松本清張さんと深大寺そば 🌠
上月くるを
第1話 作家からの電話
シニアの男性としては、かなり甲高い声だった。
「おたくのような地方の雑誌社は経営が楽じゃないだろうから、原稿料の心配は無用ですよ。その代わり、諏訪の名物の花梨漬けでも送ってくれれば、それでいいから」
名の通った作家との交渉には慣れていたが、現代文壇を代表するビッグネーム本人からとつぜん電話が入るとは予想もしていなかったので、諒子はかなり面食らった。
だが、まるで旧知の人に対するように格式ばらず、飄々と語りかけて来る声の主が松本清張さん本人であることは、何度か拝見したテレビの印象からも明らかだった。
小説が人びとの関心から逸れ、文学というジャンルの存続すら危ぶまれる今日では想像し難いが、読書という営為が大手を振ってまかり通っていた当時、文壇では純文学と大衆文学(エンタテイメント)の対立が表面化しており、後者の代表格と見なされていた松本清張さんには、曰く言い難い澱が蓄積していたのではなかったろうか。
こちらからの依頼状に同封した返信用はがきで済ませられるところ、それも秘書や手伝いのスタッフに指示すればいいところ、会ったこともないローカル雑誌社の社長に自ら電話をかけてみる気持ちになった背景を、自身も両勢力の対立に巻きこまれた経験がある諒子は、あとになって考えてみることがあった。
*
こんな話がある。
10人ほどのスタッフを抱えた諒子の雑誌社に、ある年、顧客筋の紹介(というか半ばゴリ押し同然(笑))で地元の大学の人文学科を卒業した新人が入社して来た。
扉ひとつでつながっている自宅に案内したとき、松本清張さんの著書が並んでいる書棚を一瞥した彼女は、フンと鼻を鳴らし、つるんとした頬を皮肉に歪めてみせた。
生意気な若者をきらいではいなかったので、それなりに編集のノウハウを教えこんだが、入社から3年目のころだったろうか、新聞社との懇親会の席で泥酔し、同じく酒癖のわるい中年の報道部長と熱烈な抱擁に及んだあげく、社長の諒子や先輩編集者にあらぬ限りの罵詈雑言を吐き散らし、文字どおり、うしろ脚で砂をかけて去った。
地方の国立大学のアカデミズムの薫陶を受けた小娘の不遜な嘲笑は、貧家に生まれ育ったがゆえに学歴も人脈も持たない作家への、文壇の、さらには当時の日本社会の風当たりそのものだったことは、入魂の短編『断碑』『石の骨』からも推察される。
現在の状況は知らないが、清張さんが2作品を執筆された当時は学閥のピラミッドで構築されていたこの国の考古学界に、無冠の在野の研究者として孤独な闘いを挑み続けたふたりの主人公、木村卓治(
ちなみに、砂かけ娘が1編でも小説を書いたという話を、いまだに聞いていない。
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