第190話 選挙管理委員会

「こんなものは選挙でも何でもない」


「まあまあ、我々がしっかりすれば、それらしくはなりますよ」


「ふん、どうだかな」


 憤慨している様子の男は今回このカナン公国の大公選を取り仕切る選挙管理委員会の代表だ。

 詳しいことはまたどこからか説明があるだろうが、彼はもともとこの国の人間ではない。

 どこぞの国の王族だったか、その血を引いているだったか、とにかく彼の出自を彼のポジションが選んだのだ。

 大公選当日が近づくにつれて、彼の機嫌は日に日に悪くなる。

 周りはそれをなだめるが、彼の気持ちは痛いほどよくわかる。

 誰だって自分をないがしろにされたら気分は悪い。

 選挙をしよう、そのためには選挙管理委員会が必要だ。

 こうして選挙管理委員会を立ち上げ、その代表にふさわしい中立の立場の人物をわざわざ呼び寄せた。

 しかしいざ蓋を開けてみれば、どちらが勝っても負けた方が反乱を起こす気満々。

 これでは選挙の意味がない。

 投票があろうとなかろうと、結局勝った方が権力を握ることになるから。

 選挙に勝ったうえで国を統治するのか、負けたけどそのあとの内戦で勝ったから国を統治するのか、そんな状況で彼のモチベーションが上がるはずがなかった。


「委員長!」


「なんだ騒々しい」


 イライラを募らせ、喫煙で気を紛らわせているところに部下が飛び込んできた。

 きっと緊急の対応を迫られるのだろう、そう思い男はタバコの火を押しつぶした。


「クレスト家とレイフォード家が! ……とにかく来てください!」


 これが終わったら少し政治の世界からは距離を置こう。

 男は不摂生が原因の痛風の痛みを我慢しながら歩きだした。


「これはこれはお嬢様。鬱陶しい取り巻き連中は今日はいないのですか?」


「彼らにも休みは必要でしょう?」


「見限られただけでは?」


「元から友達の少ない誰かさんにこの機微は分からないわよね」


 廊下を……奪い合っている。

 なんと低レベルな争いか。


 貴族院の廊下で、たまたま、偶然出会ってしまった両勢力のトップ。

 配慮が足りないと係を怒鳴りつけるのは後回しにせざるを得ない、今はこの事態を収拾することが先決だから。


「お二人とも! 選挙期間中の接触はお慎みを!」


「選挙管理委員会委員長殿の言葉だ。私は従うが?」


「長いものに巻かれる貴方らしいわね。譲ってくれてありがとう」


 ドンッ、と彼の肩にわざとぶつかりながら、彼女、エリザベス・フォン・レイフォードは通り過ぎて行った。

 ぶつかられた方はシャノン・クレスト、ノエルの父親である。


「……忌々しい」


 娘のノエルなら即座に殴り掛かるところだが、彼は大人だしそこまで血の気は多くない。

 ただ、父娘で似通う部分はあるらしく、エリザベスを睨む目にはしっかりはっきり殺意が込められている。


「行くぞ」


 シャノンが伴っているのはイーサン・クラーク。

 こちらはリーゼの父親。

 このような関係だからこそ、リーゼをノエルの隣につけた経緯があるのだが、どちらのペアもクラーク家の人間が苦労する図式は変わらない。


「あれは挑発しているだけです。お気になさらぬよう」


「分かっている。だが乗らねば舐められる」


「それは……承知しておりますが、委員長殿の心証も大事です」


 当の本人は肝を冷やしたのか、廊下沿いの壁にもたれかかって休憩中である。


「それも分かっている。しかし……」


 それ以上シャノンが口を開くことは無かった。

 委員長がいる目の前で、流石に酷だと思ったから。


 ——選挙なんぞ意味は無い。結局戦闘になるのだからな。


 一般に知られている訳ではないが、貴族院には地下通路が網のように広がっている。

 人目に晒されることなく入出場可能なこの通路は昔から重宝されてきた。

 かといって平時から頻繁に使われるほどこの国の治安は悪くない。

 今日みたいな非日常でもなければ。


「すごいな」


 地下にまで響くデモ隊の叫び声。

 聞いてもいないのに政治の主義主張、イデオロギーを表明する者。

 自身が貧困に喘いでいると働きもせず言い張る者。

 外交姿勢かくあるべしと声高に叫ぶ者。

 彼らに共通している点は、『誰も頼んでいない』ことだ。

 来てくれと言った覚えは無いし、君の考えを教えてくれといったつもりもない。

 ましてや大公選を明日に控えたこの日に貴族院の前に集まるなどもってのほか。

 正直迷惑だ。


「国民が政治に関心を寄せるのは良い傾向ですな」


「そうとも言えんさ」


 明日大公になるかもしれない男は馬車に乗り込んでからそう言った。

 隣の建物からなら比較的安全に家に戻ることができる。

 イーサンもある程度戦えるし、いざとなれば周囲を警戒している護衛たちが動く。


「一般市民にも学校教育を促進した効果でしょう。それがまずいのですか?」


「あぁ。まずいさ」


 とてもノエルの父親とは思えない、現実的な男だった。

 人を信じるというか、期待することが少ない人間に見える。

 それは育ち故か、それとも生まれつきのものなのか。


「イーサン、君は勉強したことがあるかい」


「ええ、勿論」


「学びがあった日、君の心はどう感じた?」


 イーサンは優秀な男だ。

 家柄にも才能にも恵まれている、ついでに弟にも恵まれている。

 だから、学び、吸収したときの喜びは理解できる。


「楽しい、ですね」


「他には?」


「少し賢くなった気になります」


 それだ、とシャノンは手のひらを上に向けて指をさした。


「賢くなったわけじゃない、賢くなった気になっただけなんだよ」


「左様で」


「賢くなった気になれば、行動もそれにつられていく。本質は何も変わらないのに、やれデモだ、権利主張だ、保護だ、急に自分が正しいと思うようになる」


 クレスト家の屋敷と貴族院は目と鼻の先、この少しの会話の間に馬車は家に到着した。

 御者にエスコートされ、使用人が出迎えのために待っている。

 最近はイーサンもクレスト家に寝泊まりするようになった。

 時間が惜しいのだ、一家の長が自分の家にいないのは変なものだが、人生に2度とない時期だからこればかりは仕方がない。


「大公になったところで、私の本質は何も変わらないというのに」


 イーサンは、主の中に人類に対する諦めを見た。


「変わらぬこともまた資質かと」


 大公とはカナン公国に住まう貴族たちの裁定者。

 貴族院における国家運営とは別物である。

 シャノンはそんな椅子のために多くの血が流れていることがアホらしくなる。

 それにそこまでの価値は無いというのに。

 だが、だからこそ、そこに価値を付加するために、血を流した意味が確かにあったのだと、命を懸けて尽くしてくれた全ての者に報いるために、今まで準備してきたのだ。


 必ず勝つ。


 その為の用意はしてある。

 男は明日、国を背負う覚悟を持って、貴族院へと赴く。


※※※※※※※※※※※※※※※


「よし、終了」


「「「お疲れさまでした」」」


 地下訓練場での最終調整が終了した。

 貴族院内部を模した構造を使っての模擬演習を重ね、そのあとの市街地戦の用意も済んだ。

 通常の武装に加えて弓矢、魔道具、ポーションなど、まさに戦争をするような物量だ。

 平隊員たちが後片付けや明日の準備に追われている間、小隊長とアラタは集合して打ち合わせを行っている。


「第1,3小隊は建物内部。第2小隊は貴族院の北側、第5は西、第6が東、第9が南につけ」


「敵戦力の予測は当たりますかね」


「当たらなかったらきついところが出てくるな。けどそのための訓練もしただろ?」


 構成員が彼を含めて3人しかいない第5小隊長はナーバスになっている。

 それをフォローするのはトップのアラタの仕事だが、彼は楽観的だ。

 なぜならそれだけの準備をしてきたから。

 精神論に頼るまでもなく、事実としてうまくいくことを確信しているから。


「これが当てはまるのはカロンだけじゃないからここで言っておくぞ。俺たちは15人しかいない。だから基本的に戦力は温存しろ、会場周辺には軍や警邏、冒険者がわんさかいるからな。俺たちの仕事は盤面のコントロール。戦力を均衡させ、膠着状態を作り出す。そうすれば選挙で勝つ俺らの方が圧倒的に有利だ。わかるな?」


「でも、その選挙で負ければ?」


「この国は終わりだ。家族を連れて他の国に逃げろ」


「そんなぁ」


 特配課のころから数えて、頭では数えきれないほどの修羅場を潜り抜けてきたアラタやクリスにとって、またウル帝国の工作員として訓練を受けてきたリャンとキィにとっては案件の大きさこそ違えど、内容はそこまで難しくない。

 だが、彼らは特殊、マイノリティなのだ。

 人一人殺しただけで精神は大きく傷つき、再起不能になる人間だっている、その方が正常だ。

 八咫烏に所属する以上、人並み以上の戦闘力や忍耐力、精神力は持っている。

 しかし、これほどの大一番で全く緊張しないわけにもいかない。

 これはゲームではないから。

 負ければ死ぬし、全体で勝っていても自分が死ぬことだってある。

 大会前に似ている、そうアラタは過去を振り返る。

 平気な奴、緊張している奴、自分は出来ると言い聞かせる奴、無理かもしれないとマイナス思考を垂れ流す奴。

 十人十色、千差万別、それが集団だ。


「全員集合」


 小隊長だけでなく、明日の準備に追われている隊員たちも呼び戻す。

 訓練場の中心にアラタが立ち、彼の視界に入るように他の人間が円を描く。


「えー、明日、いよいよ大公選当日だ」


 ぐるりと全員の顔を見渡しながら、ゆっくりとした口調で語りかける。


「後で詳しい説明があると思うが、第1,3小隊は貴族院内部、他は外を担当する。つまり、任務終了後に会えなくなる奴も出てくる」


 会えなくなる、それはつまり……そう隊員の顔が強張ってしまう。


「けどまあ安心しろ、多分そうならない。俺の勘だけど」


 はぁ!? という顔をした者が1人、2人、3人。

 全員第1小隊だ。


「今回は数が多い。自分一人でなんとかできる範囲の外側だ。つまり何が言いたいかって言うと、お前ら一人が死ぬ気で戦っても、戦況に大した影響はない」


 先ほどからモチベーションが下がるようなことばかり彼は言っている。

 特にサプライズ性は無く、その言葉に引かれるように彼らの気持ちは下り坂を転がっていく最中だ。


「その大勢が入り乱れる戦闘の中、お前らが無事生き残れるかどうか。俺の勘を信じるもの怖いだろう」


 うんうん、そう頷く隊員がちらほら見受けられる。


「明日は逃げることを許可する」


「は!?」


 クリスが頓狂な声を上げたのと同時に、周囲も同じようなリアクションを返した。

 この大きな任務直前に、いったいこいつは何を言い出すのかと。

 逃げていいなら作戦の根本が破綻するし、何なら戦う必要すらない。

 アラタバカが言っていることは、今日までの任務と訓練を無に帰す一言だからだ。


「隊長、それはあまりにも……」


「そうですよ。俺たちは何のために」


「何の為だ?」


 少しおどけた雰囲気だった先ほどから、空気が変わった。


「カロン、お前は何の為に訓練してきた? 何の為に命を懸けてきた?」


「俺は、妻と子供のためです。金だけじゃない、安全で暮らしやすい社会のために、ウル帝国にこの国を明け渡すわけにはいかない」


「なるほどね、じゃあプリム、お前は?」


「私は、故郷の畑が帝国系の事業によって取り潰されないために」


 それからアラタは、一人ひとり何の為に戦うのか聞いて回った。

 大義を掲げたり、利己的な理由だったり、金のためだったり、理由は様々だ。

 ひとしきり聞き終えると、まとめに入る。


「みんな、それぞれ戦う理由があるけどさ、それは生きる理由だと思う。生きてこそ、自分の欲しいものを自分の眼に入れる、手に入れることができるんだと思う。だから、分が悪くなったら逃げろ、死ぬな。故郷に帰りたいなら死ぬな、家族に会いたいなら死ぬな、金が欲しいなら、贅沢したいなら死ぬな。お前らの代わりは俺がやってやる。だから、生きてまた会おう。俺からは以上だ」


 腐っても強豪校のエース、人を惹きつける魅力を持っている。

 心をつかむ話術も、場の空気を変えるオーラも、すべて標準装備だ。


「いいかぁ! 絶対勝つぞぉ!!!」


「「「おぉぉぉおおお!!!」」」


 大公選前日、遠足の前のようなドキドキと、アラタの言葉で鼓舞された魂を鎮めながら、一同は就寝した。

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