第191話 何の為に

 いよいよ明日、大公選本番である。

 最後の調整を終えた八咫烏たちは、バラバラに分かれて作戦の開始まで休息をとる。

 もし潜伏場所がいくつか割れたとしても、被害を最小限に抑えるためだ。

 第1,3小隊はドレイクの家に残り、そこから貴族院へ向けて、明日出撃する。

 すでにほとんどの者が床に就き、翌日に備えて眠っている。

 老人の家主も寝ていて、この敷地内で寝ていないのは2人だけだ。


「ふぅぅぅううう、はぁぁぁあああ」


 荷物もすべて上にあげて、ガランとした地下訓練場。

 そこで呼吸を整え、最後のイメージトレーニングに勤しむ黒装束の男がいた。


 本命は頭脳戦になる、なら俺の考えることじゃない。

 俺の仕事は斬ること。

 ただ、明日に向かって道を切り拓く事。

 そうすれば、勝てば、生き残れば、エリーを連れ出せれば。

 俺の勝ちだ。


 魔力を練ることをやめ、刀を収めた。

 これだけ長い期間メンテナンスもしないで使い続ければ、鯉口が緩くなったりどこかガタが来るものだが、刀は相変わらず新品のような口の堅さを保持している。

 それはもう気持ち悪いほどに。

 神から渡された参考書には刀の分解手入れについても記述があったが、特殊なこの刀をもし壊しでもしたら取り返しがつかないと、彼はそれを行わなかった。

 事実、手入れなしで使えていて、刃こぼれ一つしないのだからそれでいいじゃないかと、そう考えている。

 アラタは刀を腰から鞘ごと抜き、自分の前に置いてみる。

 他にもナイフ、救急キット、ポーション、魔石、小道具、非常食。

 明日はこれに加えて弓矢も携帯するのだから、それなりに重装備になる。


「おい、もう10時だ。お前も早く寝ろ」


「それはお前もだろ、クリス」


 階段の出口からクリスが出てきた。

 寝間着姿のところを見ると、寝る前の見回りをしていたのだろうか。

 アラタに言い返された彼女は少しむすっとする。

 せっかく人が気を遣ってやったのに、そんな感じだ。

 彼も反射的に言葉が出てしまっただけで、別に喧嘩したいのではない。

 寝ろという彼女の言葉が、非の打ち所もないほど正論だったから、少し軸をずらしたかったのだ。


「これから風呂に入るのだろう。結局11時になるじゃないか」


「明日は6時なんだから、それで十分だろ」


「それもそうか」


 そんなやり取りの間にも、アラタはテキパキと広げた荷物を片付けていく。

 ポーチの中に道具をしまい、それをベルトごと肩にかける。

 普段は腰に装着するものだが、部屋に戻ってまた外すもの面倒だから。

 最後に刀を左手で持ち、アラタは訓練場を後にするべく照明を落とした。

 【暗視】があれば照明が落ちてから階段を上がっても転ぶことは無い。


「明日か」


 少し感慨深い様子で、クリスはそう口にした。

 思えばここまで長かったと、そんな感じ。


「そうだな」


 対してアラタはそうでもない。

 9月10月くらいから彼はレイフォード家に出入りするようになり、1か月後特殊配達課に配置換え。

 それから少しして同課を出奔、のちに黒装束と呼ばれる1個分隊を率いるようになる。

 さらにさらに、八咫烏と呼ばれる集団のトップに任命されて今に至るまで、およそ半年。

 密度は濃くても、流石に時間が短すぎる。


「なあ」


「んー?」


「お前は何の為に戦うんだ」


「さっきのやつか」


 彼だけが、彼の問いに答えていない。

 何の為に戦うのか、何の為に命を懸けるのか。

 彼は自問する。

 この世界に来る前の自分、来た後の自分。

 冒険者だった頃の自分、やめた後の自分。

 死んではいなかった頃の自分、対外的に死んだとされた後の自分。

 色んなことがあったが、それでも、いつでも、どこでも彼を支え続けてくれたもの、寄る辺となったものは何だったのか。


「俺はエリーの恋人だからな」


 それが、千葉新ではなく、アラタ・チバとして出した答え。

 好きな人のために、ただ尽くしたい。

 たとえ嫌われても、恨まれても。

 彼女が笑ってくれたら、生きていてくれたら、それ以外何もいらない。


「本当に両思いなのか怪しいな」


「はっ、はぁ!? 俺たち付き合ってるんですけど!?」


「エロトマニア的な思い込みの激しさだな」


「エロ……何だって?」


 彼にエロトマニアという言葉は少々難しすぎたのかもしれない。

 言葉遊びはさておき、客観的に2人の関係を傍観してみれば、両想いなのはほぼ確実だろう。

 アラタは明確にエリザベスのことを愛していて、彼女は彼女でアラタに言葉で想いを伝えている。

 これで、『あれを本気にしちゃうの? 笑えるんですけど』なんて言われた日にはもう、彼が女性不信に陥ることは確実だ。

 少し彼のことをからかってみたクリスだが、IQに違いがありすぎると会話は成立しない。

 エロトマニアという難しい用語を引き合いに出した時点で、コミュニケーションとしての会話は終わってしまったのだ。


「エロが何かよくわかんねーけど、俺はエリーに惚れたから。正直なところ、俺が命を懸ける理由はそれだけだ」


「殿下のどこが好きなんだ?」


「顔」


「次は?」


「体」


「最低だな」


「そのあとに性格を好きになった。順番としては普通だと思うけど」


 本気なのか冗談なのか分かりにくいトーンで吐き出していくアラタは、自分の部屋に着替えとタオルを取りに戻った。

 その間もクリスは部屋の外で待機していて、こいつ風呂にまでついてくる気じゃないのかと少し不審な気持ちになる。

 顔などの見た目だって立派なその人の特徴だ。

 性格が良いに越したことは無いが、性格より見た目を重視する人間はいくらでもいる。

 むしろ、性格は評価対象なのに見た目は評価対象外だとうそぶく方が不健全なまである。

 誰が何と言おうと、アラタはエリザベスの顔を好きになり、体を好きになり、性格を好きになり、そして全てを好きになった。


「まあいい。計画がうまくいけば、殿下は晴れて自由の身だ」


「エリって呼んでなかったっけ?」


「昔の名残だ。忘れろ」


 どうやら浅からぬ繋がりが2人にあることは、彼もなんとなくわかっていた。

 以前特配課の仲間から教えてもらった、クリスは元奴隷であると。

 それをエリザベスが買い、2人は出会ったのだと。

 自分の知らないエリザベスの話について、当然アラタは興味が沸いた。

 どんな出会いをして、どんな時間を過ごして、どんな変化があって、どうやって今に至るのか。

 だが、彼がそれを聞くことは無かった。

 聞いたらダメな気がしたから。

 そこまで踏み込むことも、ここで時間を取って余計なことを考えることも、どちらもだめだと思った。

 なのでこの話はここでおしまいなのだ。


「勝つぞ。最終戦だ」


 アラタはクリスに向けて握り拳を突き出した。


「あぁ」


 コツンと拳が当たり、誓いは交わされた。


「もう寝ろ。俺は寝る」


「アラタ」


「んだよ」


「殿下と一緒なら……私も殿下に会いに行ってもいいか」


 何の許可が必要なんだよ。


「……知らね。勝手にすればいいんじゃね?」


 そう言うと、アラタは風呂場に向かって行ってしまった。

 不器用なのはお互い様である。


※※※※※※※※※※※※※※※


「第1小隊、出るぞ」


「第3小隊も行くぞ」


 ウル帝国歴1581年、4月1日。

 カナン公国大公を決める大公選出選挙。

 通称大公選投票日である。

 選挙権を持つのは世襲権を持つ貴族家の当主、つまり公爵から男爵までの各家の長だ。

 騎士爵のような準貴族と呼ばれる人間たちは除外される。

 権利を持つ人間の数、票数は63。

 このうち最も獲得票数の多かった人間が今回の勝利者、大公の地位に就くことになる。

 ルール上すべての家が自分の家に入れれば同票となるのだが、そんなことに意味は無い。

 それぞれが所属する派閥の長に票を集めるのが通例で、今回もそうするつもりだ。

 様々な状況からそう言った争いに参加できない家は、自分の家に入れたり派閥のNo2に入れたりしてお茶を濁す。

 離反した事実は残るが、敵に利する行為もしていない。

 今回も、水面下ではこうした事実上の棄権票が多く存在している予定だ。


 貴族院の建物内部、その中で最も大きな部屋は議場である。

 小さい国なれど、積み上げてきた歴史の重みは確かにそこにある。

 幾度となく補修され、部分的に建て替えられてきた時代の違う建築技術。

 素材の価格も時代によってまちまち。

 それでも、貴族の威光を示すためには半端な仕事は許されない。

 出来る限りのこだわりと、夢を詰め込んだ議場で投票は行われる。

 大公就任式はその人が就く大公の間で執り行われるが、それはあくまでも勝者が決まってからのお楽しみ。

 まずは、時代の勝者を決めるとしよう。


「これより、カナン公国貴族院最高責任者、大公を選出する選挙を、選挙管理委員会委員長、イクラシオン・ボールドウィンの名のもとに、厳正かつ公正に執り行う」


 議場に詰めているのは各貴族家当主たち、そしてその護衛。

 八咫烏の姿もあれば、見知った顔もいくつかある。

 イクラシオンは、この空虚で虚しい開会宣言を、しっかりと言い切ることのできるように練習してきた。

 例えこの後すぐ戦闘に突入するとしても、大公選なんて名ばかりの、貴族たちの実力行使の開始合図に過ぎなかったとしても。

 それでも、それを行う意味はあったのだと、意義はあったのだと、後世に笑われないために、それらしく振舞うことを心に誓う。


「では、まずは各貴族家当主の皆様から、大公選出選挙に対する演説をお願いしたいと思います」


 これも形式的な儀礼である。

 本命はたった2人のみ。

 なら彼ら以外の演説時間は無駄だから。


「モーガン家子爵、アルベルト・モーガン、演説を辞退します」


 こうなる。

 本命に持っていくために、不要な貴族たちの時間はカットするのが暗黙の了解なのだ。

 彼に続き、次々と比較的格下の貴族家当主たちが演説を辞退していく。

 ついにはクラーク伯爵家、イーサン・クラークまでもが辞退する始末だ。

 いったい誰になったら話が始まるのか。

 彼をしのぐ家柄と求心力を持つ家は2つしかない。


「次、レイフォード公爵家当主、エリザベス・フォン・レイフォード卿」


 会場が水を打ったような静けさに包まれた。

 これから、本番が始まるから。


 見ていてね、アラタ。


 のちに、カナン公国史上最悪と呼ばれた大公選、始まりである。

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