第186話 お前だけではない

 今やっていることが簡単な訳ではない。

 ましてやどうでもいいことをしている訳でも、ない。

 俺は、逃げている。

 解決できる方法が目の前にあるというのに、それを避けている。


「アラタ?」


 キィは心配そうな顔をして彼を見上げていた。

 顔に出ていたか、とアラタは無表情に戻る。


「何でもない。俺はルートを検討するから少し休憩しててくれ」


 まだ少し心配そうなキィは言われるがままリャンらの方に戻っていく。

 アトラ近郊の森の中に潜伏中の八咫烏は日に日に増えていた。

 第4,7小隊のように任務先から帰ってきていない小隊、そして全滅した小隊を除き、八咫烏19名は首都をぐるりと囲む形で待機している。

 アラタの命令で魔物を捕獲、管理しながら突入の時を待っているのだ。

 隊長である彼から具体的な魔物の用途は伝えられていない。

 ただ、このタイミングで、この位置で、検問を越えたいこの状況でそれをさせる意味を隊員たちはそれとなく理解していた。


「どうしたもんかな」


 野晒しになっている野営地で、彼は独り言を呟いた。

 考えたことをそのままアウトプットして考え事をするのは小さいころからの彼の癖だ。

 どうしたものか、そんな投げ出すような言葉が出てきたこの状況が事態の難しさを物語っている。

 彼の手元にはいくつかの重要情報が置かれている。

 レイフォード家派閥の不正の証拠、捕獲した魔物のリスト、観測された検問の規模、方法。

 明らかに強固になっているアトラの城門。

 これを突破するには生半可なアプローチでは通用しない。

 それに首都を出てくるときに使った地下通路は敵に抑えられてしまった。

 その辺で拾った彼には悪いことをしたと思っているが、無関係と分かれば開放してもらえることだろう。


「俺はまた、まだ……」


 特配課での初めての任務。

 あの時、俺は何の罪もない一般人を見殺しにした。

 本当に死んだわけじゃない、それは後で確認しているし、被害者はちゃんと社会復帰した。

 でも、あの時俺が助けなかった事実は消えないし、利益を優先して彼女たちに傷を負わせた事実も消えない。


「清くない癖に」


 汚れても、穢れても、それでも、それが俺の選んだ道だった。

 ほかの誰の責任でもない、俺がそうしたいと、そう決めた。

 俺が殺したいと、傷つけたいと、騙したいと、盗みたいと。

 そう願い、だとしても譲れないものがあって、俺はそれを優先した。

 なら、今更何を躊躇うことがあるのか。

 今回もそうだ、エリーを守るために、俺があの子と一緒にいるために、俺はだれかを傷つけて、きっと殺してしまう。


「……偽善者」


 紡がれた言葉はどれも断片的で、彼の心中を察するには不足する。

 彼の生み出したシルキーのシルならもう少し深いところまで彼の心の中をのぞくことも出来るだろうが、主人であるアラタがガードを強めればそれも難しくなる。

 計画はすでに立っていた。

 捕獲した魔物を誘導してアトラの城門を急襲する。

 そのどさくさに紛れてアトラ内部に潜入、そして帰還する。

 一度侵入してしまえば八咫烏全員を捕捉しきるのは実質的に不可能。

 となれば、捕まった構成員から情報が洩れなければ勝ちは確定する。

 自決用の毒物の精製も終了、ナイフに仕込んである。


 散々殺しただろうが。

 今更何を……………………


「おい」


「ん?」


 ふと顔を上げると、そこにはクリスが彼の方を見下ろしていた。

 跳ねた髪は何度直してもたくましくその形を保っている。

 なんで毛先だけいうことを聞かないのか不思議だが、あまりそういったことに関心がない彼女は気にしていないみたいだ。


「竜玉を寄越せ」


 伸ばされたクリスの手はアラタの顔の前にある。

 彼女の望む竜玉という物は、竜の魔石の中でも最上級に位置する最高級魔術触媒のことである。


「いや、あれは奥の手だから……」


「それは今だ」


 手を引っ込めた代わりに、クリスは顔を近づけた。

 お互い面は着けていない。

 紫がかった深い青色の瞳は、カラコンを入れているのではなく生まれつきのものだ。

 メラニン色素の関係で人間の瞳の色は決定するといわれているが、いったいどんな構造なら紫っぽい瞳が生まれるのか疑問ではある。

 しかし、彼がそんな人体の構造について詳しいかと問われれば確実にNO、彼は勉強が苦手だ。

 アラタの目に映るクリスの顔は、ただ綺麗で、少し怒っていて、強い意志が込められている、それしか分からない、それでしかなかった。


「いや、普通に魔物をけしかければそれでいいだろ」


 目を逸らし、アラタはそう言った。

 普通にやれば、普通に通過できる。

 だからそうしようと。


「お前……こっちを向け」


「うおっ」


 胸ぐらをつかまれてアラタは立たされた。

 強制的に正面を向き、クリスと目線の高さが一致する。

 普段彼が目にしているよりも少し低い景色。

 これがクリスが見ている光景だ。


「特殊配達課のやり方に耐えかねて、お前は組織を抜けた」


「違う、俺は——」


「何も違わない。特配課にいたころからずっと、お前は苦しそうだった」


 彼に返す言葉は無かった。


「竜玉を使って、【以心伝心】の強度を上げる。そしてハルツ・クラークかアラン・ドレイクを捕まえればあとは簡単だ。さあ、私に竜玉を渡せ」


「お前、壊れるぞ」


「壊れない。殿下に会いたいのがお前だけだと思うなよ」


 竜玉はアラタの個人的奥の手だ。

 元はドレイクから渡されたものだが、その封入されている魔力量からして、常人には扱えない。

 人よりも魔力量が多いアラタが、体が壊れることを覚悟して使う最終奥義。

 それが竜玉だ。

 廃人になればまだまし、結構な確率で死に至る劇薬。

 クリスがそうなるのなら、アラタは魔物を暴走させるだろう。


「死ななくても、後遺症は残るぞ」


「覚悟の上だ」


 本気の眼を、彼は知っている。

 自分だって同じ顔をするときがあるし、同じ眼で野球に人生を懸けた仲間も知っている。

 だが、覚悟があっても、結果がついてくるとは限らない。

 結果と覚悟はあくまでも別のものだから。

 もし連絡が取れず、クリスが死んだら。

 最悪を想定し、それに対応する思考は変わらない。

 なら、部隊の損失を抑えるためにリスクを別の人間に転嫁する。

 簡単なリスクマネジメントの初歩だ。


「それでも、俺はお前に……」


 煮え切らない、優柔不断な男に対して女が業を煮やすのはいつの時代、どの世界でも変わらなかった。


「仲間を信じろ! 私を信じろ! 私に賭けろ! 私にも……無理をさせろ!」


 今まで聞いたことがないくらい大きな彼女の叫びに、近くにいたリャンとキィは何事かと駆け付ける。

 胸ぐらを掴まれている隊長を目にして止めに入るか迷うリャンと、見守るキィ。

 隣で落ち着いた様子で修羅場を見つめている子供を見て、リャンも自分を取り戻した。


「私たちがお前の足手まといになりつつあることくらい、私も分かっている! だが、それでも、私はエリの傍にずっといたんだ! お前より長く! お前より近くに! エリを救うためなんだ、私にだって、出来ることはあるんだ、だから……竜玉を、渡してくれ」


 アラタがクリスという女性と出会ってから、半年は経過している。

 その間彼女と接してきて、彼なりに分かったこともある。

 クリスという人間は、外面は無表情でクールな印象だが、中身はかなり熱く、激情家だということを、彼はもう知っている。

 そんな彼女から頼まれた、今までにない熱量で頼まれた心の底からの願い。

 もし自分が神様なら、きっとこの願いを叶えてしまうのだろう。

 そう思うほど、心のこもった懇願。

 アラタは、折れた。


「全小隊に通達。魔物を開放して待機」


 アラタのポーチから、小さな包みが取り出され、クリスの手に渡った。

 袋の中には木箱があり、その中には紙に包まれた石がある。

 宝石と見紛うほどの輝きを放つそれは、高級な飴玉にも似た見た目をしている。


「もう少し近づこう。出来る限り距離を詰めるんだ」


「ありがとう。そして、必ず成功させる」


※※※※※※※※※※※※※※※


城門まで2km、歩くには距離があるが、馬ならすぐの距離。

 彼女のスキル【以心伝心】の範囲はせいぜい100m程度。

 その20倍の距離を繋ぎ、迎えに来てもらえるように要請しなければならない。

 そして問題はもう一つある。

 彼女がこのスキルを使うとき、通信相手を限定するために相手の思考を少しだけのぞき見する。

 例えばエリザベス・フォン・レイフォードのことを『エリー』という名で考えている男がいれば、十中八九それはアラタだろう。

 そうやって相手を選択するため、範囲に対象となる人間が多ければ多いほど、検索には時間がかかる。

 しかも、相手が寝ていたり、特定できることを考えていなければ接続できるかどうかは運任せになる。

 城門まで2km、アトラ内部にいるとして、広げなければならない範囲はおよそ5km。

 その中にいるすべての人間の中から数少ない正解を引き当てるのは至難の業だ。

 それでも、その難しさを誰よりも理解しているクリスは、そうすることを選んだ。


「いくぞ」


「必ず生きて戻れ。みんな待ってる」


 クリスはうなずくと、秘薬を丸のみにした。

 口腔内を通り、食堂を通り抜け、胃にたどり着く。

 それを待つこと2秒。

 竜玉の効果はすぐに現れた。


「ぐぶっ! ゴホッゴホッ、プッ」


 嫌な音を立てて、赤色の粘液が吐き出された。

 痰なのか何なのか分からないが、赤いのは間違いなく血液だ。

 ということは体のどこかで出血しているということ。

 竜玉の形は丸に近く、尖ってはいない。

 つまり、彼女の体が危険信号を発していて、竜玉の副作用が猛威を振るい始めたことに他ならなかった。


「クリス!」


「ん゛ぅん」


 首を横に振りながら、クリスは右手でアラタたちを制止した。

 大丈夫、問題ないと、そう伝える。


『で面あ寄ょななとるたからけあちかさく度はか今今おないる倒っ日!とかくはどかーせにてる母なさるてし日の後らうっあしも泣午く金ーれいあ!ろっご貨さも!なししちだてしゃ仕私僕とよ、。りた?!雪何そ?ずは越なもないではうっいん!1!お程殺!せはせえーおろ枚たにまーかすがのま私な!んけあす欲そ、ー~は事い、そ…!…か助』


 突如溢れ出した身に余る魔力。

 脳内に流れ込む異常な情報量。

 しかもそれらはぐちゃぐちゃに混ざり合い、判別できなくなっている。


「おい、クリス…………」


 口元に血が滲み、ツゥーっと鼻からも血が垂れてきたクリスに、手を伸ばしかけるアラタ。

 彼女にはもはや彼のことは映っていないのだろう。

 視覚情報に集中力を割く余裕なんてみじんもないから。

 そしてクリスは目を閉じ、さらに集中する。


 もっと、もっと深く、たくさん、人の心の声に耳を傾けろ。

 どこだ、どこにいる。

 早く、もっと、間に合ううちに、体が形をとどめているうちに。


「これ以上は」


 閉じた瞼の隙間から、赤いラインが見えた。

 目からの出血は非常に危険だ。

 人間の弱い粘膜の部分が露出していて、多くの神経や毛細血管が詰まっている眼球はまさに人間の体の中でも精密部分だ。

 そして人間の外界から摂取する情報の8割は視覚情報。

 止めるか迷うアラタ。

 そしてその思考すら邪魔になると心を落ち着かせるアラタ。

 他の者もそれに倣い、彼女の邪魔をしないように努める。


 スキルの世界は、五月蝿くて、静かだ。


『リーゼ! ノエル様を止めろ!』


 来た、そう思った瞬間、間髪入れずにクリスは情報を流した。

 パスを接続し、彼女の方から一方的に伝えた情報。


 ——ドレイクの元へ行き、カラスを迎えに街を出ろ。アラタの黒装束は壊れている。


 ——誰だ……? お前アラ——


「ブハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァ、ハァ……」


「竜玉を吐き出させろ! リャンは【魔術効果減衰】を!」


 アラタの指示で素早く隊員がクリスの口の中に指を突っ込み、かき回した。

 悪意からではなく、善意でこんな行動をとることは非常に珍しい。

 指の持ち主が数少ない女性隊員だったのは、アラタのせめてもの気遣いだろう。

 口蓋垂まで触られれば、誰だって吐き気を催す。

 胃の中が空っぽになるまでクリスは嘔吐し、その中に小さくなった魔石を確認した隊員は叫ぶ。


「出ました! 竜玉確認しました!」


「よし!」


 劇物の除去を確認すると、アラタはクリスの容態を確認する。

 口元を拭き、熱がないか、心拍異常がないか、魔力暴走を起こしていないか、痙攣はしていないか、必要な項目を確認していく。


「…………大、丈夫……だ」


「しゃべんな! 寝とけ」


「確か、に、伝……た。成……功、だ」


 クリスはそう言い残すと、体から力が抜けて一気に重くなった。

 一同に緊張が走る。


「隊長! 呼吸と脈!」


「わかっている!」


 アラタは顔を近づけ、口元に耳をやる。

 それと同時に首筋に指をあてて心音の確認。

 確かなフィードバックと、耳元にあたる酸っぱそうな息吹。


「…………大丈夫みたいだ」


 その日隊員の内何名かは、嘔吐するクリスを見て変な気持ちになったが、真面目な場所で不謹慎すぎると自らを罰した。

 そして八咫烏による城門襲撃は回避され、穏便な首都潜入への道筋が成った。

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