第122話 瞳に熱を、心に鎧を
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
冬の寒さと、仮面の内側の暑さが不快すぎる。
クリスを背負い、ドレイク邸まで到着した時、アラタの仮面の内側は結露でびしょ濡れになっていた。
扉にカギはかかっておらず、靴を脱ぐこともせず中に踏み込む。
泥だらけという訳ではないが、決して清潔ではない靴からは砂利が零れ落ちていった。
事前に用意してあることを知っていた客人用の部屋にクリスを運び込む。
ドアノブを回し、足で押しながら扉を開いた。
「アラタさん! 早く!」
「リリーさん? 姐さん?」
この場に似つかわしくない2人が彼の帰りを待っていたのだ。
部屋の中央に寝台は移動されており、水瓶や沸かされた湯、包帯や施術道具など、治癒魔術ではカバーしきれないところまでここで処置するための用意がされている。
余りに予想外な光景にアラタが固まっていると、シャーロットが彼を急かす。
「早くしな! 時間が惜しい!」
「は、はい」
クリスが寝台の上に寝かされ、リリーによる処置が始まった。
それをアラタはただ見ていることしかできない。
脈を取り、呼吸を確認し、傷を観察し、服を脱がし、傷口を洗浄、消毒する。
治癒魔術の使い手であるリリーだが、ただ魔術を施すだけでは不十分なほどクリスの傷は酷いものだったらしい。
アラタはそれを、装備を解くこともしないままただ立って見ていた。
彼もボロボロで、いつ眠ってしまうか分からないくらい疲れている。
それでもアラタはリリーの治療行為から目が離せなかった。
別に女体が見たかったとかふざけた理由ではない。
自分の救ったものが、ここから先は自分にはどうしようもない領分に入ったものが、確かに助けられる瞬間から目が離せなかったのだ。
どれくらいそうしていたのだろう。
リリー主導で、シャーロットも補助として参加した救命行為は日が暮れる頃、ようやく終了した。
全身包帯だらけ、添え木だらけでまともに身動きも取れないクリスだが、顔に白い布を被せられていない所を見るに、施術は成功したようだ。
か弱くとも、確かに息をしていて、心臓を鼓動させているクリスを見て、アラタは緊張の糸が切れたようにヘナヘナと座り込んだ。
腰に差した刀の鞘が床に当たり、少し前に押し出される。
「さあ、次はアラタさんです」
血で汚れた手袋を捨て、新しい手袋を装着するリリー。
彼は彼女に言われるがまま、黒装束を解き、刀を外し、負った傷を治療してもらった。
「お疲れさまでした。本当に、本当に」
「……えぇ」
「治療が終わったらしっかり休んでください。アラタさんには休養が必要ですから」
「……はい」
傷口が熱を帯びて、フワッとしたかと思うと、傷口は塞がり、跡形もなくなる。
中にはうっすらと痕が残るものがあるが、それでも大したことは無い、数カ月もすれば消えてしまうだろう。
アラタは自身の治療中、ボーっとしていた。
今日一日で起きたことはあまりに大きすぎて、複雑すぎて、悲しすぎて、悔しすぎて。
こうして放心状態にでもならなければどうにかなってしまいそうで。
……死んだ。
俺とクリス以外、みんな死んでしまった。
あの時無理やりにでも結界を破っていれば。
目を離したりせずずっと監視して、魔術を打ち上げていれば。
俺がもっと強かったら。
俺がもっと賢かったら。
俺が、俺が…………
「終わりましたよ。これで大丈夫です」
「あ…………はい、ありがとうございます」
頬の傷は消え、他にも小さなかすり傷の類は全てきれいさっぱり消え去った。
骨に異常はなく、包帯を巻く箇所もない。
アラタの治療が終わっても、相変わらずクリスは寝たまま、それだけ限界だったということだろう。
その日のうちに、ギルドではアラタの冒険者ランクをDに引き上げると同時に冒険者資格を剥奪した。
これでアラタは元・Dランク冒険者ということになる。
彼の冒険者資格剝奪と同時に、あるクエストが掲示された。
内容はティンダロスの猟犬の生き残りの討伐もしくは捕縛、そして逃走を幇助した”元”Dランク冒険者、アラタの身柄を生死問わず引き渡すこと。
同様の内容は警邏からも発表があり、重犯罪者として彼はお尋ね者となる。
千葉新は異世界に来て、冒険者から指名手配犯にジョブチェンジした。
「その……大変でしたね」
指名手配犯が自身は追われる身であるとまだ知らない時、アラタの施術が終わった後、クリスの寝かされている部屋の外で座っていた彼の隣にリリーがやってきて、彼の隣に腰掛けた。
手術着のような白衣から、いつもの修道服に戻った彼女を見て、アラタは懐かしい気持ちになった。
時間的にはまださほど経っていないはずだが、孤児院に顔を出していた頃がずいぶん昔のように思える。
彼女の言葉はアラタに最大限気を遣い、当たり障りのない言葉を探した結果だ。
「まあ、そうですね」
彼の答えもまた、当たり障りのないものだった。
「これからどうするんですか?」
アラタは首を横に振ると、立ち上がった。
洗濯前の黒装束に身を包み、右手に刀を持つと、アラタはどこかへと行ってしまう。
「この世に救いは……本当にあるのでしょうか」
廊下を歩くアラタにはそれの存在が感じられていた。
この家の主、それが帰ってきたことが。
刀を左手に持ち替える、それの意味するところは即ち、臨戦態勢だ。
殺してやる。
仮面を着け、【気配遮断】まで起動した上でアラタは居合で斬りつけた。
頸動脈を撫でるように斬った、確かな手応えと共に、追撃に移る。
2撃、3撃と入れ続ける、その度にはっきりと肉を断つ感触が手に伝わる。
ラスト一太刀、大上段からの攻撃で確殺を入れようとしたが、我に返った彼の眼に映っていたのは、地下訓練場で只のミノタウロスの肉塊を斬り続けていた滑稽な自分の姿だった。
いつから……初めからか。
「躾のなっていないゴロツキじゃな。いったい誰が鍛えたんじゃ?」
「……先生、いや、ドレイク。ぶっ殺してやる」
「はて、殺される謂れなどないのう」
「殺す!」
仮面の奥には本物の殺意が満ち満ちていた。
治療を終え、ある程度回復したアラタは丸腰のドレイクを本気で殺すつもりだ。
「ワシを殺そうとする理由が分からん」
「てめえが警邏を動かしたんだろ! 俺に特配課を監視させ、ギルドの動向から目を逸らさせた! 違うか!」
「そうじゃよ」
「それが理由だ! 死ね!」
溢れる魔力を乗せ、怒りの赴くままに刀を振り下ろしたアラタに対して、ドレイクの顔は穏やかそのものだ。
ひらりと斬撃を躱すと、流れるままに裏拳をお見舞いし、左ジャブ、右ストレートと繋げていく。
軽く動いているように見えるが、彼は超一流の魔術師、緻密な魔力操作は老人とは思えない鍛えられた肉体にこれ以上ない強化を施し、大柄なアラタを吹き飛ばす。
訓練場の中央から端まで吹き飛ばされた彼の鼻からは血が垂れていた。
起き上がり、休む間もなく再度距離を詰めてくる弟子に対して、ドレイクは組み手で相手をする。
「てめえのせいで皆は!」
「人のせいにするな」
「ぐっ、かはっ、くっそ!」
殺傷能力の高い刀という武器を振り回しても、それに合わせて魔術を使っても彼にはかすりもしない。
「特殊配達課の者共が死んだのは、お主のせいじゃよ」
「うるせえ! ぐはっ!」
鳩尾に拳が入り、息をすべて吐き出したアラタは恨み言すら出ない。
「何か勘違いしておらぬか? お主は間者、お主の情報が奴らの死期を決めたんじゃよ」
「殺すなんて、ぐっ、知らな……うぐぅ、知らなかった!」
「それはお主の想像力不足じゃ。愚かじゃの」
「はぁっ、はぁっ、あんたは俺が邪魔しないように俺を誘導した!」
「じゃから? 騙されるほうが悪い」
仮面は落ち、外套は投げられた時に脱げている。
刀は構えているだけで反撃する機会すら与えられない。
完全なる暴力、一方的に蹂躙されるだけの殴打が繰り返されていた。
「お主にとっての不幸はお主自身の能力不足が原因じゃ。他人にその責任を求めるな」
「はぁ、はぁ……うるせえ」
「自身の無能さを棚に上げて、被害者面をするのはやめろ。虫唾が走る」
「…………うっせえ」
「お主は弱い。弱いから何も護れない」
「くっ、はぁ、そんなの、そんなの分かってる。だからって動かないわけにはいかない」
「人はそれを自己満足というのじゃよ」
「…………ぁ、あ」
彼の意識はそこで途絶えた。
「リリー殿、こやつを治療してくだされ」
「さっき治したばかりなんですけど」
「申し訳ない。お願いしたい」
「貴方ね、この子に厳し過ぎよ」
訓練場で倒れている男に対して、リリーは本日2回目の治癒魔術を施した。
シャーロットも付き添っているようで、彼女たちはドレイクのアラタへの態度に苦言を呈する。
「ワシはこやつが嫌いでしてな」
「あんた、性格曲がってるわ」
「真っすぐな爺の方がおかしいわい」
ドレイクはそっぽを向き、パイプをくわえている。
プカプカと煙を浮かべては、煙が消えたころにまた新しい煙を吐き出す。
それを何度か繰り返したとき、弟子が目を覚ました。
「アラタさん、大丈夫ですか」
「……リリーさん、大丈夫です。迷惑かけてすみません」
アラタは起き上がると、落ちている刀を手に持つ。
「まだ無理をしては…………」
「リリー殿の言う通りじゃ、おとなしく寝ておけ」
「うるせえ」
今日は一日気配を消して監視、クエストに乱入、戦闘、人一人抱えて逃走、師匠と喧嘩、限界もいいところだろうに、アラタの魔力はまだ枯渇しない。
慣れない字を見て知識を吸収し、実物を目にしてイメージを構築し、自分が攻撃を受けることで完成した魔術。
「…………炎槍」
炎の槍。
火球、炎弾と来て、より高位に位置する火属性魔術。
高度な魔力操作と多くの魔力を必要とする大技。
使用する魔力の量に見合う威力を持った攻撃は並大抵の防御では内臓ごとこんがりいく。
それこそ黒装束にでも身を包んでいない限り、敵を一撃で葬る殺しの技術だ。
「アラタ、あんた……」
「すべて吐き出すんじゃ」
エストさん。
あんたがいたから炎槍は完成した。
「ぉぉぉおおおっ!!!」
今のアラタが行使できる最大火力の攻撃、彼の腕の振りに合わせて撃ちだされた槍は他の者が放つ炎槍よりも数段速い。
速く、美しく、手元で伸びる。
高校までの経験が生きているのだろう、何かを投げるということに関して、アラタの持つ感覚は天才的だった。
しかし、天才はもう一人いる。
懐から取り出した杖を一振りすると、ドバイ・ファウンテンの噴水も顔負けの水の壁が出現する。
それは炎槍を通しかけたが、最終的に消火し、アラタの魔術をかき消したのだ。
「此度、なぜ特殊配達課は全滅した」
「てめえが……いや、俺が弱かった、バカだった」
「吐き出せ、心の中のもの全て」
「俺が、もっとうまくやれば、上手くやれたはずだった!」
斬りかかるアラタの太刀筋は滅茶苦茶だ、刃筋も立てられていない。
「俺が裏切った! みんなを殺した!」
「他には?」
「死んでも助けに入るべきだった! 俺は皆を見殺しにした!」
「俺が弱かったから、俺が何にもわかっていなかったから、全部失った!」
「……当たり散らすのは終わったみたいじゃな」
「今お主の手元にあるものは何じゃ?」
「…………戦う意思」
「力は?」
「ない」
「ではどうする?」
「つける」
「どうやって?」
「俺が強くなる、仲間を集める」
「覚悟はあるか? 犠牲を振り返らない覚悟が」
「ある」
「本当か?」
「ああ」
いつも間にか攻撃は止み、2人は直立して相対していた。
お互い武器を手にしたままだが、これ以上戦うつもりは無いようだ。
「ワシが鍛えてやろう。死んでもいいなら付いてきなさい」
「はい」
鉄は何度も熱せられ、叩かれることで強く、強くなっていく。
彼の瞳には確かな熱が、心の周りには鉄の鎧がある。
「アラタさん、クリスさんが目を覚ましたみたいです」
「分かりました。今行きます」
次は勝つ。
絶対に勝つ。
死んでも勝つ。
その為に、泣くのは我慢しよう。
今必要なのは泣くことじゃない、周りに当たり散らすことじゃない。
裏切った俺を恨んでいい、憎んでいい、呪っていい。
ずっと許さなくていい、だから、俺が勝手に約束する。
エリーは必ず止める、止めて、必ず救う。
見ててくれ、みんな。
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