第185話 出来ることをやろう

「おかしいな」


「おかしいね」


「おかしいですね」


「クリスはどう思う?」


「100%罠だな」


「「「だよね」」」


 随分と息の合ってきた第1小隊は、カナン公国の首都アトラまで10kmというところまで辿り着いていた。

 そして、ここからアトラに秘密裏に帰還、対抗戦当日を待つ予定だったのだが、4人とも同じことを考えていた。

 それ故先ほどの抽象的なやり取りですべてが通じ合ったわけなのだが、彼らの予想が当たっていれば事態はかなり深刻だ。


「ま、飯にするか」


 隊長アラタの決定で休息が決まると、一同はいそいそと食事の準備を始めた。

 ウル帝国を出るときにコラリス・キングストンからもらった魚の塩漬け。

 それ自体はカナンにも出回っているが、使っている魚が違う。

 アンカムという魚の名前をアラタは聞いたことがなく、異世界特有のそれなのかと考えた。

 実際問題、このちぐはぐな世界ではどうやって生き物が進化を遂げて、どうやって魔物という不思議な存在と生態系を確立しているのか、彼には皆目見当がつかない。

 それに元々この世界に住まう住民たちからすればそれがスタンダードなのだから、アラタ以外誰もそれを疑問に思うことはない。

 だから彼もこの問題については暇なときに考える程度にとどめていた。

 魔物とは、動物とはいったい何なのか。

 そんな非常に難しい問いに頭を悩ませている間に夕食は完成した。

 アンカムの塩漬けを使ったパスタ。

 シンプルだが冬のこの時期に温かい料理を食べられるだけありがたい。

 ズルズルとパスタをすする癖のあるアラタのことを、クリスはよく嫌そうな目で見ている。

 それは彼も承知していて直そうと意識しているのだが、リャンとキィもそうするものだから、もうお手上げだ。

 喫煙者に囲まれて禁煙がうまくいかないように、面の食べ方ひとつとっても環境次第で基準は変わる。

 クリスという女性の苦悩はまだまだ続きそうだ。


「明日の予定は?」


 リャンは食後の一服と行きたい気持ちを抑えながらアラタに聞く。

 2人だけならとっくに吸っているところだが、クリスもキィも喫煙反対派。

 何よりたばこのにおいは隠密行動の邪魔をする。


「キィは俺と来い。クリスとリャンは待機。時間になったら呼ぶから、4人でまとまって監視任務、かな」


「何の?」


「まあ……明日になればわかる」


 思わせぶりなアラタの発言でミーティングは締めくくられた。

 あとは各々自由時間。

 キィは寝たし、クリスも道具の手入れを終えて就寝しようとしている。

 見張り役のアラタとリャンは夜通し警戒していなければならないのがこの小隊の大変なところだ。

 2日に1回寝ずの番をする、それは単純に睡眠時間が半分になる以上の負担を彼らに課していた。


「アラタも真面目ですね」


「日課だからな」


「日課を守ることが真面目なんですよ」


 リャンはそう言いながら日課ともいえる煙草をふかしている。

 一方アラタは刀を振っていた。

 彼がこの世界に来た時、それが彼が刀と出会ったときである。

 剣術の師はいても刀を扱うことのできる先達はいない。

 刀の扱い方を記した本は持っていても、本当の意味で刀について深い学びをする機会はない。

 おまけに魔術やスキルという力の存在。

 この世界で生き抜くために力をつけた彼の剣術はもはや我流というか独自路線を走っている。

 刃の通し方は美しく負担の少ない軌道だが、どこか効率的ではない。

 それを指摘してくれる人間はおらず、ビデオカメラなどで撮影して振り返ることもできない。

 自己感覚フィードバックに基づく振り返りのみが研鑽の指針。

 今日も彼の剣は少しだけ変化する。


「……間に合いますかね」


 キィの保護者的側面を持つリャンは、彼の前ではあまり弱気にならない。

 子を導く親のように、常に自信をもってキィに進むべき道を示している。

 だから、年齢は下でも隊長のアラタの前では反動で少し弱気になることがある。

 以前アラタを裏切り、逆に返り討ちにあった時以来、リャンは彼に心酔していた。

 敵わないと、底が知れないと、そう思っている。


「さあ? やってみなきゃ分からない」


「ですよね。でもあえて予想するなら?」


 リャンがアラタを尊敬している点は、その感覚の鋭さだ。

 決して深い考えを持つわけでもなければ、数手先を読んでいるわけでもない。

 それでも彼がこの裏社会で生きてこられたのは、ひとえに危機察知能力の高さ故である。

 一言でいえば、『鼻が利く』のだ。

 自身にとって有利なのか不利なのか、チャンスなのかピンチなのか、彼はそう言ったことに非常に勘が鋭い。

 そりゃあリャンもついていこうと考えるはず。


「方法を選ばなければ入ることは出来る」


「その方法とは?」


「…………いや、忘れてくれ」


 アラタが何を考えているのかは分からなかったが、酷なものだと思った。

 まだ20にもなっていない青年に、この責任と重圧は重過ぎると思ったから。

 リャンはアラタの過去を知らない。

 過去にこれ以上の重圧を背負って3年間戦い抜いた男であることを。

 アラタの人生から見れば、これはただの通常運転。

 彼が迷う理由はほかにある。

 そして、夜が明けた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「これで金貨1枚? 本当に?」


 男は疑いというより、こんなうまい話に乗っかっていいのか? そんなニュアンスで聞き返した。


「ええ。あなたは指定した場所で待機してもらえればいいです。どうしても欠員が出てはいけない仕事なんです。現場で待機して、何事もなければそれでおしまい、もし欠員が出ればそのまま仕事に参加してもらいます」


 彼に仕事を斡旋しているのは若そうな男。

 茶髪に片耳ピアスといった風貌の彼は世界が違えば大学生あるいは高校生らしい出で立ちをしている。


「現場待機か。何をするんだ?」


「荷物運搬ですね。重量物を取り扱うので欠員が出ると大変なんです」


 どうやら彼は人材派遣を行うことを仕事としているらしく、金貨は今日の報酬らしい。

 金貨1枚といえばアラタの元居た世界で10万円相当、明らかに法外な値段。

 そんなに大事な仕事を町で拾ったそこら辺の人に任せてもいいのだろうか。

 疑問は残るが、男はこの話を受けた。

 彼も働き口には困っていたから。


「大丈夫ですよ。現場までは私が案内しますから」


 その一言が後押しとなり、2人は男の案内するままに待機場所へと向かうことになった。

 彼の話だと、待機場所はアトラと目と鼻の先にある住宅街らしい。

 男はポケットにしまった金貨を確認する。

 冷たい金属の冷たさが、彼を温める。

 単純計算で日給10万円を手に入れる。

 そんなことがあれば人は喜んで体に鞭打ち働くだろう。

 

「にしても、他の方はいないんですね」


 きょろきょろとあたりを見渡すが、彼ら2人のほかには誰もいない。

 通行人はいるのだが、彼と同じ仕事をしそうな見た目をしている人も、同じく待機する人間も全くいない。


「あの、他の人はいな——」


 そこにいたはずの茶髪の男は消えていた。


「あれ?」


 男は後ろにいたはずの紹介人の男を探す。

 振り返り、トイレに行ったのかと辺りを探す。

 だが彼は見つからなかった。

 まるで煙のように、霧のように消えた。

 初めからそこには誰もいなかったように、狐に化かされたように。


「ちょっといいかな」


 騙された、そう男が理解したとき、彼は20人ほどの屈強な男たちに包囲されていた。


「ここで何をしていた?」


「あ、いや、その…………」


「アトラ警邏機構だ。ちょっと話を聞かせてもらおうか」


※※※※※※※※※※※※※※※


「アラタは本当に賭け事が弱いですね」


「だぁーもう! 俺だって待ち構えていると思ったっつーの! 初めから賭けなんて成立しないんだよ!」


 4人が合流した後、一番初めに行われたのは掛け金の清算だった。

 アラタが負けた分を3人で等分する。

 あまり旨くない取り分だが、これだけわかりやすい結果が出るなら楽なものだろう。

 対象は身代わりが捕まるか否か。

 アラタは捕まらないほうに賭け、他3人は逆に賭けた。

 結果は御覧の通り、アラタの負け。

 参加料は銀貨1枚なのでそれを3等分する。

 5千円を失った隊長のテンションは急降下している。


「はーい、それでは今後の予定を伝えまーす」


 金貨1枚も自分の持ち出しで、財布から金貨と銀貨1枚ずつが天に召された彼の眼は死んでいた。


「とりあえず、他の部隊と合流、それとエリーの逃走ルートを確保します」


「合流地点にメッセージを残しておくだけでいいのでは?」


 リャンはアラタの案に改善点を見出した。

 合流に人を配置しておく余裕があるほど八咫烏は大きな組織ではない。


「そうだね。それ採用。じゃあ予定変更、大公選後の逃走シナリオを描いて、それの演習を繰り返す」


 適当に言ってみただけだったのか、彼も簡単に予定を変更する。

 このこだわりのなさというか柔軟性がリャンには心地よい。


「だがアトラに入れないと話にならないぞ。手はあるのか?」


 クリスの心配は大公選の前段階にある。

 アトラに入れなければ万事休す、不正の証拠を突き付けるどころの話ではなくなる。


「それはなぁ……」


 無策なのか、アラタも頭をかく。

 実際、内側からハルツやドレイクを呼び出すことができればそれで片はつく。

 合法的に出入りすることもできるし、なんなら証拠だけ預けることもできる。

 問題なのは情報連絡手段がないことだ。

 破壊することでタイミングを伝える魔道具も無く、決まった連絡手段もない。

 コラリスの名前を借りての親書偽造はばれたときが怖いし、それ以外の一般郵便物はすべて検閲が入る。

 警察機構はレイフォード家が抑えているのだから、うかつな真似をすれば一つの行動ですべてが吹き飛びかねない。

 アラタは頭をひねって考えたが、答えは出ない。


「少し考える。何か案があったらいつでも教えてくれ」


 そしてアラタは合流地点へと向かった。

 八咫烏の他の小隊にメッセージを残すためである。


 ——ばらばらに潜伏、合図を待て。

 ——その間、魔物を捕獲しておくこと。

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