第156話 私にできる選択

「いいや、恨む理由は無い」


 そう言うと、アラタは笑みを浮かべた。

 スポーツマンらしい爽やかさなど微塵も、欠片程もない。

 カナン公国の裏社会を渡り歩いた、残忍で狡猾な笑みを、浮かべたのだ。

 仮面の奥での表情だ、誰にも見えていない。

 だから敵の行動は変わらない。

 アラタを討ち取り何も知らずにノコノコやって来る後続を叩く。

 黒狼、8名の名前は、アーキム・ラトレイア、バートン・フリードマン、ダリル、アサド、デレック、ギャビン、デリンジャー、そしてエルモ。

 その内6名は特務警邏出身者、退職や行方不明になった者たちだ。

 彼らが今ここにいるということは、仕掛けた罠は通用しない。

 それでも、アラタは笑った。

 仮面の奥で笑いながら刀を抜き、魔力を練り、だがしかし、抑えきれない笑みが仮面の外へとこぼれ出る。


「かかれ!」


 先日アラタが斬った方の魔術師がトップらしく、彼の号令で黒狼たちは攻撃を開始した。


「くくっ」


 飛来する矢に対し、アラタは刀を地面に突き立てた。

 魔力属性は水、水陣を敷く構えだ。

 しかし彼のすぐ近くには裏切り者のリャンが【魔術効果減衰】を使用している。

 いくらアラタが刀を使っていた所で、かなりの速度で飛んでくる矢を防げるレベルの術は発動できないはず。


「……は?」


 リャンは見た。

 水の壁の向こうにいる男が、あろうことか雷撃を起動している所を。

 彼のスキルは魔術全てを打ち消すわけではない。

 故に減衰効果を織り込み済みで魔術を発動しようとすれば狙っただけの効果は期待できる。

 例えるなら、水陣5回分の魔力で初めて魔術がまともに起動すると言った所か。

 しかし、それに加えて雷撃も同時起動となれば話は変わる。

 魔術回路も魔力で構成されている以上、リャンのスキル対象であり、当然操作難易度は跳ね上がる。

 それでもアラタは実現した。

 彼の実力は把握しているつもりだった。

 アラタが魔術をまともに使えない程度にスキルを発動させたつもりだった。


「俺、結構鋭いんだぜ」


 振り返った白い仮面の奥底に、底冷えするような冷たさの眼があった。

 刺すような、全て分かっていたかのような、何も信用していないかのような眼光。

 事も無げに矢を防ぐと、お返しとばかりに雷撃を放つ。

 紫電は5方向に飛んだが、流石に距離がありすぎて躱される。

 だが、アラタの戦い方を知っているものなら分かる。

 その雷撃は、敵を動かし、自分の制御下に敵を置くための魔術である。


「もらった」


 アラタがメイス使いに向かって走り出したとき、その隣にいた弓手の弓の弦が切り落とされ、次いで彼自身の首も掻き斬られた。

 一瞬だった。

 どこから湧いたのかと聞きたくなるような神出鬼没さは、黒狼の専売特許ではない。

 彼らのルーツである、先達である特殊配達課、彼らの十八番だ。


「ぉおお!」


 大振りのメイスが黒装束に迫る。

 それをタンポポの綿毛のようにひらりと躱すと、彼女の陰から更に小さな体が1つ、メイス使いに襲い掛かった。

 得物はショーテル、日本刀とは逆の反りが入った変わり種の武器だ。

 メイスを振り切った敵の隙は大きい。

 今ならどこでも狙い放題のキィは、スライディングしながら引っかけるように足を薙ぐ。

 黒装束と同じ防御力を持つ敵の装備に、流石に足を落とすまでは至らなかったが、腱まで到達してそうな深さの斬撃は武器に血を纏わせる。

 続くのはクリス、短剣を逆手に持ち、敵の喉元に迫った。

 ここまで来れば敵も対応できるもので、メイスを手放し山刀のような太く短い剣を引き抜く。


 防御は間に合う、後は体格差でゴリ押して……


 男、デリンジャーの思考はそこで終わった。

 同時に彼の生涯も、そこで終わった。


「ふうっ」


 死神の鎌のように、背後から首を取ったのはキィのショーテルだった。

 その姿を見て、リャンは驚き、そして全てを悟った。

 自分は泳がされていたのだと、自分は嘘の情報に踊らされてまんまとアラタ達の術中に嵌ったのだと、そう理解した。


「退くぞ! 撤退だ!」


 術師、アーキム・ラトレイアは作戦の失敗を確信し、すぐさま撤退命令を下した。

 なるほど判断は早い。

 だが、それ以前に勝負は決まっていた。

 いつ帰るのかではない、この場に来てしまった時点で、彼らの運命は確定していたのだ。


「あぎっ」


 後詰めの魔術師が数本の槍に貫かれた。

 ビクンビクンと体を痙攣させて、血を噴いている姿はこの世の地獄そのものだ。

 いくら痛覚軽減があろうと打ち消せない痛みに苦悶の表情を浮かべ、敵は死ぬ。

 アラタ、クリス、キィがこの場にいることは既に分かっていたが、黒狼たちにとって絶望的な展開は続く。

 完全に死体が硬直する前に槍を引き抜く、そんな彼らはいったい何者か。

 統一された装備、身体の重要な部分を覆っているプレートアーマー。

 胸部にはカナン公国の国章が刻まれている。

 アラタ達のような非正規組織の構成員などではない。

 れっきとしたカナン公国中央軍の兵士。

 それが8名、2個分隊。

 黒狼は3人死亡、残り5人とリャン・グエル。

 黒装束3人と8名の正規兵。

 個人戦闘力は黒装束に及ばない黒狼、その戦況は絶望的だった。


「投降しろ。殺しはしない」


 ドスの利いた声が森の中に響いた。

 ハルツ・クラークだ。

 他の仲間はいないのか、彼だけが剣を抜いて投降を促している。

 アラタは黒狼が自決するのではないかと思った。

 その前に無力化して、自殺出来ないように拘束するべきだと、そう思っていた。

 しかし、その考えは杞憂に終わることとなる。

 呆気なく敵は武器を捨て投降、黒狼はお縄についた。

 3名死亡、リャンも含めて6名の逮捕者を出した事件はこれにて閉幕と相成った。

 アラタたち黒装束に被害は無く、兵士たちも同様に無傷だ。


「アラ……ではなくA」


「いいですよ。ここにいるやつは全員知ってます」


 最近自分が死んだ身であることを忘れがちになるくらい、秘密を共有する人間が増えているアラタはAと呼ばれるのもなんだか空しくなってきていた。

 どうせバレているのにこんなに気を遣ってあほらしい、そんなところだ。


「そうか。今回もよくやってくれた。これからどうする?」


「エルモの話では増援は無いらしいです。けどまあ一応残りますよ。帰ったところで先生に仕事を押し付けられるのがオチですから」


 彼が残るという言葉を聞いて、ハルツは明らかに嬉しそうにしていた。

 後処理があるからこれにて、そう言い残しその場から去ろうとするハルツ。


「ハルツさん」


「なんだ?」


「リャン・グエルの身柄はこちらで預かります」


「ダメだ」


 先ほどまで気さくだったハルツはやや食い気味でそう言った。

 まるでアラタがそう言いだすことが分かっていたかのように。


「じゃあ【魔術効果減衰】ホルダーを1人こっちにくださいよ」


「そういう訳には……だがなぁ」


「この話は先生も噛んでいるんですよ? お願いしますよぉ、いいでしょ?」


 蛇のようにじっくりと周りから埋めていくようなアラタの言い方に、ハルツもたじたじだ。

 アラタ自身に大した実権はないが、背後にいるドレイクを敵に回すと痛い。

 敵になるような事案ではないが、機嫌を損ねることをするべき相手でもないのだ。

 ハルツはひとしきり悩み、その間ウンウン唸り続けると、ため息の末に折れた。


「あとで顛末を報告すること。いいな?」


「了解です」


 それだけ言うとハルツは捕虜や兵士たちと引き上げていった。

 残ったのはアラタ、クリス、リャン、そしてもう1人。


「エルモさんは帰っていいんですよ?」


「いやぁ、特務ってレイフォード派閥だし、帰るところないなー、なんて」


 遠回しに面倒を見てくれと言わんばかりにアラタの方をチラチラ見ている男は置いておくとして、アラタは裏切り者のユダの前に立った。


「殺してください」


「いやだね。さっきも言ったけど【魔術効果減衰】は惜しい」


「アラタには効かなかったみたいでしたが」


「あれは別の人のスキルで相殺していただけだ。知らなかった?」


 以前、ギルド支部長を討伐した際の経験で、スキル同士の効果が拮抗して正常に機能しない例があることを彼とクリスは知っていた。

 今回もそうやってリャンのアドバンテージを潰したという訳だ。


「そう……でしたか」


 ここまでしっかりと自分が裏切る対策を講じられて、全て掌の上だったと痛感して、リャンはうな垂れる。

 勝てないと、そう率直に感じた。


「リャン、家族が大事か」


「はい」


「大公選が終わって、任務が終われば家族の所に帰れるのか?」


「はい」


 それを聞くと、アラタはその辺を少し歩く。

 落ちていた小石を蹴ってみたりしながら、何かを考えているようだ。

 やがて考えがまとまったのか、彼は再びリャンの前に立った。


「お前が死んだら家族はどうなる?」


「金が支払われて、それきりになります」


「そっか。なあ…………」


 アラタはリャンの背後に回り、耳元に囁くように、それでいて周囲にも聞こえる声量を出した。


「家族、自分、仲間、全ては守れない。1つ捨てろ、この中から、たった1つでいい、捨てろ」


「……家族を捨てろというのですか。それなら私は——」


「自分を捨てろ。お前が死ねば家族には金が入る」


 死ねと言われたリャンの耳に、背後から鯉口を切る音が届いた。

 刀を抜いたのだ、自分を斬るために。


「最後に言い残すことは?」


「ありません」


「よし!」


 一振り。

 振り下ろされた刀をそのまま納めるアラタ。

 血は拭かない。

 刀には血なんて付いていないから。


「アラタ……これ、は…………?」


 斬られた縄は拘束力を失って地面に落ちている。

 後ろを振り向くと、アラタが額の汗を拭い、いい仕事をした、そんな顔をしていた。


「いやぁ、間違って手首斬ったらどうしようかと思ったよ。どうクリス? 俺結構うまくない?」


「どうでもいいから早くその裏切り者に声をかけてやれ」


「口悪いなぁ」


 拘束が解けても地面に座り続けている彼に、アラタも同じく膝をついて目線を合わせる。


「殺すのでは……」


「さっきも言っただろ。【魔術効果減衰】はレアだ」


「私は裏切ったんですよ。それを何故……」


「帝国と俺らと、板挟みを解決しないで使い続けた俺らが悪い。リャンには悪かったと思うけど、いつか裏切ると思ってたよ」


 少し笑いながらそう答え合わせをされたリャンは酷く惨めな気持ちになる。

 一応自分も敵国に潜入するだけの能力を評価され、訓練も受けてきた。

 それがここまで圧倒的に叩き潰されたのだ、自分の数年間は何だったのかと思いたくもなる。

 しかし彼のそんな心中なんてお構いなしに、目の前にいる優しいのか無神経なのか考えなしなのか分からない男は話し続ける。


「お前が死ねば、家族に金が入る。その代わり国境破りでもしない限り家族には会えなくなるけどな。じゃあどうするか。お前も知ってるだろ? 俺とクリスが今どんな状況か」


「身代わり、ですか」


「そう。人の命も使わない、クリーンな材料で作る。家族に会えないのはこの際諦めろ。キィもな」


「僕家族リャンしかいないもん」


「まあそれでいいや。自分を捨てろ。家族には匿名でもなんでもいいから仕送りしてやればいい。あと残るのは1つ、仲間だ」


「…………仲間」


「そそ。俺を選べ。それで足りないならクリスも、キィも、先生も、皆を選べ。それがお前に出来る選択だ」


「私にできる選択、ですか」


「そうだ。俺らと一緒に来い。リャン、お前の力が必要だ」


 ……全て無に帰してしまうと、そう思っていました。

 自分はここで終わり、一族はその文化と共に徐々に擂り潰されてしまう、そうなると思いました。

 でも、そうでないのなら、それ以外の選択肢があるのなら。

 まだ生きていていいのなら、生きて生き恥を晒す選択肢があるのなら。

 私の命は家族の為にある、でも……


「此度の背信行為、誠に申し訳ありませんでした。願わくば、許されるなら、一度死んだこの命、皆さんの為に使わせてください」


 リャンは差し出されたアラタの手を取った。


「よろしくな! クリスとキィもそれでいいな?」


「うん。もう裏切っちゃダメだよ!」


「はい」


「次は無い。ラストチャンスだと思って命を懸けろ」


「はい……!」


「クリスまじさぁ、ちょっとは優しい言葉とか……まあいっか。リャン、あいつ俺にせめて命だけは助けてやるべきだって言いに来たんだよ? 知ってる? これツンデレってやつだよなぁ?」


「黙れ、帰るぞ」


 一周回ってあまり意外性のないクリスの一面が知れたところで、一行は本来の拠点へと戻る。

 黒装束の後ろをそそくさとついていく元特務警邏職員エルモも一緒に。

 その最後尾をリャンは歩いて行く。

 隣のキィは彼の事をしたから見上げて、気付いた。


「ねえ、リャン何で泣い……ううん、やっぱり何でもない!」


「……………………はぃ」


 特殊配達課の後継組織、黒狼の壊滅、そして逮捕。

 脅威が去り、ノエルがリハビリに専念できるようになったという事実は、護衛達の緊張感を一気に和らげ、ハルツの胃痛は少し改善した。

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