雷鳴が聞こえる刻
伊吹山は滋賀県と岐阜県にまたがる山である。
山頂は滋賀県にあり、標高一三七七メートル。滋賀県最高峰の山であり、古くから『霊峰』と呼ばれている山だ。
その昔、日本武尊がこの山の神を退治しようとしたが叶わず、病に倒れた神話が残っている。
「神社だけではなく、伊吹山は修験道の聖地です。山頂には、伊吹山寺のお堂があります」
「日本武尊が、神に会ったのは、米原側の登山道とされているが……」
健司はレンタカーのエンジンをスタートさせる。
「伊吹山は、近畿の五芒星の一角です。その力を神とするならば、やはり山頂ではないでしょうか」
美紀は伊吹山への道のりをカーナビにセットした。
伊吹山山頂に簡単にアプローチするには、岐阜県の関が原から伊吹山ドライブウエイに入るのが一般的だ。
駐車場から山頂までは、軽い登山になるが、どのルートを使っても二十分から四十分ほどである。
霊峰の力を得るにはあまりにも『お手軽』だが、山の力を感じて自分のモノにできるかどうかは、本人の資質によるところが多い。
「近畿の五芒星か」
健司は高速に乗り、ハンドルを握りながら、ため息をつく。
近畿の五芒星は、奈良の都を守るために作られたと言われている。伊勢神宮、
「いったい神崎は何を考えているのだろう」
「服役中の態度は反省しているようでしたけれど、脱獄をしたところをみると、それは計算してのことだったのでしょうから。そう考えると、理由は今も昔と変わらないのかもしれません」
「江戸時代まで文明を後退させるってやつか」
言いながらも健司は、そうではない、と思う。
前に戦った時も、神崎からそんな大義を感じなかった。彼から、感じたのは、ただ『戦う』という意思だけ。
「曇ってきましたね」
あれほど晴れていた空が、関ケ原のインターを 下りた頃には雲がちになっていた。
伊吹山ドライブウエイに入ると大粒の雨が降り始めた。
かなり激しい雨になりそうだ。早朝ということもあるが、天候のせいもあって車の数は少ない。
今日が平日ということもあるだろう。
伊吹山ドライブウエイは、あくまでも登山道路なので、頂上近くに行く用事以外で使うことはほぼない。
辺りは次第に夜のように暗くなってきて、雨脚が強くなってくる。
「酷い雨だな」
車のワイパーを動かしても視界が悪い。
「神崎の力、でしょうね」
美紀は車窓を眺めながら呟く。
「そうだな」
人為的な雨かどうかの証拠はない。もともと夏の山は雷雨が起こりやすい。ただ、これだけの雨が降っても流れない瘴気が肌を刺す。
雷の欠片を行使していた時ほど、広範囲ではなく、非常に局地的なものだ。
ドライブウエイを登り切って、駐車場にたどり着いたころには、激しい雷鳴がとどろき始めた。
「八坂はここにいて」
「そういうわけにはいきません」
登山用のレインウエアを羽織り、二人は車を降りる。
レインウエアの中の服には、雷避けの符を張った。
雷が鳴る中の登山は、狂気の沙汰だ。しかも大地を大雨が叩いていて、視界も悪い。
駐車場に車は数台停まってはいたが、車の外に出ている人間はおらず、当然登山道を歩いている人間はどこにもいなかった。
「最短コースを行く」
「はい」
登山道は三コースあって、登りコースは二つ。短い中央登山道は険しく、ゆるやかな西登山道は少しだけ距離が長い。
これだけの雨が降っているとどちらにせよ危険だ。
「雷が一番怖いな」
健司は空を見上げる。
頂上付近は見晴らしがよいが、逆に高いものがあまりない。自然の雷雨でも危険だが、神崎がコントロールしているとなると、さらに危険だ。
「雨が降ると、符術が使いにくいですね」
美紀が険しい顔をする。
作り置いた符はともかく、その場で書くとなると、いろいろ不便だ。
符になっていれば、水に濡れても効果はかわらないが、符をえがく前の紙はただの紙だ。
「雷だけ何とかしてくれればいい。神崎とは俺が決着をつける」
中央登山道を登り切った山頂には、
「避雷の符」
美紀は男の姿を見た瞬間に符を放った。
その符のすぐそばに雷光が突き刺さる。
轟音とともに世界が真っ白になった。
「ふうん。八坂も一緒なのか」
瞑想していた男がゆっくりと立ち上がる。記憶よりやや頬が欠けていた。
あいかわらず端整ではあるが、痩せたせいでシャープで酷薄な印象が強くなっている。
鋭い目、薄い唇。人を見下すような笑みを浮かべている。間違いなく、神崎保だった。
薄いビニールのレインウエアを着てはいるが、激しい雨のため、髪も顔も濡れている。
「相変わらず、いちゃいちゃしやがる」
ふんと、神崎は鼻を鳴らした。
「前からお前らは、緊張感がない奴らだ」
神崎が手をのばすと、ずるりと八坂の足元の土が崩れた。
「八坂!」
「結界符!」
美紀は符を放って、自分と健司の周りに結界を張る。
「そんな女は置いておいて、二人でやらないか、草野」
「彼女を今更気遣うのか? その気持ちはわからなくもないがそれは無理だ。彼女は俺の
健司は釘を構える。
「女の結界に隠れるのか?」
「挑発は受けない。俺は別段、お前と勝負をするために来たわけではない」
「オレは、お前と戦うために来たというのに」
ふっと神崎が手を挙げると、雹がばらばらと降り始めた。大粒の雨とともに、氷の塊が大地を転がる。
「なぜ?」
「お前がいると、オレが惨めになるのさ」
神崎が気弾を飛ばした。
健司はそれを転がってかわす。
「知っているか? この山は日本武尊を殺した山だ」
「だからなんだ? 知っているだろう? 日本武尊は、
健司はにやりと笑う。
雨のせいで、目に水が入るがそれどころではない。
「お前が持っているのは、神器そのものではない。マガイモノだ」
ふっと神崎が笑う。
「かけまくもかしこき
健司は釘を構えた。
ズシンといつもより強い力が腕に伝わる。
「神意具現!」
神崎が焦げた木を片手に叫んだ。すると神崎の身体が白銀の毛をたたえた巨大な猪と化す。
「行くぞ」
そう叫び、健司に向かって真っすぐに突っ込んでくる。防御など全く頭にないらしい。
「
健司の声に答えて、光の剣が強く光った。
足元の悪さなど感じないスピードで突っ込んでくる猪にむかって、健司は剣を突き立てる。
猪は避けようともせず、剣に突進した。
力と力がぶつかり合い、冷たい雨が体力を奪っていく。剣を眉間に突き立てられているのにも関わらず、少しもダメージが与えられている気がしない。
むしろ、剣から力を吸い取られているような感覚さえする。
これは神崎一人の力ではない。
「草野さん!」
悲鳴のような八坂の声。
「かけまくもかしこき
健司は天を仰いだ。
「この山に悔いあらば、我に力を」
伊吹山の力に、健司の力で対抗するのは無理だ。手にしているものが本物の
ずんと、大気が揺れた。
健司の中に力が流れ込む。強い大きな力だ。
「焼け! 叢雲!」
健司は叫ぶ。
雷光なのか、それとも神器の放つ光なのか。
あたりは光に包まれ、何も見えなくなった。
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