第154話 視線は顔の少し下

 昼食を終えた黒装束一行。

 休憩時間ではないので食事を終えた者からまた監視に戻る。

 しかし、剣聖の力をうまく引き出せない少女を望遠鏡で眺めていても暇、半分は休息を取るように言った。

 今監視を請け負っているのはアラタとリャンだ。


「リャンの出身地ってウル帝国で合ってるの?」


「そうですけどそうじゃないです」


 モーガンが気になる一言を放った時、隣にはアラタもいた。

 リャンの歯切れの悪さの原因がその辺りにあることは何となくわかる。

 そして、それが非常に込み入った話であることも。

 しかし、アラタは踏み込む。

 入ってきて欲しくなくても踏み込む。


「グエル族は吸収されたのか?」


 団結させられたグエル族、モーガンはそう言っていた。

 アラタのように言葉通り受け取るなら、ウル帝国に団結させられた、吸収された、合併したと考えられる。

 リャンは望遠鏡から目を離した。


「……そうです。自治区なんて言っていますけど、実質的に山に住む大小150の民族はウル帝国の支配下です」


「そうか」


 アラタが考えていたよりずっと重い話が出てきた。

 そこまでとは思わないじゃないか、とアラタは無闇に人のプライベートに土足で踏み入った後味の悪さを味わわされている。

 それと同時に、そんな民族の出身ならリャンは自分の知りたいことを知らないのかもしれないとも思った。

 しかしここまで言ってやっぱり何でもないですとも言えず、話題替えも含めて本命の問いを投げてみた。


「ウル帝国にいるさ、剣聖のことは知ってる?」


 知らないって言われて、それで会話が終わって気まずくなっちまうのかなぁ。


 話の振り方があまり上手くないアラタは自身の話術の引き出しの少なさを恨んだ。

 コミュ障ではないが、いつも人の輪の中心にいるわけではない中途半端さを。

 だが、リャンは彼の聞きたいことの本質を見極めたみたいで、アラタの知りたいことを話してくれた。


「剣聖、帝国序列第3位、オーウェン・ブラックですか。知っていますよ」


「マジ?」


「ええ。彼は有名ですから」


「強い?」


「もちろん。カナンにはいないAランク冒険者ですから」


「はえー」


 アラタにはAランク冒険者がどれほどすごいのかよくわかっていない。

 ただ、ハルツや他のBランク冒険者がAランクに昇格すると言った噂すら聞かないことから、その階級の間に大きな壁が存在することは薄々わかっていた。

 実際、カナン公国ではアレクサンダー・バーンスタイン、現在のシャーロット・バーンスタインが冒険者を引退してからAランクに到達する者は1人もいない。

 それだけ特別な称号に手が届いた人と同じクラス、アラタはノエルの肩にかかる期待の重さの理由がなんとなくわかった。

 プロスポーツ選手の子供と同じなのかなと、そう思った。


「ブラックはそこまで呪いを克服することに手間取らなかったと聞いています。彼が第3段階をクリアしたのは16歳の時ですから」


「1年で?」


「はい、その翌年にはAランク冒険者に」


「やばいな」


 アラタの中には、剣聖のクラスを使いこなすには時間と才能と労力がかかるという認識がある。

 彼が冒険者だった頃、一緒にクエストを受けていたノエルという人間はクラスの力なしでも決して弱くなかったし、その彼女をして超えられない壁、それが剣聖の呪いだと思っていた。

 だが、世界には才能と運と努力を惜しまない性格を持った化け物もいて、そんな彼にとっては剣聖の呪いも大したものではなかったのだろう。

 そんな彼のやり方を聞いたところでノエルに何かプラスになる事があるのか。

 リャンの話を聞き続けたアラタはそう思ったが、一応今度ハルツに合った時にその話をしようと決めた。


 午後も2時を回り、監視役が交代した。

 リャンはそこに残り続け、アラタとクリスは拠点内で作戦会議だ。


「でさ、リャンは帝国の剣聖のことを教えてくれた」


「どこまで信じるかだな」


「まあそれはそうだけどさ」


「問題はこっちだ」


 2人の会話の内容からして、リャンの言葉をそのまま鵜呑みにするようなことはないようだ。

 今は仲間でも元は敵。

 しかも仮想敵国からのスパイだ。

 2人がわざわざ2人きりになり、広げた地図はカナン公国西部のそれ。

 現在ノエルたちが滞在しているサヌル村を始めとして、エリン男爵家が治めている6つの村とマッシュ男爵家が治める4つの村が描かれている。

 他にも村の人間たちが物を売り買いするような大きめの街が1つあるが、今回彼らがここに向かうことはない。


「剣聖の治療にはどれくらいかかる?」


「ハルツさんの話だと正直不明。だからリャンの話しか参考にならないんだよね」


「そうか」


 クリスはペンを持ったまま頬杖をつく。

 アラタとは違ってインクを必要以上に使うことも無いので手も袖も紙も汚れることは無い。

 ペンを走らせるクリス。

 そこにはアラタが学校で見た初歩的な計算式がいくつか刻まれている。

 およそ10日間。

 それが彼女の出した、迎撃施設建設にかかる時間だ。

 それを2で割る。

 つまり作業をする人数は2人。

 答えは5日。

 そこまで計算が終わるとクリスはペンの羽の方で地図を撫でる。

 サヌル村からグンダサ、ヒッソス、オーベル、そこで彼女の手は止まった。


「オーベルで行こう」


「調査も済んでるしな」


 迎撃地点の選定にアラタも同意し、決戦までのカウントダウンが開始された。

 今より5日間の後、オーベル村近郊の要地にて、キィの発案した作戦を基に黒狼を殲滅する。

 そうと決まれば後は早い、というか早くしなければならない。


「クリス、キィとここを任せた」


「分かった。あとこれを」


 てきぱきと自分の荷物をまとめるアラタに、クリスは何かが入った小袋を渡した。

 アラタはそれを受け取り、荷物の中に押し込んでいく。

 スコップやロープなど、次々と収納されていくそれらはアラタが持ってきたものだけでなく、特配課がこの場所に残したであろうものも多く含まれている。

 元の持ち主が誰かなど知る由もないが、それらを手に取る度にアラタの脳裏には黒装束の仲間たちの顔が浮かぶ。


 死んでも繋がっている。


 遺されたものを通じて、アラタはそう思った。


「リャン、出るぞ」


 彼が2人分の荷物を用意して、監視役についていたリャンに半分投げる。

 大きめのリュック2つで足りるような行程には思えないが、それだけ運搬する物資を切り詰めているということだろう。


「2人で罠を張るんですか?」


 キィがこの作戦を言い出した時点で嫌な予感はしていたが、やっぱり自分とアラタだったかと、リャンは肩を落とす。

 ただ、全体の意思が絶対の黒装束において自分一人だけの我儘は通用しない。

 諦めて荷物を背負うと、リャンは手元にある時計型の魔道具に魔力を流した。


「いるか?」


「いや、いません。今なら問題ないはずです」


 魔道具を懐に仕舞うと、男たちは歩き出した。

 馬は使わない。

 彼らはこれから数日かけてオーベル村までの道のりを歩き……走るのだ。


 ——アラタ。


 ——うん?


 ——分かっているな。


 ——ああ。


 スキルによる秘匿回線で何やら意味深なやり取りを交わしたアラタとクリス。

 彼らは心中に何を隠しているのか、それを知る者は誰もいない。


※※※※※※※※※※※※※※※


「はぁーあ!」


 風呂上がりのノエルはベッドに座ると、天井を見上げながら今日の結果を吐き出した。

 完膚なきまでにダメダメだったのだ、いっそ清々しいまである。

 彼女とリーゼの部屋は別だが、剣聖の呪いだけはしっかり発動し続けているノエルの身の回りのことを手伝うために、寝る直前まではリーゼも同じ部屋にいる。

 髪を乾かしていたリーゼは突然何事かと思ったが、特に意味は無いと分かると意識を髪に戻した。

 無言の中、視線を感じる。

 この部屋に自分以外の人間はノエル以外いないわけで、それじゃあ視線の主は、ということになる。

 ジーッと見つめてくるノエルに対し、『多分これ話を聞いて欲しいパターンですよね』と彼女は椅子に座り、長期戦を覚悟してかコップに水を注いだ。


「どうしたんですか?」


 2人の会話はこの形から入ることが多い。

 自分から聞いて欲しいと話題を提供することもよくあるノエルだが、基本的に甘えたい彼女は甘やかしてくれる人を常に欲している。

 どうしたんですか、話を聞きましょうか、と近寄ってきてくれるリーゼの事が大好きなのだ。

 それからはいつもノエルが気が済むまで、ひとしきり話し終えるまでノンストップで話し続ける。

 今日も今日とて同じ流れだった。


「今日ダメだった」


「そうですね」


「力を使い過ぎて契約に触れるのが怖かったのかもしれない」


「確かに」


「こんなんじゃ父上の役に立てない」


「大丈夫ですよ。それより皆ノエルが元気になる事を待っていますよ」


 ここ最近ずっと弱気な日々が続いていた。

 無理もないことだが、長い間一緒に過ごしてきたリーゼから見ても、かつてないくらいツイていない毎日がノエルは続いていた。

 頑張ろうと、もう折れないと心に決めても現実は簡単に彼女を拒絶する。

 別にこれはノエルに限った話ではなく、誰にでも当てはまるごくごく普通の現象だ。

 トラブルにはトラブルが重なる。

 ミスは連続する。

 何かを始めようとすると他のことが邪魔をして中々集中できない。

 大なり小なり、それはいつもどこかで起こっていることで、その番が今、たまたま彼女に巡ってきただけだ。

 自分に起きていることを正しく認識することはかなり難しいが、他人に起こっているそれは少し見やすい。

 リーゼから見て、ノエルの運気が下がり気味であることも、何をしても裏目に出ることも、はっきりと分かっていた。

 だからこそ、今を乗り越えなければ先は無い。

 その今を乗り越えるために、自分はここに、ノエルの隣にいるのだと、彼女は自分の役目をそう解釈した。


「ノエル」


 隣に座り、碧い双眸はノエルを映し出す。

 手のしなやかさは貴族の子女のそれだが、クラスとスキル、魔力を流せば怪力を生み出す白い手は、今はノエルの頭に優しく置かれた。


「剣聖の力を引き出すには気力が必要です。でもノエルに元気がないのなら、私が分けてあげますから。いつもノエルから貰っている分、お返ししますから」


「……うん」


 ノエルの頭がリーゼの肩にもたれかかり、そのままリーゼは妹のようなこの幼馴染を抱擁する。


「だからあまり落ち込まないで、また明日から頑張りましょう。ね?」


「うん。………………リーゼ」


「何ですか?」


「苦しい」


「あっ、すみません」


 リーゼはいつの間にかすっかり胸の中に押し込んでいたノエルを解放する。

 気が付かないうちに抱き締める力が強まっていたみたいだ。

 ノエルはリーゼの胸の中から脱出すると、そのまま横になり布団を被った。


「ノエル、もう寝ますか?」


「………………」


「ノエルー、寝ましたか?」


「…………だ」


「何ですか?」


「巨乳なんて滅んでしまえばいいのだ」


「ふふっ、元気そうですね。おやすみなさい」


「……おやすみ」


 明日、サヌル村近郊で魔物を討伐した後、一行は次の村であるグンダサ村に向かう予定だ。

 願わくば、全ての行程が終了するまでにノエルが剣聖の力を取り戻せますように。

 最近また下着のサイズが合わなくなりつつある聖騎士は、殺気を帯びた視線を背に部屋を退出していった。

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