第221話 永遠の愛を誓うよ

「私、【時空間転移】を持っているの」


 それは、神の恩寵であり、神の呪いでもある。

 ひとたびそれを手にすれば、元には戻れない。

 それが良い方向だろうと悪い方向だろうと、もう引き返すことは叶わない。

 エリザベス・フォン・レイフォードが、時系列的に面識のないはずの千葉新を知っていた理由。

 その上で、彼に執着した理由。

 全てが、そのスキルによるものだったとは言わない。

 力を使って日本に行っても、彼のことが気に入らなければこうはならなかったから。

 だが、偶然というか必然というべきか、元は同じ人間なんだから、ある程度好みも似通う。

 そういう意味では、このスキルと彼女は最低最悪の組み合わせだった。


「何でそれをいま口にした」


 呆然としているアラタの隣で、クリスは震えていた。


「何故伝えた! 墓まで持っていけばよかったのに!」


 彼女が噛みついたのは、アラタの気持ちを思えばこそ。

 こんなこと、彼が知るべきではなかった。

 明かされた真実に、クリスも頭がおかしくなりそうなくらい、動転している。

 でも、隣にいるこの男よりはましだろうと、まだ平静を保てているだろうから、代わりに叫ぶのだ。


「エリ! 何とか言え!」


「……だって、悔しいじゃない」


 彼女は、とうの昔に壊れていた。


「向こうの私は、何不自由なく暮らしていて、頭も良くて、友達も多くて、綺麗な体で、好きな人がいつも隣にいてくれる。そんなのずるいよ。私には何もないのに。あの女ばかり、それでも、あいつが新と再会しなければ、まだ許せた。でも、2人は出会っちゃったんだから、仕方ないよね。向こうの私は、卑しくも、傷心の新に近づいた。それで距離を縮めて……私は私が嫌い、大嫌い。だったら、せめて新だけは、アラタだけは、私のものであり続けてほしかった」


「自分勝手にも限度が——」


「クリス、もういい」


「だが………………」


「もういいんだ。黙っててくれないか」


 頼む口調とは裏腹に、黙れという言葉が、いやに重くのしかかった。

 アラタは立ち上がると、もう少しだけ檻に近づく。

 2人は木材を隔てて数十センチの距離にいて、これさえなければすぐに肩を抱き寄せ合うだろう。


「本当は、初めから分かっていたのかもしれない」


 そう彼は笑いかけた。


「オークション会場で初めて会った時、何となく分かっていたんだ。この人は、良い人じゃないって。だって、あの格好でオークションを潰しに来たってのは、少し無理があるだろ?」


「そうね」


「でも、言い出せなかった。素顔を見て、ますます言うことが出来なかった。俺にとってエリーは、遥香を思い出すことが出来る、唯一の人だったから」


「妬けちゃうなあ」


「でも、それが本心だ。入り口はそれだった。でも、言ったじゃないか。確かに始まりはそうだったかもしれないけど、もう重ねることはやめるって。俺は、エリーのことが好きなんだって。隠し事多いし、何考えてるかわかんねーし、性格悪いし、人に厳しいし。でも、俺は君のことが好きなんだ。だから、呪いの言葉を吐くのはもうやめてよ」


 歪んだ愛。

 おおよそ健常ではない、明らかに病んでいる、病的なまでに行き過ぎた愛情。

 共感しろという方が無理があるし、この物語はきっと美談にはならない。

 だが、それが、彼らの人生だ。

 彼らは、物語を美しく着飾ろうとなんてしない。

 確かに、人生は美しい方が好ましいけれど、そんなことよりも優先したいことが、彼らにはあったから。

 例え国賊と言われても、犯罪者となっても、命を狙われても、後ろ指をさされても、アラタとエリザベスは、互いに心が通じてさえいれば、それでよかった。

 だから、彼らの中では、これでいいのだ。


「アラタ、ごめんね」


 声が絞り出された時、涙は溢れていた。

 絞り出さずとも、何もせずとも、勝手に溢れてきて仕方がない。

 ポロポロと、水滴が木の床板に吸い込まれていく。

 それは後悔の念から来るものなのか、嬉しさから来るものなのか、顔を見ればわかる。

 それはきっと、後悔の念だ。


「醜くてごめんね。だって、悔しかったから。私が死んだあと、アラタが他の誰かと一緒になるなんて、絶対嫌だったから。いつか忘れられちゃうかもしれないのが、一人ぼっちになるかもしれないのが、嫌だったの。ごめんね、我儘で、性格悪くて、ごめんね」


 謝罪を連呼しながら泣き崩れる主の姿は、クリスに少なからず衝撃を与えた。

 エリザベスでも、こんなになるものなのかと。

 死とは、こんなにも残酷なのだと。

 それが間近に迫れば、人は何も隠すことが出来ない。

 高く張った心の壁は脆くも崩れ去り、生まれたままの自分の心だけがそこに残る。

 感情を吐露するエリザベスを前にして、クリスは立ち尽くしていた。

 そして、アラタは再び愛を紡ぐ。


「忘れない。エリーのことは、一生忘れない。一生愛し続ける。他の誰かなんてそんなもの、もう要らない。誰かのものになる心配なんてしなくていい。ずっとずっと、俺はエリーだけのものだから。だから、ここで誓うよ。俺は、君のことをずっと好きなままでいる。俺は、エリーに、永遠の愛を誓うよ」


 その彼の言葉は、檻を通り抜けて確かに彼女まで届いた。

 ユウ渾身の牢獄でも、音までは遮断しないから。

 想い人の愛の誓いは、エリザベスの心を浄化する。

 じゃあもともと汚れていたんじゃないかっていうことになってしまうが、正直なところ彼女の心中はのどぐろのように真っ黒だ。

 他人を妬み、嫉み、羨望し、渇望し、あらゆる手段を尽くしてそれを解消する。

 そんな女性が、エリザベスという人間だ。

 しかし、時に人は、自分の行動さえ自分で決められなくなる。

 それは意思決定や思考も同様で、自己意識に基づいているつもりでも、人間という生き物は環境や他人に左右される。

 そんな鎖を断ち切り、元に戻すのは、やはり愛する者の言葉なのだろう。

 彼女とて、本心では仕方のないことだと思っている。

 これから死にゆく自分がいくらごねたところで、それはアラタの為にならないことくらい、初めから分かっている。

 彼はいつか他の誰かと結ばれたり結ばれなかったり、そんな関係になってしまう。

 それは生物的に自然なことで、それに抗うのは並大抵のことではないし、アラタにそんな苦しみを背負ってほしくなかった。


 だから、最後は笑って見送ろう。


 そう思い、彼女は涙を拭いた。


「いつか貴方が、私以外の誰かを愛せますように。いつか貴方が、私以外の誰かから愛されますように。いつか貴方が、好きな人の隣で、心の底から笑えますように。私はそれを、心の底から願っています」


「……さっきと真逆、滅茶苦茶じゃないか」


「今の言葉が私の本心よ。嘘ばかりついてきた私の、本当の気持ち。どう、信じられる?」


「信じるよ。そのうえで、エリーだけを愛してる」


「もう、それじゃ意味ないのに」


 そう言った彼女の口の中で、鉄の味がした。

 あーあ、もう時間か、そう思う。

 もっとお話ししていたかったのに、もっと一緒に居たかったのに、結局一度も体を重ねることも出来なかったのに。

 そんな後悔が、彼女の中に渦巻いていく。

 だが、それだけではない。


 最後に本心を伝えられてよかった。

 醜い部分も、清いと思える部分も、ぜんぶ全部。

 それでいて、嫌われなくて良かった。

 たとえ口先だけの言葉だったとしても、アラタから貰えた『好き』の言葉は嬉しかった。

 それだけで、私は生きてきた意味があったと思える。

 何もかもがグッチャグチャの、この世界に生まれ落ちて、ありとあらゆる負の側面を味わってきた自負がある。

 汚いと言われることは、ほぼコンプした。

 いくら見た目を着飾ったところで、汚れたこの体をアラタに見せるわけにはいかない。

 それくらい、私は汚らわしくて、いやらしい人間だ。

 そんな私も、全然普通じゃなかったけど、最後に恋が出来て良かった。

 随分と減っちゃったけど、家族と呼べる人が一人でも生きていてくれて、本当に良かった。

 クリスには、もう次の居場所があるから、だから泣かないで。

 あなたが悲しそうな顔をすると、慰めてあげなきゃって思うじゃない。

 もう私の手は届かないから、自分で何とかするか、隣にいるアラタに涙を拭いてもらいなさい。

 言っておくけど、アラタは私の人だから、アラタの手を借りるのは、特別なことなんだから、そこのところ忘れないでほしいわ。


「エリー、一体……ユウに何されたんだ」


 彼女の口に血が溢れたのは、気管が破損したから。

 そしてその理由は、体の組成を目まぐるしく、急激に組み替えたから。

 そんなことをすれば、人体は人体ではなくなる。

 豚の心臓を移植しても人間は人間でいられるが、これはそんな生易しいものでは無い。


「本当は【時空間転移】を使ってアラタを送り届けたいけど、もう私は人間ではないの。元の体じゃないの。だから、スキルがうまく動かないんだ」


「元の世界なんてどうでもいい! 誰にやられた!」


 服を破り、膨張し続ける彼女の肉体は、人間の肌の色を踏襲していない。

 緑をベースに黒く変色して、それがいったい何なのか、アラタには見当もつかない。

 そしてクリスにも、その正体は分からなかった。

 ただ一つ言えるのは、彼女の体は、半ば魔物と化していることだけだった。

 魔物とは、体内に魔石を生成する可能性を持つ生物の総称。

 魔石は魔道具の動力源となったり、ポーションなどの魔力促進剤の材料や、それそのものとして利用される。

 人間の体にも魔力が流れているが、その体内に魔石が生成されることは無い。

 なぜだか理由ははっきりせず、研究が進められているが、実験を行うためには倫理観が邪魔をする。


「お婆さ…………」


 あとは言葉にならなかった。

 肉体が変質したことで、声帯の仕組みが変わってしまったのだろう。

 朧げになりつつある意識の中で、エリザベスは魔道回路付きの牢を内側から破壊した。

 能動的に壊したというより、膨張する体積に囲みが耐えきれなくなったという感じの方が近い。

 そして、それが外れたことにより、アラタ達にも変化が表れた。

 手元に感じる違和感。

 今はもう、きつくない。

 2人が違和感を覚えて数秒後、何もしていないというのに、彼らを縛っていた縄がひとりでに解けた。

 まるで、『思う存分戦うと良い』と言っているように。


「は…………はは…………」


 何だこれ。


 アラタは、考えることをやめた。

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