第220話 恋は時空を超えて

 ユウは、その場を後にした。

 やるべきこと、話すべきことは既に終えたから。

 彼はこれから、アトラに戻ってやる事がある。

 カナン西部の基地を後にして、馬で走ること数日。

 そこである事を行って、彼の仕事は完遂される。

 だから、ここにもう用は無いのだ。


「エリー、今助ける」


 八咫烏たちは一様に立ち上がり、檻に駆け寄った。

 今、馬のいななきが聞こえたから、奴はもうこの場にはいないと、全員分かっているから。

 両手は拘束されたまま、だがやりようはある。

 ユウは彼らを回復させて出て行った。

 魔術は使えなくても、魔力操作がうまくいかなくても、こんな木の檻一つ、壊してみせる。

 そう意気込み、彼らは檻の破壊を試みた。

 蹴って、蹴って、蹴りまくって。

 他に使えるものが無いのだから、仕方ない。

 彼らが破壊を試みる度に、それは揺れ、中にいるエリザベスに衝撃が伝わる。

 彼女はというと、まるで全てを受け入れているかのように、微動だにしない。

 まるで、この後どうなってしまうのか、未来が見えているように。


「くっそ。リャン! 【魔術効果減衰】!」


「使っているんですが……効きません」


「キィ! 武器はあったか!」


「全員分見つけた!」


「貸せ!」


 アラタは後ろ向きの手で、刀の鯉口を切った。

 それに続いて、他の3人も刃物を持つ。


「施錠……じゃないな。単純に組み上げたのか」


 彼女を閉じ込めている木製の檻には、錠前という物が存在しなかった。

 しいて言うなら、この檻そのものが鍵の役割を果たしている。

 エリザベスを床板の上に配置し、それから材料を組み立てていく。

 そうすることで、出入り口の無い完璧な牢獄が完成する。

 一般的な囚人収容施設と異なり、初めから中の人間を出し入れすることを想定していない造り。

 これを破壊するには、どこか一つか二つ、格子を外す必要があった。


「アラタ、この木組み自体が魔道具のようになっている。私たちの手錠と同じものみたいだ」


「くっそ、じゃあ先に手錠を外せ!」


 未だ何か時間制限らしい兆候は無い。

 しかし、ユウがそこまで余裕はないと言い切ったのだ。

 出来る限り早く、彼女を檻の外に出さなければ、何が起こるか分かったものでは無い。

 クリスはアラタの、キィがリャンの手に付けられたロックを外そうと試みた。

 きつく結ばれていると言っても、所詮は紐。

 本来なら解くなり、燃やすなり、斬るなり、出来ることはある。

 しかし、そうは問屋が卸さない。


「くっ、開け、開け、開け!」


「早く!」


「やっている!」


 長い時間張り付いたままになっていたシールをはがすときのように、2人はカリカリと爪で結び目を緩めようとする。

 しかし、そんなやわな造りをしているのなら、ユウは結末を見届けずにこの場を後にしたりしない。

 魔術が使えればいざ知らず、生身の状態で、拘束した人間の魔力を糧に稼働するこの魔道具を攻略することは不可能だった。

 一同に、大きな壁が立ちはだかる。

 ユウという、白髪の男。

 奴一人に、たった一人の人間に、全てをひっくり返された。

 八咫烏が少人数で大公選をひっくり返したように。

 彼らも、一国の行く末を左右するには、少し規模が小さすぎた。

 だが、それを成し遂げたと思ったら、さらに小さい規模の個人に全てを台無しにされるなんて、夢にも思わないじゃないか。

 日本のあった、アラタの元居た世界と違って、スキル、クラス、魔術があるこの世界では、時に個の力がその他大勢を圧倒することがある。

 訓練された精鋭たちを、無名のたった一人の人間が、壊滅にまで追い込むことが、往々にして存在するのだ。

 やがて、拘束を解こうとする音と、動きは止まった。


「おい、クリス」


 アラタは、早く解けと、続けろと催促する。

 自分は早くエリザベスを助けなければならないから、止まっている時間なんて1秒も無いから、そう言っている。


「…………無理だ」


「いいからやるんだよ!」


「無理なんだ! ……もう、無理なんだ…………」


 彼の背後で、崩れ落ちる音がした。

 振り返ると、そこにクリスはいなかった。

 下を見下ろして、ようやく見つけた。

 クリスはへたり込んでいて、両手を縛られたまま、泣いていた。


「すまない。この拘束は、外せない」


「~~~っ! 諦めんなよ!」


 その時には、すでにキィも諦めていて、アラタだけが拘束を外そうともがいていた。

 彼がユウとの戦いに敗れ、気を失ってからここに連れてこられるまで、キィやリャンが何もしなかったとは思えない。

 恐らくアラタ同様、必死に抗ったはずだ。

 それこそ全身全霊で戦ったはずだ。

 でも、彼らもこうして捕まっている。

 ボロボロの体が、それを物語っていた。

 傷だらけなのは、肉体だけではない。

 心も、内面も、アラタに宣言したように、完膚なきまでに叩き潰されたのだ。

 丹念に、入念に、すり潰されたのだ。


「くそっ、くそっ。解けろ、解けろ、解けろ、解けろ!」


 ジタバタと暴れて、アラタは少しでも拘束が緩まらないかあらゆる手を尽くした。

 地面や木にこすりつけたり、両手を動かし続けて遊びが出るのを期待したり、とにかくあらゆる手を尽くした。

 それでも、縄は外れない。

 あまりの頑強さに、燃やすしかないと思い立ったが、魔術を封じられている今、それも難しい。

 そうだ、手を切断すれば、そう思ったが、それではその後エリザベスを開放するところまで手が届かないことくらい、分かっている。

 時間は、どんどんと過ぎていく。

 そして、アラタの心が、折れた。


「……こんな世界、嫌いだ」


 そこには、もともとこの世界に生まれ落ちた人間ではない、異世界人である彼にしかない苦悩も含まれていたのかもしれない。

 訳の分からない場所に突然送られて、人死にがこんなにも近くにあって、魔物とかいう意味の分からない危険生物と戦わされて、その上必死こいて戦った先に、待っていたのはこんな結末で。

 アラタは、エリザベスの牢の前で跪いた。


「エリー、ごめん。あとどれくらい時間が残されているか分からないけど、せめて最後まで傍に居させてくれ」


「うん、お願い」


「みんな、外してくれ」


「アラタ、私は——」


「外し……いや、クリスはいた方がいいな」


 日が西に傾き始めていた。

 まだ日没には程遠いが、それでも少しずつ、確実に。

 キィとリャンが席を外してから、エリザベスは、最後の時間を過ごす。

 この後自分の体に何が起こるのか、今何が起こっているのか、彼女は既に知っていて、それでもアラタたちを遠ざけなかった。

 それは偏に、彼女のエゴだろう。

 2人に消えない心の傷を負わせてしまうことになっても、最後くらい、我儘を聞いてほしかった。

 エリザベスの諦観は、2人にそのことを教えていた。

 言葉で伝えなくても、彼女はこれからどうなるかを知っていると、そう理解していた。


「エリー、俺は君の事が好きだ。今も、これからも、ずっと」


「ありがと。私も、新のこと好きよ」


「エリ。結局私は最後まで、お前に何も返せなかった。すまない」


「何も貰っていないなんてこと、あるわけないわ。でも……ふふっ、確かに私があげてばかりだったかもね」


「本当に、そうだな」


「でもね、私たちは家族なんだから、そんなこと気にすることないのよ。貸し借りを気にする間柄なんかじゃないでしょ?」


 木組みの格子を通して、三者は言葉を交わした。

 これから死ぬ人間にかける言葉を考える機会なんて、長い人生の中でそうそうあるものではない。

 だから、アラタもクリスも、こんな時なんて言えばいいのか、言葉を選ぶのに苦労した。

 結果、彼らから出た言葉と言えば、歯の浮くような愛の言葉と、小さいころから連れ添った友に対する別れの言葉ばかりだった。

 もう偏って偏って、もう少し色んな話題、持っているでしょと、エリザベスが少し笑うほどに、彼らの言葉は重複した。

 そんな時間を過ごす事1時間。

 まだその時は来ない。

 しかし、着実に近づいてきていた。


「エリー、俺は——」


「私のこと大好き、でしょ? もう4回目だから、流石に分かるよ」


 そう言った彼女を見て、クリスは何か嫌な予感がした。

 後悔先に立たずというが、後悔がすぐそこに迫っているような、いざ事が起こって、ほれ見たことかとなる気がした。


「エリ、何を…………!?」


「前に、元の世界に帰る話したの、覚えてる? ほら、エクストラスキル【時空間転移】のあれ」


「勿論。エリーとの事なら全部」


 よかった、と胸を撫でおろしている時にも、クリスの嫌な予感は収まらない。

 何かが引っかかる、【時空間転移】、エリザベスの快進撃、その背景にあったもの、革新的な考え、アイディアの数々。


 ……………………まさか。


「アラタ! 聞くな!」


 彼の耳を覆い隠すには、手に掛かった拘束が邪魔だった。


「私、【時空間転移】を持っているの」


 男の中に、今までの記憶が走馬灯のように駆け巡った。

 本来それは、命の危機に瀕して、己を守るために過去の記憶からヒントを探し出す生理現象だ。

 だが、今回はそうではない。

 ピースがはまったような、今までの違和感が払しょくされたような、そんな感じさえする。

 何か違和感を感じても、それが何か分からなかった。


 千葉新という少年と出会う前に、清水遥香の魂は2つに分かれた。

 なら、なぜエリザベス・フォン・レイフォードとなった彼女は、アラタ・チバに執着したのか。

 日本において、遥香の恋は決して一目ぼれではない。

 いわゆる幼馴染というやつが、長い長い期間を経て、くっついたり離れたりを経験して、そうして芽生えた感情である。

 同じ人間なら、同様に、アラタとの恋も一目ぼれ足りえない。

 環境要因によってそうなる可能性はゼロではないが、モデルでもない彼の顔に大貴族の当主が惚れ込む理由は皆無に等しい。

 では、なぜ彼女はアラタが、新であると知っていたのか。

 なぜ彼女のアラタに対する好感度が、初めからほぼ満タンだったのか。

 答えは、全て一つのスキルに集約される。


 エクストラスキル【時空間転移】。

 厳密には、ユニークスキル。

 ユニークスキルとは、スキル進化の系譜を持たない、突然変異的なエクストラスキル。

 アラタの【不溢の器カイロ・クレイ】がそうだったように、神によってのみ与えられるスキル。

 あの、自分勝手で、性悪な、邪神によって。

 何らかの思惑や、面白半分以外で、奴が人に力を与えることは無い。

 なら、それは必然だった。

 ユニークスキル、それは、






 神の寵愛、またの呼び方を、神の呪術。

 略して、神術。

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