクリスの感想だ。

 彼は、2人をこの町の外に出したくないらしい。

 何が物分かりの良さをアピールしたいだ、とアラタは唇を噛んだ。

 ノエルがやって来て、何かを言い出そうとしていて、この町から出ることが許されなくて、そのために厳戒態勢まで敷く始末で、意図が見え見えである。


「出直そう。俺はいくところが出来た」


 エリザベスを連れて脱出した時みたいに、夜に城壁を登ることも出来なくはなかった。

 ただ、あの時八咫烏は一般の兵士を一人殺害している。

 状況的に不問に付されたが、今回やれば流石に無視できないだろう。

 彼らはもう、国家権力に裏打ちされた無法者ではない。

 違法行為を働けば、働かなくても何らかのいちゃもんを付けられれば、それなりの武力でも以て制圧される、ただの一個人でしかなくなった。

 クリスをドレイクの家に送り、その足でアラタは街の中心部へと歩みを進める。

 目指すは当然、クレスト家の屋敷だ。


「アラタです。アラン・ドレイクの使いで参りました」


「旦那様はお出かけになっており、お会いできません」


「………………チッ」


 見え見えの居留守を使いやがって、と小石を蹴飛ばした。

 それが家の塀にぶつかり、警備に睨まれる。

 頭に血の登っていたアラタは、『やんのか』とばかりに近づいたが、なんだかアホらしくなって帰ることにした。


 もう、どうでもいいことだ。


 出れなくても、スキルホルダーを探すことは出来る。

 そう言い聞かせて、ドレイクの家に戻った。


「すみません、ただいま戻りました」


 別れの挨拶まで済ませておいて、何となく気まずいアラタは敬語でドレイクに向かって声をかけた。

 そして鍵のかかっていない玄関を開けると、彼は躊躇する。

 行くか、戻るか。

 玄関にはクリス、ドレイクに加えて2人分の女性の靴があり、奥の方では何やら言い争う声が聞こえる。

 絶対面倒なことになっている、そう分かっていても、声の主に心当たりがある以上無視出来ない。


「……いい加減にしてくれ」


 めまいがする頭を押さえて、アラタは廊下を歩く。

 居間に入る前に、ドレイクとすれ違った。


「災難続きで悪いが、あとは任せた」


「先生、止めてくださいよ」


「無理じゃ」


 相変わらず無責任な爺だと、辟易とする。

 扉の向こうからは、眼帯女と金髪女が言い争う声が聞こえてきて、それだけで頭がガンガンと痛む。


「だから知らないって言っているじゃないですか!」


「そんなわけあるか! 早く私たちを解放しろ!」


「クリス、ストップ」


「ダメだったか」


 頭を振り、公爵には門前払いされたと伝える。

 それを聞き、それ見たことかとクリスが噛みつく。


「私たちには休みが必要なんだ、これ以上アラタを苦しませるな」


「そんなつもりじゃ……」


「リーゼ・クラーク。私はお前たちを許していないからな」


 アラタが帰ってくるまでに随分と言い争いはヒートアップしていたようで、クリスはもう爆発寸前だ。

 元々恨みのある間柄、いつ彼女が短剣を持ち出すか分かったものでは無い。

 特配課の因縁について、アラタは非常に難しい立場にいる。

 ドレイクにいいように使われ、全滅に加担した。

 だが、彼は彼らが悪い人間ではなかったことも知っている。

 信頼に値する優秀な仲間たちで、ほんの短い時間だったが、ともに命を懸けた。

 それを討った冒険者たちもアラタは知っていて、彼らもまた、悪い人間ではないことを知っていた。

 彼らはクエストを受けて、非合法組織を誅罰しただけだ。

 クリスの痛みも分かるし、リーゼのどうしようもない気持ちも理解できる。

 それに、彼女の様子からして、2人は本当に閉じ込めに関して知らないみたいだった。

 そして、クリスの怒りはピークに達する。


「大体にして、お前たちがアラタにしてきたことも許していないからな」


「な、何のことですか」


「とぼけるな! こいつが私たちの世界にやって来たのは、そこの剣聖が暴走したせいだろうが! 貴様がアラタを傷つけなければ、こいつは冒険者を続けていたはずだった!」


「クリス」


「背中の傷を見たことがあるのか! 一歩間違えれば死んでいたぞ!」


「クリス」


「お前らにアラタを誘う資格なんて——」


「クリス、もういいから寝ろ」


 肩を掴まれた彼女は、後ろを振り返る。

 そこには当然アラタの顔があるのだが、問題なのはその顔だ。

 冬の風のような、冷たい表情。

 彼がそんな顔をするときは、大抵戦闘中、それも腹に据えかねている敵と戦っている時が多い。

 そんな表情を初めて向けられて、クリスが固まる。

 リーゼも、ノエルも、場にいた3人はアラタの圧に気圧されて硬直する。


「疲れてんだよ。少し休め。俺は大丈夫だから」


「だが…………」


「先生にも頼んでみる。とりあえず荷ほどきして、な?」


「……分かった」


 絵にかいたような不承不承と言った様子で、クリスは奥の部屋へと引っ込んでいった。

 ドレイクはどこかに逃げたきり音沙汰なし、クリスは熱くなってまともな会話は出来ない。

 いつまで経っても、俺はこんな役回りだと溜息をつく。


「あの、アラタ」


「何ですか」


「そんな他人行儀な……。アラタ、私頑張ったんだ」


 いつになくしおらしいノエルを前に、調子が狂う。


「剣聖の力も制御できるようになって……いや、まずはごめん。あのね、私は、アラタにずっと謝りたかったんだ。ごめんね。傷つけて、迷惑かけて、文句ばかり言って、無神経で、ごめんね」


 ついて出てくる言葉はどれも本心で、彼女の偽りのない心の声だ。

 だが、それをもってしても、アラタからすれば、色んな意味で『今更』という気持ちが強い。


「とりあえず今日は帰ってください。俺も疲れたので」


 体の至る所に包帯や止血用のガーゼが貼られていて、今すぐちゃんとした治療が必要だと分かる。

 特に治癒魔術を使えるリーゼはその重大さが身にしみてわかっている。

 しかし、今のままではきっと治療を受けてくれないだろう、とリーゼは思った。

 それほど自分たちと彼の距離は離れてしまったと、このやり取りで実感したから。


「分かった。また来る」


 そう言って玄関へ向かうノエルを、アラタは何も言わずにただ見送った。

 もう来るなとも言わず、待っているとも言わず、ただ、見送った。


「やっと帰ったか」


「そうだな。風呂入ってくる」


 その後ろ姿は、特配課が壊滅して2人だけになってしまった時と、同じようにクリスには見えた。

 大切なものを失くした直後の、悲しそうな彼の背中だった。

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