第208話 飲め食え起きろ(烏鷺相克2)

「情報を」


 【以心伝心】を失ったクリスは、アラタから口頭で情報を受け取るほかない。

 行動開始前であれば、ハンドサインを使う選択肢もあったが、情報伝達手段が一つ失われたというのは、やはり辛いものがある。


「剣術、俺より上。体術、俺より上。魔術、不明」


「他には」


「耐魔術性能がずば抜けて高い。風陣雷陣の二重結界に触れてノーダメだった」


 アラタは二度、ユウと対決している。

 一度目は転生直後、レイテ村で、二度目はアトラダンジョン内部でのクエストで。

 どちらも敗北、その内1回は死亡している。

 ドレイクやディラン・ウォーカーを含めても、間違いなく最強クラスのこの敵に、対抗する術はあるのか。

 必死に知恵を絞ったところで、それらしい答えをアラタは持ち合わせていない。

 それはクリスも同じで、武装メイドだった頃から特殊配達課、八咫烏と、渡り歩いてきた彼女をしてこれはきつい相手だと判断する。

 間違いなく逃げる一択。

 戦う選択肢なんてありえない。

 だが、戦うほかない。


「エリー、リャンとキィを起こせたらここから離れてくれ」


「嫌よ。また離れ離れなんて、もう嫌」


 初めて見たときと比べれば、随分とまあ可愛くなって、とアラタは惚気る。

 しかし、遊んでいる余裕はない。


「全力で戦いたいんだ。頼む」


 必ず勝つから。

 彼の背中はそう言っているように見えた。

 ただでさえ足手まといな私が、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

 アラタもクリスも、私の為に命を懸けてくれているのだから。


「分かったわ」


 快い返事を受けて、アラタとクリスは少し笑う。

 リャンかキィ、最低片方が目を覚ませばエリザベスを魔物の脅威から守りつつ、この場を離脱することが現実的になるから。

 ただ、今の位置的に、リャンもキィも敵側、ユウの傍に寝転がっている。

 エリザベスを守りつつ、ユウに攻勢を仕掛け、2人の身柄をこちらの領域に確保する。

 それから目を覚まさせて、エリザベスを護衛させる。

 その間、2人は圧倒的実力差のこの男と対峙して生き残らなければならない。


「合わせろ、クリス」


「あぁ」


「相談は終わったみたいだな」


 ユウの言葉を皮切りに、アラタが仕掛けた。

 石弾を発射しながら急速接近、近接戦闘を仕掛ける心づもりだ。

 それを迎え撃つ構えのユウ、そしてアラタに近づくクリス。

 両者の距離はぐんぐん詰まり、刀の間合いに一瞬で到達した。

 アラタの刀は分類上打ち刀と呼ばれる。

 太刀やロングソードより短く、片手剣より長い。

 ということは、刀の間合いに到達したということは、ユウがアラタを間合いに捉えたという意味でもある。

 ほぼ構えていない脱力された状態から、鬼のような斬撃がアラタに襲い掛かる。

 0から100へ。

 瞬発的に、爆発的に高められた剣速はアラタの振るうそれより遥かに速かった。

 身体強化をかけた体で、その初動を外す。

 まるで相手の動き出しを読んでいたみたいに、下からの斬り上げを躱しつつ反撃する。

 左手を離して敵の剣を避けつつ、振り下ろしかけていた刀を右手1本で支えた。

 掠ることなく剣を回避することに成功したアラタの刀は、ユウの体を捉えかける。

 捉えかけたということは、捉え切ることが出来なかったということだ。

 斬り上げを空振ったユウの剣は、流麗な剣筋のまま吸い込まれるように刀と打ち合わされた。

 ユウの手に握られている剣の柄は両手で持つのに十分な幅を有しているが、彼は元から右手1本でそれを振るっている。

 互いに片腕でぶつけ合った攻防は、重力を味方につけた方が有利。

 結果、アラタの刀はきちんと下まで振り下ろされた。

 初撃はアラタの勝ち。

 軌道を逸らされてダメージを与えることは叶わなかったが、ユウの服に切れ込みが走る。


「シッ!」


 短く切った呼吸音と共に、一歩間合いを前に詰める。

 それは攻撃的で、直線的で、あまりにも無謀な動き。

 斬り上げたユウの剣は上段に設置されていて、アラタの刀は降り下ろし切ったばかり。

 先ほどと真逆のシチュエーション、さらに両者の実力、膂力の差。


 だが、付け加えるなら、人数の差。

 これはアラタ達に分がある。


「3番」


 そう呟きながら、クリスが前に出た。

 上段からの剣を彼の代わりに受けるべく、飛び込んできたのだ。

 当然ユウの視界には入っていて、彼ほどの人間がそれに気づかないことも対応し損ねることもない。

 ただし、反応スピードには限界がある。

 黒装束は、スキル【気配遮断】はその限界を少し引き下げる。

 時間にしてほんのコンマ05秒程度の短いスパン。

 刹那と表現するには、少し大きめの時間。

 それだけの時間は、接近戦において大きなアドバンテージ。


「くっ!」


 刹那。

 上からやってくるはずの攻撃が、斜め右からに変更された。

 クリスは短剣二刀流で剣を受けるつもりだったが、やむなく右手に握る剣だけで攻撃を受けた。

 ギャリギャリと火花が見えそうな金属音を立てて、鍔まで斬り込まれる。

 そして、そこで剣は止まった。


 空間を切り裂くような、刺し貫くような刺突。

 日本刀が得意とする動き、斬り方。

 低い体勢から繰り出される、非常に回避が難しい攻撃。

 クリスが稼いだほんのわずかな時間、アラタは防御を捨て去ることで反撃の機会を得た。

 単純に打ち合うだけならいつか力尽きていただろう。

 カウンターを狙うことは出来ても、相手の攻撃をもらう危険と隣合わせの攻撃は精度も鈍る。

 だから、攻撃一辺倒に傾倒する隙が、彼は欲しかった。

 鋭いきっさきは、そのあとに続く美しい流線形のガイドを務める。

 武器としての一つの到達点、日本刀の攻撃力は伊達ではない。


 ………………当たれば、の話だが。


「くっそ」


 強引に引き抜かれた剣は、2人を横薙ぎに斬りつけようと牙を剥いた。

 クリスは防御しているので問題なく、アラタも体にダメージを負う軌道にはいない。

 ただ、繰り出された突きは弾かれてしまう。

 外側に弾かれた刀に、体を持っていかれそうになる。

 軸がぶれ、力がうまく伝わらない。

 それでは次のアクションに支障をきたしてしまう。

 それでは勝てない、この戦いは一つのミスが死に直結しているほど難しいものだから。

 だから、アラタは右手を離して左腕の力を抜いた。

 あくまでも左腕、左手ではない。

 万力のように左手の拳を握り締めつつ、その先にある腕の力を抜くのは容易ではない。

 多少力が残ってしまい、その分だけユウの剣に乗った衝撃を感じる。

 しかし、受け流すことには成功した。

 左腕だけがやけに大回りに弧を描き、それ以外バランスに影響はない。

 彼の体は依然、ユウのすぐそばにある。


「捕まえた」


 男が、ユウの左腕をしかと掴んだ。

 手首を締め上げて、動けないように拘束する。

 身体強化の強度をかなり高めて、そうして決められた関節技。

 関節技と呼ぶにはいささか不格好で、効果も大したことないが、生身で握力80kgオーバーのアラタが手首を本気で握ればそれなりの拘束力を生み出すことだってできる。

 手元を抑える形で機先を制すと、そのまま今度は右足を繰り出した。

 しっかりと足場を固め、魔力強化を十全に施し、敵の魔術も魔力を流し込むことで最低限カバーしている。

 今、彼の思うがままに戦局は動いていた。


「フッ!」


 また息吹と共に出た蹴りは、ノーガードのユウにしっかりと入った。

 腕が伸びて隙の空いている左脇腹、そこがヒットポイントだ。

 インパクトの瞬間により一層力を籠め、最後は押し込むように振り切る。

 ただの打撃ならこうはいかなかっただろうが、身体強化ありで押し込めば、人体だって吹き飛ばすことが可能らしい。

 クリスはアラタの蹴りの邪魔にならないように事前に一歩下がっていて、その分2人を俯瞰的に見渡すことが出来た。

 蹴りを受ける瞬間、ユウは確かに横へと飛んだ。

 空中に身を投げ出し、尚且つ力の向かう方向へと飛びのくことで衝撃を吸収する。

 細かいところだが、それはアラタの攻撃がクリーンヒットしていないことを表していて、彼もそれは何となく感じ取っていた。


「スカッた」


「上出来だろう」


 倒れている2人への道筋を確保すると、クリスはエリザベスの方を向いてこちらに来るように合図した。

 パンプスから平たい靴に履き替えた彼女はいくらか速く走ることが出来るかに思われたが、もともと彼女は運動音痴だ。

 50m走に10秒近くかかるエリザベスを責める者はこの場にはいない。

 けれども、彼女はこの重たい体を恨んだ。

 自分がのろまなばかりに、自分がリャンとキィの元にたどり着くまでに、アラタとクリスがもう一合敵と斬り結ばなければならないから。


「エリ!」


 左方から迫りくるユウと、それを迎え撃つアラタ、そしてその後ろで自分に向かって何かを差し出しているクリス。

 彼女の手には巾着袋が握られていて、それは内容物の重さで少し垂れ下がっている。


「これを使え!」


「うん!」


 リレーのバトンタッチ、というよりはマラソンの給水所のようだろうか。

 クリスの横を通り過ぎた彼女の手には、例の巾着袋があった。

 しかと受け取ったエリザベスは、転ばないように気を付けながらそれを開く。

 ひもを緩め、口を開くと、その中にはいつくかのケースが収納されていた。

 液体の入った瓶もあれば、何かの結晶のような綺麗な石もある。

 使い方なんてさっぱりなこのアイテムの数々に、エリザベスはどうしたものかと戸惑ってしまう。


「飲ませろ! 食わせろ!」


 これ以上ないシンプルな指示。

 分かりやすく、簡単な命令。

 エリザベスがリャンのそばで座り込んだ時、左後方でつんざくような衝撃音が辺りに轟いた。

 剣を交える金属音ではなく、明らかに魔術的要素を含んだ音。

 雷鳴轟く戦場で、アラタとクリスは必死に時間を稼ぎ、反撃の糸口を探り続けている。

 彼らを背中にいただき、震える手で彼女はリャンの首元に手を当てた。


 ドクン、ドクンと脈打つ感覚フィードバックが、彼女の手の震えを和らげていく。

 死んでいない、気を失っているだけだと、そう分かると気分が楽になった。


「飲んで、食べて」


 気を失っている人間に無茶を言うものではない。

 無理矢理寝ている人に飲食物を飲み込ませようとすると、ほぼ間違いなく咽頭反射が起こる。

 これは体の構造上仕方のないことで、意識のない人には基本的に飲食をさせることは難しい。

 しかし、今は緊急事態。

 体の構造がなんじゃ、いいから黙って食え、飲め、目を覚ませ、そういった状態。

 小さな魔力結晶を口の中に押し込み、瓶に入った液体で無理矢理流し込む。

 これで気管に入ってしまい、咳嗽反射を引き起こしたり、最悪誤嚥性肺炎を誘発したとして、エリザベスは責任の取りようがない。

 でも、こうするしかないと、頼むから起きてくれと、必死に彼女はリャンの口を開く。

 クリスが彼女に手渡したのは、アラン・ドレイクとメイソン・マリルボーンが作った応急処置キット。

 当然健康に配慮したものであるはずもなく、むしろ有害なまである。

 人体の不思議を利用した、強制的な気付け。

 それがこの巾着袋の中身に込められた機能。


「ゴホッ、ゴホッ、オェ、ウォォォオオオエェェェエエエ!」


 ビクビクと体を震わせて、明らかに良くない起こされ方をしたリャンは、口に入ったものを吐き出そうとする。


「ヴォエ!」


 一際大きな吐瀉は、飴玉くらいの魔石を含んでいた。


「やったわ!」


「……何がですか」


 状況の読み込めない男は、口の中の気持ち悪さを我慢して、そう聞くことしかできなかった。

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