第61話 悪くない日々にただ感謝を
29:59
転移魔道具の効果発動まで、30秒のカウントダウンが開始された。
アラタの腰にある魔道具は淡い光を微かに帯びながら転移の準備に入る。
討伐隊は全員立ち上がり、戦闘態勢に移行した。
特にノエルは残り少ない体力、気力、魔力を振り絞り敵に斬りかかっていた。
アラタも抜刀し、刀に魔力を込めるが足が震え、手が震えて動けない。
忘れるはずもない、アラタの腹部にある一筋の傷跡が疼きだす。
この世界に来て間もない時、レイテ村にて、あの雨の中、盗賊たちとの死闘を制したアラタの前に現れた絶望。
今回も同じ絶望が、そこに立っていた。
……動けない。
「アラタ!」
ノエルに名を呼ばれハッとした時には既にアラタの目の前まで敵の刃が迫っていた。
刀を構えるが間に合わない。
斬られた、そう感じた時アラタの体の反応は止まる。
関節はロックされ、筋肉は硬直して回避行動に入ることが出来ずにいた。
ここで動いても動かなくても、自分が両断される未来は変わらないと肉体が諦めてしまったのだ。
「…………っあ」
27:39
斬られたはずの胴体に傷は無い。
自らを斬ったはずの敵の姿は遠く、生を実感する。
だが……
「ノエル! 気をしっかり持ってください!」
「…………は?」
アラタの後方で剣聖の少女が倒れている。
その首筋には無惨な裂傷が刻まれ、リーゼが治癒魔術で治療している。
少し遠くからはリーゼだけでは足りないと判断したのか、タリアが走ってきていた。
「お、俺の…………」
アラタの手から力が抜ける。
金属の塊たる刀を支えるだけの握力は失われ、武器はするりとアラタの手から零れ落――
「戦え! 冒険者たち!」
聖騎士の能力は半ば強制的にアラタの手に力を籠めさせる。
ここで刀を落としてしまえば、折れてしまえばいくらか楽だったのかもしれない。
俺は何を……ノエルが命がけで、文字通り死守してくれた命……俺は、俺もノエルの、リーゼの、仲間の為にこの命を使いたい。
レイテ村で会った男が冒険者たちに接近している。
冒険者たちも男に向かっていく。
刀を逆手に持ち、青年は片膝をついた。
「…………風陣」
ダンジョンの大地に魔力が駆け抜け、回路を構築、回路内部を魔力が循環する。
それを手助けするのは回路の循環軌道上に突き立てられた日本刀、壊れることの無い魔道具は一切の躊躇なく回路の維持と結界起動に力を注ぐ。
風の壁は2つの勢力を分断し、不可侵領域を作り出すのだ。
「雷陣!」
土壇場の勝負強さでは他の追随を許さない元高校No.1ピッチャー、千葉新。
ここにきて2属性結界を成功させるまでに至った。
ドレイクの言うとおりであれば、これほど完璧にハマった結界を破るにはシャーロットですらそれなりに苦労するという。
22:15
しかし、
「マジか」
思わず耳を覆いたくなるような、金属同士をぶつけ、擦り合わせ火花が散るような音と共に結界に大きな亀裂が入った。
これ以上ないくらい、これが精一杯と言い切れるほど完璧に成功した結界は男の一撃で大きなダメージを受ける。
もう一度は耐えきれない。
アラタがそれを悟った瞬間と男が剣を振りかぶったのはほぼ同タイミングだった。
紫電が、不可視の風壁が切り裂かれ、敵の侵入を許す、アラタが結界維持を諦め刀を引き抜こうとした時だった。
「ハルツさん……ルークさんも」
刀を引き抜こうと上方向の力を加えられたアラタの刀は依然として地面に刺さり続け、結界を維持し続けていた。
アラタの刀には、柄には幾人もの手が添えられ、ありったけの魔力が注がれている。
「よくやった。完璧な結界だ」
18:58
目の前に広がる光景にアラタの涙腺は決壊しそうになるがそれをグッと堪える。
風と雷の壁の向こうにいる敵は忌々しそうに舌打ちをし、もう一度剣を構えた。
先ほどまではアラタと男の火力勝負、だが今は違う。
ノエル、リーゼ、タリアを除いた冒険者24名対敵1名、形勢は大きくこちらに傾いた。
敵は数撃結界に向かって斬りつけてみたが、全く耐久力に変化のない壁を睨みつける。
14:44
一行が結界の強度を確信し、生存者全員撤退完了の9文字が頭に浮かんだ瞬間だった。
メリメリと音を立て、雷撃の攻撃をその身に受けながら結界の境界線に手を、腕を、体を押し当てる男を見てアラタは脳内のカウントダウンと現状を照らし合わせる。
多分、全員で迎え撃っても意味がない、みんな死んでしまう。
みんなの状態が万全なら、結界は破られないはずだ、もうまともに戦えるのは誰も……俺以外誰もいない。
苦しみも、後悔も、絶望も、怒りも、悲しみも、もう十分だ、もう要らない。
――死守じゃ。
12:35
「アラタ!? どこへ行く!」
結界の起動者であるアラタが刀から手を放しても術式は走り続ける。
だが一人分の魔力の減少は敵の侵入ペースを加速させることに繋がる。
アラタが抜けてもう耐えることはできない。
そんな中アラタは後方で剣を手に取る。
「アラタ……? 一体何をするん……です……か」
自前のロープをノエルの剣の柄に括り付け、ほどけないように縛る。
この時間僅か3秒弱の早業だが、身体強化を使いこなせばこのようなこともできる。
「ここに来てからの毎日は楽しかった」
09:87
「アラタ!」
リーゼが叫ぶのと敵が結界に侵入完了するのはまたもやほぼ同時だった。
アラタはコンパクトに振りかぶる。
クイックモーション、その動きはワインドアップに比べれば威力は落ちるものの、洗練された技術と身体強化をもってすれば十分誤差の範囲内、最速156km/hを誇った黄金の右腕は仲間の剣を敵に突き立てる為に限界を超える。
「うっ……るぁぁあああ!」
全身全霊以外形容のしようがないほど全力で投擲された剣は呻りを上げて敵へと一直線に突き進んだ。
だがあくまでも剣は剣、見えていれば躱すことはそこまで難しくなく、男も顔色を変えることなく最小の動きで剣を躱した。
クンッ
「何?」
アラタが手元で何かをすると投げられた剣は、それに繋がれた縄は僅かにだが変化した。
魔力を込め、剣から風属性の魔術を起動、それによって剣の軌道を変化させる。
表現することは極めて簡単だがそれを実践する為に要求される力量はもはや努力だけでどうにかなる領域を超えている。
アラタの表情は変わらない。
無表情はその顔の下で何を考えているのかも分からない。
ただ敵だけを見据え、投擲後すぐに走り出していたアラタの手元にはブーメランのように変化して帰ってきた剣が握られている。
08:30
剣に括り付けられたロープは男の周囲を1周し、体の自由を奪うところまでいかなくとも多少の制限をかけた。
再度投擲。
今度は縄の端を握っていない。
先ほどと同じように敵に向かって投げられた剣は敵を捉えることなく通過していく。
コントロールミス、かに思われた投擲の意味を敵が理解した頃には男の体は結界外に引っ張り出されていた。
「今だ! 結界を再起動しろ!」
結界内部に敵がいては時間稼ぎが完了しても敵まで地上についてきてしまう。
ハルツが結界を再び張り直す判断を下し、一度解除された結界が再び効力を発するまでの僅かな時間、その間にEランクの青年は外に飛び出していた。
「アラタ戻れ!」
05:69
転移魔道具に何か特殊な機構が組み込まれてでもいない限り、魔道具の効果範囲は魔道具からどれくらい離れているかに依存する。
つまりアラタが飛び出せば、魔道具の効果範囲の中に入ることが極めて困難になる。
別にハルツは我が身可愛さに、自分が助かりたいから戻れと言ったのではない。
ここで離れるということは、それが何を意味するのかアラタが理解していると信頼していたからこそ、ハルツは彼に戻れと言った。
アラタの腰には先ほどまであったはずの魔道具がない、そういうことだった。
彼に聖騎士のクラスの効果は効かなかった。
あくまで他人の行動を後押しするだけであって、覚悟を決めた人間に真逆の行動を強制できるような便利なものではないのだ。
…………良くねー。
この世界に来てから命を軽々しくかけ過ぎじゃないか?
少し前なら、少し前がいつくらいまでさかのぼることになるのか知らねーけど、少し前ならこんなこと絶対しなかった。
――死守じゃ。
――何としても、何があっても最も重要な結果をもぎ取るのじゃ。
俺は先生に言われた通りに行動している。
別に操られたとか、丸め込まれたとかじゃない。
俺は俺の意思で、俺がこうするべきだと、こうしたいと思って行動している。
05:02
ナイフを抜き、一度は破れた男に立ち向かう。
相手もそれを迎え撃ち、白刃がアラタに迫った。
アラタから見て右斜め上から左下に向けて振り下ろされた攻撃を全身で殺す。
ナイフの刃を敵の剣の刃に合わせ、いなすように、モロに衝撃を食らわないように身体を浮かせながら1回転する。
自身の突進する速度、体重、敵の攻撃の威力が合わさってナイフを欠けさせるが、彼からすれば許容範囲内だ。
敵の背後に回り込み、最大の好機に思われたアラタは僅かにヒビの入ったナイフを仕舞う。
そして突進の勢いそのまま先ほど投げた剣に向かってひた走る。
身体強化で加速したアラタが走り抜けた地面から土の塊が発生し、彼が留まっていたら存在していたであろう空間を撃ち抜いた。
勘、直感といったセンスと才能の成せる技で敵の仕込みを回避したアラタの手には切れ味抜群のノエルの剣、
「っっっっっぅんんんんんんん!!!」
本日3回目の全力投剣、今までで最も距離の近い的へ向けて一直線に軌跡を描く。
コントロールは完璧、男の体の正中線を捉えた投擲は刺さるかに思えた。
「バケモンが……」
03:46
男が一振りした剣はアラタの攻撃を完璧に捉え、ノエルの剣は空中に飛ぶ。
「くぅっ!」
身体強化も限界が近く、渾身の力で跳躍したアラタは空中でノエルの剣を逆手に捕る。
バキン。
Cランク冒険者、しかも貴族の娘が身に着けるのにふさわしい性能を誇る剣が根元近くから折れた。
未熟な魔力操作でアラタが何度も使用したからか、それともどこかにヒビが入っているなど既に寿命だったのか…………
関係ねぇ!
「おおおおおおおッッッ!!!」
空中からの自由落下の勢いそのまま、アラタは全力で敵を屠りにいく。
だが、
ザクッ……ドサリ。
強く強く剣を握っていたアラタの長年の相棒、右腕が落ちた。
その衝撃で剣の軌道はズレてしまい、折れた刃は敵を捉えることが出来なかったのだ。
02:11
焼けるような熱さの右腕から全身に駆け上がるように痛みが伝播していく。
【痛覚軽減】では誤魔化しきれないほどの痛みに顔を歪めながら、それでもアラタは諦めない。
腕が飛び、断面からは人が生きていく上で決してあってはならない量の出血、至近距離で敵と組み合ったアラタには男の顔が、体格が映り込む。
白髪、だが顔は若々しく、背丈はアラタより低く、普通と言った所、瞳は漆黒、頭髪の特徴を除けば日本人と言われても信じるだろう。
「貴様のせいで計画が台無しになった。死して償え」
「知らねえよ! てめえが死ねや!」
アラタは敵の背後に回り、剣を手に再び組み合った状態、つまりアラタの体は今結界の、仲間の方を向いている。
敵の姿の向こう側に、アラタが守り抜いた者たちが彼の瞳に映り込む。
その中には治療中のリーゼが、意識が戻ったのかこちらを見ているノエルがいた。
またそんなに泣いて、昔はそれでもよかったかもだけど17歳ならもう少し我慢というやつを……
まあ…………良かった。
2人を守ることが出来て、それだけじゃない、この世界に来てからあの2人や他の皆に出会うことが出来て、良かった。
このクソみたいな人生の、しかも死にかけた後、半分おまけみたいなこの人生の中で、俺はまだ誰かの役に立つことが出来た。
この世界に来てからの日々は楽しかった。
日本にいた時とは比べ物にならないくらい痛いことや苦しいこともあったけど、刀を振ったり魔術を習ったり、出来ないことを出来るようになるために頑張ることはやっぱり楽しかった。
2人と行動を共にして、あいつらは手放しで尊敬できるような聖人なんかじゃなかったけど、俺と一緒にいてくれる、俺と一緒にいて楽しそうにしてくれる2人に俺は救われた。
願うのなら、もしもう一度人生があるのなら……この2人じゃなくてもいい、でもこの2人みたいな人ともう一度仲良くなりたい。
仲間になって、今度は俺の方から誘おう、家事が苦手みたいだけどそれは俺が何とかする。
俺が出来ないことを助けてくれたらそれでいい、出来ないことを補い合って、それでようやく一人前、それでいい、だから、俺がいなくなっても代わりの奴が側に立って、2人を支えてくれれば…………
感謝しよう、感謝。
最悪な始まりだったけど、それでも、もう一度何かに熱中して、何かに精一杯打ち込んで、頑張って、たまに笑えて、そんなこの世界に、決して最高ではなかったけど、それでも悪くない日々にただ感謝を。
目分量だけど、魔道具起動まで時間を数えていたはずなのに、やけに時間が進むのが遅く感じる。
これが走馬灯ってやつなのか。
過去の記憶から生き残るための情報を探すための時間、そんなことしてもしょうがないのにな。
アラタの脳内にはこの世界に来てからの出来事が溢れんばかりに流れてきていた。
「アラタ! 私を置いていくなぁ!」
さよならだ。
00:00
「ざまあみろ。俺の勝ちだ」
次の瞬間、アラタの視界は不自然に、ズルリと斜めにスライドした。
それが左肩から右の脇腹にかけて真っ二つにされたからだと気づいたのは、彼が地面に崩れ落ちてからのことだった。
赤く濁った視界の端で、血と臓物の海の中で溺れながら結界ごと討伐隊の姿が消えたのが映った。
そして、
……………………………………俺は死んだ。
※※※※※※※※※※※※※※※
後書き
結構話が動きましたね。この回は割と賛否両論あると思うので是非感想をお聞かせください!
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