第55話 結界術と魔術の線引き、はっきりしないのは嫌いです
孤児院の前に到着すると門の前をリリーが掃除していた。
以前色々あってからというもの、少し疎遠になってしまった気がしていたアラタだが、そんな違和感は時間が解決してくれたようで向こうが変に気を遣うこともなくなった。
「おはようございます! 朝からお掃除お疲れ様です」
「おはようございますアラタさん。あなたも朝からお稽古ですか?」
「はい、姐さんいますか?」
リリーが指さす方を見ると、既に武器を手に準備万端のシャーロットがこちらを見ている。
待たせてしまったとアラタは小走りで彼女の方へと向かう。
「遅れてすいません。今日もお願いします」
「いいのよ。早速始めましょう」
前からそうだが2人の稽古はシンプルだ。
いつも実戦形式、いつも真剣でやる。
内容はシンプル、だがその難易度は、
「ほらほら、今日はまだスキル使ってないよ?」
彼女の攻撃は日を追うごとに強力になっている。
アラタもすごいスピードで成長しているが、それでも対応しきれない。
もちろんいつも手加減されているわけだが、その度合いが日に日に大きくなっている。
つまり2人の差は縮まるどころか開いているわけだ。
「姐さん、俺より成長が速くないですか? 少しへこむんですけど」
「どうだかね。まあ昔の勘を取り戻しつつあるのかね」
シャーロットの剣筋はアラタと初めて剣を交えた時とはもはや別物になっている。
以前はただ力に任せて剣を振るっていたのに対して、今はそんな面影は微塵もない。
化け物じみた膂力に見合うだけの技量が確かに剣に宿っている。
クラスは重戦士、だがやたら綺麗な剣の軌道、日本刀を扱うアラタよりもはるかに刃の通し方が美しく、無駄がない。
もし彼の刀が特別製でなければとっくに折られるか曲げられていることだろう。
……っばい。
これ、押され始めて……やっばっ、ちょっ、まっ
「これで詰みね」
アラタの受けは彼女の剣の勢いを殺しきれず真正面から攻撃を受けてしまった。
重戦士の力、身体強化、素の身体能力、体重、それらの合算値をまとめて受け止めようとしたのだ。
彼女のそれに比べて未熟な身体強化では衝撃を逃がしきれず吹き飛ばされる。
受け身が取れるほど優しい吹っ飛び方ではない。
アラタは庭の端まで吹き飛びゴロゴロと転がり壁にぶつかることでようやく止まった。
「私の勝ちだね。あんたも中々いい線いってたわよ」
「いや……全然、姐さん強すぎでしょ」
シャーロットに直接斬られることはほぼなくなった。
代わりに最近増えてきた負けパターンとして、先ほどのように受けた刀ごと吹き飛ばされるか、受けきれなかった攻撃で刀の上から叩かれるのだ。
正直吹き飛ばされるほうがまだましで、刀の上から来た衝撃で自分の刀に叩かれると普通に峰打ちを受けたようなダメージを受ける。
しかもたまに骨が折れてリリーの治療を受けることになるのだ。
いくら治ると言っても、いくら【痛覚軽減】があると言っても痛いものは痛いし、アラタは骨が折れた時のあの体の芯から冷却されるような悪寒が大嫌いだった。
「今日はこの辺にしておくかね。ドレイクさんのところに行くんだろう?」
「はい。この辺でって言っても結構しんどいですけど」
「男が何情けないこと言ってんだい。それより、2人との同棲は順調かい?」
「昨日俺が寝ている間に台所が吹き飛びました」
異世界に来なければ多分一生使わなかった表現で共同生活を例えるとシャーロットはカラカラと笑った。
「それは難儀なことだ。そもそも一緒に暮らすなんてあんたが受け入れるとは思わなかったけど何があったんだい?」
「……色々あったんです。イロイロ」
「まあ深くは聞かないわ。でも私から一つ忠告」
「なんです?」
「二人と生活まで共にするならアラタは彼女たちの陣営の中で最重要人物だ。それを理解しておきなさい」
「陣営って、俺にはそんなつもり――」
「本人の意思は関係ないよ。周りがそれをどう捉えるかが重要なのさ。確かに言ったからね?」
アラタは頷くと孤児院を後にしてドレイクの家へと向かう。
姐さんは結局何が言いたかったんだろう。
フレディもいないし、それにあの屋敷なら宿で隣の部屋に泊まるのと大差ないだろ。
人の忠告は素直に聞くべきだけど、何をどう気をつけたらいいのかさっぱり分からない。
「せんせー、アラタでーす。魔術を教わりに来ました!」
ドレイクは昼間で寝ていることが多く、彼が訪ねてきた時寝ていることも珍しくない。
初めは自然と起きてくることを家の中で待っていたが、待てど暮らせど起きてこないドレイクにしびれを切らし最近では自分の都合で起こすことにも抵抗がなくなってきていた。
大抵アラタがこうして大声で呼ぶと寝間着のまま寝室から出てくる。
「おお、来たか。じゃあ始めるとするかの」
こんな感じでアラタの勉強はドレイクが寝起きの状態から始まるのが常だ。
寝ぼけ眼をこすりながらでもアラタより遥かに精密に魔術を行使するのだから、彼からすれば学ぶことは多いのだがこのことをノエルやリーゼに話してもいまいちわかってくれない。
「今日は結界術、後は風の魔術もいいのう」
結界術、また新しい言葉が出てきた。
「先生、結界術とは?」
「まあ一言でいえば回路を体外に構築、ここまでは前に教えた魔道具と同じじゃ。回路に魔力を流し、循環させることである程度永続的に魔術的効果を持続させる」
「魔術との違いは何ですか?」
「差か、うむ、明確な違いは無いの」
「それでいいんですか…………」
「お主は人の歩みに理由を求めすぎる。自然現象は確かにそうかもしれんが、先人が何となく区別した二つの概念、そこに自分なりの違いを探すことが楽しいんじゃろうが」
……要するに先生も分からないから自分で考えろと言うことか。
「知識があっても技術は使えてなんぼじゃ。回路を体外に構築してみよ」
回路を体の外に構築、やったことないけど……魔力で回路を構築するならそんなに難しくないんじゃないのか?
アラタは体内で魔力を使って回路を構築するような感覚で地面に手をついて回路構築を試みる。
回路と言っても一本線のパイプを繋げて円にしただけだ。
構築自体は上手くできたようだけど……
「初めてでそこまでできれば上出来じゃ。後は鍛錬あるのみじゃな」
「どれくらいできれば実戦で使えますか?」
「そうさのう……今のお主は地面を依り代に回路を構築したのじゃが、慣れたら空中にも構築できる。あくまでも邪魔が入っていないという条件付きじゃが、ほれ」
先生は話しながら何かの魔術を発動する。
いや、回路を外に構築するなら結界術か。
「これは風属性の結界じゃ。境界線はワシとおぬしの間、こちらに来てみなさい」
アラタが言われたとおりにドレイクの方へと歩み寄ると、途中で進めなくなる。
感覚的には以前彼が受けた風属性の魔術とほぼ同じだ。
「こうすればさらに面白いことが出来る」
ドレイクは続けて結界術を発動する。
何かした風には見えないが風の結界に加えてアラタが日ごろ使っているような紫電がドレイクの周囲を取り囲む。
「風属性の結界に攻撃力はないからの。その気になればできぬこともないが……こうして別属性で補完する方が効率的じゃ」
一つの結界術すらまともに使えない彼に対して少し説明が飛躍しているという自覚が彼にあるのだろうか。
多分無いのだろうがアラタからすればこれくらいの無茶はもう慣れた。
しかし、
「先生、風属性の魔力を練ることが出来ません」
「風はこう、ふわっと練るのじゃ。雷が魔力を擦り合わせているなら風はそこまでしない。魔力で見えない大気をかき混ぜる感じじゃ」
毎度のことながら適当すぎる説明に途方にくれながらアラタは魔力を練る。
だがアラタもどちらかと言えば感覚派、やりたいことは理解できる。
多分魔力を帯びた風、空気を作り出す感覚なんだろう。
アラタは回路を構築してからゆっくりと風の魔力を練り始める。
練り方が雷のそれに近いからか、少し気を抜くとすぐに雷に引っ張られて上手くいかなくなる、何気に難しいぞこれ。
「鍛錬じゃな。風と雷の複合結界は強力じゃ。お主の知っている所で言えば、アレクサンダー殿でも解除に多少手間取るじゃろう」
先生からの説明は終わり、それからはただひたすらに反復練習を繰り返した。
風属性の魔力を練るところまでは上手くいったものの、それを結界に応用するとなると途端に難易度が跳ね上がった。
そもそも長時間結界術を維持できない。
雷撃を5秒と維持できないのに結界を維持することはできないわけで、日が落ちる前にその日の勉強は終了となった。
帰りに街で買い物をして帰る。
今日から3人分の食事を用意することも日課に組み込まれたわけだが、それ自体はそこまで苦にならないし嫌でもない。
アラタは夕食の準備を済ませて二人を待っていた。
しかしいつもならとっくに帰ってきている時間になっても帰ってこない。
少し心配になったがそのまま待っているとドタドタと廊下を歩く音が聞こえてきて、2人は居間に入ってきた。
「遅くなってすいません、クエストに手間取りました」
「ごはん! あ……その、夜ご飯をお願いしたいなー、なんて」
「その前に風呂入ってこい。そのきったない格好で飯は無理がある」
凄い勢いで夕食を催促されたが、クエスト帰りの泥だらけの状態で食事にするわけにもいかず、2人が風呂に入っている間にアラタは夕食の準備をする。
先に風呂に入ってくれればその間に食事の準備が出来るし、綺麗になってから食べた方が落ち着けるだろうというアラタの配慮だったが、風呂から上がってきた2人はむさぼるように食事に手を付ける。
よほど空腹だったのか、相変わらずおいしそうに食べていてアラタも嬉しかったが、帰りが遅くなった理由を聞くと途端に表情が険しくなった。
「ダンジョンの魔物の数が増えてきたんだ。駆除しても駆除しても全然減らない、今日も大変だったぞ」
「魔物自体は大して強くないのですが、何せ数が多くて」
Eランクのアラタはダンジョンに入ることはできるものの、内部で2人がするような戦闘重視のクエストは受けることが出来ない。
だからこそ今日みたいに稽古を受けに行くか別のクエストを単独で受けるわけだが、あの二人がここまで疲れるクエストとはいったいどんなものなのか興味があった。
その辺りの話をもう少し詳しく聞こうとしたが、クタクタの2人に長々と話を聞くわけにもいかず、今日の食器洗いを請け負って2人に速く寝るように言った。
アラタはまだ2人の隣で戦うには力不足である。
だからこそ必死に鍛えて少しでも力になれるようにこうして生きているのだが、それが本当に彼のやりたいことなのか、彼自身たまに分からなくなる。
食器洗いのような単純作業をしていると、どうにも余計なことを考えてしまうとアラタは急いで残りの仕事を片付け、庭に出る。
アラタは前にドレイクに言われたことを思い出していた。
武器に魔力を纏わせることもできるが消耗も速くなる。
そして擦り切れるほど読んだ神からもらった本を開く。
刀という武器は折り返し鍛錬という方法で強度を上げている。
さらに2種類の金属を最後にかぶせ、合わせることで完成度を一段上げる。
この刀は特別製で、何をしても壊れない。
もしかすると………………
アラタは魔力をそのまま刀に流す。
彼の練った魔力は線を描くように刀身に染み込んでいく。
「やっぱりそうだ」
この刀には回路の代わりになるような溝? 導線がある。
折り返しによってできたものなのか金属をかぶせた時に出来たものなのか分からないけど、とにかくわかることが一つある。
この刀は壊れない魔道具だ。
分かりにくいけど反則なのかもしれない。
アラタは雷属性の魔力を刀身に流す。
バチバチと音を立てて刀身が蒼く光を帯びていく。
掌に魔術を留めることはまだうまくいかないけれど、この方法なら確実に魔術を維持することが出来る。
刀に流れている時の方が魔力が安定しているような、回路が安定しているからなのか。
これなら風の魔力は、うん、練れる。
アラタは風属性の魔力を刀身に流し、右手で握る。
そして地面に左手をつき、円環状に回路を構築する。
「俺の考えが正しければ……こうすれば」
アラタは回路の軌道上に刀を突きさす。
「おぉー、出来た!」
風属性の魔力を帯びた壁が回路の上に出現する。
尚且つアラタが刀から手を放しても効果は失われることなく持続している。
しばらくすると徐々に結界の効力は弱まり、やがて魔術的効果は失われてしまった。
だが、回路の維持が未熟なアラタにとってこの結果は非常に喜ばしいものであり、地面に突き立てられた刀を見つめる彼の目はおもちゃの新しい遊び方を見つけた子供のように光り輝いていた。
――クエストで試すのが楽しみだ。
アラタは刀を引き抜き、鋒についた土を取ると鞘に納める。
彼は大満足で建物へと戻っていき、その日は刀と共に寝た。
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