第157話 風呂に入ろう
「エルモさんは帰ってくださいよ」
「そんなつれない事言わないでさ、俺もこっちがいいんだよ~」
オーベル村にノエルが到着する日、黒装束たちは特配課が残していた拠点から村を見下ろしていた。
そこには炊事の煙が上がっており、彼らの任務に区切りがついたことを表している。
だがそれはそれとして、魔物が増えている地域で半野宿であることに変わりはないので、アラタはキィと一緒に歩哨を終えたばかりだった。
今すぐ寝たいのはやまやまだが、彼らは我慢の限界だった。
そう、風呂に入りたいのだ。
一応湯を沸かすことも出来るので今まではお湯と布で体を拭くくらいのことはしていたのだが、ドレイクの家を拠点とする彼らにそれは少し堪えた。
特配課時代も風呂はあったのだ、衛生的な面は少し甘やかされ気味の彼らは切実に頭が痒い。
シラミが湧くには程遠いが、凄まじくイライラするくらいには気になる。
ということで、彼らは風呂を作る任務を自らに課した。
夜勤明けでしんどいことこの上ないが、どうせ寝るのなら風呂に入ってからがいいと2人も作業に参加する。
石を運び、川に穴を掘り、流れのほぼない場所を作るのはリャン、キィが担当する。
石を焼くための薪を探して来るのはクリスの役目だ。
で、アラタは何をしているのか。
「も、もう無理。これ以上はマジでしんどい」
「ほらほら、頑張って! あと少しだよ!」
「エルモさんさぁ、あんたマジで……はぁ」
息も絶え絶えになりながら彼は魔術で水を作っていた。
水を操作するのではなく、水弾などの要領で真水を作り出すのである。
クリスが髪を洗うのに川の水など論外だと言ってきかないのだ。
俺は川の水でいいからよかったぁ、そう言ったアラタに突き刺さる彼女の視線は彼の持つ壊れない刀よりも鋭かったという。
そのくせ自分ではそれだけの水を作り出すことが出来ないのだから、彼の苦労も底が見えない。
人使いが荒い彼女と、ナチュラルに人に使われる性格の彼の相性は一方から見れば良好で、もう片方から見れば最悪だった。
傍から見ているリャンやエルモは断ればいいのに、そう思っているが、特配課の上下関係は絶対なのだ。
なまじ元々アラタにそう言った仕組みに対する耐性があったせいで彼も普通に受け入れている。
こうして1人用の浴槽一杯分くらいの水弾を使い倒したアラタは、冬の河原で突っ伏してしまった。
もう無理、それが彼の最期の言葉だった。
「もう少し熱くしてくれ」
「はいはい」
大きめの布で作った即席のカーテン1枚隔てて、温度調節の指示がアラタに飛ぶ。
彼は言われたとおりに焼き石を1つ水の中に落として様子を窺う。
何もないから大丈夫らしい。
カーテンの向こう側ではクリスが一糸まとわぬ姿で入浴中なのだが、おふざけでもいたずらしようものなら確実に串刺しになる。
エルモの姿が森の中に消えたことは知っていたが、そんなことはどうでもいいと捨て置く。
きっとアラタは彼が死体で発見されても特に何も思わないだろう。
……長いな。
女の子の入浴時間ってどれくらいだったっけ?
絶えず湯加減を気にしたりしているせいで、随分とクリスの入浴時間が長く感じているアラタだったが、『長くない?』と聞けば必ず少し不機嫌になることは分かり切っていた。
だが先ほどから返事もなく、寝ているのかと思えてくるのだ。
寝ていたら危なく、そうでなければ自分の命が危ない。
究極と呼べないこともない2択を前にして、彼はどちらを選ぶのか。
……よし、開けよう。
溺れてたら危ないし、最悪怒られてもいいや。
「クリスー?」
最後通告とばかりに声をかけ、無反応であることを確認すると、アラタは意を決してカーテンを開けた。
「……死んでなくてよかったけど」
どうやら彼は自身の眼でクリスの安全を確認したようだ。
そして即処刑されない辺り、彼女は寝ていると考えられる。
この時、アラタにはいくつかの選択肢があった。
まず、普通に起こす。
彼女の意識が覚醒したその0.05秒後にはアラタの顔面に拳が入り、最悪殺される。
次に、放置する。
しかし溺れる危険性は残り続ける為、彼女が目を覚ますまで見張っていなければならない。
これもクリスが起きてから0.05秒後に殺される。
最後に、といっても他に方法はいくらでもあったのだが、アラタが思いついた最後の手段はというと……
「クリス、おい、起きろ」
濡れた髪と頭をペシペシと叩く。
2,3回触られ、反射的に動く彼女の右拳。
水が跳ね、湯から上がった音が鳴る。
時間は0.05秒を経過していたが、アラタのうめき声や悲鳴は聞こえない。
「貴様、なんだその恰好は」
「いや、身の潔白をね」
「ふむ」
クリスは少し止まり、再び湯に浸かりながら考えた。
目の前の不届き者、寝ていたのは私の落ち度なのだし、こうして目隠しまでして起こしてくれたのだ、怒るのは筋違いなのではないか。
そんなことを考えている彼女の眼のまえには、タオルで目隠しをしている軍手を着けた黒装束という、統一感の欠片もない迷走した大道芸人のような出で立ちの男がいた。
彼女の考えたように、彼を責めるのは筋違いもいいところである。
ただ、クリスには一つ、疑問が残る。
「おい」
「何でしょうか?」
「お前、何で目隠しをして私の位置が分かった」
「いや、順番に探っていってですね……」
「お前が湯に落ちるかもしれないのに?」
「いやぁ、そうっすね」
「質問を変えよう。いつから目隠しをしていた?」
「……寝ているのを目視で確認してからですね」
この選択肢では、エンディングまで30秒の猶予があった。
ノーマルエンドやバッドエンドでは0.05秒なのだ、健闘したと言える。
どちらにせよ同じ結末じゃないか?
これはいわゆる負けイベントというやつであるからして、選択以前に結果は決まっているのだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
「女運がない」
「そんなこと言っていると、どこかの誰かに噛みつかれますよ」
「誰やねんそれ。本当の事だろ」
「否定はしません」
左頬にグーパンの痕がくっきりついているアラタとリャンは今入浴中だ。
キィが面倒を見てくれているので特にカーテンなどは必要なく開けっ放しになっている。
「俺も普通の女の子と友達になりたい」
彼の切実な魂の叫びが天に聞き入れてもらえる日は来るのか。
リャンは手桶で水をすくい顔を洗うと立ち上がる。
「類は友を呼ぶということもありますよ」
「おい、それどういうことだ」
「さあ?」
アラタはまだ浸かり足りないのか川に入ったまま反論する。
あんなのと一緒にするな、と。
「
「アハハ、そうだといいですね」
そう言うとリャンは服を着てその場から去っていった。
少し変わったように見える仲間に、アラタは戸惑う。
元々見せていたのは余所行きの顔だったとして、今のあいつが本当のリャンの素顔なのかもしれないと、そう思った。
ただ、
「……俺は普通だろ」
その後風呂から上がったアラタはキィとついでにエルモの入浴の面倒を見て、それから寝た。
任務は継続中だが、だいぶ緩い仕事になったのだ、たまにはこんな日もいいだろう、そんな思いを抱き、まどろみの中に落ちていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「なあ」
「何だ?」
「ノエルちゃんの状態、どう見る?」
ルークにそう言われたハルツは、この村でもアルミラージを狩り続けているノエルをジッと見る。
黒狼の捕縛から1日、何も知らないノエルは今日もリハビリに専念している。
そう言うことがあったと教えても良かったが、今の彼女に余計なことを言う必要は無いだろう。
サヌル村よりかはだいぶましになったが、それでもF~Eランクの魔物に苦戦するCランク冒険者。
「そうだな、まだ道半ばと言った所だ」
「じゃあ例の人の力を借りる方向性か?」
「だな。何なら先に向かってくれないか? 分隊をつけるから」
「了解」
ルークは兵士4人についてくるように言い、その場を後にした。
これから向かう場所に前乗りして準備をするらしい。
彼らが何か話しているのが気になったのか、ノエルの視線が彼らの方を一瞬向く。
しかしすぐにまた魔物を追いかける。
全盛期の彼女に比べれば完全に別人だ。
まるでお話にならない、この程度では冒険者としても2流3流、おとなしく貴族として生きていくように諭すレベルだ。
それでも、ハルツはそうする気にならなかった。
今回の件を受けてノエルを冒険者から引退させる話が無かったわけではない。
ただ、彼女の意思やクラスのポテンシャルを考えた結果、ハルツやその兄イーサンの後押しもあって彼女はこうしてリハビリに取り組んでいる。
裏でそんなやり取りがあったことなどノエルは露ほども想像しないだろう。
だがハルツはそれでよかった。
余計なことを気にする必要はない。
厳しい道のりは、常人には不可能な道程は懐疑的な目で見られ、時に善意の邪魔が入る。
そんなものを気にする必要はない、知る必要もない。
ただ、貴方は前を向いていたらいい。
前を向いていて欲しい。
昔からそんな貴方に、私は……俺は何度も救われてきた。
ノエルの剣が、先ほどまでとは明らかに異なる速度で振り抜かれた。
風切り音の質も違う。
空気の隙間を通すような短く鋭い音だ。
攻撃は当たっていない。
相変わらずアルミラージは結界の中で逃げ続け、ノエルはそれを延々と追いかけている。
しかし、そのひと振りが他と違うことは他ならぬ自分が一番よくわかる。
「~~っあ……わ、わたた! やっ、リーゼ!」
「いい感じですよ! もう少しです!」
「うん!」
新年、冬青空の下、若き剣聖は再起への一歩を踏み出した。
2歩3歩と続かないかもしれない。
すぐ立ち止まってしまうかもしれない。
もしかしたら後ろに退がることもあるかもしれない。
だが、ハルツはこの時確信した。
ノエル・クレストは必ず復活すると。
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