第3話 助けてもらいに来ました

 異世界に送られたその日、結局新は一睡もすることなく翌日の朝を迎えた。

 それはそうだ。

 あんな体験をして、何がいるか分からない森の中一人で眠りこけることが出来るほど、彼の肝は太くない。

 不眠だが、一応何事もなく2日目を迎えることが出来た彼は荷物の確認を再開することにした。


 刀、一振り。

 テント、一張り。

 食料、全滅。

 数えてきて腹が立ってきた、っていうか腹減った。

 昨日のスライム、捕まえて食べればよかった。

 スライムって食べれるのか? ゼリーみたいな見た目してるし意外とおいしいのかもh知れない。

 待て待て、思考が完全に迷子になっている。


 考えがまとまらず、思考停止して引き続き荷をほどいていくと、新はあるものがないことに気付いた。

 衣類がない、それに今自分自身が着ている服は、秋葉原にいた時に着ていたそれではない。

 白のスニーカーにYシャツと紺のズボン。

 センスがないというか、何というか特に何も考えていなさそうなコーディネート、自分のものではない服を着ている理由を考えたが、答えは見つからず、考えるだけ無駄かと別のことに興味が移る。


「これって大丈夫なのかな」


 これ——すなわち刀の事である。

 手紙に書いてあったように荷物の中に入っていたそれは、今新の手にある。

 刀剣に関する知識など皆無な彼からすれば、刀はすべて刀だが、きちんと分類するのならこの刀は打ち刀である。


 確か銃刀法か何かで規制されてたはずだけど、一般人が持っていてもいいんだっけ?

 あやふやな知識だと違法かどうかなんて分かんねー。


「まあいっか! 多分ここ異世界だし」


 適当な男である。

 この世界に銃刀法のような役割の法律があった時のことなど微塵も考えていない。

 ただ、彼のこの奇想天外な身の上を考えると、銃刀法でしょっぴかれるのならそれはそれで悪くないとも思える。

 そうなれば最低でも人と出会えているということだから。

 続く荷物は本だ。

 新はその本を手に取り、表紙を眺める。


―サルでもわかる日本刀の使い方 超初級編―


 ページをめくると日本刀とは何か、刀の特性、正しい使用法、etc, etc, 見ていると何だか心地よい睡魔が彼に忍び寄る。

 意識がシャットダウンする前に人を睡眠へと誘う危険な有害図書を閉じると、刀を持つ。

 先ほどの本を見て、最低限持ち方を覚え、見よう見まねでイラストの通りに鞘を持つ。

 鯉口を切った。

 カタンと軽い音が鳴り、刀身がほんの少し姿を覗かせる。

 そのまま逆らわずに鞘を払うと、


「おぉー」


 なんか感動した。

 とにかく綺麗だ。

 美術館とかに展示されているのも納得できる。


 初めて間近に感じる刀剣の世界に圧倒されながら、新は鞘を地面に置き、両手で彼方を握る。

 すると刀の先端、きっさきが重力に引っ張られ僅かに沈む。

 野球のバットを持つ感覚とは少し違う様子に、新の手先は少し驚いた。


 意外と重い、のか?

 極端なトップバランスみたいなものなのかもしれない。

 でも振れない程じゃない。


 適当に2,3度振ってみた新だが、なんだかしっくりこないのか、首を傾げる。

 再び本を開き、刀の正しい振り方が掲載されているページを探す。


「えーと、斬りつけるとき刀身の確度を振る方向に合わせて、円運動に沿って自然な流れで斬る」


 なるほど分からん。


 その後もとにかく刀を振る。

 どうにも上手くいっている気がしないが、それでも振る。

 どこか気持ち悪い。

 振り終えた瞬間軸がぶれてしまう。

 刀に振られている状態がしばらく続き、それでも新は刀を振り続けた。


「うーん、こうかな?」


 さらに何度か振ってみるが、やはり上手くいかない。

 新はすっかり刀を振ることに夢中になっていた。

 異世界に来たことなんて、昨日眠れなかったことなんてすっかり忘れている。

 構え、振り、止め、所作を振り返る。

 そしてまた構える。

 その繰り返し。

 時間が過ぎることも忘れて繰り返す。

 食事の心配も忘却の彼方に繰り返す。

 そしてすっかり日が暮れてしばらく経った頃、


「痛っ!」


 ふと、彼の右肘に鈍い痛みが走った。


「そうか、もう一年か」


 新の肘には痛々しい大きな縫い目が強く自己主張をしていた。

 まるであの時の出来事を忘れるなと言わんばかりに。

 約一年前、甲子園で敗退した2日後に限界だった肘を治すために受けた手術。

 彼の右肘は今でも手術の痕が痛々しく残ると同時に、完全に伸ばしきることは出来ずにいた。


「練習なんてもうしなくていいのに。何やっているんだろ、俺」


 急な虚しさが彼を襲った。


 そうだ、もう練習する必要なんてどこにもない。

 なんか熱中すると周りが見えなくなって時間すら忘れちゃう。

 いつからこんな風になったんだっけ。

 中学生になった時くらいには既にこんな感じだった気がする。

 一度集中して体を動かし始めると周りが見えなくなるのは悪い癖だって何回も言われた。


「野球選手の職業病みたいなもんか」


 何となく呟いてみたが誰かが効いているわけでもない。

 独り言が多いのは彼の癖だ。


「いや、プロにもなれなかったのに職業病なんておかしいよな」


 新は自嘲気味にそう笑うと、すっかり暗くなったそれを見上げた。

 一面、満天の星空が広がっている。


 もう色々とどうでもよくなった、寝ようっと。

 どうせ何も来ないだろ。

 もし来たら、その時はその時だ。


 新は隣にある刀を触ると、テントの中で横になった。

 かなり疲れていたのか、その日新は泥のように眠りについた。


※※※※※※※※※※※※※※※


「っっっ、いってぇー」


 背中の痛みで目を覚ました新は、起き上がるとグッとのけぞり凝り固まった体をほぐす。

 いくらテントの中でも、下に何も敷いていなければ地面に直接横になるのと大差ない。

 それでも寝れてしまうのだから、よほど疲れていたのか、新が適当な人間なのか、その両方だろう。

 それに筋肉痛も来ている。


 最近、何となく続けていただけだったからなぁ。

 本気で体を動かすと流石に次の日はしんどい。

 とにかく腹減った。


 昨日は丸一日無駄にしてしまったのだ、笑い事ではない程愚かな行動だったが、今となっては笑うしかない。

 一昨日見つけた川で顔を洗った新だが、悲しいことに飲み水がない。

 昔、練習中に川の水で水分補給した後、死ぬほど腹を下したことが彼にブレーキをかける。

 飲まず食わずで2日、今日こそは本当に人を見つけないとまずいと焦燥感が募る。


「ここも離れるか」


 ここに来て2日間、まともに動いたのは1日だが、誰とも出会えていない。

 1日目はそれなりに歩き回ったのに、それでも見つからないのなら少しずつ移動したほうがいいのかもしれない。


 そうした考えの元、新は刀と本を持って歩き始めた。

 近くを流れている川に沿って歩いて行く。

 どんな世界か分からないが、闇雲に森の中を彷徨うよりはましなはず、そう信じて歩く。

 歩く、歩く、しばらく歩いて休憩してはまた歩く。

 持っている刀が重く感じるようになってきたが、それでも歩く。

 他に手が無いのだ、今彼に出来ることはこれくらいしかない。


 ……どうしよう。

 このまま誰も何も見つけられずに空腹と脱水で倒れたら。

 死ぬのか?

 あの時は結局死ななかったな。

 刺されても死なないなんて、結構頑丈に出来ているんだ、きっと何とかなる。


 体力にはそこそこ自信のある新だったが、心が弱れば身体も引っ張られ、徐々に疲労は表に出てくる。

 もう限界だ、何か食べ物か飲み物を口にしなくては本当に倒れてしまう。

 そう思って新は川沿いを歩くのをやめて食料を探そうとした。

 その時、


「…………何だ?」


 鳥の鳴き声ではない。

 自然の音でもない。

 懐かしい、というほど時間は経っていないけど、聞きなれた音。


「人の声……ヒトノコエ! やった! 助かった!」


 新の体内に蓄積されていたはずの疲れはどこかに吹き飛んでいた。


 良かった、人だ!

 間違いない、絶対人の声だ!

 良かった、本当にやばかった。

 これで助かる!

 ご飯を食べて、ベッドで寝て、あと風呂にも入りたい。


 彼は声のする方に向かって駆けだした。

 段々と声のもとへと近づいていく。

 何を話しているかなんてどうでもいい。

 誰か人がいる、その事実以外、一切興味ない。

 とにかく早く助けてもらおう。

 そうして彼は走り続け、声のもとに辿り着いて新は見た。


 ナニコレ。


 彼の視界には、あからさまに素行の良くなさそうな風体の、武装した男たちが同じく武装した女性たちを囲んでいる。

 一目で分かる。

 なんだ、強盗か。


「……はぁ。ふざっけんなよカス」


 新は力なく座り込むと、体育座りをして膝に顔をうずめた。


 もう限界だっつうのに、なんだこれは、ありえねーだろ。


 彼がそんなことを考えている間、終始その場にいる彼以外の全員が不思議そうな顔をして彼の方を見つめている。

 当然の反応だ。

 急に変な奴が出現して、いきなり座り込んだのだ。


「何やってんだお前?」


 新は彼らの事を強盗だと判断したが、より正確には山賊か何かの類に見える清潔感の欠片も無い男が彼に声をかけた。


「何そこに座っているんだよ。見てわかんねーのか? 邪魔だからさっさと失せろ」


「なんだ、こいつらの仲間じゃねーのか? 何しに来たんだ?」


 恐らく女性2人を襲っている山賊たちという構図だったのだろうが、イレギュラーな彼に対して彼らは意外と優しい。

 よく分からない、状況が理解できなくて困っているのかもしれない。

 そんな彼らの問いに、アラタは力なく呟くように答えた。


「…………助けてもらいに来ました」


 男たちは、女たちはぽかんとした顔をする、当然の反応だ。

 そして、


「助けてもらいに来た……ぶはっ、マジかよ! 聞いたかお前ら!」


「あはは! どうした? 助けてやろうか?」


「おいおい、助けてもらえるように見えるのかぁ?」


 山賊たちは爆笑している。

 その笑い声を耳にして、新は無性に腹が立ってきた。


 人が必死に歩いて探し回って、ようやく念願の人に出会うことが出来たと思ったらよりによって強盗だと?

 ふざけんな。

 大体、似たようなシチュエーションはテレビで見たことあるけど、皆こんなに苦労はしていなかったぞ。

 何が親切で森に送りましただ。

 最初から街に送れよ。

 最初からスライム倒せるくらいの力を寄越せよ。

 最初から、最初から……強盗に遭遇させんなよ!!!


「何だ、泣いてんのか?」


 なんだか悔しくて、視界があやふやだ。

 くそっ。


 沸々と怒りがわき出し、今の自分を取り巻く森羅万象ありとあらゆる状況にむかっ腹が立ってきたのだ。


「なんでお前らなんだよ、なんでよりにもよって、最初からお前らなんだよ。ふざけんな! もっかい出直して来い!」


 彼自身訳が分からないことを口走りながら、山賊たちめがけて殴り掛かった。

 渾身の右ストレートは意表を突かれた男の顔面にクリーンヒットする。

 相手は予想外の一撃によろめき、そのまま後ろ向きにどさりと音を立てて倒れた。


「おい、何してんだてめぇ!」


「こいつ気が狂ってやがる!」


「構わねえ、やっちまえ!」


 お約束ならそこから新が秘められた力で無双するはずだったが、そうはならなかった。

 恐らく人を殺したこともあるであろう山賊に、3日前まで普通の大学生だった人間が敵うはずがない。

 しかも今、彼は極めて疲弊しており精神的にも身体的にもかなり参ってしまっている状態だ。

 少なくとも相手との実力差や武装の違い、それら現状を正常に認識できていない。

 彼は蹴られ、殴られ、組み伏せられて倒れた。

 意識が朦朧とする中、誰か山賊の一味ではない声が聞こえる。


「そろそろまずくないですか?」


「ああ、早くしないとこの男が死んでしまう」


 誰だっけ。

 そういや女の子が2人いたような……


 新の意識はそこで途絶えた。

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