第35話 劣勢
景色が変わったと思ったら、気付いたら闘技場の目の前にいた。
以前ランクアップの試験会場となった場所、しかし以前とは違い観客席が設けられており、かなりの数の観衆が見に来ているみたいだ。
アラタはかつて足を踏み入れた聖地を思い出す。
「いや、流石に甲子園よりは全然小さいな」
せいぜい地域の公園にある球場、草野球をするための球場くらいの大きさだ。
アラタは試合をバックレるとペナルティを課せられる訳を理解した。
これほどの観衆の数、有料ならかなりの額になる。
それを払い戻しになったら一大事、要するにこの人数相手に契約を一方的に破棄することなんてできないということだ。
誘導されるままにフィールドの方へと歩いていくと途中でノエルとリーゼとはお別れとなる。
「危なくなったら逃げろ。ペナルティより命だ」
「それ言ったら初めから逃げたかったけど」
「大丈夫、相手はEランクだ、アラタなら勝てる」
ノエルの励ましがどこまで本当のことを言っているのか俺には分からないけど、元気貰った。
「脱出するときはこれを使うから。俺と合流して【気配遮断】で隠密行動だ」
「これは……シャーロットさんとの稽古で使った煙玉ですか?」
「そ。じゃあな」
「はい。私もノエルも信じてますから」
「大丈夫、先生からもらったポーションもあるからね」
2人が観客席に向かった後アラタはこれからの出来事を想像する。
決闘がどんな結果になろうとそれだけで終わってくれれば文句なし、けどこれは現実的じゃない。
もし決闘に勝ったとして、次の相手が出てくるようなら逃走を考える。
けどなあ、逃げる余力を残して決闘を受ける、その上で勝つ、そんなに舐めプしたら勝てるものも勝てないかもしれない。
負けたらどうなる?
負けたらパーティーから出て行けと言われてもそれをどうこうする権限はあいつらにない。
やっぱり難癖をつけられて自分から出ていくように仕向けられるのか。
パーティー云々はまあ置いておくとしても、あのくそむかつく連中は一度叩きのめさないといつまでも調子に乗ったままだ。
それに冒険者を煽っている奴が本当に居るとするなら、俺はそいつのことが気に食わない。
絶対陰険でいやらしい顔をした薄暗い人間に決まっている。
そんな奴の思惑通りに事が運んでしまうのは我慢ならない。
やらなきゃならないことは臨機応変に変わるけど、全力で勝つ、逃げる、この二つは条件として外せない。
決闘といっても殺しは禁止のはず、俺は事故死に見せかけて殺されるかもしれないのだ、初めから大っぴらに殺そうとしてくるわけじゃない。
それはこっちも一緒、いくらムカついていても斬り殺すことが許されるわけがない。
だったら……多少面倒だけど峰打ちと雷撃で動きを止めるしかないか。
アラタの思考が終わり、闘技場内に踏み込んだ時、アラタは対戦相手の姿を見て自身の目を疑った。
「4人!?」
俺の目には4人の冒険者が武装して入場してきているように見える。
話したことはないけどギルドで見かけたことのある顔ぶれ、そして何より俺の記憶が正しければ、
「お前らパーティーだよな?」
下卑た笑顔を浮かべながら相手はアラタの問いかけに答える。
「この決闘に人数制限はない。事前申告すれば何人でも参加可能だ。事前申告すれば、な」
「ノエル? リーゼ?」
観客席の一部がやけに騒がしいと思って見てみたら、2人が何やら騒いでいる。
ここまであからさまな手段に出るか。
どうする? そんなこと説明すらなかった、それを盾にして無効試合を主張するか?
いや、無理だ。
「おい、そっちの参加人数は何人だ?」
「ククッ、30人だ」
……嵌められたのか。
俺が考えていたよりずっと向こうの殺意は強い。
予想外、そう予想外だ。
普通許可するか?
1対30!? 普通に問題だろ。
俺はおろか2人も本当の試合条件を知らなかった、ここまで用意周到に、かなり汚い手でなりふり構わず来たな。
元々やばかったけどいよいよキナ臭い。
「おい、決闘のルールはどうなっている」
フィールド中央にいる審判に話しかけるが反応がない。
ここまであからさまだとかえって清々しいな。
4人組の後ろからも次々と対戦相手が入場してくる。
これ問題とかにならないのかな、おかしいだろ。
アラタは目の前の現実を素直に受け入れる。
受け入れはしたが、直視するにはあまりに厳しい現実、こんなことがまかり通ってしまう冒険者、というかこの国は少しおかしいだろ。
試合直前、後は審判の合図を待つのみとなっている状況下でアラタは何とか生き残る方法を模索する。
ここからの脱出、その後の追跡、躱したとしても勝負しなければ何を言われるか分かったものじゃない、なら決闘を途中でぶち壊すか。
観客を逆上させてフィールドになだれ込ませるとか……流石に観客もバカじゃない、自分たちから試合を無効にはしないか。
……しない、よな?
「まずは戦って見ないことにはどうにもならないか」
対戦相手達はすでに臨戦態勢、握られている武器はガッツリ真剣、木剣などで代替すると思ったがやはり殺意が高すぎる。
アラタは抜刀、自称神からもらった刀はいつだって新品のように傷一つない。
抜刀した所作の流れのまま左手を鞘から離し、柄を握り正眼に構える。
踵をベッタリと地面につけ万全の体勢で相手の様子を窺う。
少しの間、観客も、審判も、アラタ達自身も何の音も発さない時間が訪れる。
「はじめ!」
静寂を破ったのは審判の開始合図だった。
アラタは相手の様子を窺うために一歩後ろに下がる。
対して敵はほとんど全員がアラタに向けて殺到した。
これで殺す気がないはムリがあるだろ、と若干引いたが戦わなければいけない現状は変わらない。
身体強化は起動済み、それなりに広いフィールド内をアラタは駆けた。
相手はEランク冒険者、最初はもっと強いやつが紛れ込んでいて俺にとどめを刺す役がいるかと思ったけど、どうやら違ったみたいだ。
1分程度追いかけっこに興じて、アラタは一つの事実を認めた。
Eランク冒険者はそこまで強くはない、という事実だ。
見た感じ姐さんやノエル、リーゼと同じレベルの冒険者は一人もいない。
身体強化を持っている連中も素の身体能力が違う、だれもアラタに追いつけないのだ。
だが自分から攻めることが出来るかと言われれば、それは少し厳しい。
30人もいるのだ、間に割って入っただけでからめとられてどさくさで殺されるかもしれない。
駆けている間、ふと目に付いた奴がいた。
比較的距離を取っている男女2人、冒険者なのに出で立ちはあまり動きやすそうではない。
アラタは少し距離を詰める。
すると向こうは距離を取る。
――決めた。
アラタは身体強化に注ぎ込む魔力を増やす。
スキルと魔術、重ねがけされたそれはEランクの中では突出した運動能力を生み出す。
フロントを張る敵をある程度ひきつけて、それから……
地面が少し陥没する。
それほどの力で大地を蹴ったアラタの体は体操選手もびっくりな跳躍で宙に舞う。
頭の上を飛び越された前衛たちだがもう遅い、気付いた時にはアラタは既に後衛の仲間のすぐそばにいた。
「うっ、うぁああ!」
彼と相対する冒険者は苦し紛れに杖を振り、その先端から石の礫が射出される。
土属性の基礎、石弾だが粒は小さく速度も低い。
強化されたアラタの目が礫を見切りながら高速で接近し刀を構える。
間合いに入る、その直前にアラタは刀を返し敵に峰を向けた。
次の魔術を発動させようとしたがアラタの方が速い、峰打ちで胴に一撃加えられた男は悶絶しながら膝をつく。
隣の女性はアラタの速さに驚いたのか腰の引けた状態で魔術を打ち出そうとする。
アラタには何の魔術か分からないがいちいち魔術を発動するまで待つつもりもなく、杖を構えた敵の喉元に刃を突きつけた、今度は峰ではない。
「ひ……や、やめっ」
「寝てろ」
「あっ」
紫電が走ると冒険者は倒れた。
雷撃を首に流されたのだ、防御していなければ昏倒するのは当然である。
残り28人、まだまだ大勢残っているがこっからだ、アラタがそう思った時だった。
「殺せ!」
「仇だ! 必ず殺せ!」
敵がいきり立っている。
それに会場からもブーイング、こいつらは俺が殺されるところを見に来たとでも、殺しに来たとでも言うのか。
ルールは殺しはなし、そのはずだ。
正気か? あの殺し合いだぞ?
ボクシングや総合格闘技とは意味が違う、人が死ぬんだぞ?
アラタは罵声を浴びせられ、本気の殺意を向けられようやく理解した。
こいつらは元の世界の人間とは違う、日本にもこういった人間はいたかもしれないけど俺はそんな人間と関わった経験はない。
ここは日本じゃない、異世界なんだ。
命の重みが、倫理観が、道徳心が、人間としての尊厳が、何から何まで価値観がまるで違うんだ。
思えば俺も人を殺した。
アラタの眼前に敵が迫る。
こいつらはなんで俺を殺そうとする?
憎いから? 妬ましいから? そんなことで人は人を殺せるほど憎悪することが出来るのか?
全く理解できない。
アラタは一歩下がる。
敵と物理的に距離を取る一歩であり、この世界を拒絶し避ける一歩でもあった。
俺は……なんで戦っている?
なぜこの世界で生きている?
分からない、深く考えたことなんてなかった。
敵の攻撃がアラタの体を掠める。
避け、捌き、下がり、避ける。
俺は何のためにここにいて、何のために生きている?
分からない、分からない、分からない、思考ができない、もう何も、何も考えたくない。
この訳の分からない世界で俺はどうして……
「アラタ! 反撃しろ! 勝てぇ!」
トラウマがフラッシュバックしてまともに動けなくなったアラタ。
そんな彼に届いた、届いたかどうか微妙だったが歓声と怒号にほぼかき消された声。
……届いた、聞こえたよ。
何やっていたんだ、俺。
やっぱりまだ去年の事を引きずっているのか、野球に未練たらたらだな、かっこ悪い。
このまま殺されるつもりか?
それならなんで盗賊に遭遇した時、姐さんに殺されそうになった時、武器を取った? 刀を握った?
戦うことに理由なんて見いだせない。
何かしたいことも、理想も、野望も何もない。
でも……それでも必死に生きてきたじゃないか。
アラタは今一度刀を握り直した。
僅かに刀身が光を反射して輝く。
身体強化に回す魔力を増やし、それと同時に雷撃を放つべく回路を構築する。
操作の難易度は跳ね上がるがその分ありったけの魔力が体内を駆け巡る。
依然劣勢。
何か所か斬られている、でも問題ない。
痛覚軽減は正常に働いていて、今この間だけは傷の痛みを忘れられる。
戦う覚悟は決まった。
でも人を殺す覚悟はまだない。
今はそれでいい。
人を殺したくないという俺の心、この世界の人間とは少し違う考え、それが俺だ、それが……異世界人、千葉新だ。
アラタはフィールドを駆けながら再び間合いを詰めていく。
彼の間合いに敵が僅か半歩踏み込むその瞬間、渾身の力で一歩前へ踏み出した。
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