第62話 遺された者たち
光に包まれたと思った瞬間、ノエルやリーゼたち討伐隊はギルドの前に転移していた。
アラタが張った結界も丸ごと転移してきたようで、まだ風と雷の結界は作動し続けている。
ハルツ達が刀から手を離すと、徐々に結界は力を失い、やがて解除された。
ノエルの治療に力を尽くしていたリーゼとタリアの傍らには、アラタが持っていたはずの転移魔道具が転がっている。
ノエルの剣を取りに来たあの時、彼は魔道具をここに置き、彼女たちのいるすぐそばが効果範囲の中心になるようにしていたのだ。
首筋の傷は一見深いように感じられたが、すっぱり切れていた分治療しやすかったのかノエルはすでに動くことが出来るまで回復している。
「……いかなきゃ」
気付いたら2人はダンジョンの方へと歩き出していた。
だが、
「ダンジョンは緊急封鎖する! 警邏に連絡! ギルド経由で軍にも情報を届けろ!」
…………受け入れがたい決定だった。
まだアラタが中に残されているというのに。
リーゼがハルツ殿に腕を掴まれている。
私は……
2人は現実を受け入れられないでいた。
今更戻ったところでアラタが生きているわけじゃない。
目の前で斬られて、腕が、体が斬られて、死んだ。
容赦なく突きつけられる現実に2人の足は徐々に緩み、やがて動かなくなった。
他の冒険者だって多くの仲間を失っている、辛いのは、泣きたいのは2人だけではない。
既に他の討伐隊参加者たちはダンジョン封鎖や関係各所への連絡に動き出している。
その場には2人と、地面に突き立てられたアラタの刀だけが残された。
「帰りましょう」
リーゼも疲れ切っている。
絞り出すような声で帰宅しようとノエルを促した。
彼女は無言で頷き、刀を地面から引き抜くと刀身を布で包む。
ギルド前は討伐隊の甚大な被害と未知の敵の存在を受けて大騒ぎになっていたが2人にその喧噪が届くことは無かった。
無言のまま帰宅すると、2人は何となくリビングに向かった。
力なくソファと椅子に座ると疲れがどっと押し寄せてくる。
「リーゼ、食事にしよう」
その時のリーゼの表情は、今まで見たことないくらい悲しそうで、そんな顔を見ると私も悲しくて泣きそうになった。
「私、今日はいいです。ノエルもお風呂に入って早く休みましょう」
結局2人は食事を取らず、風呂だけ入って寝ることにした。
ノエルが風呂に入る為に居間を後にすると、リーゼは一人になったリビングで今までの生活を思い出していた。
あの人はたまに面倒ごとを引き起こすけれど、ノエルの面倒をよく見てくれました。
クラーク家の子女として生を受けて今年で19年、クラスが発現してから4年、ノエルと出会った時のことは小さすぎて覚えていないですけど、それから私はノエルの面倒をよく見てきました。
冒険者になりたいというあの子の願いに沿って私が冒険者になる事も自然な流れ、何も考えることなく冒険者になって、今に至るまでノエルには手を焼かされっぱなしでした。
本当に……ノエルは手がかかって、可愛いんですから。
でも、アラタがノエルの面倒を見てくれるようになってから、私もたまには年相応の女の子として振舞うことが出来て……楽しかったです。
別にノエルと一緒にいることが嫌なわけではないです、むしろ自分の居場所はここにあるといつも思っています。
それでもアラタと出会ってからの時間は私にとって今までとは異なる、今までとは違う楽しさを持った時間でした。
リーゼの視線はテーブルの上に置かれた一振りの刀に注がれている。
刀身は布で包まれているが、鍔から先はむき出しになっている。
何故かアラタのこの剣は劣化しない。
本人曰く、『これはそういうもの』らしく彼は特に気にしていないようだったが明らかにおかしい。
リーゼがこの武器を剣と呼ぶとアラタは決まって、『これは刀だ』と言う。
見たことも聞いたこともない武器、不思議な刃の紋様、不思議な形の柄、刀身も、柄も、傷一つないが僅かに鉄の匂いがする。
刀そのものの匂いではないのだろう、柄に染み込んだ血液の匂い。
魔物の返り血なのか、それともアラタのものなのだろうか、それは分からない、きっと両方なのだろう。
彼は時間があれば、決まってこの剣を振っていた。
必死に頑張る彼の姿を見ていると、成り行きとはいえ、私たちと行動することを嫌がっているわけではないと思えて少し嬉しかった。
もうあの頃には戻れない。
テーブルには、大粒の涙が零れ落ちていた。
ノエルは風呂に入ろうと風呂場に向かったのだが、お湯が沸いていなかった。
妙に風呂が好きでいつも風呂の準備をしてくれていたあの人はもういない。
ノエルは魔道具に魔力を込めて湯を張り始めた。
浴槽に湯が溜まっていくのを眺めながら、彼女は初めて屋敷に来た時を思い出していた。
……あれは危なかった。
あと少し早く風呂に入ろうとしていたらアラタと出くわしていたかもしれない。
ノエルには兄妹はいない。
もし兄がいたらこんなこともあるのだろうか、そんな想像をしているうちに湯はいっぱいになり、ノエルは服を脱ぎ風呂に入る。
首筋の傷はその場で迅速に、珍しい治癒魔術の使い手2人に治療してもらったこともあり、傷跡すらない。
私の方が強いのに、強い私がアラタを守らなきゃいけなかったのに、アラタを守れなかった。
『お前が私に代わっていれば、私ならアラタを助けられた』
『だからアラタが死んだのはお前のせいだ、無力で、意気地なしの、お前のせいだ』
こんな時に出てこないでよ、分かってるよ、私があそこでお前に代わっていたら、お前は皆を殺しただろう。
でもアラタだけは助けたかもしれない、私は皆の命とアラタの命を秤にかけたんだ。
『現役の冒険者でダンジョンを単独制覇できたのは私だけだ。お前はその力を出し惜しみして仲間を死なせた、最低の人間だ』
「…………もうやめてよ。酷いよ」
水面にはいくつもの波紋が浮かぶ。
スンスンとすすり泣く声が風呂場にこだました。
その日、19名の冒険者が命を落とした。
ただ一名を除けば全員Dランク以上の実力ある冒険者たち、彼らでさえ甚大な被害を被ったダンジョンの脅威に貴族院は揺れた。
翌日の朝、クエスト責任者のハルツを連れて首都の正規軍、特務警邏合わせて8百がダンジョンに突入、多くの冒険者を屠ったと思われる突然変異型のスライムを死体で発見した。
アラタを殺した白髪の男は見つからず、アラタの死体はおろか所持品すら見つかることは無かった。
ダンジョンは3日間の時間をかけてくまなく探索、最下層に鎮座するドラゴンを除いてすべての魔物を駆除、これにて一連の騒動は終結したとされ、市井の話題からも次第に消えていった。
※※※※※※※※※※※※※※※
「貴方、邪魔なのよ。即刻消えなさい」
「急に物語の行く先を変えても、一度生まれた力はそれについていくことはできない。半分に分かれた力はやがて貴様を灼き尽くすぞ」
「覚悟の上よ」
「……ふん、せいぜい見苦しく足掻いて見せることだな」
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