第21話 姐さん
「さて」
シャーロットはそう呟くと軽く体をほぐし始めた。
関節を回しストレッチをして、さあ、訓練を始めようという時、おニューの木剣を持ってシャーロットの準備が完了するのを待っているアラタに彼が予想しない言葉を放った。
「そんなおもちゃじゃなくて、真剣を用意しな」
アラタは驚いた。
いや、彼の中で真剣を使った訓練は想定内だった、ただやりたくないというだけで。
しかし見たところ丁度いま準備を終えたばかりのシャーロットは素手、何の武器も所持していない。
「シャーロットさんは丸腰じゃないですか」
「そうだよ。そんなこと関係ないから早くその腰の物を抜いてかかってきな」
表現が微妙に変な感じがするが煽られているのは分かる。
アラタは木剣を地面に置き刀を抜いていた。
自然と刀を握る手に力が入る。
「斬られても知りませんよ」
「若いっていいねぇ。けど大丈夫、あんたじゃ私に傷一つ付けられない」
こいつ!
アラタはあくまで稽古であることは念頭に置きつつそれはそれとして全力で斬りかかった。
リリーさんがいるんだ、それにリーゼもいる、全力でっ!
怒りに任せて振るうアラタの剣筋は多少の歪みを含みつつ渾身の力で振りぬかれた。
「――――は!?」
押しても引いてもピクリとも動かねえ!
アラタの打ち込んだ胴はシャーロットの人差し指と中指、そして親指でつまんで止められた。
確かにアラタの一撃は忖度なし、やらせなしで本気で振りぬいた。
それなりに刀を振り、身体能力も戻りつつあるアラタの打った攻撃、それでなくとも真剣を指でつまむなんて芸当出来るはずがない。
もしそんなことが出来る達人、人外がいるのならテレビで取り上げられたちまち有名人になる事確実である。
人外、人外、そう言えばかなりの重量の装備を着て談笑しながら10km走破する女子たちを知っている。
ギリギリ目で捉えられるかという速度で近づき一刀で斬り伏せられた相手を知っている。
スキルやクラス、魔術と言う眉唾物が実在することを俺はもう知っている。
「なんだい、そんなものかい? どんどん打ち込んできな」
シャーロットはそう言うと刀をつまんでいた手を放した。
こいつ、いや、この人は……別格だ、強すぎる。
けど同時にワクワクしてきた。
こんなにすごい相手に面倒を見てもらえる、やっぱり俺の目は間違っていなかった。
そう思うとアラタは再び斬りかかった。
※※※※※※※※※※
シャーロットとアラタの稽古が始まった頃、女性陣は木陰に座りながら稽古を眺めていた。
「じゃあお二人はアラタさんとパーティーなんですね。いいですよね、冒険者って」
「まあアラタはまだ初心者だからあまり役には立たないけどな。この前だって私のミノタウロスが……」
「でもアラタさんがいなかったら今頃デイブは……聞いてないんですか?」
2人は頷く。
ノエルとリーゼは昨日知り合った人に色々教えてもらって剣の稽古をつけてもらうとしか聞いていない。
デイブが誘拐されかけた件やアラタが助けてくれたことなど知らないのだ。
「はぁ、男の人ってそんな人ばかりなんですかね。姐さんもあまり自分のことは話さないんです」
親しいものはシャーロットのことを「姐さん」と呼ぶようだが見た目との違和感はさておきノエルが口を開いた。
「あの人はいったい何者だ? 只者ではないことは分かるがリーゼは何か知っているのか?」
「そうですね、多分。リリーさん、話してもいいですか?」
今度はリリーが頷いたことを確認するとリーゼは彼女について話し始めた。
「私の推測、というか知識が正しければあの方の本名はアレクサンダー・バーンスタイン。元Aランク冒険者で不屈の二つ名で呼ばれた冒険者です」
「そんなにすごい人だったのか! それでそれで!」
「私が生まれていたかどうかという頃のウル帝国との戦争にギルド所属の冒険者として従軍、奮戦しカナンの勝利に大きく貢献しましたがその後すぐに冒険者を引退、今に至る。……これで合ってますか?」
「凄いですね。実は私も詳しくは知らなかったんです」
リーゼの話だけ聞けば今頃は年金でぬくぬく暮らすか軍やギルドの要職についていそうなものだがシャーロットの現在は孤児院で子供の世話をするただの中年である。
リーゼの説明に付け加えるとするならばと前置きしてリリーが言うにはシャーロットはこの孤児院の出身であり戦争後仲間と共にここの手伝いをすると言い半ば強引に押しかけて…………進んで孤児院の運営を手伝ってくれているということだった。
シャーロットの過去がひとしきり暴かれたところでおしゃべり好きなお嬢様方の次なる標的はアラタに変更される。
「姐さんのことはよくわかりましたけど、アラタさんは何者なんですか? 噂くらいは耳にしますが」
「へえ、どんな噂なんだ?」
「大変いいにくいのですが……」
「大丈夫、アラタは今聞いていない」
リリーは言ってもいいか迷ったようだが井戸端会議に参加しておいて話しませんは通用しない。
「クレスト家とクラーク家のご令嬢のパーティーにどこの馬の骨とも知れない男性が加入したと。それで、その……」
「「ヒモ?」」
リリーはこくりと頷く。
「あまつさえその男性は2人に寄生して遊んで暮らしていると」
「ふふふ、あっはっはっは! アラタもすっかり有名人だな!」
「本人の耳に入れば泣いてしまいますからね。絶対言わないでくださいよ?」
人の口には戸が立てられないようにノエルの口は常時全開である、アラタの耳に入ってしまうこともそう遠いことではないがリーゼは責任逃れのために一応注意しておく。
「実際のところはどうなんですか? ヒモなんですか?」
リリーはアラタを遠目から見る。
まで昨日知り合ったばかりだがデイブを助けてくれたことといいあまりそういうタイプには見えない。
「金銭の貸し借りがないわけではないが……そもそも私たちが巻き込んだようなものだから。アラタもあれで結構苦労しているんだ」
ノエルはアラタのことを理解している風な言葉を吐いているが異世界転生して何度か死にかけていることを結構という表現で済ましてしまうあたり、まだまだアラタの受難は続きそうだ。
「アラタもいろいろ頑張っていますから。後で優しくしてあげませんと……あっ、投げ飛ばされましたよ!」
アラタは空高く投げ飛ばされるとそのままべしゃりと地面に落ちた。
「リリー! アラタを治療してやんな!」
「は、はい! 今行きます!」
「リリーさんは本当に治癒魔術が使えるんだな」
ノエルがそう言うのも当然と言えば当然で、アトラの冒険者で治癒魔術が使えるのはリーゼともう1人しかいない。
軍や病院、警邏も含めればもう少しいるはずだがこんなところで出会うとは思わなかったのだ。
「才能があったんです。それと二人ともリリーでいいですよ」
彼女はそう言うとアラタの元へと走っていった。
アラタは死んでもいないし気も失っていなかったが受け身を取り損ねたのかその前に痛めつけられたのか寝ころんで悶絶している。
「アラタさん、大丈夫ですか?」
「全然大丈夫じゃないです。シャーロットさん強すぎ」
アラタはFランク、シャーロットは元Aランク冒険者、両者に実力の開きがあることを含めてもシャーロットからすればかなり手加減をしていた。
「あんた身体能力を向上させる手段はある? ほら、クラスの補助とかスキルとか。さあ、クラスの補助をつけてもう一回だ、もう痛くないだろう?」
確かにアラタが今負ったダメージはリリーがすべて回復させた。
しかし今のやり取りでアラタは心にどでかいダメージを負った。
「シャーロットさん、俺……その、あの……クラス…………」
「なんだい? 聞こえないよ、はっきり言いな!」
「…………俺、クラスがないんです」
「はぁ⁉ 何を言って……クラスがない、新しく加入した男……だからヒモか」
「ぐはっ!」
アラタの胸を見えない槍が貫いた。
ダメだ、完全に急所に当たってしまった。
今日の稽古はもう続行不可能になったしまったかもしれない。
いつの間にか来ていたノエルとリーゼが励ますがアラタのダメージは治癒魔術では治せない。
「シャーロットさんも悪気があっていったわけでは……」
「そ、そうだ、クラスがなくてもアラタは十分強いだろう!」
「聖騎士、剣聖、2人はいいよな。シャーロットさんのクラスは何ですか?」
「私かい? 私は重戦士だ。それが?」
「姐さん姐さん、アラタさんは――――」
リリーがシャーロットの耳元で何か囁く。
恐らくアラタがクラスを持っていないことを気にしていることを教えているのだろう。
リリーが離れるとシャーロットは何か考え込む。
普通にしているだけでもかなりの威圧感だが眉間にしわが寄るとより一層迫力が増す。
アラタからすれば元とはいえAランク冒険者、人外だと思っていたノエルやリーゼよりさらに高位の冒険者、ここまで来てしまうともう人間の領域を出てしまっているのかもしれない、そんなことを考えているとシャーロットが口を開いた。
「稽古のやり方を変える。今より厳しいけどついてこれるかい?」
「いけます」
「じゃあついてきな。後これからはシャーロットじゃなく姐さんと呼びなさい」
「は、はい、姐さん!」
本格的に師弟関係が確立され2人はどこかに行ってしまったことで3人は取り残される形になる。
「ねえリーゼ、なんかあれって暑苦しくないか?」
「ノエルもそう思いました? リリー、シャーロットさんはいつもあんな感じなんですか」
「いえ、姐さんがあんなにすぐ誰かを気に入るなんてかなり久しぶりのはずです。アラタさん、無事だといいんですけど」
リリーがそう言うと遠くの方から何かの叫び声がした気がした。
まるでこの世のものではない何かに遭遇してしまったかのような、そんな声だったが3人はその声の主に心当たりがあった。
「今のって」
「ええ、やっぱりそうですよね」
「アラタ、大丈夫かな」
3人の予想通り叫び声はアラタの物だったわけだがこれを皮切りにしばらくアラタの地獄のような稽古は続くのである。
時はアラタが姐さんと呼んだ少し後に遡る。
※※※※※※※※※※
「アラタ、私も何を教えたらいいか考えたのだけど、やっぱりあれにしようと思うの」
「あれ?」
「そう、アラタはクラスがないでしょ? そしてアラタが私に攻撃した時私が指でその剣を受け止めたの覚えてる?」
「そりゃあんなに衝撃的は場面は忘れられないですよ」
「あれはもちろん重戦士の補助があってこそなのだけどそれだけじゃないのよ」
「まああれを素でできるなら人間やめてるでしょ」
「あれはね、クラスの補助とスキル、それに魔術も少し使っているの。魔術は感覚的に少しだけ使っているだけだから私じゃ教えられないけどスキルの方はね、【身体強化】ってスキルがあって名前の通り身体能力を向上させているのよ」
「スキル! それなら俺にもチャンスがある!」
「そう、そして知っていると思うけどスキルは経験や訓練を積むことで発現するものでしょ? そして【身体強化】の条件はもちろん」
「筋力トレーニング?」
「正解! だからね、アラタにはこれから毎日ここでトレーニングをしてもらうのだけど……ここからは私の持論なんだけどスキルは必要に応じてしか発現しない。つまり、そのスキルが必要な状況を設定することが重要なのよ」
「それはなんとなくわかりますけど、ただトレーニングするだけじゃダメってことですか?」
「そう、【身体強化】がなければこの状況を打破できない、そういう状況に身を置いて稽古をすることでよりスキルが発現する可能性は高まるわ。だから、これからアラタには私たちと鬼ごっこをしてもらいます」
「は? 鬼ごっこ?」
「そう、知っているでしょ? 鬼ごっこよ。そしてこの鬼ごっこはタッチされてもいい。鬼のボスである私のもとに連れてこられるまでどんな抵抗をしてもいい。理解した?」
「いや、それもう鬼ごっこじゃないでしょ。それに鬼のボスがいるってことは普通の鬼がいるんですか?」
「そう、私の仲間を呼んだからその子たちが鬼役になってくれるわ。じゃあ始めましょうか」
「逃げる気がないわけじゃないんですけど参考までにもし鬼のボスの姐さんのところまで連れてこられたらどうなるんでしょうか?」
「そうね、この手の稽古の時に一番効くのは……丁度いいわ。もし捕まったら私がキスをするわ」
「今なんて?」
「だからキスよ。もちろんお子様キスじゃなくて濃厚なほうよ。わざとつかまったりしちゃだめよ?」
全身の毛が逆立つのを感じる。
背筋が凍る。
心臓を握られたようだ。
そのどれも今の心境を表すには不足すると感じるほどの恐怖を感じた俺は始めの合図も聞かないまま全力で走り始めた。
「そうそう、言い忘れてたけど鬼のみんなも我慢できなくて食べちゃうかもしれないから頑張って逃げるのよ~」
マジか、マジかマジかマジか! おい! おいおいおいおいおい!
「姐さん、もう始めていいの?」
「やだ~、ちょっとタイプなんですけど~」
「まあ男ならだれでもいいわ。早く始めましょう」
「そうね、それじゃアラタ、始めるわよ、よーいスタートォ!」
地獄の時間が始まった。
「帰りたい! 元の世界に帰りたい!」
異世界人であることがまるわかりの発言をするが今のアラタにそれを気にする余裕はない。
捕まったら冗談抜きで人生終了だ。
早々にスキルを発現させてこのイカれた稽古を終わらせなければならない。
そう考えていると遠くのほうから凄まじいスピードで凄まじい数の鬼が追いかけてきた。
「っ~~-~! -~! -~――~!!!」
声にならない叫びが漏れながら全力で逃げ始めた。
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