平安妻問ひ三番勝負!〜男装少女は帝の寵愛から逃れられない〜
灰ノ木朱風@「あやかし甘露絵巻」発売中!
一、左近の桜はよじ登るもの
一羽の
小鳥は堂の中をくるりと旋回して、
「お堂の扉も窓も開け放たれているのに、外へ逃げていかないなんて。その鳥は宮さまのことがよほど好きなのですね!」
宮と呼ばれた入道は、美しい顔を少しだけ傾けて「いいや」と笑った。
「この雀は逃げぬよう風切羽根を切ってしまったから、遠くまでいくことができないだけだよ」
「逃げてしまうのが心配なら、
童は宝石のように輝く瞳でじっと見上げてくる。無邪気な問いに、入道の宮は困った様子で眉尻を下げた。
「――
「狭い籠に押し込められた小鳥より、限られた自由でも懸命に羽ばたきさえずる鳥が好きなんだ」
その時の宮の言葉が、今も斎の心に焼き付いて離れない。
◇
先帝が流行り病でお隠れになり、次代の
「主上ーーーー!」
帝のおわしどころである清涼殿に、鈴のような声が響いた。
声の主はひとりの年若い
「蔵人から報告の時刻にございます! 御座所にお戻りくださいませ!」
帝を呼びつけるなど
呼ばれるまま奥の御帳台から
「やあ、
いつき、と呼ばれた先程の蔵人が顔を上げる。「報告を聞こうか」と帝に促されると満面の笑みを見せた。
「はい! 本日は
開口一番、屈託のない調子で報告される不祥事。斎の遠慮も
「へえ。それで私の鷹はどうなったんだい?」
内裏で飼われている鷹は帝の持ち物である。御簾の下から覗く帝の口元から一瞬笑みが消えたので、後ろの蔵人達は恐れおののいた。しかし当の斎は萎縮するどころかドーンと胸を張る。
「ご安心召されませ。この
内裏の正殿である
しかし帝は愉快そうに声を上げて笑うだけだった。
「そうか、それは偉いね。では働き者の斎に褒美を取らせよう。――ほら、お前の好きな
「左近の桜から見た景色はどうだった?」
「はっ、ちょうど葉桜が盛り……でございましたので、視界すべてが……もぐもぐ。青々として、むぐ。それはそれは良き心地にございました」
「そうか」
「はい! 主上にも、青葉の合間から日が差し込んできらきらと輝くところをお見せしたかったです」
帝は梅枝をもうひとつつまんで、斎の小さな口に押し込む。
「お前は昔から木登りが得意だったね。だが身体が羽根のように軽いから、そのうちいずこかへ吹き飛んで消えてしまうのではないかと心配になるよ」
「まさかそのような! いつでも誰よりも主上のお側におりますのが、この斎めにございますれば!」
次から次へと手づから菓子を与える様はまるで餌付けだ。斎がぽりぽりと
「他に報告がないのなら、お前達は下がって良いよ。――あ、鷹を逃がした鷹飼は始末書を出すように」
◇
花琉帝は即位前、長らく「入道の宮」と呼ばれていた。立太子をめぐるいざこざから、元服してすぐ寺に封じられていたためだ。半ば世間から忘れられていた彼は、流行り病で先帝や
その際、彼はあっさり仏縁を捨て
結果として彼を
五年前、京の外れの寺から
長い隠遁生活で世の無常を嫌と言うほど味わった花琉帝は、若くして今世のあらゆる未練や執着を手放してしまっていた。
そんな彼が唯一寺から持ち帰ったもの――それが、
◇
「『面倒になりそうなことは斎の口から報告させておけば良い』っていう
清涼殿から退出し、蔵人所への報告を終えた帰り道。出仕を終えたふたりの蔵人は、ひそひそと話し合っていた。
「女房達は
「いやあいつの場合……主上が棘そのものだろ……」
不敬極まりない台詞は、先輩蔵人の方から漏れた。
「実は以前、斎を『帝のお気に入りだからって調子に乗るな』って殴った奴がいたんだけど……」
ちらちらと周囲を見渡し、声を潜める。
「そいつ、翌日から宮中で見なくなったからな」
迫真めいた言葉に、後輩蔵人は「ひぇ」と悲鳴を上げた。
「まあ、たしかに即位前からの知り合いとはいえ、少し御愛着が過ぎるなぁとは思うけど」
「でも……なんか憎めないよな、あいつ」
たしかに斎は特別だ。通常、五位蔵人は良家の子弟の中でも特に器量よしの者が選ばれる。斎はさる中流貴族の姓を名乗っているが、その一族は既に没落して久しい。昇殿資格のある蔵人への抜擢は異例中の異例である。
だが、斎の出世は決して帝の
斎の性格は素直で、勤務態度は真面目そのもの。加えて誰にでも親切だ。和歌や漢文の素養はいまいちだが、ああ見えて身のこなしは軽く、武芸はなかなかの実力である。
そもそも今日だって、斎が身を張って左近の桜に登らなければ鷹を捕まえられなかっただろう。もしも帝の鷹を内裏の外へ逃がしてしまっていたら――鷹飼の処罰は始末書どころでは済まなかったはずだ。
「それにしても斎……あいつってさ……」
「ああ……」
どちらともなくふたりは立ち止まった。言いかけた言葉を一旦呑み込んで、互いに目配せし頷き合う。
そしてふたりは揃ってひとつの結論を口にした。
「「あいつ、ぜったい女だよな?」」
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