第83話 千切れぬ縁を

「は?」


 内臓逆位、体内の臓器の位置が通常と逆になっている現象。

 つまり身体のほぼ中心、やや左に寄っているはずの心臓を貫いたノエルの剣は実際には外れており、ほぼ致命傷であることに変わりはなくとも即死は免れあと一撃くらいは動けるのだった。

 背後から急所を突いた完全な決まり手、それが外れ、尚且つ油断していたノエルは今この瞬間だけは無防備な状態、今度はこちらが窮地だ。

 彼女の首元に迫る短剣、サラにノエルの身体は直接見えているわけではないが、密着しているこの体勢、見えていなくても全く問題ない。

 この攻撃は刺さる、2人ともそう確信していた。


 そう、2人は。

 当事者である2人は確信していた。

 2人には2人だけの世界が見えている。

 だが外野はそうではない。


 ピンと空気が張り詰め、ガラス玉を割ったような音が響いた。

 僅かな残響の中、少し遅れて冷気が辺りに立ち込める。

 氷属性系統の魔術、この属性はリーゼの得意とする分野だ。


「……やっと一撃入れました」


 距離およそ100メートル、遥か向こうの地面に伏しているリーゼはそう言い残すと再び気を失った。

 100メートル先に正確に魔術を発動させることも、それを実現する為に必要とされる魔力量も、一度魔力を使い切った状態から回復し、もう一度魔術を行使できるところまで持って行く技量も、どれか一つでも欠けていれば実現しなかった横槍。

 サラの右手は凍り付き、短剣の鋒は尖っているものの殺傷能力を失っている。

 氷はノエルに当たり、頬を冷やしたが命には届かなかった。

 あと一歩の反撃もここまで、サラは敗北したのだ。

 筋肉で硬直した剣をサラの身体から無理やり引き抜くと、傷口からはドバドバと血液が流れ出ていき、自らの今際の際を悟る。


「こ……こ、まで、か」


 倒れたサラの側にはノエル一人、遠巻きに黒装束が見ているが、彼女を助けるそぶりもノエルに攻撃を仕掛ける様子もない。

 ノエルもそれを感じ取ると、これ以上の攻撃は無いと判断したのか剣を収め、血だらけのサラの隣に座った。

 服の裾がサラの血液を吸収していくが意に介さず、彼女を見つめている。


「剣聖……貴様のせいで台無しだ。私の10年間は一体……何……だったのだろうな」


「そんなこと私に聞かないでくれ。自分のことは自分が一番よくわかっているはずだ」


「そうか……確かに。だが、お前はどうだ? ……お前は、お前……の、ことを……どれくらい、知っている」


 言葉の端々に割れた声が入り、息も荒い。

 この女はもう長くない、それが伝わってくる。


「私は……私は私だ。剣聖のノエル・クレストだ」


「そうか。私も……私ら……しく生きてみたかった。……だが、それもここまでだ」


 目から生気が失われていく。

 レイテ村の近くで盗賊を皆殺しにした時とは違う、ゆっくりと死に向かって歩いて行く人間を目の前にして、ノエルは不思議と不快感を覚えることもなく、ただ命の終わりを目に焼き付けていた。


「剣聖、少しいいか」


「なんだ」


「お前……第2、段階……を、完全に……克服、したわけでは、ない、な?」


「うん」


「では、いつかまたお前が……お前でいられ……なく、なる日が……」


「ああ、多分お前の言う通り、私は剣聖の人格との戦いが始まる」


 彼女が行った剣聖のクラス調服手順は正式なものではない。

 故にこれからももう一人の人格とのせめぎあいは続くのだ。


「私から……助言だ。……えにしを…………千切れぬえにしを、作れ。……出来れば沢山、あと……人を、想い……忘れるな。そうすれば……」


「そうすれば……なんだというのだ。その先が大事なんじゃないのか。なぁ、教えて…………。いや、もう眠れ」


 顔を撫で、目を閉じさせる。

 目を閉じたサラの表情は胸の痛みに苦しんでいたとは思えない程安らかで、この世の苦痛から解放されたことを喜んでいるようにすら見えた。


「さて」


 ノエルは当たりを見渡し剣に手をかける。

 黒装束たちは依然として動かない。

 やろうと思えば動けるタイミングはいくらでもあった。

 サラを勝たせることも出来たし、リーゼたちを殺すことも、ノエルを無力化して捕まえることも出来たはずだ。

 しかしそうしなかった。

 ノエルが辺りを見続けていると、やがて黒装束たちは距離を取り、そして森の中へと消えていった。

 彼女が覚えているのはここまで、その後はスローモーションのようにゆっくりと地面へと近づき、意識が途絶えた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「やれやれ、大人と言うのも楽ではないな。ここからもう一戦とは」


 森の中、曲がった剣を杖代わりにして村へと向かっていたハルツは自らの限界を悟っていた。

 とうに限界など超えていたが、もうこれ以上は本当に無理、そんな状態だ。

 辺りには黒装束たちがずらり、先ほどまで戦っていた数よりさらに多い猟犬たち。

 あんなに遺書みたいな独白をしておいて、恥ずかしながら生き残った。

 だが今回は流石に…………


「ハルツ・クラーク」


「あ、はい」


「我々はこの件から手を引く。また相まみえることもあるだろう、さらばだ」


「あ……はい」


 黒装束たちはハルツの横を通り抜け、そのままどこかへと歩いて行った。


 ……へ? これで終わり?

 喜んでいいのか? 終わったということでいいのか?


 それから1週間、冒険者一行はレイテ村に滞在し周辺の魔物調査や警戒任務に当たったが何も起こらず、クエストは終了した。

 結果は無事に済んだとは言え、それなりに多くの失態もあった。

 もう冒険者を続ける赦しは出ないだろうなと短い夢の時間を惜しんでいたノエルだったが、父親であるシャノン・クレスト公爵からは今後も励むようにとのことだった。

 公爵からすれば、家に置いておくよりは安全だと考えたのだろう、あらゆる意味で。

 こうしてノエルはリーゼと共に今日もクエストに勤しんでいる。


※※※※※※※※※※※※※※※


「……そう、分かったわ」


「この後の指示は?」


「そうね、貴方たちには少し休んでもらってから、フリードマン伯爵家に出向いてもらいます」


「奴の動きを探るのですか?」


「そう。彼、有能なんだけど少しオイタが過ぎるみたいなの。細かいやり方は任せるからお願いね」


「御意」


※※※※※※※※※※※※※※※


 戦いの後、気を失った私が見た夢。

 あれから2年以上経った今でも偶に同じ夢を見る。


 ――私は報酬を払った。代価は……ツケておくことにしよう。


 ――ツケ?


 ――そうだ。前借ができるならツケもできるだろう? お前は剣聖わたしの力を自由に引き出し、本来存在する上限を無視することも出来る。


 ――うん、その通りだ。


 ――だから私はその逆、身体の実権を奪うための力を貯めておくことにする。それならフェアだろう?


 ――うん。


 ――よし、契約成立だ。では人格の奪い合いを再開するその日まで、仮初の日常を楽しんでおけ。あぁ後、今事情を把握している人間を除いて、剣聖に関して詳細な説明をすることを禁止する。私たちの行動に制限がかかるかもしれないからな。


 ――分かった。


 ……………………


「ノエル、何しているんですか。そろそろ馬車が出ますよ」


「ん。ああ、今行く!」


 これから私たちは魔物の討伐任務に行く。

 現地には2年前のことをもう忘れたのか盗賊もいるらしい。

 レイテ村に行くのは久しぶりだ、エイダンやカーター殿は元気にしているだろうか。

 私とリーゼはCランクになった。

 冒険者として一角の人間になったという自覚はある、3日後、お前に会いに行くよ、サラ。


 貴族令嬢は冒険者を夢見た。

 その願いは現実のものとなり、クラスが発現してから2年、今年で17歳の少女はお目付け役の聖騎士と共に冒険者稼業を続けている。

 この先、多くの困難と多くの試練が彼女たちを待ち受けているだろう。

 だが、彼女はこの2年で多くの縁に恵まれた。

 努力もした、才能もあった、運も、巡りあわせにも恵まれた。

 サラの言う通り、多くのえにしが彼女を助け、あるべき方向へ、ありたい姿へと導いてくれることだろう。

 剣聖の少女は今日も元気だ。


「リーゼ、クエスト頑張ろう!」


「そうですね! 私たちもまだまだこれからですから!」


※※※※※※※※※※※※※※※


第2.5章 過去編 case Noel and Lise: 完


次章 第3章 大公選編 明日以降毎日更新予定

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